その5
え?
ローエングリンの言葉に、後ろから駆けよってきた二人が固まる。
「何しに来たのよあなた達。いいから帰ってって言ったでしょう」
顔を紅潮させ、唇を震わせながら三人を睨む優理。
「姫様、あんたはあのバカ柳に洗脳されているんだ。あいつが好きなのも、すべて人工的に植えつけられた気持ちだ。取りあえずここから逃げよう。そして現実に戻ってから、まだ好きならあのバカと付き合えばいいじゃないか。自分で強い心を持たないと現実に帰れない。俺達はできる限り力を尽くした。あとはあんたの心が戦う番だ。姫様、ご自分で脱獄してください、自らが作る心の檻から……」
チョッカーンの必死の説得にもそっぽを向く優理。
「赤の他人のあんた達に何がわかるのよ。私ここでじゅーぶん幸せ。もう沢山なの、さっさと帰って」
「優理、お前誰に物を言ってるかわかってんのか?」
いらだたしげにローエングリンが叫ぶ。
いぶかしげに眉をひそめる優理。
「誰に、って?」
「だからご自分でっ、って言ってるだろう」
「あなた。もしかして……」優理は大きく目を見開いてつぶやく。
「ああ、その通り。私はお前の一部だ。わざわざお前の好きそうな名前と金髪緑眼の美形アバターを選んで来てやったんだ。感謝しろ」
「って、どういう事だ?」
「なんか質問するのもはばかられるような雰囲気だね……」
完全に会話に取り残されたマークとチョッカーンは唖然として、対峙する美形二人を交互に見比べた。
ローエングリンは優理の目をまっすぐに見つめる。
「私が来たからにはもう洗脳も解ける。凛としたカッコいい、いつものお前に戻るんだ。迎えに来たぞ、さ、一緒になって帰ろう」
ローエングリンに向かって下から挑むような視線を投げかける美月優理。
「ありがとう。でも、もう帰ってって言ったでしょう。しつこいのよ、あんた」
どん、姫の両手がローエングリンを突きとばした。
「私はここがいいの。ここでこそ私は本当の自分で居られるのよ」
「お前は、洗脳されているんだ。帰るぞ、バカ娘」
「違うわよ、アホ男」
ローエングリンの言葉を鋭く遮り、彼女はまるで堰き止めていた濁流が解き放たれたかのように話し始めた。
「うっわー。姫様、あの高ビーな美形を一刀両断だぜ」チョッカーンが目を丸くする。
「むしろ、私はここに来ることであなたの呪縛から解かれて自分を解放することができたのよ。いろいろな服装したけど……、嫌なふりしてたけど、本当は嫌じゃなかった。だって似合うんだもん、私。モデルさんみたいに着せ替えされてドキドキしたわよ。マルコムでみんながおおーっ、って言ってくれるのもうれしかったし」
姫は一気にまくしたてると、帰らないとばかりに首を振る。
「現実世界ではあんたが居たおかげで、私は男っぽいふりをして格好つけばかり。男子なんて興味ないふり、女の子を強調する服もあえて人前で着なかったわ。男子より男前の自分を演じるために本当の自分をだましながら生きてきたのよ。背伸びしてあの妖艶な黒いキャミソールを買うのが精いっぱいのあなたへの抵抗だったわ」
「あ、あれ、やっぱり美月さんのだったんだ。お姉さんのじゃなくて」
チョッカーンの喉仏がごくりと動く。生唾を飲みこむほど、セーラーから透けたあのキャミソールは衝撃的かつ扇情的だったようだ。
罵りあう二人をただただ見つめるマークとチョッカーン。
ローエングリンの瞳が曇る。彼女に差し伸べようとして胸の前で止められた指の先がかすかに震えている。
「悪かった。でも、お前はカッコいい女が似合うんだよ。子供みたいにもうすねるんじゃない」
「いつも、いつもあたしの事、女っぽいってバカにして……」
「お前が私を蘇えらせてくれたその日から、お前は私にとってかけがえのない存在だ。バカにするなんて」
「バカにしていたわ、いつでも……」
「もういいから、来い」
業を煮やしたローエングリンは姫の手を引っ張る。
「いや、離してっ、高柳君、助けてっ」
しかし、牢番であるはずの高柳は彼女の呼びかけにもかかわらず一向に姿を現さない。
「残念だな優理、お慕いする高柳君に見切りをつけられたみたいだぜ」
「何よ、そのセリフ悪役みたいっ。私、もうあなたなんか消えて欲しいのっ」
「なあ、お前ら知り合いなのか? おい、ローエングリン」
状況が理解できないチョッカーンがローエングリンの肩に手をかける。
唇を震わせる金髪の騎士は何か言うように唇を二三度動かすも、言葉にならない。
「こいつは……私の一部なの」
代わりに優理が絞り出すような声でつぶやく。
意を決したようにローエングリンも口を開いた。
「今まで黙っていてすまなかった。こいつの女臭さが恥ずかしくて二人に正体を明かせなかったんだ……」
「マーク、理解できるか? 俺、無理……」
チョッカーンは助けを求めるかのようにマークを振り返る。マークも立ちすくんだまま力なく首を振った。
ばたばたと塔を駆け上ってくる複数の足音がする。おそらくクラスメートとカローン夫婦だろう。
「こんなところでぐずぐずしている暇はない。行くぞ」
ローエングリンは嫌がる優理を抱き上げる。
「お、おいっ、お姫様抱っこなんて、お前役得すぎるぞっ」
チョッカーンが辮髪を振り乱して地団太を踏む。
