その1
すっかり夕闇に包まれた洞窟ではペリドットとマークが息をひそめている。
ペリドットの偵察で一方向から一角鬼の大群が押し寄せてきているとの情報がもたらされたため、全方位にマルコムを向けて通信したところほんの数分ではあるが、ダイアとかいう若い男と連絡がついた。
しかし、どうやらローエングリンは敵の手中に落ちているらしく、彼に関してはあのダイアという男の活躍を祈るしかないようだ。
「なあに、案じることは要らん。あいつは短剣の名手。葉月の夫で我が八人衆の一人だからな」
「ダイア? ええっと、八人衆ってみな八に関係するよね。ダイアはなぜ8に関係するの?」
「ダイアの天然の結晶は正8角形なんだよ」
マークの問いにペリドットがにやりと笑った。
それにしてもチョッカーンは無事なのであろうか。
マークは自分の身を案じるよりも、離れ離れになった仲間たちの事を考えていた。
「そろそろいい頃だね」
ペリドットは外がいい具合に暗くなってきたのを確かめて、編んでいた綱を結びあげると腰を上げた。
洞窟の奥に、先ほど取って来たらしい瑞々しい果物を放り投げる。
「こいつらは見かけによらず、フルーツ好きなんだよ」
ずいぶん長いこと餌付けをしているのだろうか、洞窟の奥で喜びの舞を踊っているかのように飛び回るコウモリを見て草原の色の瞳が優しく輝いた。
「まず、私がコウモリにこのひもを噛ませて飛び上がる。一角鬼は多分私のほうによってくるだろう。その間にできるだけ逃げるがいい」
「ペリドット、囮になるつもり?」
「ああ、囮ぐらい朝飯前さ。そうだ、あんたの学生服をよこしな」
マークが老婆に詰襟の上着を脱いで渡すと、なんと彼の服装は白い夏服に変わった。
「なんの魔法だい、そりゃ」
「カーロンが自動的に衣替になるように設定してくれたんだ」
昔のつれあいの名前に、ペリドットはピクリと眉毛を動かしたが、やせた身体の上から渡された詰襟を着こむと、つる草らしきもので編んだ小型のハンモックにたくさんの縄が付いたものを二つ取り出した。
「一角鬼達は夜目があまり効かない。私が派手に奴らを引きつけるから、とりあえず元いたウーディンの街にお帰り。きっとそのあたりに仲間や他の八人衆も潜伏しているはずだからマルコムで連絡をおとり。大丈夫行く先はコウモリが知っている。あたしも後から追いかけるよ」
「一角鬼は、何匹くらいいるの?」
「さっき偵察に行ったときは約300匹くらいいたな」
「さ、さんびゃ……」
マークの顔が真っ青になる。棍棒で殴打された痛みが全身によみがえってきた。
「コウモリどもも凶暴なアイツらに乱暴されて迷惑しているらしい。私たちに加勢してくれるらしいが、いかんせん数が足らないなあ」
洞窟の中には黄色い目玉がギラギラしているが、チャフの働きをさせるには確かに数が少なすぎる。
「しかし、この洞窟がばれて奴らにここになだれ込まれたら一巻の終わりだ。機は逃してはならん、行くぞマーク」
ペリドットはリフトに乗るような恰好でハンモックに腰かけて、右手を上に振った。
コウモリ達はハンモックにつながっている沢山のつる草を編んだ縄を銜え込みバサバサと飛び立った。パラグライダーのパラフォイルの代わりにコウモリが引っ張っている感じの乗り物だ。
「50数えたら、飛び立て。マーク」
ペリドットは月の無い夜の静寂に飛び立った。
洞窟ぎりぎりまで出て、外をうかがうマーク。
ペリドットが行った方向から何やら騒がしい羽音がし始め、夜空の一角の星がどんどん消えていく。
「49、50……」
数えきったところでマークも残されたハンモックに座り、手を上にあげる。
グン、と引っ張られた後、反動で後ろにのけ反る。
周囲から、バサバサとまばらなコウモリ達の羽音が聞こえる。かく乱のために周囲を飛んでくれているのだろうが、羽音から考えてもそれほど多い数ではなかった。
今日は月の出が遅いのだろう、眼下も頭上も深い闇の帳に閉ざされている。現実と違っているのは、頭上には白砂をぶちまけたような満天の星がまるで光で音楽を奏でるかのように荘厳に瞬いていること。
