その1
なんか終わりそうな章題ですが、この章では終わりません。まだ続きます。よろしくお付き合いください。
「おい、入れっ」
兵士達がチョッカーンを突き飛ばし、縄の先を牢の壁に埋め込んである丸い大きな金具に結わえつけた。
金具から手までは50センチ弱、牢内で若干の身動きはできるものの足以外の体の自由はきかない。同じように括られているマークとローエングリンは、太い格子が嵌った大きな窓のある壁を背にして兵士を睨みつけた。
牢獄は暗いイメージだが、塔の上にあるため日当たりも良い。秋と言えども、ここ数日、晴天の日は暑くさえ感じられる陽気である。まだ午前中だと思われるのに牢獄の中はすでにむうっとした熱気に包まれていた。
「明るくていい所だろう」
一人の兵士が口元を意地悪そうにゆがめて彼らに話しかけた。
「冬以外の晴れた日にこの牢獄の見張りをするのは、陰で濡れ番と呼ばれて嫌われているんだ。そりゃなぜかと言うと余りの暑さに汗をだらだら流すからさ。この当番が終わってからのビールの美味さはないぜ」
彼らがつながれている獄中は、遮るものの無い陽射しが容赦なく入り込んでいた。捕虜の背中には陽に刻印された窓の格子の影がくっきりと浮かび上がる。少しでも陰に入ろうと壁に背中をつけると、生暖かい石壁が彼らを押し返した。
「ま、今日みたいな日は半日もすれば頭がもうろうとするのは請け合いだ」
言い捨てると、牢番は太い鉄格子の扉にガチャリとカギをかけた。そして、陰に入るとこれ見よがしに、手にしたビンに入った液体をラッパ飲みする。
「ああ、ただの冷たい水でも喉に染みわたるぜ。お前達にはもう味わえない感覚だろうがな」
昨晩から今まで、何も口にしていないマーク達は口渇のあまり喉が張り付く様な感覚を覚えながらも、ただ耐えるしかなかった。
この暑さのまま、飲まず食わずで何年も繋がれる……。
「気の遠くなるほどの月日を絶望に苛まれながら過ごしたとき、人間はどうなると思う。そう、正気を失うんだよ、もちろん、本体もね」
マークの頭には先ほどの鱗翅王の言葉が、急に現実味を帯びて蘇えってきた。
「ちくしょう、こんなところでくたばってたまるか」
チョッカーンが絞り出すような声でつぶやいた。こうでもして自らを鼓舞しないと正気を失ってしまう。彼ら皆、もうろうとしながらそれぞれの方法で戦っている。
彼らがここに繋がれてから数時間がたった。
秋だと言うのに、兵達の言う通り格子の入った大きな窓からは情け容赦ない光が差し込み、部屋の中はさらに暑くなっていた。水一滴も与えられず、彼らはわずかな日陰に身を寄せながら少しでも体力を温存するために身動きもせずに座っている。
「ガキども、差し入れだぜ」
声とともに、まるで犬のようになめろとばかりに水の入った大きな深皿が一枚置かれた。それは彼らが這いつくばって体を精一杯伸ばしてぎりぎり届かないような、意地の悪い距離に置かれていた。
あるのに飲めない苛立ちは彼らの苦しさをいよいよ増幅する。
「陰険な野郎だ」
ローエングリンは牢番の背中を睨みつけながらつぶやいた。
兵は暑いのと退屈が極まったのか、牢の前で槍を持って立ったまま船をこぎ始めた。
「テレキネスが使えれば、こんな皿こちらに引き寄せて……」
不意に深皿がカタカタと揺れた。ローエングリンがはた、と言葉を止め、仲間のほうにすり寄ると小声でつぶやいた。
「水入りの深皿も動かせないくらいのごくわずかな力だが、テレキネスが使える……」
「カローンの気が変わったのか……」
三人は顔を見合わせる。
「どうにかして、この縄が切れればいいんだよな」
