その2
夜陰に乗じて帰って来たマークと、ペリドット、そして妖精達を人々は歓声で迎えた。
「マーク、お前妙に萌え系美青年化したと思ったら。いったい黒眼鏡はどうしたんだ?」
チョッカーンの問に今までの顛末を話すマーク。
「俺は寝てただけだったが、お前も苦労したんだなあ」
チョッカーンは仲間の苦労をねぎらうように肩をたたいて引き寄せた。
そこへ激しい羽音とともに、涙で目を赤くした三人の妖精が飛び込んできた。
「ご主人様、会いたかったですう」
どこかで直撃を食らったのか、コウモリの糞だらけのア・カーンがチョッカーンの頬に激しく体を擦り付ける。
「今まで旦那様も不幸の連続でしたが、これできっとウンが付きますう~」
「あ、ああ」、苦笑いするチョッカーン。
「他の旦那様方も、運の付くおまじないを……」
マークとローエングリンは後ずさりしながら顔の前で大きく手を振り、断固拒絶した。
「旦那、これ以上服が破れたらもうエロ過ぎてお天道様の下を歩けないよ……」
コウモリ、というより、自分で絶妙に引き裂いたような跡のある青い布切れで危ない場所を覆ったバ・カーンが服を買ってアピールをする。
「まるで、追い剥ぎに遭ったミノムシのようだな……」
色気の無いチョッカーンの返答に、青ミノムシの飛び蹴りが炸裂した。
「旦那様、無茶をなさるのは血の気が多いからです。だから……」
黄色いチュチュのコリャイ・カーンが窓を開けた。
「お友達に来てもらいましたあああ」
声を合図に窓から飛来した黒い影が部屋になだれ込んだ。
「ぎゃああああっ」
黒いものを身体じゅうにまとったチョッカーンの絶叫が響く。
「血を吸ってもらったらいいと思って。吸血コウモリさんですう」
チョッカーンに貼り付けなかったコウモリは部屋の人々を襲い始めた。
逃げ惑う人々。ペリドットもなじみのコウモリではないため攻撃にさらされている。
「か、帰ってもらええええええ」
チョッカーンの怒号が家を震わせた。
「流通ポイントを得たからと言ってあなた方の精神的な疲れが改善したことにはなりません」
一夜明けた翌日。葉月の厳命の下、三人は先に進まずにこの家で休養を取ることとなった。この館での葉月の発言力は強く、ダイアの心境が少しわかるような気がしたローエングリンである。
しかし葉月の女性力は極めて高く、行き届いた気配りと心のこもった手料理、そして居心地の良い清潔な部屋で三人は久しぶりにゆったりした時間を過ごしていた。
ただし、3人とも現実の時間経過が大いに気になるところである。
「今、いつ頃なのかな、現実では」チョッカーンが紅茶を飲みながらつぶやく。
「約20時だと思う。もう8日目だからね」
マークの言葉に黙り込むチョッカーン。
「工作はしているとは言え、もしかしたら学校にばれているかもなあ、品行方正なお前が停学になったら俺、なんて詫びていいかわかんないよ」
「いや、むしろばれたほうがいいかもしれないぞ。現実に警察とかが動き出してくれれば今の状況が解決されるかも」
チョッカーンがローエングリンの言葉を遮る。
「お前にはわかんないかもしれないけど、俺達、いや、このマークは現実では非の打ちどころの無い優等生で、一点の曇りもない内申書を受験の武器にできるんだ。ばれたらこいつが積み上げてきた努力が水泡に帰すんだよ。俺が、こんな怪しげなゲームに誘ってしまったばっかりに……」
「あ、あの」
マークが口ごもりながらも、果敢に二人の会話に割り込んだ。
「実はあの、多分この異常な事態は僕のせいだと思うんだ」
目を丸くしてマークを見つめる仲間達。
「僕の記憶と一致することが多すぎるんだ。ヤチマタのオロチにしても、あの妙な模様のラフレシアも、僕の記憶の中にある事柄と一致するんだ。それに、確かに上手く行きすぎる僕の計画。鬼も僕のことを『転覆者』と確信しているようだったし、僕は多分この世界に来るべき『転覆者』だったんだ」
