その4
サソリが出てきます。嫌いな方はご注意ください。
優理が閉じ込められていた牢獄は広く、約20メートル四方ある。その中で彼らはサソリと対峙していた。サソリは時折、猛烈なダッシュで彼らに襲い掛かる。しかし動体視力の良いマークのバリアーで跳ね返し、何度か危うく難を逃れていた。
高柳も目を狙って短剣を投げつけるが、さすが強敵と名高い敵キャラだけあって、すべて尻尾でなぎ払われてうまく届かない。お互いに攻めるに攻められず、戦いは膠着状態に陥っていた。
サソリは彼らが敏捷に逃げるためなかなか捕まえられず、怒りをあらわにしている。この広さではらちが明かないと考えたのか、突然サソリは体を振って入り口とは逆の方向にある、上に向かう階段の方に後退し始めた。逃げ場のない狭い所におびき寄せて挟撃しようという作戦だろうか、サソリはとうとう階段の中に身体を隠してしまった。
「追っていけばやられる。ここは一旦引こう」
「でも、姫を一人にはできない……」
「高柳君、もし君が現実世界に戻れるのであれば、この事態を皆に暴露してくれないか」
「それは無理だ。もう私の寝返りに父は気が付いている。現実への復帰は試してみたが、うまく行かなかった。それよりも、ここは撤退してもっと仲間を集めよう」
攻撃力を持たないマークだけでサソリに戦いを挑んでも、やられるのは目に見えている。しかし、クールな高柳はすでにこの場を撤退の方向で考えているようだ。マークはそれに従わざるを得ない。高柳の判断は正しいと思うが、優理を一人にしておくのは危険すぎるとマークは考えている。
ずっと人任せで、自分では攻撃をしてこなかった。そのツケが今まさに回ってきている。守りたい人をこの手で守れない、その辛さをマークは心底味わっていた。
ここに、アイツらが居れば……。こぶしを握り締めてマークは歯噛みした。
「待たせたなっ……」
幻聴かと思うほどのタイミングで聞こえてきた声。
それとともに高らかな靴音とガチャガチャという鎧の音が部屋に飛び込んできた。
「ローエングリン、チョッカーン……」
泥と埃にまみれた顔をほころばせながら、チョッカーンがピースサインをする。
「どこだ、そのサソリ野郎って、わっ、お前は極悪エロ柳っ」
マークの傍らに立つ高柳に飛び掛かろうとするチョッカーン。
「誰がエロ柳だっ」目を吊り上げて叫ぶオリジナル。
「ま、待ってっ」
慌ててマークは二人の中に飛び込んだ。
「か、彼はオリジナルなんだよ。姫様を誘拐してたのはキャラ高柳なんだ」
「なんだ、そのキャラとかオリジナルってのは……」
「高柳が鱗翅王の血のつながらない息子っていうのは、あの謁見室で聞いていたよね。彼は姿を使われただけで、実は僕らを陰で助けていてくれたみたいなんだ。キャラ高柳はさっき、本物の高柳君がやっつけた」
「でも高柳、お前はなぜここに来たんだ」
チョッカーンが不思議そうに尋ねる。
「養父と義兄が俺をモデルにしたキャラクターで、優理をさらってマーク達をおびき出したって知ったから、会社のコンピューターをハッキングして手に入れた特権IDを使用してログインしたんだ。冗談じゃない、親父たちの悪巧みの濡れ衣を着せられてたまるか」
「いつからこの世界にいたんだ」
「ちょうど、ローエングリンとキャラ高柳が対峙する少し前かな。その時は顔を隠して従者のふりをしていたが、その後すぐにあのキャラ高柳を拘束して、すり替わっていたんだ。だが、キャラの奴、せっかく縛り上げて塔の地下室に閉じ込めておいたのに鱗翅王が見つけて助けたようだな」
「そういえば私が路地裏で洗脳されかけた時、高柳の従者が姫を逃がそうとしたりして、振る舞いが妙だったな。それがお前か」
高柳がうなずく。
「それにしても、あの時最初から助けてくれてもいいものを」
「ローエングリンという得体のしれない男が居るし、しばらく様子を見ていたが、どう考えてもこちらの方が悪役だしな。でもあんなに美月さんがこのゲームに籠絡されて変わっているとは思わなかったぞ、がっかりだ」
「何はともあれ、優理を守ってくれて、ありがとう。私からも礼を言わせてもらうぞ」
ローエングリンが頭を下げる。
「ところでお前は姫様と知り合いなのか?」
怪訝な顔で尋ねる高柳にチョッカーンが口をはさむ。
