かれくさ寮の謎
五島燿平。『アイツら』の片割れ。関西弁の方。イメージ通りの関西人だ。それから、俺とつるんでんだからこいつもオタクだ。あとアホ。
五島はかれくさ寮の寮生だ。かれくさ寮というのは、うちの大学の寮なんだが、外から見ただけで歴史を感じられる建物(ものすごく好意的解釈)として有名だ。平たく言うとものすごいオンボロ。
五島といったら、そんなボロい寮でたくましく生きてるイメージが強い。前に遊びに行ったことがあったが、ありゃすごかった……。
「……ここや」
かれくさ寮の前に着いたところで、五島が異様に低い声でぼそりと言った。
「なんでちょっとトーン落とし気味でしゃべってんだよ」
「いや、雰囲気出るかなぁと思ってな」
「何がしたいんだ一体……まぁやりたかったことは大体わかるけどな」
ホラー感出したかったんだろうな。いや別にそんなことしなくても、俺の目の前に広がる光景ですでにホラー感は満載だ。
ツタが絡まった門には『かれくさ寮』という看板がかかっている。……錆びて読みにくい上に、雨の跡が血涙の跡みたいになっていて恐怖感が倍増だ。
そして建物自体も異様な威圧感を放っている。コンクリートむき出しの3階建てのその建物は、もう廃墟といっても差し支えないレベルだ。なんか心なしかここら辺一帯だけ薄暗い。あとなんか黒っぽい鳥ばっかり周りを飛んでる気がする。
「じゃ、入るで~」
しかし、五島はそんな様子に臆することなく俺に進入を促した。……まぁ、コイツはここに住んでるんだもんな。ビビらんのは当たり前か。
「……ん、邪魔するぜー」
俺も最初こそビビったものの、割とすんなりと受け入れて寮の中に入った。
「あ、そういえば!」
玄関で五島が思い出したかのように俺に向けて言った。
「なんだ?」
「スリッパ、ちゃんと持ってきたやろな?」
「あ、あぁ、持ってきたが……」
「そうか、ならええんやけど」
「? そんな大事なのか、これ?」
俺は手に提げている、スリッパの入った袋をまじまじと見つめながらつぶやいた。
玄関を入ってしばらく進むと食堂らしき空間が広がっていた。……ここはちょっと古いくらいで、別に普通だったから素通りだ。語るべきこともない。
食堂を通り過ぎて階段を上る。上っていくごとにまた何となく暗くなってきているような気がした。
さて、階段で三階へとたどり着いた俺たち。そこで五島は俺に向かって、大きめの声で注意を促した。
「じゃ、ここからは絶対スリッパな!」
「え……お、おう……」
何となく返事をする俺。まぁ、俺は入り口からずっと履いてたからここであわてて履くこともないんだけどさ。
「ここまで強制してこなかったのに、なんで部屋に入るところで強制なんだよ……」
「まぁ……すぐにわかる」
意味深な言葉を残して、五島は三階の一番端の部屋、「305」と書かれた扉を開けた。
「……入れ、静かにな」
「……お、おう……」
やけに神妙な顔つきで言うもんだから俺も少し神妙に答える。
しかし、なんで自室でこんなに静かにすり足で動かなきゃならんのだ?
そんな俺の疑問を察してか、五島が俺の足もとを指さしながら言った。
「……床を見てみろ」
五島の指先を追って、自分の足もとを注視すると……
「……はぁ!?」
俺のスリッパは、得体のしれない黒い粉にまみれていた!!
「何だこれ!?」
「知らん!!」
短い五島の言葉。なんじゃそれ! 俺はあわてて粉を払おうと足をバタバタと振り回した。俺の動きに合わせて、足元の粉が舞う! 一帯が黒い粉に包まれた。
「げほげほっ!」
「暴れんな! 黒い粉が舞うやろが!!」
五島の怒声が飛ぶ。俺はその声を聴いて、あわてて足を下ろした。
「……ふーっ、収まったか……。ってか掃除しろよ掃除!!」
今度は俺が怒声を飛ばす。どんだけ掃除サボったらこうなるんだよ!
