その6
「話は聞かせてもらった。いくら八人衆だからといって、こんなガキを手玉に取るとは許せん奴だ」
王が謁見をする場所の両脇に大理石らしい白くて真っ直ぐな柱が立てられている。その一本に縛り付けられた金髪の少年を見ながら、ローエングリンは柱の傍らに立つ鱗翅王を睨みつけた。
「お前は、カローンに呼ばれた一般参加者だな。バカな男だ、ゲームの世界に一生囚われに来るとは」
黒い仮面の下から、低い笑い声が漏れた。
「おっと、近づくな。兵士の刃がどこを狙っているかわかるだろう。お前らが小賢しいスキルを使った瞬間にこいつの命は消滅する、それを肝に命じておくんだな」
スターアニスの眼が血走って、鱗翅王を見る。その瞳には、まだ信じられないという動揺が浮かんでいた。養い親はそんな少年の顔をちらりと見ると、頭を振った。
「利口な奴だったが、やはり英人の作品だ。どうも妙な倫理観がありすぎて使いづらい。残念だが、ここまでだな」
裏切られた悔しさにさるぐつわを噛みしめて、目を吊り上げるスターアニス。
「なんだ、その目は。正直気に食わなかったんだよ、目の前のお前がな。優秀であればあるほど、私達の作るキャラクターとの差を見せつけられてな」
今まで貯めこまれた鬱憤を晴らすかのように、憎しみに血走った鱗翅王の手が何度も往復してスターアニスの頬を打ち据えた。なすがまま、首を大きく左右に揺らす少年の口の端から、赤い血が滴る。マーク達一行は手が出せない悔しさに、震えながら固まっている。
ひときわ大きな音で頬が打擲されたはずみに、彼のさるぐつわが外れて床に落ちた。
「やめろ、この柱には爆薬が仕込まれている」
少年が叫ぶのと、怒りに頬を紅潮させたチョッカーンがしゃもじを振り上げるのと同時だった。チョッカーンの手が止まる。
「ふん、彼をキャプスレートしようとしたのかもしれんが、抱え込んだ柱が爆発しては、意味がないな。私をキャプスレートしようものなら、すぐ……わかっているな単細胞君」
運命は我が手中にあるとばかりに、赤く腫れあがった少年の顎を片手で掴むと、にやりとして鱗翅王がマーク達の方を向き直った。
しかし、その視線が戦況を映しだすディスプレイを捉えるや、鱗翅王の表情が強張る。刻々と各所の情景を伝えるディスプレイは、各所で敵味方入り乱れての大乱戦になっていることを伝えていた。
金色に見えるのは、鱗翅王の兵士の消滅する時の光。そして青白い光はオロチ率いる反乱軍兵士の消滅する光、のようだ。
キャラの性能の違いか、徐々に金色のスパークが増え、反乱軍は王宮に押し寄せていた。
悔しげに一瞥すると、王は吐き捨てるように言った。
「さあ、そろそろお前達にこの世との別れを告げてもらおうかな」
「待てっ、お前の望みは僕か」
前に立つローエングリンとチョッカーンを掻き分けるようにして、マークがいきなり一団の前に進み出た。
「もう、この世界の人達を苦しめるのは止めろ。そして、僕の仲間を解放してくれ。パスワードを知らない僕にはお前の望む力は何もない。ただ、僕がこの世界の迷宮に囚われて仲間達が助かるなら、僕を殺すがいい」
「止めろ、何をバカなこと言ってるんだ」
慌ててチョッカーンとローエングリンがマークの肩に抱きついて止める。
「何か、勘違いをしていないか、お前は」
鱗翅王の高笑いが石造りの謁見室に響いた。
「お前達がここに来た時点で、勝負はもうついているのだ」
ドン。彼らの背後で何かが落ちる音がするとともに体のバランスを崩すほどの振動が伝わってきた。
「出口を石でふさがれたわ」
「上等だ。もとより、退却するつもりはないっ」ローエングリンが叫ぶ。
