その2
「し、失敗した……」
放心状態でがっくりと膝を付くマークにチョッカーンとローエングリンが駆け寄る。
「マーク、しっかりしろ。それ以外に何か他の言葉は無いのか」
チョッカーンは立膝をつきうつろな目をさまよわせる親友の肩を揺さぶった。
しかし、マークは力無くかぶりを振るのみ。
「おい、ここで戦線離脱する気か。俺の知ってるお前はそんな卑怯者じゃないはずだ」
ぱしっ、チョッカーンの平手打ちがマークの頬に炸裂した。
打たれて横を向いたままのマーク。
しかし、その唇はわなわなとふるえながらも、ゆっくりと開かれた。
「こ、これ以外には思いつかない。これは父が僕に残してくれた唯一の言葉……」
「そんなこと言わずに、何度も試してみろ。微妙な音程の違いかもしれないじゃないか」
ローエングリンの言葉に焦点の合わなかった、マークの両目が見開かれた。
「あ……」
「どうしたっ」二人が同時に叫ぶ。
「父親の子守歌が正確に伝わっていないかも……。は、母は音痴だったから」
一瞬の沈黙。
夜のとばりが降りようとする塔の上で、凍りついたように固まる二人。
「お、教えてくれマーク。こ、ここは、笑うとこか?」
ひきつった顔で突っ込みを入れるチョッカーンの声が、やっと分厚い静寂を破る。
「な、わけねーだろっ」
間髪を入れず、チョッカーンの尻にローエングリンの蹴りが入った。
「マーク、失敗したのか。敵が活気ずいてやがる」
マルコムからオロチの叫びが聞こえる。
「ああ、ダメだった。そちらはどうだ」
腑抜けたマークの代わりにローエングリンが答える。
「城を丸く囲う広い水堀で両軍は対峙している。そちらに渡ろうにも跳ね橋があげられていて城側に渡れないんだ。ついに降臨した救世主を救うんだとみな士気が上がってはいるんだが、いかんせん城の守りも固い。船を水堀に降ろそうものなら弓矢で一瞬のうちにハリネズミだ」
オロチの言葉にかぶさるように、鈴木の悲鳴が聞こえる。
「おおい、こちらはそろそろ限界だっ」
クラスメート達が張り付くようにしてバリケードのところで戦っているが、徐々に軍勢によって押し返され始めている。見ると皆少なからず傷を負っているようだ。
「ぼ、僕のせいで……、僕はやっぱり駄目だ……」
「おまえ、コンプレックスに浸るのは後にしろっ」
ローエングリンが学生服の詰襟を掴む。
「一度失敗したくらいで、落ち込むなよ、この根性なしっ」
「そうよ。これで終わったわけじゃない。大丈夫よ、マーク」
三人の後ろから、優しいが芯のある声が響いた。
「私の知っている誠、いやマークは、嫌味を言われても、利用されても、努力が実らずに高柳君に勝てなくても、淡々とするべきことを遂行する強い男だったわ。踏まれても、踏まれても、凹まない男だったわ」
振り返った三人の目に、ドレスを着た人影が飛び込んだ。
「姫様……」
憧れの君の言葉に、よろよろと学生服の青年は立ち上がった。
「お前、高柳とここに残りたいって言ってたのに、気が変わったのか」
「違うわ、ローエングリン。今でも私は高柳君とここに女の子らしい女の子として残りたい。でも、傷ついたマークを見ていると、どうしても応援せずにいられないのよ。マーク、頑張って」
母性にも近い優理の感情がマークにも痛いほど伝わってくる。
彼は顔を上げた。
「そ、そうだ。失敗しても失敗してもめげずに次の努力をするのが僕の唯一の長所だ。こ、こうしてはいられない」
彼はやにわに塔の頂上をぐるりと囲む壁際に駆け寄る。そして体を乗り出すようにして正気の戻った目で周囲を見回した。すでに陽は隠れ、山の端を濃い紫に染めるのみ。近くに人が居るのがやっと確認できるほどの視界だ。しかし、マークの新しいスキルである驚異的な視力は、鐘楼の上から昼間のようにはっきりと敵の状況、軍勢の配置を読み取っていた。
水堀の外と内では篝火が焚かれ、塔の上から見るとまるでオレンジ色の二重の円を描いたかのように浮かび上がっている。王軍もかなりの数だが反乱軍もかなりの数に上っているようだった。
「マーク、あなたはきっとやり遂げられる、きっとやり遂げられる、あきらめるのはまだ早いわ」
暗示をかけるようにつぶやく姫の声。教室では聞いたことの無い、角の取れた柔らかい声がそっとマークの耳に染みこんでくる。
その声にすがりつくように、マークは何度もうなずいた。
松明の灯りで白馬がオレンジ色に輝いている。その馬上には赤い星の紋章の入った真っ白なマントに鮮やかなピンクの胴着、腰に黒い剣帯を巻いた少年がまたがっていた。大人なら派手だと眉を顰められそうだが、紅顔の美少年ならその派手な姿も許される。
赤みがかったストレートの金髪が揺れる炎に照らされて闇の中でキラキラと光る、紫に近い青い色の大きな目を油断なく周囲に配り、人馬は水堀の周囲を見回っていた。
「住民は皆避難したか?」
彼は振り返って、付き従っている部下らしき男に声をかける。
「はい。仰せの通りに避難は終了しています。ただ、鱗翅王は住民の避難誘導に兵力を使う必要はない、勝手なことをするなとご不満そうでしたから後で呼び出しがあるかもしれません」