恐怖よりも、マークはその非現実的な光景を子宮で揺られる胎児のごとく呆けたように見つめていた。
そのとき、ギャアという叫びとともにハンモックが大きく揺れた。
コウモリ達の金色の目が闇の中で乱舞している。
「俺達の目は節穴じゃないぞ。二手に分かれたのくらいお見通しだ。ワシらから逃げられると思うなマーク」
あの一角鬼の長だろうか、聞き覚えのある声にマークは全身を震わせた。
ハンモックの速度が倍になり、一角鬼達の赤い目が周囲からどんどん集まり始めた。
「ば、万事休す……」
その時。
「う、うおおおっ」
一角鬼の首領の悲鳴が闇の中に響いた。
漆黒のベールが天空を覆うかのように、満天に散りばめられた星々が遠くの方から徐々に消え去っていく。それとともに、コウモリの羽音がまるで波のように押し寄せた。
マークの周りをバサバサという音が幾重にも包み、視界が真っ黒に変わる。
黒い帳の隙間から見える鬼達の赤い目が、うろうろと周囲を見回し始めた。
そして、闇の中で次々につんざくような悲鳴が聞こえてきた。
黒いベールの正体、それは何十万というコウモリの大群だった。
「お待たせしたです~、ヒロインはやっぱり最後に出てくるのですう」
暗闇の中に響く、能天気な声。
「旦那、コウモリに乗ったあたしのこの露出度最強の悪魔ファッションが見せられないのは残念だぜ」
TPOを考えない色っぽい声。
そして。
「いたたたたっ」
マークは不意に手足に何かがかじりつくのを感じた。
「こら、それは旦那様だから噛んじゃだめっ。お許しくださいなのです、手当たり次第コウモリを誘惑しすぎて……最強吸血コウモリまで来ちゃったですう」
天然暴走娘も健在だ。
赤い光点はコウモリにまかれてマーク達を見失ったのか、どんどん離れて行く。
そしてとうとう見えなくなってしまった。
「遅かったじゃないか、このポン助妖精ども」
ペリドットの声がする。いつの間にか合流していたらしい。
「若さに嫉妬するなんてさいてー」
妖精達は、ひそひそとつぶやいた。
「もう、鬼達の影響下には無いよね」
マークはマルコムを操作して、チョッカーンを呼び出す。
そこに出てきたのは赤い目をさらに赤く腫らしたオロチ。彼はメガネの無いマークに戸惑っている様子だ。
「僕だ、マークだよ。チョッカーンは?」
オロチはやっとマークを認識したのか、たまっていたものを吐き出すように叫んだ。
「チョッカーンの息が、息が止まりそうなんだ。マーク。大至急流通ポイントが要る、少なくても1000以上、それもできるだけ多く。ローエングリンもぎりぎりの流通ポイントしかないんだ。今、から揚げ屋の葉月の家にいる、急いでくれ」
マークは手持ちの流通ポイントを確認するが、一角鬼は倒していないため、休息して体力を取り戻してはいるが260とほとんど増えていない。
現実でも、そしてこの世界でも頼りになる心を許せる唯一の友、チョッカーン。
彼の危機にマークの身体は震えていた。
「ど、どうしよう、ペリドット。チョ、チョッカーンが」
「奴らに追われているという事は、お前さんやっぱり本物なのかもしれない……」
話しかけられたこととは全く別の事を、まるで自分に語りかけるようにペリドットはつぶやく。しゃがれ声が闇の中に吸い込まれていった。
「いよいよ、皆が恐れていたその時が来たんだろうかね」
「ペリドット、ねえ、僕の話を聞いて、チョッカーンが大変なんだよっ」
「この世界を滅ぼしに来ようが、混乱させようが、それがインフィニティのおぼしめしなら私等は覚悟ができている。あのぼんくら科学者と違ってね」
まるで自分に言い聞かせるように呟き終えると、マークの震える手を、皺だらけの手がそっと握った。
「私に任せておおき。あの妖精達に言いつけてあんたたちの宝石を半分ほど洞穴に隠しているんだよ。私の店で換金して、すぐ葉月のところに行こう。もちろんレートは大甘だからね」