「そうだ、勝負はこれからだ。下がってろ」
ローエングリンを庇うかのように前に出るチョッカーン。それに気が付き、かすかに眉をひそめるローエングリン。
チョッカーンは辮髪を揺らしてちらりとマークに視線を送った。彼の視線の先にはディスプレイが今もなお外の戦況を映し出している。
うなずく、マーク。
マークは、目立たぬように二人の陰に退いた。
「巻物くん……、聞こえる?」
蚊が囁くような小さな声。マークの背中で主人の言葉に答えるかのように巻物がびくん、と体を揺らした。
「おい、コンプレックスまみれの蝶親父っ」
マークの声を打ち消すようにチョッカーンが大声を張り上げる。
「なんだ、辮髪の単細胞」
「年端もいかぬガキに暴力をふるって、恥ずかしくないのか。マークの親父はこの世界を、皆が楽しく遊べるために心血を注いで作り上げたんだ。だからこそ、この生き生きしたキャラクターが生まれた」
チョッカーンの叫びに、一瞬ひるむ鱗翅王。
徐々に大きくなる両軍の時の声が、張りつめたこの部屋の空気を揺るがす。
「それと引き換え、お前ときたら才能が無いとひがんでばかり。マークの親父とお前の違い。それは才能ではなくて物を作り出すという時に必要な『愛情』じゃないのか。嫉妬や目先の欲に心奪われ、愛情を失った時から、お前の作り出す世界のキャラは生き生きとした動きを止め、世界が歪み始めたに違いない」
しゃべり続けるチョッカーンを悔しげに見つめる鱗翅王。
「お前も、最初は胸躍る皆が夢中になるゲーム世界を作りたかったんだろう?」
「ええい、うるさい。この世の最後の言い治めと思ってごたくを聞いてやったが、もう限界だ。お前達そろって冥途に行くがいい」
言葉とともに鱗翅王が姿を消した。
「ログアウトしたんじゃっ」
カローンが叫ぶと同時に、部屋の灯りが消えた。
暗闇の中、いきなりオレンジ色の光を放ち炸裂する柱。
暗視できるマークが一行を抱き寄せ、バリアーを発動する。同時にチョッカーンのしゃもじも振り下ろされる。
その瞬間、轟音とともに天井が彼らの真上から崩落した。
そしてもう一度、大地を震わせるような轟音とともに王宮の内部から光の帯が四方に広がる。四角い王宮の輪郭がまるで風船のように丸くなったかと思うと、王宮は轟音とともにいきなり砕け散った。それに巻き込まれて生を奪われた兵士たちの魂が浮遊するように金色や、青に輝きながら、瓦礫と化しあたりに落下する王宮のかけらを彩るように立ち上る。
舞い上がる粉塵。
そして闇の中、静寂が訪れた。
ごとっ。
夜が白みはじめ、あたりの輪郭がぼんやりと映し出される頃、積み上がった瓦礫の山から石がごろんと転がり落ちた。
そこからにゅっ、と突き出される皺のよった手。そして続いて土に汚れた白い頭が泥を吐きながら地面から飛び出した。
「憎まれっ子世にはばかるというてな、案外わしのようなどうでもいい者が長生きするんじゃ」
「まだ、この世での善行の施し方が足りないってことじゃないのか?」
隣から出た、辮髪の生えた頭部が返事をした。
「それとも、再婚ほやほやで死ぬに死ねなかったのか、このエロジジイ」
「だから、老人を敬えと言っておろうに」
地面から出た杖が振り下ろされ、辮髪頭が小気味よい音を立てた。
「お前達、冥界の一歩手前まで言ったというのに、相変わらずだな」
いつの間に這い出してきたのか、まだ埋もれたままのチョッカーンの横にローエングリンがしゃがんでいる。
「おい、お節介な辮髪男。私は、このチームの中で一番強い戦士なんだから、体を投げ出してまで庇う必要ないんだぞ」
苦笑した金髪の騎士の御自慢の顔は泥まみれで、その中の深い淵を思わせる緑の瞳だけがきらきらと輝いている。