「冗談だろ、今までゲームに縁もゆかりも無かったお前がなぜ……」チョッカーンが半信半疑の面持ちで尋ねる。
「わからない、でもきっとインフィニティは僕を知ってるんだ。もしかすると、僕をおびき寄せるために、美月さんの意識は別のゲームから誘拐されて、君を含む仲間たちはとばっちりを受けたのかもしれない」
マークはうなだれる。
「前にローエングリンが、僕ら二人の内、どちらかに思い当たることは無いかと聞いてたよね。僕、なんとなく心に引っ掛かることがあったんだけど、怖くて口に出せなかったんだ。すべて悪いのは僕なんだよ、ごめんなさい」
マークは全責任は自分にあるとばかりに二人に土下座をした。
「よ、止せよ。このゲームに来たのは俺の意思だから」
「私も同じだ」
仲間たちは、引きずるようにしてマークを断たせると、彼の目の前で宣言した。
マークの顔は涙に濡れている。
「僕のことはどうなってもいいから、皆が現実世界に無事に戻れるようにしたい。でも、僕にはインフィニティへのアクセスの仕方ばかりか、『転覆者』の意味すら良くわからないんだ……」
優等生の嗚咽が、静まり返った部屋に響いた。
全員での夕食の後、三人は彼らのために用意されたベッドルームでマルコムを囲んでいた。
「来るかなあ」
「無事でいるんだろうか」
皆が息を殺して見つめる中、マルコムが叫びだした。
「姫様通信、姫様通信」
我先にマルコムを取り上げる三人。
画面には思いの他元気な姫の顔が映っていた。
非常時にも関わらず、三人の目は彼女の服装にと急ぐ。
「これは、か、固い」チョッカーンのつぶやきに2人ともうなずく。
大人びた紺のリクルートスーツに身を包んだ彼女。
スーツの下からは、薄いストッキングをはいた細い足が伸び、黒いハイヒールへと続く。アップにされて後ろでまとめられた髪、そして、ほそい銀縁のメガネ。
「けど、鎧が厚ければ厚いほど、興奮するのも男の性」
つぶやくチョッカーンの目じりがうれしそうに垂れている。
異性を跳ね返すような、姫の一糸乱れぬ質実剛健さがかえって男たちを興奮させた。
「まるで、どこかの一流企業のOLだな。今まで色物系コスプレだったがタコ柳の野郎趣向を変えたのか?」
ローエングリンが首を傾げる。
「ちょっと言ったでしょ、金髪男、私の高柳君を揶揄しないで」
本日の一言目を怒号で始めた姫は、大きな目を吊り上げた。
「お、おい、どうしちゃったんだ、姫は」
チョッカーンが慌ててローエングリンを見る。
「チョッカーン、どうやら姫様は、あのバカ柳に籠絡されかけているらしい」
「聞こえないの、エログリン」
「も、もしかしてそれは私の事かっ、アホ姫」
ローエングリンが目を剥く。
「ふ、ふたりとも、喧嘩は止して」
狼狽しながらマークが止めに入る。
「美月さん、このゲームの暴走はどうも僕のせいらしいんだ。責任は全部僕にある。だから僕をののしるのはかまわないけど、仲間を貶めるのは止めて」
懇願するような口調に、唇を尖らせて視線を逸らす優理。
「全くヒステリーだな、女って奴は」
呆れたようにローエングリンが鼻で笑う。
「待ってローエングリン。彼女は、このゲームに頭の中を支配されかけているんだ。このゲームの怖い所は、耽溺性があるらしいんだよ。脳への働きかけで好きでもない牢番を好きになってしまうようにプログラムされているんだ」
マークの言葉にうなずきながらも、ローエングリンは憤懣やるかたないといった面持ちで大きな鼻息を鳴らした。