「ローエングリンは我らが姫様の一部で、実は彼女が心の中で作り出した彼女のお兄さんなんだ」
「は?」
事態が飲み込めず、額に皺を寄せる高柳にチョッカーンは事態を説明した。二人の関係に混乱したのはチョッカーンも経験済みである。それだけに説明は的を得たものだった。
しかし、説明を聞きながら彼の顔はどんどんくもっていく。意を決したようにローエングリンの方を向くと、彼は口を開いた。
「分離したままだとまずいぞ。もしお前が絶命すれば、このゲームから脳へのラインが認識されていないから、彼の記憶は彼女の脳から消し飛ぶことになる。この状態は洗脳が効かないというメリットはあったが、万が一の時には永遠の別れになるんだ、気をつけろ」
高柳の言葉に、チョッカーンがぎょっとした顔でローエングリンを見た。
ローエングリンは心配するなとばかり首を横に振った。そして彼は高柳に話しかける。
「お前、学校では協調性ないしマークをことあるごとにいじめるし、実は最低な奴だと思っていたんだけど……誤解だった、すまない」
「ああ、そう思ってくれて上等だ。だって、俺は自暴自棄になっていたからな。篠原誠のおかげで人生を狂わされてから」
突然の告白に、マークの顔が曇る。
「俺は、お前と同じ年だからという理由で、お前を監視するために幼い時に金で養父に引き取られた。時が来たら、お前を監視して逐一状況を伝える事のみに費やせという親達の命令で俺はお前と同じ高校に入って、監視していたんだ。お前の情報を逐一親に送れるか、俺の評価はその一点だ。いくら才能があっても、頑張ってもな」
マークを睨みつけると高柳は鼻を鳴らした。
「この才能も無いガリ勉に、なんで私のような優秀な男の人生をかけないといけないんだ……」
「ご、ごめん。本当に迷惑をかけて、どう詫びていいのやら」
マークは狼狽しながら目を伏せる。
「待った。マーク、お前には一点の非も無い。高柳、お前言いすぎだぞ、コイツは身に覚えのない『転覆者』としてさんざん苦労してるんだから」
辮髪を振り乱して詰め寄るチョッカーン。
高柳は二人に背を向けた。
「わかってるよ。本当はね」
黒いマントを羽織った背中がかすかに揺れる。
「羨ましかったんだよ勘助、お前と篠原が仲良かったのが。それに、なんだかんだ言って美月さんも宿題や課題は篠原を頼りにするし」
「羨ましかった?」
マークがきょとんとする。彼の方こそ、勉強しても追いつけない学年トップの高柳に嫉妬して、いつも歯噛みしながら見つめていたのだから。
「クラスに溶け込むには、私はひねくれすぎているんだ。自分が不幸でどうしようもなくて、そして普通に高校生活を謳歌する篠原の存在が許せなくて……」
「おい」
チョッカーンが高柳の肩に手をかけて強引に振り向かせる。
ふてくされた顔の高柳の目の前に、右手が差し伸べられていた。
「感謝してるぜ。助けに来てくれてありがとう」
チョッカーンの大きな目が微笑んでいる。高柳の端正な顔が苦しげにゆがんだ。
「ずるいぞ後藤、先に言うなんて……」
「ぼ、僕も……いいかな」
マークもおずおずと手を伸ばす。同時にローエングリンの手も差し伸べられた。
三本の手が揃ったところで、チョッカーンが叫んだ。
「という事で、仲間になってくれるな、タコ柳」
「なんだそりゃあ!」
怒号とともに、三人の手はがっちりと高柳の両手に包まれた。
「それじゃあ、行くぞ。美月姫を助けるんだ」
チョッカーンの叫びとともに四人は階段に向かって行った。
階段いっぱいに脚を広げ、サソリは彼らを睨みつけるように見下ろしていた。時折、身体を上下に揺らして、彼らを威嚇している。
その尻尾の付根には、青い顔をして縛り付けられているセーラー服の優理が居た。
「優理……」ローエングリンの目が血走った。
サソリは牽制するかのように、曲がった針を少女の顔の前でぶらりと揺らす。
悲鳴を上げそうになって、慌てて口を閉じる優理。条件反射なのだろうか、まるで、ローエングリンの前だけでも凛とした優理に戻るんだ、とでもいうように彼女は気丈に叫んだ。
「みんな、ごめんなさい。全部、私が悪いの。逃げて」
「怖いくせに、無理しやがって。今助けてやるっ」