「しょうがねえだろ、家訓なんだから」
吐き捨てるように言うと、チョッカーンはそっぽを向いた。
その視線の先の瓦礫がごとごとと動く。ローエングリンが大きなものをいくつかどけると、後頭部にずれたティアラとともに姫が顔を出した。
「私達、助かったの?」
這い出してきた姫の桃色のドレスは瓦礫に引き裂かれてぼろぼろで、胸元に大きな裂け目が入り、大腿の途中から白い足がむき出しになっている。通常の学園生活で、優理がこのような恰好をしたら、クラス中が鼻血で血の海になったであろう。
優理は胸の谷間が大きく露出されていることなど気にかけずに、真横に埋もれていたらしい学生服の手を掴んで引っ張り上げていた。
「大丈夫? マーク」
声にならない唸りを上げて、ぼさぼさ頭が地上に引きずり出された。
「ま、間に合った? 間に合ったのか……」
朦朧としながらマークはそうつぶやくと周囲を見渡した。
まだ明けやらぬ濃い青色に沈んだ情景の中、米粒のように小さな人影が三つ。徐々にこちらに近づいてくる。
特別な彼の視力にはその三人がはっきりと映っていた。
足を引きずるスターアニス。その両脇には、ダイアと葉月。
三人もこちらを見つけたのか、手を振っている。
「巻物クン、上手く行った、上手く行ったみたいだ……」
マークの瞳から大粒の涙がこぼれた。
あの時、巻物にこの王宮の基礎設計図を出させ、飾り柱の下に床しかないことを確認したマークは王宮直下に来ていたダイアと葉月にマルコムのメールで情報を伝えた。
スターアニスが火薬の仕込まれた柱に縛り付けられていること、そして自分達は手出しができないこと。
そして謁見室の下の部屋から、柱を中心にしてドーナツ状に切り取れば、スターアニスは上から滑り落ちてくるだろうと言うことを。謁見室のディスプレイで彼らが王宮の下までたどり着いていることはわかっていた。一騎当千の武芸者である彼らの事、謁見室の下の部屋を制圧することは可能だと思っていたが、マルコムで送った情報だけでうまくことが運ぶか心配だった。
「マークううううっ」
ダイヤも葉月もかなり負傷しているんだろう、手を振り、叫びながらもどかしそうに歩いてくる。
「ありがとう、マーク。本当にありがとう、あなたは名前の通りチートだわ……」
マークに抱きついて、葉月が頬ずりする。葉月の眼からは尽きない泉がわき出すように涙があふれている。
「ああ、部屋に入ると、スターアニスが縛られている柱の部分が光っていた。後はそこを我が名剣でくりぬけば良いだけだった。で、足元が抜けて柱から滑り落ちてきた彼を保護して、あとは爆発寸前に王宮から脱出した」
ダイアは片方でぐったりとした息子を抱えながら、もう片方の手で自らが鍛えた刀の束を掴んで、泥と血で汚れた顔をほころばせた。
「え、なんだって?」
マークの眼が丸くなる。
「柱の部分を光らせたのは、僕じゃない」
そういえば、あの爆発とほぼ同時に発動したバリアとキャプスレート。しかし、あの王宮の爆発をしのげるほどの力があるのかどうか、疑問だった。
「誰かが加担してくれたのか」
それはインフィニティか、それとも……。疲れのため、半ば停止したマークの頭の中で疑問はただぐるぐると渦巻くだけだった。
目の前で、葉月がもう一度我が子を抱きしめた。
「スターアニス……、ああ、この日を何度夢見たことか」
泣きぬれた顔を上げて葉月は自分より背が高くなった我が子の目を見つめる。
「帰ってまいりました、母上。たとえ傍に居なくても、私を引き寄せるあなたのその感触、声のトーン、そして香りは、私の奥深くに刻みつけられていました」
