その3
ダイアがローエングリンを連れてきたのは、町はずれの小さな小屋だった。
表向きは藁が置いてある物置小屋に見えているが、その室内は微妙に遠近感が狂うデザインがされて実際よりも広く見える。ほとんど壁に同化した隠し扉を開けると、その奥にはこじんまりとした小さな暖炉付の隠し部屋があった。
「この暖炉の煙は隣の家と同じ配管から排出されるようになっているので、ばれません。隣の家の奴にはいくばくかの金を握らせているので大丈夫です」
「よくこんな部屋持ってたな……」
「男の甲斐性です」
ローエングリンは、部屋の壁に掛けている様々な剣をしげしげと眺める。
切れ味と耐久性、双方が最大限に釣り合うように極限まで研ぎ澄まされた刃、そして束は握りやすく滑りにくいように細かな文様が刻み込まれている。文様はアラベスクを思わせる幾何学的なものや植物が反復して描かれていて、いつまで眺めても飽きることが無い。
仕事場で見た彼の一心不乱なその打ち込みぶり。
隅々まで神経の行き届いたその仕事はこの男の実直さがにじみ出ていた。
「悪かったな、お前まで変な騒ぎに巻き込んで」
「なんの、美しい姫のためならこれしきのこと」
照れたような笑いを浮かべるダイア。
暖炉に火がはぜる音が静かに響く。
彼は床に跪き、そっとローエングリンの白い手をとった。
「今は諸般の事情から刀を作るのが本業となっておりますが、もともとは騎士です。美しい女剣士をお助けせずしてどうして騎士を名乗れましょうか」
いきなりの丁寧な口調、ダイアの情熱的な視線に気が付き、急にうろたえる金髪の騎士。
「あ、あのな。言い忘れていたが」
「姫、その桜貝の唇をどうぞ私にお与え下さ……」
「男なんだよ、私は」
どたーーんっ。
いきなり刀鍛冶は跪いた姿のまま、おでこから前のめりに崩れ落ちた。
「な、なんとっ」
「諸般の事情があって女装したままになってしまったんだ」
こいつ、なんなんだ。実直な仕事ぶりとは正反対の展開に、めまいを感じるローエングリン。
頭が硬くてダイアなんだと言っていたが、とんだ軟派男だ。
いや、仕事のできる男ほど色の道も好きと聞く。実直な分、恋愛にも一直線なのかもしれない。
ローエングリンは、周囲を見回す。
こぎれいにさっぱりと整えられた居室には、瀟洒なベッドと棚が一つ。
「独身なら、堂々と部屋に女性を誘えばいいが、こんな隠し部屋を持ってるなんて。お前、つれあいが居るな、ここは浮気用の部屋か?」
ダイアはまだショックから冷めやらぬ表情で殊勝にうなずく。
「騎士をしていたんだが、今の女房と知り合ってからどうも締め付けがきつく、女性にもてる騎士は辞めさせられて、趣味だった刀鍛冶を本職とするようになった。ただ、元来の女性好きはどうしても直らず、とうとうこの様な部屋を作ってしまったのだ。ただ、仕事柄女性と知り合うチャンスが無く、今だここに女性を連れてきたことはない……」
ぼりぼりと頭を掻きながら、告白するダイア。
きどった口調はもとに戻っている。
「あんたが、初めての……」
「そりゃ、残念だったな」
じーっ、と見つめあう2人。
「この際、違う道に目覚めてみようかと……だめ?」
「ええい、血迷うなっ、目を覚ませ」
間髪を入れずローエングリンの平手打ちが炸裂した。
「マルコムが通じない」
ローエングリンは、隠れ家にあったパンをかじりながら溜息をつく。
「こちらも仲間との連絡が取れない。あの軍勢が通信攪乱を起こしたらしいな。たぶん、町はずれの尖塔になにか仕掛けをしたに違いない。あそこに通信の拠点があるというもっぱらの噂だからな」
左頬を赤くしたダイアが、地下室に降りて取ってきたワインのボトルとグラスを2個持ってやってきた。
「パンばかりじゃ喉も乾くだろう。とっておきのワインだ、飲んでくれ」
「あ、すまんな」
あたりにベリーの甘ずっぱい香りが軽やかに立ち上る。
ダイヤが注いだ深い赤紫色のワインに口をつけようとして、ローエングリンははた、と手を止めた。
持ってきたダイアのほうをじーっ、と見る。
「まさか、眠り薬とか入ってないだろうな」