しかし、帰ってきたのは意外な返答だった。
「したで、2日前に」
「はぁ!?」
五島は答えながら部屋の隅を指さす。
見ると真っ黒い塊の入ったビニール袋が積まれていた。
「……何なんだよアレ……」
「だから知らんと言っとるやろが。理学部の寮生とかが解析しようと試みてたが、結局正体はわからんかったらしいで」
「マジかよ……」
「せやから、考えるだけ無駄やで、ほっとけほっとけ」
「そ、そうか……じゃあ、いいや……」
いや、全然よくないんだけど、考えたところでたぶん答えは出ないだろう。
アレが何なのかは放っておいて、とりあえず空気を入れ替えよう。俺が暴れるのをやめたところで、新しく舞う粉はなくなったけど、もう舞い上がってしまった粉は未だに空中を漂っていた。
「まぁ粉が舞っちまったし、換気は必要だろ。とりあえず窓を……」
「やめろ!!」
換気のために窓に手をかけようとした俺を、五島がすごい勢いで静止した
「は? お前何言って……うげぇぇ!!」
窓を開けようとしたその瞬間、何か巨大なものが、ガン! と盛大な音を立てて窓ガラスにぶつかった。そしてぶつかった何かは階下へと落下していった。
五島の声に気を取られて窓を開けるのが遅れて助かった……
「後ろが竹藪だからな、すごい勢いでこっちに突っ込んでくるで」
落下したのを確認して、五島は何事もなかったかのように言った。
「何だよ今の!?」
再び叫ぶ俺。しかし五島は、別段驚いた様子もなく淡々と答えるだけだった。
「あぁ、虫だな……名前は知らんが」
「虫!? アレ虫なの!? 20センチはあったぞ!?」
「あぁ……たまにそれくらいのも来るな」
「はぁ!? ここどこだよ! アマゾンか!? ジャングルか!?」
「いや、長野県松本市やで?」
「そーいう真面目な返答いいから!!」
「まぁ落ち着けや」
「ふーっ、ふーっ……」
五島になだめられる俺。なんでこいつはこんなに冷静なのか? 俺がおかしいのか?
……確かに、ここは長野だし、もしかしたら場所と場合によっては20センチ級の虫が出てもおかしくないのかもしれない。
そう思い込むことにした。俺はきっと自分の狭い常識でしか考えてなかったんだな。
「ふーーーーーっ……まぁしかし、換気はしないとだめだろ、網戸は?」
とりあえず落ち着いて聞いてみる。……なんか網戸ごときじゃさっきの虫の襲来を抑えられん気もするけどな。そんな感じの返答だったらされてもまだ納得できるわ。
そう思って身構えていた俺に対して、五島の返答は遥か斜め上を行くものだった。
「あぁ。網戸ならこの前デカい鳥が持って行った」
「魔界かよここは!?」
前言撤回!! 絶対おかしいのは俺じゃねぇ!!
「いや、松本やけど……」
「あぁ、もうそういうのいいから……」
あー、頭痛くなってきた……。頭を抱えている俺をさすがに心配してくれたのか、五島が椅子を指さして休憩を促してくれた。
「まぁ、一息つけよ」
「おう……さんきゅうおわぁっ!」
椅子へ近づこうとして一歩踏み出してみると、ズルズルと沈んでいく俺の足……えぇぇぇぇぇぇっ!?
「……あ」
その様子を見て、はっと思い出したように五島は言った。
「言い忘れてたわ、そこ、なんかちょっとやわらかいんやったわ」
「やわらかいって何!? 床だろ!?」
なんとかそこから足を引き抜くと、やっとこさ五島の差し出した椅子に座った。
「あぁ、知らん」
五島はまたそっけなく答えた。
「……お前、よくこんなところに住んでるよな」
俺はもう疲れ果ててそんな返答しかできなかった。
かれくさ寮の建て替えが決定したのは、それから数日後のことだった。