その6
朝が来て、武器もマルコムもすべて取り上げられた彼らは、ぐるぐる巻きに縛られて槍で小突かれながら王宮の中に連れて行かれた。王宮の中は城と金色を基調にした、ごてごてとした装飾で飾られており、奥に行くほどその装飾はより過剰になってゆく。豪華な衣装に身を包んだ天女達が空を舞う天井画は、明暗と遠近法がうまく利用されておりあたかも天空に飛び出していくかのような圧倒的な存在感があった。
「バロック建築の模倣だな」
テストの点数にほとんど関係しない知識が豊富なチョッカーンがつぶやく。
大理石でできた広間を過ぎ、彼らは大きなシャンデリアが釣り下がった謁見室らしき小部屋に通された。流線型を主とした壮麗な装飾が散りばめられ、四隅にはトランプの絵札を模した像が置いてある。それぞれ棍棒、刀、杯や金貨を掲げている。
「このゲーム世界は全世界展開を目論んでいるだけあって、像もあからさまにわかる特定の宗教のものは使っていないな」
チョッカーンがきょろきょろとあたりを見回すので、兵は彼の背中を槍の石突で小突いた。
三人は大理石の床にひざまずかされて、それぞれに槍を突き付けた兵が数人付く。兵は画一的な顔をしており典型的な雑魚キャラである。しかし、幾多の絶体絶命を乗り越えてきた彼らではあるが、今回の様な丸腰、ノースキルではなす術がない。
彼らの目の前には、まるで舞台のような床から数段高い場所があって、その中央に豪奢な肘掛の付いた座り心地のよさそうな椅子が2脚しつらえてあった。
カツカツと高い音がして、脇のドアが開かれると黒の模様の中にところどころ青、緑、オレンジの色彩が光るまるでカラスアゲハを思わせるマントを羽織った、能面のような黒い仮面をつけた男が二人入ってきた。一人はやせ形でまだ若く、そしてもう一人は中肉中背、身のこなしに貫禄がにじみ出ている。
彼らは生身を全くと言っていいほど見せていないが、仮面から、わずかに目だけが覗いていた。
鋭い東洋系の黒い瞳。
彼らはゆったりとイスに座り、足を組んだ。
「やあ、初めまして。私は通称鱗翅王、彼は鱗翅伯爵。私達はこのゲーム世界のオーナー、胡蝶プロジェクトの責任者です、どうしてもあなた達に来ていただきたかったので、手荒な真似をしてすみませんでした。それに、こんなふざけた恰好で失礼。関係者と言えどもこの世界の世界観を乱すことは許されていないのですよ。不思議そうな顔をしていますね。なぜわざわざここにログインしてきたか、ってことですか? この世界は現実のプログラム側から見ると意味不明のプログラミング言語の羅列としか表現されません。マミーボックスに横たわってログインして初めて、この世界で繰り広げられている世界が体験でき、探し求めたリミットブレイカーさんともお話ができるのです」
「リミットブレイカー?」
マークが首をかしげる。
「そうです。私達はマークあなたが、このゲームプログラムに設定されたリミットを突破できる唯一の存在だと思っているのですよ。ゲームの世界は日進月歩です。このゲームを世界に誇るVRMMOに育てていくためは、この世界をさらに拡充しブラッシュアップしなければと思っているんですが、どうもゲームの根底を司る倫理プログラムがそれを邪魔しているようなんです。だから早急にそれを改善するために、もともと設定された制限を越えなければならなくて……」
柔らかな物言いとは裏腹に、底冷えのする冷たい瞳がマークをじっと射抜くような視線でねめつけた。
「美月さんの意識を誘拐したのはお前らか」チョッカーンが怒りに顔を赤くして叫ぶ。
「少々強引にあなた方のお友達にこのゲームに参加していただいてすみませんでしたね。お察しの通り、美月嬢の名を借りてあなた方に御招待状をお出ししたのもこの私です。息子の良があなた達のクラスメートですからね」
「た、高柳の親父……?」マーク達は息を飲む。
「血はつながっていませんがね」
今までの口調とはうって変って冷たく言い放つと鱗翅王はひらりとマントを翻して玉座から降りてきた。
「マーク君、いや、篠原誠君。君ならお分かりのはずですね」
この世界に来て初めて、現実の名前で呼ばれマークは身構えた。
「大丈夫です、この兵士達は私の命令で戦う能力しかありません。もしあなたが個人情報を話されても、私達の記憶にしか残らないんです。インフィニティは我が社であなたのお父様が作られたというのは、もうお気づきですね。でも、例え息子さんでも、お父様が会社で何をしているかは家族にも極秘という契約だったので、もしかしたらご存じなかったかもしれませんが」
