その6
「悪かった、悪かった、でも、この娘たちも退屈していたのだ、連れて行ってやってくれ」
ひとしきり笑って機嫌がなおったのか、カローンがチョッカーンの肩をたたく。
「ちぇっ、仕方ないなあ。それじゃ、俺にタダで杖のサービスしろよ。ほら、魔法スキルとか使う時にみな振ってるじゃん」
「安物買いの銭失い、そしてタダより高いものは無い。お前は国語の時間にことわざというものを習って来なかったのか?」
カローンはそう言うと溜息をついた。
しかし、しばらくすると気を取り直したのかチョッカーンの方に向き直った。
「不公平になるからあまりサービスはしないんだが、なんとか見繕おう。どうせならそれなりの物を出すから、出てきたものに絶対文句は言うなよ。それじゃいくぞ。虚空におわす演算装置よ、この男の脳内を検索し最も似合う魔法の杖を出したまえ」
白髭の老人はそう唱えると、杖を振った。
老人の手に現れたのは、光り輝く純白の……。
「しゃもじぃ?」
渡されたしゃもじを手にして、絶句するチョッカーン。
「いや、いろいろ杖を見たが、これは初めてだ。おのれはよっぽど大食いらしいな」
老人は笑いをこらえるのに必死だ。
「水を差すようですみませんが、ずいぶん時間がたったような気がします。僕ら今日中に美月さんを助けて帰りたいんです」
マーク・シートが老人に話しかける。
「心配するな、善き若人よ。ずいぶん時間がたったように思えるが、実はこの世界の時間は現実のほぼ30倍で流れておる。夢の中で、ずいぶんいろいろな事件が起こったように思えても実はそれほど時間がたってないのと同じだ。まだ、お前さんたちがプレイし始めて2分経つか経たないかくらいだ」
もう、なんだかぐったり疲れました。マーク・シートは心の中でつぶやいた。
こんなゲームしにくる人の気がしれない。
やっぱり、自分は血迷った……のだろうか。
彼は心の中で深いため息をついた。
「それでは、次は触覚の設定に行こう」
老人は手に持った毛筆で、チョッカーンの首をなでた。
チョッカーンはその時、辮髪で縄跳びをする妖精を手で追い払っており、老人の所作に気が付かない。
ぽこっ、杖が頭に振り下りされた。
「な、何するんだよっ」
「お前は、に・ぶ・いっ、と」
カローンは手に持った和紙の巻物に、その筆で何か書きつけた。墨はついていないのになぜか白い紙にはさらさらと文字が浮き上がった。
「じゃ、次は優等生クンじゃな」
ウブ、が服を着ているような男。マーク・シートの白い首に筆が触れた。
とたん。
「ひゃああああああああああああっ」
総毛立った優等生は、切り株の椅子から跳ね上がると、ごろごろと床を転がった。
「こいつは、超・び・ん・か・んっ、と」
カローンは巻物に書き終わるとくるくると仕舞い込んだ。
「それじゃあ、最後の設定だ。飯を御馳走しよう」
二人の坐っている目の前に木でできたテーブルが出てきた。
その上には、おむすび、黄金色の煮たまごが添えられ、見るからにとろとろのチャーシューが表面を覆い尽くしたラーメン、ゴロゴロと具が入ったシチュー、ベーコンがかかった色とりどりのサラダ、カリカリに揚げられた大きなから揚げ、高級ネタが乗った寿司など携帯食から豪華な食事まで様々なものが並べられていた。
「美味しくないものは調整するから教えてくれ」
老人はどうぞ、とでも言うように勧めて、二人の向かい側に腰かけた。
この『囚われの姫君』のみならず、VRMMOの設定には必ずと言っていいほど食事という項目がある。プレイヤーが一息つく場所であるレストランや居酒屋の料理の味はゲームの人気を左右するほどの重要なポイントであるから、設定も入念となるのは無理からぬところであろう。
食事、は快感と密接につながっている。
わざわざ食事をしてまでも美味しく感じる味覚の設定をするというのは、検出器が個人の食事中の快感伝達経路を特定するという意味がある。快感を感じる回路は快感と感じる要因がいろいろあれども、最終的には同じなので、経路を特定して脳へ刺激を行いプレイ中の快感全体の底上げを狙っているとの話もある。
が、ゲーム依存の報告が急増しているため、各ゲーム会社も快感伝達回路に対してゲーム中必要以上に刺激をするといった小細工は仕掛けていないと発表していた。
おおっぴらには認めていないだけかもしれないが……。
「ところで、食事中申し訳ないがこの世界はリアルを追求しているから、排せつの欲求も感じる」
「えっ」
カローンの言葉に2人とも声をあげてフリーズした。
マークの頭に、小さいころ夢でトイレに行っておねしょをした思い出がよぎる。
「心配するな、仮想空間での欲求のみだ。排せつしても、君たちの身体から汚物が出ることはないから安心しろ」
老人はその場の雰囲気を取り繕うかのように話を変えた。
「ところで、酒はどうする?」
未成年者はふつう飲酒できないが、仮想空間内では快感を少なく、そして酩酊感を減弱処理したうえで、酒を飲んでいる感覚を与えることは今のところ黙認されていた。