吐き捨てるように言うと、金髪を振り乱してローエングリンはサソリを睨みつけながらシュヴァーンを振り上げた。
「目が弱点だ、ローエングリン」
マークが待て、とばかりにローエングリンの肩に手を置いた。
「さっきも言ったがあの尻尾の針から注入される毒は致死性がある。刺された時には、ポイント委譲をブロックするらしい。ポイントはあるのか」
「心配するな」ローエングリンは、そっとマークにうなずいた。
「俺も手伝いたいが、優理がいるからキャプスレートもできないな……」
チョッカーンが悔しそうに唇をかむ。
「テレキネスっ」
金髪の騎士の叫びで、背中側に垂れていたサソリの毒針がぐいいっ、と天井の方に向けられる。相当な力比べなのだろう、尻尾はぶるぶると震え、ローエングリンも額に汗の粒を浮かべている。
サソリの尻尾は制御できているが、まだ胴体から突き出た鋏や脚はガサゴソと動いている。階下に立つローエングリンに飛びかかろうとサソリも隙を伺っているが、さすがゴールドパスの勇者、テレキネスを発動していながらも、シュヴァーンでその動きを封じている。
両者の動きが止まった、その瞬間。ローエングリンは階段を蹴るとシュヴァーンを振り上げてサソリの頭に着地した。同時に甲殻の隙間に思いっきり剣を突き立てる。怒り狂ったサソリが全身を震わせて、止まっていたはずの毒針が、ローエングリンが居た空間を貫いた。間一髪、跳躍で針の串刺しを逃れた金髪の騎士は再び背中に着地して剣を構える。そのまま尻尾の付根に行くと優理に飛びついた。
「無茶をするな、ローエングリン」マークが叫ぶ。「自暴自棄過ぎる」
しかし、騎士は仲間たちの声が聞こえないかのように、優理を背でかばうと平然と愛剣シュヴァーンを構えた。
荒れ狂う尻尾。毒針が二人に向かうが、そのたびにシュヴァーンが撃退する。しかしサソリの装甲は固く、さしものシュヴァーンでも毒針の部分を切断することはできない様だった。
「優理とよりを戻そうとして必死なんだよ、あいつ。優理のために自分は消えてもいいと思ってるんだ……」
ローエングリンのわが身を顧みぬ必死な姿を見て、チョッカーンは自分の心に微妙な波立ちが生まれているのに気が付いた。
それは、彼にとっても意外な感情、すなわち優理に対する嫉妬だった。
そして不思議な切なさ。
チョッカーンは頭をぶんぶんと勢いよく振ると、上空を乱舞するサソリの尻尾を睨みつけた。
「よっしゃあ、俺も行くぜ。ローエングリンにばかりいいカッコはさせない。キャプスレートは使えなくても、俺にはこれがあるっ」
チョッカーンがしゃもじを振り上げた。
「火花よ出ろっ」
彼はサソリの目に向かって、火花を炸裂させた。
同時に彼はサソリの前に躍り出てサソリの注意を引く。サソリはチョッカーンに向かい、鋭利な鋏を振りたてて前進してきた。
「バリアー」
マークの言葉とともに、勢いよく突き出されたサソリの鋏は、見えない壁にぶつかってぐしゃりと潰れた。
高柳も負けじとサソリの目に向かって短剣を投げる。大きく動く小さい的を射抜くのは簡単ではなかったが、何本かのなかの一本がとうとう片目につき刺さった。
荒れ狂うサソリ、しかし、視界を花火が遮っているために標的を絞りきれず悶えるのみ。
「今だ、ローエングリン。優理を救えっ」
金髪が揺れて、彼は仲間たちにウィンクした。
縄を切って彼女の手を引いて仲間の元に戻ろうとするローエングリン。もう一度テレキネスを発動して、なんとか尻尾を止めると彼は優理を抱いて階段を大きく跳躍した。
しかし跳躍した瞬間、サソリの毒針が動き出した。
「あぶないっ」
優理を抱きかかえているそのバランスの不安定さが、彼の反応を一瞬遅らせた。
毒針が甲冑を貫いて、彼の背中に突き刺さる。
優理が素手で毒針を引き抜いた
「う、嘘だろ」
歴戦の勇者ローエングリンのまさかの姿に、チョッカーンの目が大きく開かれて凍りつく。
ローエングリンと姫は階段から転げ落ち、サソリの目の前に膝を付いた。襲い掛かる鋏。残った気力を振り絞るようにして、ローエングリンは姫をかばいながら気力を不安定な体勢からシュヴァーンを投げた。
全身全霊をかけられたその剣は回転してサソリの眉間に深く突き刺さる。
サソリは殻を打ちふるわせながら身悶えし、剣とともに金色の光に包まれて消えていく。