やはり、やはりそうなのか。マークの額に汗がにじむ。
「お父様は私の同僚でした。ずば抜けて優秀な方で、あなたのことをいたく可愛がられていました、いつもいつも会社ではあなたのことを話されていましたよ。初めてのお子さんの時にはそうでもなかったので、皆逆ではないかと笑ったものです。今にして思えば、あなたはお父様の希望の星。お父様はあなたに何かを託そうとされていたのではないかと思うんですよ」
仮面の男は椅子から立ち上がって兵によって跪かされているマークの傍に近寄った。
「事故、でしたかね。お父様の事、残念でした……」
彼は片膝を付いて彼の顔に目線を合わせ、猫なで声で話しかける。
「父は、何をしていたんですか、会社で」
「お父様は、優秀なゲームクリエーターであり、そして天才的なプログラマでした。彼独特の言語を作り出してしまうくらいのね。私たちはその魔術的とさえいえる魅力的な言語をチャームと呼んでいましたけど」
マークは彼の言葉を聞いて雷でも打たれたかのような衝撃を感じていた。
今までマークが想像していた父像は、変人だけど仕事熱心な普通の会社員、だった。それが、ゲームクリエイターであり天才プログラマーであったとは。マークの頭の中には困惑の嵐が吹き荒れる。それに、どちらかと言うと、家庭を顧みない人と母に聞かされていたため、自分にも興味が無いとばかり思っていた。だが、今の鱗翅王の話から考えれば、実は父は自分のことを気にかけてくれていたらしい。
マークの胸の奥から熱いものがこみあげてくる。
「お父様の書かれたチャームによって、この自由度の強い世界が実現している訳なのですが、どうもあの言語は難攻不落でしてね。このゲームの根幹に巣食う倫理リミッターが、私達の目指すより快感を強くした刺激的で魅力的な新しい変革を容れてくれないのです」
「そ、それで僕に何を……」
「お父様から何かパスワードを聞いておられませんか。お父様の閉じた倫理プログラムの扉をこじ開ける」
話が核心に近づいて興奮してきたのか、仮面の奥の呼吸音が荒くなっている。
「ぼ、僕……」
マークは困惑したように首を傾げる。
「おい、ちょっと待った、倫理プログラムの改変だって?」
叫んだのはチョッカーンだった。彼は話の腰を折って悪いとばかりにマークの方をちらりと見たが、すぐ鱗翅王に向き直った。
「俺はこいつを良く知ってる。だけどな、こいつも、表面は絶滅危惧種のがちがちの優等生だが、わりと融通が利くし物分りもいい奴なんだ。加えて、物事を見る目は公平だし、信頼に足る人間なんだよ」
チョッカーンは咳払いした。親友の自分への評価を初めて聞くマークは、信じられない面持ちで友人の顔をまじまじと見る。
「すなわち、このマークから考えるとそれほど融通が利かなくて使えないプログラムを作るような親とは推測しづらいんだ。あんた達もしかして倫理プログラムに相当やばい変更を加えようとしてるんじゃないのか」
鱗翅王の仮面の奥の目が刺すようにチョッカーンに向けられた。
「このゲーム、敵キャラ倒すと強い快感を感じるよな。それはもう怖いくらいの気持ちよさで、どんだけ快感刺激してんだよって思ってたんだけどさ」
彼は鼻の下をこすりながら続ける。
「ホームルームで姫役の女の子がこの世界に耽溺して抜けられなくなったって話題が出てたんだけど、今ですらこうなのにこれ以上快感を刺激的にするのは危険じゃないのか? まともな倫理プログラムなら受け付けないくらい……」
「バカな、言いがかりだ。この倫理プログラムはもう時代遅れ、改変の時期なんだよ」
王の声の端が震える。強い憤りを抑えているような声だ。
「快感を与えられたネズミは、その快感を得るためになら通常では考えられないような行動に出るって話を読んだことがある」
雑学好きのチョッカーンがつぶやいた。
「今や、オンラインゲーム人口は爆発的に増えている。それも若い世代を中心に、若い世代、すなわち現実世界を動かす世代、そして戦いとなれば中心になる世代。俺はこのゲーム世界でずっと考えていたよ、強い快感を洗脳に悪用すればとんでもない力を得ることができるってね」
突然、鱗翅王が体をそっくり返らせて笑い出した。
「さすが、チョッカーン。その直感の鋭さ、名前は伊達じゃないと見えるな。さあ、そんなことはどうでもいい。マーク、パスワードを教えるんだ」
鱗翅王は肩をすくめるとマークに向き直った。先ほどまでの馬鹿丁寧な口調がなりをひそめている。
