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姫様、脱獄してください! できれば、ご自分で  作者: 不二原 光菓
2章 戦いません、勝つまでは
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その2

 むんず。


 指の先までごわごわした毛が密生しているその真っ赤な生臭い手は、硬直する学生服の男をつかんだ。


「この鬼から逃げたいんだよっ、助けてくれっ」


 鬼の口に急激に近づきながら、マークは自分の背中に叫ぶ。


「一つ目鬼について。モンスター界、脊椎怪物門、四肢(こう)、鬼(もく)、和風鬼科、一つ目属、赤鬼種に属する肉食怪物」


 冷静にこの鬼の生物学的位置についての情報を述べ始める背後の声。


「食物:肉食、特にヒトを好物とする、生息域:森に囲まれた平原に多くは個体で存在するが、繁殖期には群れを成すこともある、性格:獰猛で残忍、獲物はいたぶりながら食することで有名、知性:ほぼ無し、原始的な衝動のみで行動する」


「獲物をいたぶりながら食する……」


 マークは耳に残ったところを反芻(はんすう)する。

 自分があいつの口の中に入ったら、あの乱杭歯でずたずたにされるんだろうか。

 根元が茶色の尖った歯をちらりと見て、マークの胃は締め付けられるようにきゅーっ、と縮こまる。


「なんて歯だ……」吐き出すように呟くマーク。


「彼らの咀嚼法(そしゃくほう)は、人間とほぼ同じです。まずは、前の切歯で獲物を噛みちぎり、奥の臼歯ですりつぶします」


「そんなネガティブな情報、やめてくれっ」


 悲鳴を上げるマーク・シート。


「誰か知らないけど落ち着いてないで、助けてくれよっ」


 普段は感情をあまり表に出さないマークだが、半狂乱で怒鳴る。


「私は無力な一介の巻物。知識の提供はできますが、お助けはできません」


 背後の声は、背中にしょった百科事典のものだったらしい。


「この鬼の弱点はなんなんだ?」


 鬼は口を大きく開けて、真上を向く。

 その口に向かって、つまみあげられていくマーク。

 声にならない声で叫びながら、彼は口に落されないように今度は鬼の手にしがみつく。


「弱点は、目です」

 一言で片づける巻物。


 マークのななめ下にまるでロープの切れ端の様な太い睫毛に覆われた一つ目が見えた。

 目は身体にしては小さな顔面の、ほぼ上部3分の1を占めている。

 赤い血管が縦横無尽に走る白目の中の大きな黒目がマークの方を向いている。


 その目がぎょろりと動いた。


「鬼さん、こちらなのです~」


 赤いチュチュの妖精が、鬼の方に飛びながら手を叩く。

 先ほど悪戯されたのが、相当頭に来ているらしい一つ目鬼は、マークをいったん口の上から降ろすと、彼を掴んだまま、彼女を追いかけ始めた。


「待ってろマークっ、未開の怪物ごときが見たことも無いような花火で気をそらすっ。その隙に何とか脱出するんだ」


 マークの眼下にしゃもじを掲げるチョッカーンが見えた。


「でも……」マークの額に皺が寄る。


 彼の横には青いチュチュと黄色いチュチュの妖精が近寄ってきて、必死でマークを鬼の手の中から引きずり出そうとひっぱる。

 が、いかんせん非力な彼女達ではマークの身体はびくとも動かない。


「出ろーっ、オーディンもびっくりの大花火っ」


 チョッカーンの命令とともに、しゃもじの先端から何かが打ちあがるような大きな音が轟いた。


 ひゅうううううううん。ひゅううううううん。

 ひゅうううううううん……。


 思わず足を止める鬼。


「イケーっ、たまやーっ」チョッカーンが叫ぶ。


 しかし。

 晴れ渡る晴天の下では、花火の光はほとんど見えなかった。

 どどどどーんっ。どどどどーんっ。どどどどーんっ。

 音が空しく平原に響き渡る。

 少しばかり煙たくなったものの、打ち上げ花火の効果はほぼ無いに等しかった。


「あああ、昼間の花火はやっぱり見えなかったか」


 辮髪男は悲痛な声で叫ぶ。

 鬼は最初だけ不安そうに周りを見回したものの、音にもすぐ慣れたのか、今度はチョッカーンのほうに向いてにやりと笑った。

 むんず。


「ぎゃあああああっ」


 毛むくじゃらな手に掴まれてもがくチョッカーン。


「大丈夫かっ」


 怖いなりに、少し掴まれることに慣れてきたマークが叫ぶ。

 二人は、鬼の口にまた急速に近づきつつあった。


「いたたたたたたーっ、ど、どうしてお前これが我慢できるんだっ」


 青い顔で、辮髪を振り回して苦悶するチョッカーン。