まるで一つになるかのように抱き合う2人を見ながらマークは、息を止めた。
声のトーン……、私の奥深くに刻み付けられていました……。
彼の頭の中に、スターアニスの言葉が浸透していった。
母との再開の幸せを噛みしめるスターアニスに、近づいてきたカローンが話しかける。
「久しぶりじゃの、スターアニス。わしを覚えているか」
「あなた、あなたは、もしや……」
聞き覚えのある声とその容姿を見比べてスターアニスはぎょっとして体をこわばらせる。
「そうじゃ、カローンだ。会いたかったぞ」
スターアニスは呆然と眼前の人物を見る。彼の意識は、カローンの言葉よりもむしろ容姿に集中しているようだ。
「カローン、そ、そんなに老け込んでどうなさいました……?」
昔はロマンスグレーと言った感じの男だったのに、この男に何が起こったというのだ。スターアニスは眉を八の字にしかめる。
「あなたのあの高くてすらりとした鼻は……」
老人は白髭をしごきながら鼻を膨らませた。
「あれからヨメに裏切り者呼ばわりをされてヤキを入れられてしもうてな」
美男子の面影を残していたあの頃のカーロンとは打って変わった変貌に、スターアニスは声を失っていた。
「な、なんと恐ろしい……」
「おい、坊や。お前も、少々可愛いと思って油断していると女性にしっぺ返しをくらうぞ」
ローエングリンがくすりと笑う。
「あんたも同じだからね、ローエングリン」
スターアニスが言い返す前に、優理の一声が金髪の騎士に投げつけられた。
「貴女は、もしや塔に幽閉されていた囚われの姫か」
桜色のドレスを着た少女を見て、目を細めたスターアニスがつぶやく。
「聞きしに勝る美しさだ」
少年は跪くと、自然な動作で少女の手を取るとキスをした。
目を丸くしながら小さく声を上げる優理、しかしまんざらではなさそうである。
「こいつ、ガキのくせに女の扱いを知ってやがる。お前は確かにダイアの子だよ……」
ローエングリンが鼻を鳴らした。
「マークに謁見してから今まで、鱗翅王達がログアウトせずにずっとここにとどまっていた訳、それは実世界とこの世界との時間の流れの差による。もしこの世界から1分離脱するだけで30分の不在となるわけだ。いかな創造者一味でも、一旦離脱した脳がこの世界に同調するまでは少なくとも10分はかかる。一度のログアウトは6時間のロスになるわけじゃ。と、いう訳で鱗翅王は少なくとも6時間はこの世界に戻ってこん、その間に皆それぞれ次に来たるべき戦闘に備えて休息を取るべきじゃな」
カローンの声を聞きながら、ふと、マークは足元から震えるような感覚が伝わってくるのを感じた。
他の者達も同じように感じているようだ。
互いに顔を見合わせる。
その振動は徐々に大きくなり、はっきりと地下で何かが起こっていると告げていた。
彼らは慌てて王宮の瓦礫の山から駆け下りる。
期せずして、崩れた王宮の瓦礫の山が轟音とともに振動し始めた。
瓦礫の山がいきなり山のように盛り上がる。
そしていっそう隆起した山は宙に浮かび、ばらばらと王宮の残骸が振り落とされた。
大きな駆動音が響き渡り、土煙の中から巨大な砲塔を胴体の左右と下面に付けた黒い帆船が現れた。粉塵の中から、空に向かって舳から浮き上がる船。周囲にいた反乱軍の兵士たちが崩れ落ちる城壁に当たり次々と光の粒になって消失する。
「こ、これはまずいぞ」
カローンが王都を背にして飛び去る帆船を眺めながら額に皺を寄せた。
いつもお付き合いいただいて本当にありがとうございます。次の章(あと6話分)くらいで終わりです。やっと結末が見えて来て……ないっ?!




