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その3

「それにしても僕たち、これから何処に行けばいいんだろう」


 朝食を食べ終えたマークが2人に話しかけた。


「とりあえず、王都だろうか」


 ローエングリンがマルコムを操作して、ここから王都までの距離を算出する。


「歩いてほぼ半日、だな」


「巻物クン、王都について教えて」


「ご主人様からの久しぶりのお申し付け、張り切って検索いたします」


 マークの問いかけにするすると自らの巻きを解き、そこに画像を映し出す巻物。

 そこには、豊かな水をたたえた広い水堀に囲まれ、中央に城砦と2つの高い塔をもつ、ところどころに櫓も見える石造りの美しい街が現れた。


「王都とは、この世界を統べる王が存在する場所です。王は時代によって変わりますが、今この都を治めているのは『鱗翅(りんし)王』と『鱗翅伯爵』です。鱗翅は鱗粉を持った羽を持つ昆虫、例えば蝶や蛾を意味します」


「鱗翅王はインフィニティと同一なの? 彼らについての情報はもっと無いの?」


「すみません、詳細はベールに包まれており、名前以外は私のアクセス権をもってしても情報は得られませんでした。ご自分でお確かめください」


「王都は石造りの豊かな街で、文化も一番進んでいます。一番盛んなのは海水から塩を作る産業で、この塩の交易で富を得ています。これ以上は……」


「わかったよ、ありがとう。アクセス制限が多い、ベールに包まれた街なんだね」


 マークのねぎらいの言葉とともに、巻物はするすると閉じた。


「王都に行くのか?」


 オロチが尋ねてきた。


「ああ、次に目指すのはもうここしかなかろう」


 考え事をして寝不足なのか、目の下に幕を作ったローエングリンが答える。


「あたし達も付いていくからね、あんた達は特別な存在のようだから」


 ペリドットが3人が座るテーブルに近づいて、顔を見回した。


「ねえ、八人衆の皆さんは、今行われているすべてのゲームにキャラクターとして存在しているの?」


 マークが尋ねる。


「そうだね、まず、オロチは皆の姿を見る設定にされている。その上できな臭さを感じると、通常は登場しないで設定だけの私たちが徐々にそのゲーム世界に現れるんだよ。で、正体を隠したままきな臭い場所とか人に次々に接触していくのさ」


「まるで免疫細胞のようだなあ」チョッカーンがつぶやいた。


「他にもいるんでしょ、八人衆だから。ええっと、ペリドットにオロチにダイアに、葉月に八重……だからあと3人」


 チョッカーンの問にうれしそうに答えたのは八重だった。


「そう、あとオクトとオキシジェンがいるのよ。オクトのおじさんはいざとなるとタコみたいに腕が6本に増えて、足も加わると8本だからオクトパス(たこ)の頭文字を取って、オクト。で、もう一人オキシジェンは、酸素を沢山出せるの、なんで八に関係しているかわかる? マーク」


 利発な娘らしく、さすが質問をしてよい相手を的確に見抜いている。


「酸素の原子番号は8だから、かな」


「ピンポーン、さすが優等生のお兄ちゃんだね」


 うれしそうに笑う八重。

 母親譲りの赤みがかった金髪が揺れ、窓からの陽光を受けてきらきらと輝いた。


「で、もう一人は誰なの?」


 し……ん。

 チョッカーンが発した一言は、その場の空気をいきなり重くした。

 黙り込む八人衆達。


「さらわれたのさ」


 どんよりと澱んだ空気を払うようにペリドットが口を開く。


「ダイアと、葉月の息子でね、八重が生まれてすぐ、小さいころに一瞬のすきに乗じてさらわれたんだよ。今にして思えば、この事件がすべての発端だったかもしれない。ずっとずっと以前からこのゲーム世界は狙われていたのかもしれないね」