「落ち着きなよ、本人って言ってるみたいだしさ」
マークの冷静な一言も、チョッカーンの耳には届いていない。チョッカーンを引っ張るようにしてマークは螺旋階段を駆け上がった。
最後に手すりの無いむき出しの階段を登って、彼らは塔のてっぺんにたどり着いた。眼下に煙漂う王都が一望できる。王宮らしき四角い建物をはさんだ彼方に鐘楼を持つ塔がそびえている。
吹きさらしの塔のてっぺんは風が強く、ローエングリンは優理を抱いたままよろめく。周囲は膝ぐらいまでの申し訳程度の煉瓦の壁に覆われているだけで、彼は慌てて優理を下におろした。
下ろされるや否や、美月はローエングリンの頬をひっぱたく。
「腕づくでなんて卑怯よ、この野蛮人っ」
「うるさい、兄に向ってなんて口効くんだ」
「あ、兄? だってさっきご自分って……」
目まぐるしく展開する彼らの関係を理解できずに目を白黒させるチョッカーン。
「で、でも俺の密かな調査では美月さんは、お姉さんが居るだけのはずだが」
「こいつは、私が作り出した幻影。私が生まれる前に亡くなった兄の……」
優理は吐き捨てるように言って、肩を震わせて泣き始めた。
「大きらい、もう、どこかに行って。私の前に姿を現さないで」
「自分で作り出しておいてずいぶんな言いぐさだな」
そっぽを向くローエングリン。
「頼むからこの非常事態に諍いは止めてくれよ」
チョッカーンが割って入る。
そこにカローン夫婦とクラスメートが上がってきた。
「優理だ!」
「姫様だ!」
クラスメート達は口々に叫ぶと救出された姫の手を取って喜ぶ。当の本人は微妙な顔つきながらも彼らに精一杯の微笑みを見せた。
「いいところに来た! リバースルームに皆を転送してくれ」
ローエングリンが両手をあげて白髪の老人を迎える。
「もうだめじゃ、わしの翻意がばれた。リバースルームへのアクセスが鱗翅伯爵によってブロックされた。すまんが、お前達はもう帰してやれない。もうワシはただのジジイじゃ」
カローンは力なく肩を落とす。ペリドットはそっとその肩を抱いた。
「しかし、これだけの騒ぎになってもインフィニティは気がつかないのか?」
眉をひそめるローエングリンにカローンが答える。
「ああ、今のこのゲーム進行はインフィニティの下部が演算している。自由度が大きく演算も壮大なスケールになるため、彼らは倫理面には携わらずただひたすら計算するなのだ。倫理プログラムはもっと根幹の、例えばこのゲーム自体を大規模な洗脳に使ったり、現実世界に悪影響を及ぼしそうな時には関知して自死するようなプログラムだが、最後の砦だけあって、八人衆でさえ親玉を捕まえて自白させるくらいの証拠がないとアクセスはほぼ不可能だ。マーク、お前だけがこの根幹にアクセスできる可能性を持っているんだ」
「……僕、なんかインフィニティに直訴しにいく気分だよ」
マークの間の抜けたつぶやきに淀んでいた場の空気が緩む。
「俺、江戸時代風にお代官様に直訴するお前を一瞬想像しちゃったぞ。似合いすぎて怖い」
「他人事だと思って」
マークはにやにやした親友の横顔を横目で睨むふりをした。
「ま、それはさておいて。流通ポイント4640MPか、これから鱗翅王の大軍相手にどこまで戦えるかな……」
チョッカーンがマルコムを見ながらつぶやく。投獄による体力の消耗やレンズ形成や松明の消火などによって、彼らの流通ポイントはチョッカーンは4640、マーク5010、ローエングリンは4993になっている。
少なくは無いが、これから多勢と戦うには若干心もとない。
「おい、俺達を忘れるなよ」鈴木がチョッカーンの肩を叩く。
「俺達、今から仲間だぜ、パーティを組もう」クラスメートたちの顔がにやりとする。
「ああ、もちろんだが、それが?」
「俺達はここに復活する時、能力ポイントをまた5000ほど補充されているんだ。全部とはいかないが、一人2000ほどお前らに譲渡するぜ」
三人は目を丸くする。
「カローンに訳は聞いた。学校でのマークの扱いも含めて、これまでの事、本当にすまなかった。これは俺達のささやかな詫びの気持ちだ、受け取ってくれ」
チョッカーンとローエングリンはどうする、とばかりにマークを振り返る。
マークは自分にすべてがかかっていることを、あらためて思い出した。逃げ出したくなるほどの重圧をふり切るように、彼は唇を噛みしめながらうなずく。
「ここで、格好つけていても始まらない。ありがたくいただくよ。みんな、ありがとう」
18人のクラスメートから2000MPずつ譲渡され、彼らに一人12000MPの流通ポイントが加算される。
「ところで、どうやってこの塔から降りよう。多分敵が迫ってきている、階段を下りるのは無理だろうし……」
あたりを見回してマークは眉をひそめた。
その眼前には鐘楼のある塔がそびえていた。この塔より少し低いその塔の頂上に設置された鐘楼には黄金のカネが吊り下げられていた。
「くそう、これだけポイントがあっても、この人数ではあそこまでテレキネスで連れて行くのは、ちょっと厳しいな」
テレキネスのポイント消費が激しいことを身を以て知っているローエングリンが唇を噛みしめる。
あそこに行って、マークがパスワードを唱えることができれば……。
皆の視線が鐘楼に釘付けになった。