「僕をここに引きずり込んで、パスワードを聞くために美月さんやクラスメートを巻き込んだのか」
マークは最大限の怒りを込めた目で相手を睨む。
「ご招待した、と言ってほしいな誠君。もちろん君だけではない、お父様がパスワードを渡したと思われる他の方々もここにご招待したよ、インフィニティのご機嫌を損ねないように、そして現実世界で事を荒立てないように普通のゲームの体を装ってね。しかしゲーム世界がこれほど反応したのは君だけだった。やはり君は私が睨んだ通りのリミットブレイカ―、転覆者だったわけだ」
「僕には父の記憶がほとんどない。だから、倫理プログラムへのアクセスをするための呪文なんて知らないんだ。っていうか、知ってても絶対に言うもんか」
「そうか。残念だな」
鱗翅王は溜息をついた。
「このまま、この世界でみな朽ち果ててもらおう。もしパスワードを思い出してインフィニティを呼び出されるようなことがあってはかえってやっかいだからな」
本性を現した王は不気味に笑う。
「本来ならこのゲームで命を失っても、ゲームの振出に戻るか、もしくは現実で目覚めるかどちらかを選べるんだが、私の愛息、鱗翅伯爵は選んだゲーム世界のみ脱出不可能とする『冥界』を作ることに成功した。もちろん冥界に落ちても体は死にはしない。でも、ここの時の流れは通常の30倍だ、例えば現実世界で1か月ここに居るだけで精神的には2年半の日時が流れるんだ。気の遠くなるほどの月日を暗闇の中で絶望に苛まれながら過ごしたとき、人間はどうなると思う。そう、正気を失うんだよ、もちろん、本体もね。もちろん私は誠君に正気を失ってほしくないがね」
「これ以上事故が多発すれば、お前達のゲームは興行を許されなくなるぞ」
ローエングリンが緑の瞳で王を睨みつける。
「そうだな、でも、もし快感で人を操ることができれば、それを活用したい人々は沢山いる。そんな勢力が私と私の企業を守ってくれるのだ。たとえ摘発されても裁判で有罪が出ても、名をかえ、姿を変えて私たちは存続し続ける」
「その怪しげな計画は上手く行くものか。だって僕は現にパスワードを知らないんだし」
マークには珍しく怒りをあらわにして叫ぶ。
「それは、心配いらない」
鱗翅王の横に座っていた細身の青年、鱗翅伯爵が立ち上がった。
「私は鱗翅王の息子、鱗翅伯爵だ。私はインフィニティの警戒の目をかいくぐってお前の父が作り出したチャームを研究し、我々に手を貸すキャラクターを作り、育て上げここまでこのゲームを改ざんした。その天才プログラマーである私が今、考えうるすべての言葉の組み合わせを試している。お前が黙秘していてもここ5年の内にはあの融通の利かない石頭を屈服させることができるだろう。だが、昨今のきな臭い政情を考えるに、まあ早ければ早いほど良い商売になるのは間違いないからな」
鱗翅伯爵は高い耳障りな声でまくしたてる。
「別にいいのさ、お前達さえこちらに捉えておけば、少なくともインフィニティの倫理機能がお前のアクセスによってこの異常事態に気づき自己崩壊を起こす事態は避けられる」
そうか。マークは括目する。
転覆者というのはそういう意味か。もしインフィニティが悪用された時に、この世界を崩壊させて悪用を防ぐもの、すなわちこの世界を転覆させるもの。もし、自分が倫理プログラムにアクセスできれば、この事態をどうにかしてインフィニティに伝えることができるかもしれないのだ、その結果はこの世界を壊すことになるかもしれないが。
どうにかして、パスワードを見つけなければ。
しかし、そうは考えついても彼の頭の中にはそれらしき言葉が浮かんでこない。
「通常では思い浮かばない、変わった言葉であるはずだ……」
マークは心の中でそうつぶやく。
しかし、頭の中には言葉が入れ替わり立ち代わり浮かんでは消えるものの、何かのカギになるような言葉は一向に引っ掛かってこなかった。
「どうしても、教えてもらえないようだな。英人が死んだときはこいつはまだ幼児だ。本当に知らないのか……」
鱗翅王は舌打ちすると、兵に叫んだ。
「まあいい、こいつらを牢に幽閉しろ、永遠にな」
お読みいただき本当にありがとうございます。文章がたがたのため、4/27、21時50分ごろ補修しました。(校正というより大工事って感じで……)たまに文章を修復したり、付け加えたりします。5/2も誤字訂正しました。話の更新は基本的に土曜日に行います。すみませんが、よろしくお願いします。