大丈夫、とばかりにマークの背中がぽんとたたかれた。
マークは息せき切って、オロチにこのことを伝える。
「どさくさにまぎれて若い子の手を握るなんて、とんだ助平婆なのですう」
妖精達が不満を漏らす。
「バカもの、最近は年上の女が流行っているのさ」
コウモリが徐々にへっているのか、淡い星明りが見えてきた。
ふと見ると、ペリドットはいきり立つ妖精達に対し、年甲斐も無く頬を引っ張り薄い舌を出して挑発していた。
チョッカーンの呼吸回数は目に見えて減っていた。
それとともに唇も色を失い、手足も冷たくなり、今、まさに彼の命の灯が消えようとしていることを如実に物語っている。
ベッドの脇に集まり、なす術も無く無言でチョッカーンを見つめる人々。
傍らで死んだように眠り続けるローエングリン。
「畜生、このお人よし野郎……」
オロチが肩を震わせる。
回数も減っているが、息を吸い込んだ時の胸の動きもごくかすかになっていた。
呼吸と言っても、口先に軽い空気の揺れを感じる程度。
先ほど息をしてから、ずいぶんと時間がたった。
「お兄ちゃんの息、止まったの?」
涙を目にいっぱいためて、八重が母の方を振り向く。
葉月はエプロンを口に当てて、こみあげてくる嗚咽を止める。
「逝くなあああ」
オロチが人目も気にせずにチョッカーンに抱きついて泣き伏す。
その時、チョッカーンが今までになく大きな息を吐き出した。
「臨終の時には二酸化炭素を出すため一度大きな息をする……」
葉月が震え声でつぶやく。
「う、ウソだろ……」オロチが涙にぬれた顔を上げる。
皆はベッドの横に跪き、頭を垂れた。
「勇者チョッカーンの魂は召された。安らかに」
ダイアが宣言した、その時。
[きゃ……っ」
八重の叫びが響き渡った。
それもそのはず。
人々の目は、ぱっちりと目を開けた死人の目と見つめあっていたのだ。
死んだはずのチョッカーンの象牙色の頬は見る見るうちに赤くなる。
いきなりの変化に、息を飲む人々。
一斉に向けられた視線に戸惑いの表情を見せながら、チョッカーンはつぶやいた。
「いや、もう食べられないよ……」
ベッドの周りの4人は、無言で固まっている。
「あれ? 俺、食べ放題に行ってたんじゃ」
わあああああ、大きな歓声があがった。
その声に背伸びをしながら、起き上ってきたローエングリンも仲間の劇的な変化に目を丸くする。そしてローエングリンは自分もまた、先ほどまでの泥の様に重い身体が一変して、軽くて活力がみなぎっているように感じていた。
「チョ、チョッカーン、お前、どうして生き返ったんだ?」
けたたましい音で二人のマルコムが鳴る。
「チョッカーン、生きてる? 今、流通ポイントを補充したよ。ローエングリンにもね。今どこにいるの」
画面の中には、薄汚れた顔を上気させながら叫ぶマークが映っていた。
「お前、黒眼鏡はどうしたんだよ、黒眼鏡はっ。それに夏服って?」
チョッカーンが仲間のイメチェンに目をぱちぱちする。
「マーク、一緒にペリドットがいるんでしょ、彼女が場所を知ってるわ、葉月の隠れ家に来てと伝えて」
横からマルコムに叫ぶ葉月。
「もうすぐそちらにつくから、何か美味いものを用意しといておくれ」
痩せの大食い、ペリドットの声が割り込んだのを最後にマークからの通信が切れた。
「ところで、誰が死んだって?」
「お前だよっ、このお人よしっ」
チョッカーンの怪訝そうな顔に、ローエングリンが肩を揺さぶりながら突っ込む。
「それとも、王子様のキスでお目覚めがよかったか?」
チョッカーンの頬を両手掴み、おでこをくっつけて睨みつけるローエングリン。
「うえっ、気持ちの悪いこというなあ」
チョッカーンは慌てて突き放す。
久しぶりに、家の中は和やかな笑い声で満たされた。
「気を付けてくださいよ、チョッカーン。今度ポイントをすべて使いきったら仮死状態を経ずに即死ですから」
一気に明るくなる隠れ家の中で、葉月だけが心配そうに釘を刺した。