ローエングリンはまるで崩れ落ちるように階段に倒れ伏す。
ぐったりとした金髪の騎士を見て、姫の高い叫びが階段に響き渡った。
チョッカーンが駆け寄って彼の上半身を抱き起す。
「だ、誰か……」
毒で視界が奪われつつあるのか、両腕を宙にさまよわせるローエングリン。
「ローエングリンっ、しっかりしろ」
叫びながらチョッカーンが青白さを通り越して暗い色になる頬を叩く。
「見えない……助け……」
「僕の流通ポイントをローエングリンに……」
マークが叫ぶ。
「この毒は、新たな流通ポイントを受け付けられなくする作用があります。サソリを倒したことによるポイントの加算もローエングリンにはありませんし、他者からのローエングリンへの譲渡はできません」
マルコムの声が冷たく響く。
「マルコム、ローエングリンの流通ポイントは」
チョッカーンが叫ぶ。
「急速に低下しています。20を切りました。19,18……」
「お前、流通ポイントをほとんど使い切っていたんだな」
チョッカーンの両目に涙があふれる。
「この値では、自ら行うヒーリングも無理だ……」高柳がつぶやく。
「逝くな、俺達と一緒に帰ろう」
青い顔がチョッカーンの声に弱々しく、うなずいた。
「皆と冒険できて楽しかった……優理を、優理を頼む」
かすれた声で繰り返されるもう一人の自分の名前。
「ローエングリン、お、お前が居なくなったら、俺……」
チョッカーンが叫んだその時。
「待って、彼は私が助ける」
地面から立ち上がった優理がつかつかと分身のところに歩み寄った。
そっと、土で汚れた手を取る。
「その体を捨てて、私のところに戻って来てくれる?」
「許してくれるのか? お前を否定していた私の事を……」
緑の瞳が優理の声の方を向く。
「許すも、許さないも、あなたは私が作り出したもう一人の私。あなたが私を大切なように、私もあなたが大切なの。そろそろ、私も大人になるわ。これからも、ずっと一緒よ」
「女性もいいものだ。私はこの世界でそう思えるようになったよ、心底な……」
優理は優しく微笑んで彼の両手を握る。ローエングリンもうれしそうに微笑んだ。
ローエングリンの身体がきらきらと輝き始めた。その光は優理の手の中に吸い込まれていく。
ローエングリンの身体は消え、美月優理は崩れるように倒れた。
「美月さん」
マークが慌てて、その体を支える。美月はぱっちりと目を覚ました。
「恋心って不思議、醒めるときには一瞬で醒めるのね。もう大丈夫、彼が戻ってくれたおかげで洗脳もすっかり解けたわ」
「ローエングリンは無事なのか?」
チョッカーンが優理にすがりつくようにして尋ねる。
「ええ、確かに彼は私の心の中にいる。でも、もう彼は私の奥深くに溶け込んでしまったみたい。呼んでみたけど返事が無いわ」
ちょっとさみしそうな風情で微笑む優理。
いつも教室で皆を平伏させる、その茶色の瞳に元通りの強い光が加わっている。確かにローエングリンは彼女の中に戻ったのだ。
「さあ、行きましょう、呼びかけの塔に」
優理が立ち上がった。いつもの教室のあの仕切り屋『俺様優理』が戻ってきた。
彼は死んだわけではない。チョッカーンは心の中に吹き荒れる感情の嵐を押さえつけるために必死で自分に言い聞かせる。
ローエングリンは彼女の中に宿ったんだ。これは彼自身が一番望んでいたこと、憂う事ではないのだ。
だけど。
いきなり訪れた別れ、底なしの寂しさが彼を打ちのめす。
初めて会った時の居丈高な態度に腹を立てた事、言い争いや取っ組み合いは日常茶飯事。美しくて、情熱的で、気位が高くて……そのくせ繊細。彼の心は引き絞られるように痛くなった。
かけがえのない友人。女系家族の中で暮らすチョッカーンにとって、気の置けない兄弟のような彼との付き合いが楽しくてたまらなかった。いや、それだけではない。あの優理と諍いをして涙に潤んだ緑の瞳を見た時から、彼はまた違った気持ちを感じるようになっていた。
チョッカーンの目からはとめどなく涙があふれてくる。それを人に知られるまいと彼は人々から少し距離を置き、俯いた。熱い滴がぽたぽたと地面に降り注ぐ。
あいつが男とか、女とか関係ない。
好きになっていたんだ……。
彼は遅まきながら自分の感情に気が付いていた。