「くそうっ」


 ダイアが腕に持った火箸を捻じ曲げる。

 葉月がその腕を押しとどめた。


「彼はきっと生きて見つかるわ、怒りはその時に誘拐犯にぶつけましょう」


 気丈な妻の言葉に、黙ってうなずくダイア。


「なんだかんだ言いながら掌の上で転がされているじゃないか、あいつ」


 ローエングリンが鼻を鳴らしてつぶやいた。




 午後には、出立する人々の準備ができた。葉月と八重はこの隠れ家に残り、オロチとダイア、ペリドットが3人とともに行くことになっている。

 頼みはされないが、妖精達は付いていく気満々だ。


「皆さん無茶は止してくださいね、あ、三人には今からまた力の付く薬湯を用意しますから飲んで行ってください」


「私、裏庭で新鮮なハーブを摘んでくる」


 紫の瞳をきらめかせて八重が立ち上がる。

 しかし、裏口から八重が飛び出した途端、彼女の高い悲鳴が聞こえた。

 慌てて飛び出すダイア。


「じたばたするんじゃないよ、小娘」


 首を片手で締め付けられてナイフを突きつけられた八重を目にしたダイアは固まった。


「お前は誰だ」


「あんたはお初だねえ」


 何時の間に裏庭に入り込んだのか、にやりと目を細める切れ込みの高く入った赤いワンピースとハイヒールの中年女。

 その後ろにはずらりと兵たちが並び、隠れ家を取り囲んでいた。


「網を張ってお前さんたち三人を待っていた甲斐があったよ。このお嬢さんを助けたければ三人を引き渡しな」


 帰ってこないダイアを(いぶか)しんで、家の中から皆が出てきた。


「お、お前は赤猫。気をつけろ、ずるくて獰猛な敵だぞ」


 チョッカーンが身構える。


「何をぼやぼやしているんだい? 武器をお捨て。このお嬢さんが傷物になっていいのかい」


 赤猫の短剣が八重の白い頬に突き付けられた。


「やめて、娘を返して、代わりに私が……」


 刃物を顎に突き付けられて、恐怖に震えている八重を前にして葉月は倒れこむように膝を付いた。


「わかった。俺達が丸腰でお前についていけばいいんだろう」


 チョッカーンがしゃもじを捨てた。

 悔しそうに、ローエングリンが剣を捨てる。

 三人が丸腰で兵の前に進み出たその時。

 狭い路地に馬のひずめの音が響き渡り、白馬が兵の中に踊りこんだ。

 馬上からつぶてが投げられ、赤猫の顔面を襲う。思わず手で目を覆った瞬間、八重が首を絞めつけていた腕を振りほどき、ダイヤの腕の中に飛び込んだ。


「お、お前はっ」


 馬上から赤い星の紋章の入った真っ白なマントを羽織った、紫に近い青い色の大きな目をした凛々しい少年が黒髪を振り乱して赤猫を睨みつける。


「相変わらずやり口が汚いな、赤猫。どんなに敵を一網打尽にするチャンスだろうが、年端もいかぬ少女を巻き込むのは絶対に許せん」


 彼を見た途端、八重を抱きしめていた葉月は息を飲み、目が釘付になる。


「きれいごとはお止し、スターアニス。お前だってヘマして逃したくせして」


 赤猫は歯を剥きだして、今にも短剣を投げつけそうな勢い。しかし、相手が王のお気に入りと知ってか、怒りを飲み込むように顔をそむけて軍勢に指令を出した。


「奴らを一掃しろ、だが例の3人は殺さずに捕まえるんだ」


 赤猫の声とともに小さな隠れ家目指してなだれ込む軍勢。


「中に入れ」


 ダイアが人々を家の中に押し込む。


「この家は頑丈で、おいそれと壊すことはできない。間口が狭いからいくら敵が多くてもこの間口だけの兵士しか中に入れない。私たちが挟撃している間に、3人は逃げろ」


 八重が地下に3人を案内する。


「ここが秘密の通路です」


 八重が松明を手渡す。後ろ髪を引かれる思いで、3人と妖精は隠れ家を後にした。


「私たちも皆後から行きます。あなた達はお先に」


 幼いが凛とした彼女の言葉とともに、後ろの扉が閉められた。




 兵士たちの大群を迎え撃つ5人と妖精。

 最初こそ、狭い間口を利用して防戦一方だった彼らだが、3人が充分遠くに行けたと考えられた時から、徐々に外に向かって打って出始めた。

 まるで蜂のようにペリドットが舞い、オロチは大蛇に変身して相手をなぎ倒す。本当は炎を吐いて焼き払いたいのだが、残念ながら木造家屋が多いので彼は自重していた。下手すれば逃がしたご主人が鎮火しにのこのこ戻ってくるかもしれないと思ったからである。

 ダイアは赤猫の投げる短剣をことごとく薙ぎ払い、その隙に自分の短剣を放つ。

 短剣使い同士、相手の狙いは見切っておりなかなか、決着がつかない。


「ええい、こしゃくな。おい、スターアニス、見てないで加勢をしておくれ」


 赤猫の言葉に、後方で軍勢の指揮を執っていたスターアニスが白馬にまたがり前面に駆けつける。


「ふん、口ほどにもないオバサンだな、赤猫」


「ええい、うるさい」


 スターアニスは赤猫の前に躍り出ると、白馬を降りてダイアに向き合った。

 ぶん、と長い剣を一振りして構える。


「どけ、お前は八重の恩人だ。戦いたくはない」


 ダイアが叫ぶ。


「先ほどは戦いの筋を通したまで。戦場で私情は要らん」


 長い剣がダイアに襲い掛かる。太刀筋は鋭く、ダイアの表情が真剣になる。

 数度火花が散り、長剣がダイアの鼻先を掠めた。

 ダイアの表情が険しくなり、今にも本気で短剣を投げようとしたとき。


「だめっ」


 ダイアの前に飛び出した影が長剣に(なぶ)られて、空中に一束の金髪がぱらりと舞う。

 はたと手を止めるスターアニス。

 真っ青な顔をして立ちはだかったのは、八重だった。


「お父さん、戦っちゃだめよ、この人と。だってよく見て頂戴。あのマントの赤い星は八角、スターアニスだよ」


 腕を広げて父を押しとどめる八重。少女に切り付けられずに立ちすくむ少年騎士。そして、呆然と立ちすくんでいるのはダイアも同じだった。

 あたりは激しい戦いのため、数メートル離れると視界が取れないほどの土ぼこりが立っている。それに隠れてこっそりと軍勢の後ろに逃げようとした赤猫の首を、一本の投げ縄が捕えた。