「三人とも、今日私が出てきたのはね、もうゲームを止めて現実に帰っていいってことを伝えるためなの。私はここで高柳くんと一緒に居られるだけで幸せ。もう現実には帰りたくないの。だから私の事はもう忘れて、戻って頂戴」
「いや、戻れないんだよ」
チョッカーンの弱弱しい声は優理のはっきりした声に打ち消された。
「それだけ言いたかったの。じゃ、バイバイ」
いきなり画面が黒くなる。
三人はいきなりの姫の絶縁宣言に唖然として顔を見合わせた。
「もし僕たちが居なくなったら。姫様、自分で脱獄……できますか?」
肩を落としたチョッカーンがつぶやいた。
「これが、私の本当の気持ち」
通信を終えた姫は、スーツ姿のまま高柳に向き直る。
「いつまでじらせるつもりなの」
黒を基調とした中世騎士の装束に身を包んだ青年に抱きつき、すねた目つきで見上げる優理。
「じらしていません」
柱のように突っ立ったまま、騎士は微笑んだ。
「それにしても、えらい変わりようだ。教室では私をあんなに毛嫌いしていた姫なのに」
騎士は思わず姫の黒髪を撫でようとして、慌てて手を引っ込めた。
「どうしたの? あなた今までと違うわ。変よ? 自由にしていいのよ私を」
悲しげな瞳で見上げる姫の視線を、振り払うように上方を見る高柳。
「変わってしまったのはあなたの方だ。あなたはそんなことを言う人ではなかった」
切れ長の瞳を曇らせながら騎士はゆっくりと身体に回された腕をほどく。
「まるで、手を触れるとたちまち凍傷になるような冷たい銀色の彫刻、私はそんな気高さを持つあなたに惹かれていた」
寂しげな言葉。
「ああ、わかっている。悪いのは私たちだ。あなたをこんなにしたのは……」
捨て台詞のように吐き捨てた後、姫の肩を押さえるようにして椅子に押し戻して高柳は立ち去った。
呆然と座り込む、姫。
「バカ、バカ。みんなわかってない。みんなカッコよくて、凛とした私が良いって言う。だけど、これが私、本当の私なのよ。だって女の子なんだから」
優理は顔を覆って泣き始めた。
「それにしても姫様、自由すぎだ。もともと、ちょっと傲慢でわがままだったからなあ」
チョッカーンが腕組みをして溜息をつく。
「だいたい、ローエングリンはボランティアで姫を助けに来てこんな酷い目に遭っているんだぞ。ローエングリン、お前もし現実に帰れそうだったらすぐ帰れ」
強い語調で仲間に迫るチョッカーン。
「いや、私は行かねばならないのだ。あのアホ姫を助けに」
ローエングリンは数度首を振って、自らの怒りを鎮めるように、枕元の水差しからコップに水を注ぐとぐいっ、とあおった。
「でも……」
消えそうな小声でマークは二人に話しかけた。
「美月さん、学校ではリーダーで、寄らば斬るぞって感じだったんだけどね、実は可愛い女の子じゃないかと思うんだ。一度、僕のノートを家に持っていったことがあるんだけど、出てきた美月さんのスリッパにふわふわの毛とかボンボンがついてて、服もフリルが付いてて、なんかいつもと違うイメージで可愛かった覚えがあるんだ」
「そ、そうか」
ローエングリンがマークをじっと見る。
「僕らの勝手な思い込みで、彼女を男性的な美女にしちゃっていたけど、彼女もしかして重荷だったのかな」
「確かに。女性にもいろいろ居るよな。女を前面に出すのもいれば、人前で女っぽさをことさらに出すのを恥じる人もいるし。俺の姉貴もそのタイプで、男を意識して女っぽくなったのは大学に入ってからだったし」
女系家族のチョッカーンはさすが女心に詳しい。
「そうなら、彼女に悪いことしたなあ」マークがつぶやく。
「男前美女とか祭り上げられていい気になって変な部分でカッコつけるからだ。女っぽくしたければ、堂々とすればいいんだよ」
怒りが収まらないのか、ローエングリンが緑の目を吊り上げた。
そしてそのまま、ずいぶん長いことベッドの上にじっと座り込んでいた。