その2
「カローンっ」
彼らが軽い眩暈を感じると同時に、そこはまっ白の空間と化していた。
見覚えのあるその空間は、彼らが最初に訪れたリバースルームに他ならなかった。
「礼を言わねばならない。君達のおかげで、奴らの本心がわかった」
カローンは彼らに武器とマルコムを差し出した。
「お、おまえ。この期に及んで……」
老人から愛剣をひったくるとローエングリンが気色ばむ。
「やっぱり、あの杖はお前のか」
チョッカーンが片眉を上げた。
「鱗翅王に会ったあの部屋のトランプのクラブの像が持っていた杖が妙にお前のと似ていると思っていたんだ」
カローンは驚いたようにうなずいた。
「左様、あの杖は私のものだ、あれでお前らの謁見を盗聴していたんだ。他にも随所にわしの通信装置はこの城に埋め込んであるのだが、それにしてもチョッカーン、お前は型破りで観察力も洞察力も鋭い奴だな。将来きっと大成するぞ」
めずらしくカローンが彼を誉める。
「けっ、薄汚い裏切り者のジジイに褒められてもうれしくもなんともないぜ」
「今の予測は老人に対する敬意ってもんを勉強したら、の話だがなっ」
赤鼻の老人は、大きな鼻息を出して体を震わせた。
「一旦奪ったスキルをわずかに戻してみたり、またここに連れて来たりして、一体お前何がしたいんだ? だいたい助けるなら助けるでさっさとしろっ。 脱水で死ぬかと思ったぞ」
ローエングリンが睨みつける。
「すまん、わしに対する鱗翅伯爵の監視が妙に強くて牢には近づけず、助けに行けなかったのじゃ。鱗翅伯爵の目を盗んでスキルを少しだけ回復させるのが精いっぱいじゃった。だが、一つ言わせてもらえば鱗翅王は最初お前達を冥界に落とそうとしていたが、もしマークが冥界の恐怖で正気を失えばパスワードはもう金輪際聞き出せないと吹き込んで冥界入りをとどまらせたのは他でもないわしなのじゃ、これでチャラにしてくれ」
「おかげで正気を失う前に干物になるところだったぜ、爺さん」
「すまん、チョッカーン。冥界はわしの手の及ばぬところなので、そこだけは避けたかったんじゃ。でも、わしが都合したあの手品する程度のスキルで脱獄するとはお前さん達、さすがじゃ」
カローンは怒りに燃える三人の顔をじっと見つめて続ける。
「わしはリミットブレイクが何かを知りたかったんじゃ。わしが長年研究し、そして追い求めてきた。この世界最大の謎。いつのころからか、この世界が乱れた時には転覆者が現れ、リミットブレイクを起こして世界を救うだろうという予言がなされてきた。創造主たるインフィニティでもない、転覆者。その存在に若き日の私は心惹かれ、そして研究に没頭した。そしてその挙句、真相を一番知っていると思われる鱗翅王達に魂を預けたのだ」
「で、ペリドットに捨てられたんですね」
だんだん辛辣になるマークの一言。
髭で覆われて表情は見えないが、無垢な心から生み出される棘の生えた言葉はカローンの一番弱い部分を的確なタイミングで突き刺すらしい。口から滑らかに流れ出していた言葉が、一瞬止まった。
「そ、そうじゃ。でも、鱗翅王に魂を渡したわけではない。彼らの企みが明らかになった今、わしは心を決めた」
カローンは、三人を見渡した。
「お前達はインフィニティの認識では、単なるプレイヤーだ。わしが何とか画策してお前達の意識をこのゲームから解放する。この世界を、去れ」
マークの身体がぶるっ、と震える。
「お前達が去った後、わしがこの世界で大暴れすることで、インフィニティのプログラムがこの世界の突出した異常さに気づくだろう。で、インフィニティが一気に自己崩壊して、それでジ・エンドじゃ。インフィニティとこのゲーム世界は滅ぶが、お前さんたちはなんとか助かるじゃろう」
「み、美月さんはどうなるの」
カローンはマークから顔を背けた。
「彼女はインフィニティのルール通りに牢から助けない限り意識の解放はできん。彼女だけではない、もしかするとこのゲームに今ログインしている他の人々は正気を失うかもしれんが、あきらめてくれ」
「だめだよ」
マークが大きく顔を振り、仲間の方に向き直った。
「二人とも帰っていいよ。僕はここに残る。僕の父がしでかした不始末は僕が何とかしなければならないんだ。君達は現実に戻って、このことを誰かに伝えてくれ。」
「別にお前のオヤジが悪いわけじゃない、亡くなった後にシステムが悪用されかかっているだけじゃないか、それに、俺達が帰ってわめいても胡蝶プロジェクトに加担する組織に握りつぶされるのがオチだ。現実に帰っても安全と言う保証は無い。ここでなんとかインフィニティにアクセスできるように努力するよ」
チョッカーンがマークの肩に手をかける。
「私も、去るわけにはいかない。あの娘に訳ありなんだよ」
ローエングリンが口をぎゅっ、と結ぶ。
「ローエングリン、お前もしかして自分独りが姫を助けていいカッコしようと……」
「ええい、どうしてこのシリアスな場面でそんな言いがかりをつけるんだっ」