この方法であれば、酒が強い弱いの個体差が無くなるので、ゲーム中は酒を飲める設定を頼む人が多かった。
「飲むよ、飲む。な、飲むだろっ、マーク。だって、俺だけじゃつまんないよ」
「ええ~っ、僕も飲むの?」
マーク・シートの言葉が終わるか終らないかのうちに、ばばばばばっ、とヘリコプターの音にも似た羽音がして勢いよく赤い弾丸が飛んできた。
「ご主人様、食前酒を御酌いたしますうううう」
飛んできたア・カーンは手に中くらいのワインボトルをひっつかんでいる。
「やった、一番乗りなのです」
しかし、主人の頭上で急に止まったものだから、ア・カーンのボトルは手を離れて、チョッカーンの頭の上に落っこちた。
「いたたたたっ」
頭の上から流れる白ワイン。それも極甘。
「べとべとじゃねえかっ!」
べっちょりと頭に吸い付く辮髪、チョッカーンの怒号が響く。
「あちきは、あんたに酌にきたよ」
ふと、傍らの囁きに、マーク・シートが振り返ると、盛り上がった髪に何本もの櫛が突き刺さっているような髪型の、花魁姿に身をやつしたバ・カーンが彼の肩に留まっていた。
彼女は細い月のような金色の瞳でマーク・シートを見つめる。と、まるでその毒気に当てられたようになすがままとなった彼におちょこを持たせ徳利から日本酒を灌いだ。
独特の臭いにたじろぐ世間知らずのマーク。
「にいさん、一気におのみ」
彼女は着物の襟首を下げ、首筋から背中までを大胆に見せた抜き襟、そして前に回した帯をだらりと垂らして仇っぽい雰囲気を醸し出している。
「ええっと、バ・カーンさん」
「姉御っておよび」
ごくっ、と目を瞑って飲んだ、マーク。
いきなり鼻から脳天へ、刺激が突き抜ける。
それを見た金色の目に悪魔の輝きが宿り、花魁姿の妖精は赤い唇を尖らせると、ふっ、と首筋を吹いた。
先ほど露呈したマークの弱点である。
「どひゃあああああああっ」
切り株の椅子から転げ落ちた青年は悶絶した。
「今日はこのパーティの結成記念日。お祝いだよ~」
ずるずると大きなシャンパンを引きずってきたのは、コリャイ・カーン。
「何度か落しちゃったけど、頑張って持ってきた~!」
そう言うと彼女は栓の上に張り巡らせてある金属の細い線を除けた。
「あたし、旦那様達のためにがんばるううう~」
声とともにボトルの上にしがみつくと渾身の力で栓を引き抜く。
その時、ぐらりとボトルが揺れた。
シュポオオオオンーーーーッ。
「のあっ」
栓が吹っ飛び、しがみついていた妖精とともにカーロンの顔面に激突した。
当たり所が悪かったのか無言で倒れる、白髭の老人。
「お前ら、もう帰れっ」
チョッカーンの怒号がまたしても響き渡った。
「ひ、ひどい目にあった」
よろよろと立ち上がるカローン。食事が終わったマーク・シートが左肩を貸している。
「あやうく忘れるところじゃった。これを持って行け」
老人は二人に|マルコム(multifunction communicator)を渡した。
「マルコムの機能はすべて使えるが、外界との通信はできない。基本的に一日一回、姫が望んだ時にこのマルコムを利用してお前達へ『姫様通信』が入る。お前たちがフィールドに出たら姫様はお前たちの活躍をモニターで見ることができるが、お前たちが姫様の様子を見ることができるのは姫様からの連絡の時だけだ。心してお受けするんだぞ」
「美月さんと話せるのか……」
誠にとって怖いような、うれしいような変な気分だ。
彼は左手の手首にマルコムを装着した。
「これで、もう設定は終わりだ。マルコムの中に、サロンの場所やトイレ、市場の場所は自動的に示されるようになっているから、参考にしろ」
「サロン?」
VRMMOのことを何も知らないマーク・シートが聞き返す。
「この『囚われの姫君』のゲームの中で他の姫を救出するプレーヤーだけではなく、他のVRMMOのプレーヤーとも話せるサロンだ。情報交換をするもよし、四方山話で盛り上がるもよし、しかしサロンからでて帰るのは自分が所属している世界のみだ、それ以外のゲーム世界には入れなくなっているから注意をしろ」
「これでリバースルームでのチュートリアルは終了だ。もし、ゲームを終了して離脱するときはエスケープと叫べ。現実世界に戻れるはずだ」
カローンが、重々しく宣言した
「それでは、お前達、これから新しい冒険の旅が始まるぞ。全体の地図は無い、お前たちの知力、気力、努力で姫を助け出せ」
「はいっ」
「おうよ」
マークとチョッカーン、二人が同時に返事をする。
チョッカーンの使い魔は彼の辮髪につかまってブランブラン揺れていた。
「私たち、幸運の女神もついていますよ~」
幸は降下の降ではないのか?
チラリとつっこみが頭をかすめたが、まるでその思いを閉じ込めるかのようにマークは無言で目を瞑った。
「さあ、行けっ」
白い空間がまるでカーテンを開けるかのように、さっと二つに分かれて眼前に広大な草原とそれを取り囲むような背の高い木々が並ぶ森が現れた。
二人が振り向くと、そこには平原と山と空が広がっているだけで、老人の姿も白い部屋も跡形もなくなっていた。
これから彼らの冒険が始まる。