 彼はふと、眼下に大きく広がっている、腐臭漂う赤黒い口腔を見て絶叫した。


「だずげでくれええええっ」


「巻物っ、何かいい知恵は無いのか!」マークが背中に叫ぶ。


「申し上げたはずです、私は知識は提供しますが、手段はそちらでお考えてください。こいつの弱点は目です」


 主人の危機に、そっけなく突き放す百科事典。

 ちょうど鬼の顔が近くに来ている、目の攻撃をするなら……。


「チョッカーン目を狙え。目に花火をっ」


 マークが相方に叫ぶ。

 チョッカーンはわかったとばかりにうなずくと、鬼の目に向かって何か叫びながらしゃもじを振り上げた。

 ぷぢゅ。

 歯磨きのチューブの最後のペーストが出たあとのような情けない音がした。

 花火は出てきた形跡がない。


「しまった、多分花火スキルの弾切れだ。さっき全力投球しすぎたらしい」


 チョッカーンの顔に絶望の色がありありと浮かび上がった。


 その間にも、鬼が二人を自分の口の中に落そうと、口の真上にくるように微調整している。

 そのたびに黒目が近づいたり、離れたり。

 しかし、徐々に彼らは鬼の口の上部に近づいていた。

 なんとかしないと。

 落ち着け、マーク……。彼は自分に言い聞かせる。

 チャンスは、多分、あと一回しかない。

 不用意な攻撃は、すべての可能性を奪ってしまう。

 だから。

 勝つまで、頭の中で勝つシュミレーションができるまで、手を出すな……。

 マークの頭の中には思考の嵐が吹き荒れる。

 目が弱点、目が……。

 彼は自分も極度の近視で目が弱い……角膜も弱いから、コンタクトできず黒縁メガネをかけている。

 コンタクト……。

 マークの頭にまるで臨死体験のように、コンタクトに関する記憶がすごいスピードで浮かんでは消える。


「ゴミがはいると痛いのよねえ、すぐトイレで洗うわ」


 クラスの女子が話していたっけ。

 あ。

 マーク・シートは息を飲んだ。

 チョッカーンの得体のしれないあのスキル。

 透明なボウルをひっくり返したような絵が描いてあった。

 ボウルを浅く平たく変形させていくと……コンタクトにそっくり。


「チョッカーン、一か八か、あれを使おう。僕がこれを投げるから、目をコンタクトみたいに覆え」


 名前通り勘の良いチョッカーンはすぐさまうなずく。

 マークは、手に持った彼の精神安定剤、単語帳を鬼の目に投げつけた。

 それが、鬼の目の表面にたどり着く寸前。

 チョッカーンがしゃもじを振り上げて叫んだ。


「キャプスレートっ」


 目の上に単語帳を挟み込んだまま、キャプスレート(capsulate)の術が作り出す透明な膜で鬼の黒目がぴったりと覆われた。

 ゴミが挟まったまま、目にコンタクトをするのと同じ状態である。

 単語帳が鬼の角膜にめり込む。

 とたんに鬼はいきなり二人を手から振りほどくと、目を押さえてのた打ち回り始めた。

 5メートルの高さから落下する二人。


「お任せくださいなのですう」


 妖精達がチョッカーンに2人、そして細身のマークに1人しがみつくと何とか落下速度を遅くしようと羽をはばたかせる。

 彼らの努力はあったが、チョッカーンとマークは結構強く体を打ち付けて、地面に転がった。

 すぐさま、身構える2人。

 しかし、そこに鬼の姿は無かった。

 その代り、そこには美しい七色に光る3センチくらいの玉が落ちていた。


「モンスターのドロップアイテムか。こんなのを見るとやっぱりこれはゲームなんだって再認識するな」


 痛そうに腰や肩をさすりながら立ち上がるチョッカーン。


「リ、リアルすぎだよ」


 肩で息をしながら立ち上がるマーク・シート。

 痛みを感じていないようだが、彼の右足は膝から変な方向に向いていた。


「お、お前、折れてない? 足」


 チョッカーンが震える手で指さす。


「痛くないんだけどなあ」


 しかし、確かにマークの右足は用をなさないような形に折れ曲がっていた。

 協議の結果、プレイヤー二人と三人の妖精、そして気難しい1本の巻物は、人里に向かいまず医者を探すこととなった。


「お前が痩せてて良かったよ」


 マークシートを背負ってつぶやくチョッカーン。


「チョッカーン、君が友達でよかった」背負われながら小声でつぶやくマーク。


「馬鹿、タダとは言ってないぞ。これはひとつ貸しだからな。いいか、同時に美月さんを助けたら、俺に譲るんだぞ」


 照れ隠しなのか、チョッカーンは大声でぶっきらぼうに言うとそっぽを向いた。


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