「お待ち」


 投げ縄の先には、葉月が居た。

 普段は皆のお母さん役を果たす柔和な女性だが、さすが八人衆の一人だけあって、この場では別人のように闘気をみなぎらせながら立っている。紫水晶の瞳の奥では暗い怒りの炎が揺らめいていた。

 彼女はその細身からは想像もできない力で、ぐいぐいと赤猫を引き寄せる。縄は頑丈で短剣では切断できず、赤猫はうめきを上げた。

 葉月の鼻は、赤猫のかすかな体臭をかぎ取っていた。


「私は薬師、だから嗅覚も人一倍鋭敏。お前の臭いは、はるか昔に覚えている。ええ、忘れもしないあの匂い……」


 葉月の瞼に、おむつが取れたばかりの幼児を連れ去る茶色の巻き毛の女の後姿が目に浮かぶ。14年間、夜に昼にと彼女を苛み続けたあの後姿。そしてあのとき現場に残された妖艶な匂い。


「お前だね。私たちの八角(スターアニス)を誘拐したのは」


「ええい、うるさいね。子供を盗まれるこのど間抜けが」


 言われなくても自分が一番わかっている、と葉月は唇を噛みしめる。

育児に疲れてふとうたた寝しかけたその時、連れ去られる我が子の泣き声に気が付いた、間抜けな母親。

 取り返しのつかない失態をしたあの日から、ずっと彼女は自分を責め続けている。


「覚悟しなさいっ」


 左手で投げ縄を持ち、右手で斬りかかる葉月。

 しかし、赤猫もやられてばかりではない。体を柔らかくひねると、首にかかった縄を相手の剣で切断した。

 彼女は短剣を雨あられと降らせるが、葉月は顔色一つ変えずにすべてを遠くに薙ぎ払う。四方に散った短剣はさすがのマグネットでも檻を形成できないらしくそのまま空しく地上に突き刺さるのみ。

 顔を赤くした赤猫は赤いドレスの裾を蹴り上げて、葉月の頬にヒールをめり込ませる。

 はっし、とヒールを掴み、その足首を手刀でたたき折る葉月。

 うめきながら地上にうずくまる赤猫だったが、剣を持った葉月が近づくと、突然叫びを上げながら牙をむいて飛び掛かって来た。葉月の白い首に牙が立てられようとするその瞬間、赤猫の両目に深々と突き刺さる月形の赤い欠片。

 空間をつんざくような悲鳴が響き渡った。


「肌身離さず持っていた、八角の欠片よ」


 豚の角煮の匂い付けに使われる、三日月が風車みたいに集まった固い星形の香辛料、八角。またの名をスターアニスという。

 首に突き刺さらんとしていた牙が寸でのところで外れ、目を押さえた赤猫がぶるぶると震えながら足元に転がる。右足の付根はあらぬ方向に曲がっていた。


「彼の命が無事とわかったから、命は助けてあげるわ。でも、これに懲りて悪さをするんじゃないわよ」


 葉月が言い捨てる。

 赤猫は土ぼこりの中、駆け寄ってきた兵士におぶさりながら引きずられるようにして姿を消した。

 対峙するダイアとスターアニスのところに、葉月が駆け寄る。


「やめてっ、ダイア。この子はスターアニス。赤猫に誘拐された私たちの子供よ」


 葉月の叫びに、ダイアはびくっと大きく身体を震わせた。


「なんてことだ、お前は我が子か……」


「お兄ちゃんっ」


 2人の呼びかけに色を失うスターアニス。

 八重とスターアニス。二人は、葉月と同じ紫色の瞳で見つめあった。


「ま、まさか。私がこの世界を脅かす転覆者の一味だと……」


 顔をこわばらせながら、後ずさりするスターアニス。

 指揮官二人が機能しなくなったことによって、軍勢は総崩れになっていた。

 ペリドットとオロチによって四散する兵士たち。


「私たちのところに戻っておいで、八角……」


「う、嘘だ。私をたばかるな」


 自らの迷いを否定するかのように、左右に首を振りながらスターアニスは片手で白馬の手綱を取る。よく見れば自分とよく似た顔だちの八重に見つめられ、彼は思考停止に陥っていた。


「いったん戻して立て直す。ひ、引けっつ」


 白馬にまたがった少年の一言で軍勢は、潮が引くようにいなくなる。


「待って……」


 葉月の悲痛な声が、土ぼこりの中に吸い込まれていった。


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