彼らは手を縛っている原始的な縄をお互いに見て、首を傾げる。
「優等生、何かいい考えはないのか?」
そうつぶやいたチョッカーンがうつむき加減のマークをじっと見て溜息をついた。
「ちぇ、参ったな。黒縁メガネをしてないと、なんだか頼りがいのある優等生じゃないみたいだ。なんつうか、ほら、御利益が薄れるっていうか」
「ひどいな。あんなレンズの一つや二つで……」
マークは蚊の鳴くような声を漏らした瞬間、顔を輝かせて顔をあげた。
「そうだ、屈折率だよ、収れんだよ、キャプスレートだよ」
「はあ? 脳みそが干からびたか」
二人は怪訝そうに、満面の笑みを浮かべながら無声音で繰り返すマークを見つめた。
「チョッカーン、12センチくらいのレンズを水の中で作れるかい?」
ああ、そういうことか。チョッカーンは大きくうなずく。
「もし、少しでも力が戻っていれば何とかなるかもしれない。幸いしゃもじはスキルが封じられているためか、武器に数えられなかった。俺の懐に入っているから誰か引っ張ってくれ」
マークは後ろ手でチョッカーンの懐からしゃもじを取り出すと、それを彼に渡した。
「キャプスレート」
チョッカーンは牢番に聞こえないような小声で唱えると、背中に回された手でしゃもじをつかむと小さく振った。
「それをテレキネスで持ってきて」
固唾をのんで見守る三人。
深皿の中から、這い上がるように水の詰まったレンズが姿を現した。そして皿の角を滑り降りながら縦に向くと故障車のタイヤが転がるように細いシュプールを描きながらゆっくりした動きで、三人の方に近づいて来る。
「あとは、お日様に祈るのみか」
もっとも日当たりのいい場所に体をずらす三人。ローエングリンはテレキネスでレンズを浮かせて焦点がチョッカーンの手に結ばれた縄の黒ずんだ場所にあたるように厚みを調節する。
「水を入れると空気より屈折率が高くなる。水入りのペットボトルでも日光の収れんによる火事が起こるんだ」
マークの言葉通り、ものの2分で小さい火が出始めた。
「……っちちちち」
思わず漏れる叫びを顔をゆがめながらも飲み込むチョッカーン。縄を焼き切ると、今度はレンズを手に持って、他の二人の縄を焼く。
「ん?」
舟をこいでいた兵士が、急に目を覚まして鼻をクンクンと鳴らした。
「焦げ臭いな」彼は牢の中を覗き込む。
「お前ら、何かしたのか?」
「できるわけないだろ、鼻が腐ってんじゃないのか。あっちに行けよ」
ぶっきらぼうに答えるチョッカーン。しかし、兵はチョッカーンの言葉に違和感を覚えたのか首を傾げながら再度牢の中を覗き込んだ。
「徒手空拳で何もできるはずがなかろう」
ローエングリンが静かに言う。睨みあう三人と兵士。
「検分する。そのまま座っていろ」
兵士がカギを開けて牢の扉に手をかけた瞬間。
ローエングリンが牢番に体当たりして吹っ飛ばした。なだれ込むように脱出する三人。牢番はすでにローエングリンの鳩尾への一発が決まって意識を失っている。
「景色から考えるとここは塔のかなり上だ」
ローエングリンが叫ぶ。
「下に行きたいところだが、すぐに追手がかかるだろう。上に行って一旦外に出たほうがいい」
牢番の叫びとともにそこかしこでそれにこたえる兵士達の声が上がった。
チョッカーンが先頭に立って、階段を駆け上がる。
階段に白い靄がかかっている。そんなことにはお構いなく、三人は靄を手で払いながら構わず駆け上がっていった。
しかし、階段の先に立つ人影を見て、彼らは息を飲んだ。
「さすがだな、不屈の暴れん坊ども」
そこには彼らのマルコムと巻物、武器を手に持った白髭の老人が立っていた。