チョッカーンとローエングリンが睨みあう。この様子から見ると二人とも逃げ出す気持ちは毛頭ないらしい。
「お前らどうしてそんなに頑固者なんじゃ。青春の激情に身を任しすぎると後で後悔するぞ、わしのようにな」
赤い鼻を撫でながら、思い当たる節があるのか老人が溜息をついた。
「仕方ない、お前らは強制送還じゃ……」
カローンが杖を振ろうとした時。
「お待ちっ」
鋭い声。
カローンがぎくっ、と体を震わせ手を止める。
おそるおそる振り返った、そこには。
白い壁の中にすっと黒い縦線が入る、線は徐々に前に押されるドアの輪郭をとり、四角い空間が開かれた。
その中から黒い装束に身を包んだ小柄な人影が姿を現す。
斜めに入った左目の刀傷、そして鷹のように鋭い草色の瞳。
「ぺ、ペリドット……」
カローンの声が震えた。
「ふふ、この空間の合鍵は変えてなかったようだねえ、昔は逢引に良く使ったもんだが大分錆びていたからもう通路は開かないかと思ったよ。坊やたちはやっぱりここだったんだねえ」
不敵な笑みを浮かべた老婆は背中から細い棒をひっこ抜いた。
「あたしの棒がどんなに恐ろしいかお前も身を持って知っているだろう」
硬直しているカローン、わずかに露出しているその肌が紅潮している。
「さ、坊やたち、私とおいで。妖精の案内であの旅館に皆集まっている、しきりなおそう」
閉ざされていたカローンの口が開いた。
「い、いや、悪いことは言わない。ここから現実に帰れ」
「カローン、インフィニティには手を触れさせないよ」
インフィニティを守護するために作られたプログラム、八人衆の一人であるペリドットは、昔のつれあいの鼻先に棒を突き付けた。
ガタガタと震えながらも、カローンは言いかえす。
「わしが言っていることが正しいんじゃ」
「あんたの正義はいつも、あんたの興味を満たす方向にしか存在しないじゃないか」
「わしも老成したんじゃよ」
「外見はね、だが、あたしはあんたのその幼稚な心がどうなっているかが知りたいんだよ。ねえ坊やたち、この爺さんは大人になったかい?」
「いいえ、全く。どうしようもないガキです」
これまでのお返しとばかりうれしそうな顔で声を張り上げるチョッカーン。
「う、うるさいっ」カローンは大きく身体を震わせて辮髪の青年を睨みつけた。
「さあ、おいで。このどうしようもないガキジジイのいう事を聞くんじゃないよ」
「行くな、もうあの旅館も包囲されている。お前達がのこのこ帰ってもそこから永遠に冥界に落されるだけじゃ。この世界のことにもう首を突っ込むな、帰れっ。わしの本心もばれかかっている、今を逃して帰るチャンスはないぞ」
三人の動きが止まる。正直、最善の道がどこにあるのか彼らにもわからなかった。
「ええい、この子達は私が保護するよ」
ペリドットの棒が体の全面で勢いよく回転する。
ぶわり。棒が作り出す風でカローンの髭が後ろにたなびいた。
「えっ」三人は声を上げる。
白いひげの下には、想像以上の整ったパーツが隠されていたのである。
周囲に皺はあるが、少し吊り上った紡錘形の目には透き通った茶色の瞳。そして今だなお艶を残す引き締まった赤い唇。
しかし悲しいかな、髭に隠されたその美形パーツに赤い団子っ鼻は不憫なくらい不釣り合いだった。赤鼻は後天性の変化であろう。
「あの忍者婆さん、面食いだったんだな……」
チョッカーンが目を丸くする。
「この棒の味を知っているのは鼻だったね。次は何処がいいのかい、この懲りない悪魔ジジイめっ」
ペリドットが跳躍した。腰を抜かすカローンに向かって棒が振り下ろされる。
しかし、その瞬間にカローンの杖から閃光がほとばしった。光は蛇のようにうねりペリドットの杖に巻きつくと、空中に投げ上げる。
同時に小さい爆炎があがり、彼女は吹き飛ばされて壁に頭を打ち付けた。
壁からずるずると滑り落ちる、意識を失ったペリドット。マーク達も飛ばされて部屋の隅に折り重なるように落下した。
「わしも進化するんじゃよ。やられっぱなしの昔とは違う。しかし、あいかわらず獰猛な奴だなお前は。全く昔っから直情型なところは全然変わらない。少しは年相応に枯れたらどうなんだ……」
カローンの杖がペリドットの顔に向けられる。
「やめろっ」
三人はペリドットに向かって、駆け出す。
しかし。その杖から出た光線は柔らかく老婆を包み、彼女は目を開けた。
「ヒーリングだ。一度でも惚れた女に手をかける事なんか、できるわけなかろう」
カローンが手を伸ばす。
「わかったよ、ペリドット。昔は袂を分かったが、今回はお前とこいつらを信じよう。こいつらなら最悪の事態を回避することができるかもしれない」
「あんたも、そろそろ真理に魂を売った科学バカから卒業して堅気のジジイに戻ったらどうなんだい」
「考えておこう、さあ」
目の前の手を、そっと取るペリドット。
「も、もしかして、壮大な夫婦喧嘩に付き合わされていたのか、俺達……」
チョッカーンが顔をしかめた。