「ははは、ま、まさか」
そおーっ、と目を逸らすダイア。
いぶかしげにダイアを見つめるローエングリン。
「自分で研いだ剣の露と消えたいか?」
「の、飲むよ、飲めばいいんだろう」
グラスをぐいっと握って注いだワインを、大口を開けて一気に流し込む刀鍛冶。
これでいいだろう、とばかりに大きく目を開いてアピールするが。
「飲み込め。ごくっ、とな」
百戦錬磨の騎士は、ふくらみを帯びたままの頬を睨みつけてつぶやく。
ぐきゅっ、喉仏が動いた。無事にワインは食道に落ちて行ったようだ。
片眉をぴくぴくと動かして、無事をアピールするダイア。
そのままくるりと踵を返すと、彼はラテンダンスのように腰を振りながら歩み始めた。
だが。
数歩歩いたところで、へなへなと崩れ落ちていびきをかき始めた。
「なんてしつこい奴だ。それにしても昼間のキャラとは違いすぎる。とんだ、女好きだな」
ローエングリンは残りのパンを口に放り込むと、地下へダイアを引きずり下ろすと、地下に通じる戸の上にベッドを置きごろりと横になった。
傍らには地下から持ち出したワインが数本。
彼はワインのコルクを開けて真紅の液体をガラスに注ぎ入れた。
ふわりと立ち上る、煮詰めたジャムの様な深くて甘い香り。
「ん、良いワインだ」
一晩ここで休んで、鋭気を取り戻したらこれからの事を考えよう。
足下から聞こえるいびきを聞きながら、ローエングリンは唇に軽く曲げた右手の指をあてて、目を伏せた。
揺れる暖炉の炎に照らしだされる長い金髪、思いにふける彼は彫像のように美しい。
ダイアが血迷うのも、無理からぬ話かもしれない。
まだ太陽が出る時刻には程遠いが、夜の闇がどことなく軽くなったころ。ローエングリンが寝ていたベッドの下から情けない声が響いてきた。
「おおいい、ローエングリン。助けてくれ、反省したよ、悪かった」
ベッドに腰掛けて身づくろいをしていた彼は笑いながらベッドを退ける。
もちろん、片手にシュヴァーンを握り締めながら。
「ひ、ひどい目にあったよ。きれいな花にはとげがある、って本当だな」
頭を振りながら地下倉から上がってきたダイア。
「よく言うな、頭は冷えたか?」
編み上げた金髪に、引出から拝借した茶色の胴着と緑のマントを羽織ったローエングリンが苦笑いした。ダイアの騎士時代の服と思われる、緑の大きな羽の付いたつばの広い帽子を手に持っている。
「借りてるぞ。ま、昨夜の非礼の事を思えば、これくらいは当たり前だな」
「ああ、どうぞ。しかし、編み上げた頭もまた美しい、お前なんて罪作りな野郎なんだああ」
頭をぐしゃぐしゃと掻き毟りながらダイアが悶絶する。
男とわかっても、まだ、恋の病は完治していないらしい。
「夜明け前に一仕事したい。教会の尖塔に案内しろ、通信防御装置をぶっ壊す」
「了解だ。二度とお前に無礼なことはしない……、その代り」
「その代り?」
「女房には内緒にしてくれ」
ローエングリンの笑い声が狭い部屋に響き渡った。
東の空がほの明るくなったころ、ローエングリンとダイアは隠れ家をそっと抜け出した。
頬に冷たい空気があたり、ピリピリとする。鮮烈な空気のなかにかすかに焦げ臭い香りが混じってはいるが、さすがに鎮火しているらしく、街中の方向を眺めても煙や炎は見えなかった。
先に立って歩くダイアの肩は筋肉で盛り上がり、引き締まった逆三角形の体は鍛え上げられた武芸者だと語っている。彼が周囲を見回すたびに横顔が見えるが、きりりと引き締まった眉毛と油断なく配される瞳がこの上なく頼もしい。黙っていたら、好漢そのものである。
それにしても第一印象とここまで違う奴も珍しいな……。
ローエングリンは昨夜の積極的すぎるアプローチに顔をしかめた。
しかし、悪い奴ではない。現に、求愛を拒んだ赤の他人の自分に対し塔までの案内と加勢を申し出てくれている。
単にまだ下心があるだけなのかもしれないが。
そうであれば、油断大敵だ。前に敵が来たとき、後ろから襲われてはシャレにならない。
後ろからついていきながら、ローエングリンは背に背負ったシュヴァーンの束にそっと手を触れた。