「住民が城砦の中に居たら、存分に戦いにくい。今は無駄な兵力を使うようだが、後々一般人がここに居ないということが戦いやすさにつながってくるのだ。いずれお分かりくださるだろう」
後方から馬にのった兵が駆け寄ってきた。
「スターアニス様、さきほど東の城壁で水堀をこえようと反乱軍が多数の船を下ろしてきましたが、ことごとく殲滅いたしました」
「あそこを手薄にしておいたのは、誘いの隙だ。奴らめ、まんまと策にはまったな」
鼻筋のはっきりした鼻を天空に向け、少年はにやりと笑う。
「ああやって、攻撃を潰していけばだんだん士気が低下してくる。そうなれば有象無象の寄せ集め、瓦解するのは時間の問題だ」
「鱗翅伯爵様から、あと数時間で無限兵の手配が整うとのご連絡がありました」
「それはありがたい。これで一気にあの虫けらどもを殲滅できるというものだ」
彼の瞳は水堀の向こうに向けられた。
「私をたぶらかそうとした葉月とかいうあの女。二度とあのような戯言が言えないくらい思い知らせてやる」
しかし言葉とは裏腹に、スターアニスの脳裏に浮かび上がった女性は不思議なくらい優しい光に囲まれていた。
「マーク攻撃失敗だ。敵の守りが固く、こちらからの攻撃がすべて跳ね返されてしまう。最前線の指揮官になかなかできる奴を据えているようだ。だんだん、兵達が疲弊しつつある」
マークに呼びかけたオロチの言葉には、焦りの色が顕わになってきている。
「この軍勢は何処から調達したの?」
「兵達は長年、いざという時にこの世界とインフィニティを守るために我々が構築してきた地下組織だ。日常生活を送りながらいざという時は立ち上がるようにな」
「しかし、平穏な日常が長すぎたようだな」
傍らから口をはさむローエングリン。その言葉通り、王都の周囲を取り囲む鱗翅王軍とは違い、オロチの後ろに見える兵達は隊列も装備もバラバラ。付け焼刃の寄せ集め集団ということがありありと見て取れる。おのずからその規律も推測されるというものだ。
オロチは、ああ、とうなずいて言葉を続ける。
「今回鱗翅王の悪だくみが発覚して立ち上がったが、ただ、残念なことにローエングリンの言うとおりきちんと軍として訓練された者達ではない。ここに来て次第に兵のまとまりが無くなってきた。本当に救世主が来たのかと訝しむものさえ出てきている」
「僕が姿を現せばいいんだよね、わかったよオロチ、何とかする」
フィルタープログラムへのアクセスが失敗した直後に比べるとマークも落ち着きを取り戻してきたようだ。
「いいぜ、マーク。その打たれ強さがお前の魅力だぜ」
チョッカーンがにやりと笑みを浮かべた。
「ところであたしはどうすりゃいいんだね」
会話に中に全く自分の事が出てこないのでしびれを切らしたらしい。ペリドットが戦列から離れて走り寄ってきた。
彼女は戦いながら、皆の会話を聞いていた。八人衆達は彼ら専用の通信装置を装着しているが、それは葉月の家でマーク達プレイヤーにもつながるように調整されている。彼らが塔の中に捕まっている時は、妨害電波で通信できなかったが、塔の頂上に来てから通信機は問題なく機能していた。
「まずは夜陰に乗じてオロチ達が率いる軍勢をこの王都に引き入れなければ。それから僕らは王宮に行く、ペリドットも手伝って」
「王宮に?」
マーク以外の人々が声を上げる。
「僕がパスワードを思い出すまでに時間が必要だ。この城砦を占領して鱗翅王達を拘束する」
「でも、どうやってあの軍勢に堀と城壁を越えさせるの?」
優理が不思議そうに傍らのマークの顔を覗き込む。
「まあ、任せておいてよ美月さん。ご存じのように彼ができると言ったらできるんだ。なんせ彼は我らがマーク・チートだからね」
「チート? あなた、まさかプログラムを改ざんできるの?」
「というか、プログラムに愛されてるようなんだな。で、何を考えているんだ、マーク」
チョッカーンの促しにマークは皆に考えを伝える。一瞬、目を大きく開いたチョッカーンだが、すぐに大きな口をゆがめるようにして不敵な笑みを浮かべた。
円形の王都にともされた松明の灯りが、あたかも吹き消される前のバースディケーキのキャンドルのように揺れている。
「ペリドット、皆に伝えて欲しい。今から30分後に王都に突入せよ、と」
カローンは肩に小型のディスプレイを担ぐ。
「ワシはお前達と行く。混乱が起こったらそれに乗じてなんとか城内に潜入するとしよう」
「あたしはあの若い兄ちゃん達を先導して行くよ。入ってきた味方の軍勢を内側から援護しなきゃならないからね」
ペリドットが立ち上がる。
「あ、お、お前」
白髭をもごもご言わせて、カローンが立ち上がった。
「気を付けて。お守りだ……」
彼は、杖の上部をパカリと開けると中から光る輪を取り出した。
「あの時、お前が投げ捨てて行った……」
「まだ、持ってたのかい。捨てりゃいいのに」
と、言いながらまんざらではなさそうなペリドット。彼女と同じ名前の石をあしらった金色の指輪が、彼女の左手の薬指にはまる。
「この戦が終わったら、またよりを戻さないか」
ペリドットが静かに目を伏せてうなずいた。
「じいさん、やってて恥ずかしくないか」
ばきっ、無言で振り下ろされたカローンの杖が無粋なチョッカーンの頭にめり込んだ。