その2
偉く騒がしいと思ったら、何が起こっているんだ。
路地から大通りに出たローエングリンは、荷物を抱えて走ってくる群集に思わず足を止める。
群集の走ってくる方向に顔を向けた彼の目に、空に広がる黒い煙が飛び込んできた。
黒い煙の裾にかすかにオレンジ色の炎が揺れていた。
「火災か?」
もう一度、その方向を確認した彼はびくりと体を震わせた。
炎と煙の中に、背の高い建物がちらちらと見える。
そこは、彼らの宿屋に他ならなかった。
チョッカーンとマークが危ない、特にマークはそのまま宿屋に帰ると言っていた。
慌ててマルコムでマークを呼ぶローエングリンだが、通信不能ですという空しい返事が繰り返されるのみ。
彼はやもたてもたまらず群集の中に走りこんだ。
人並みに押し戻されながら、かき分け、かき分け、罵声の中を突き進む。
人の姿が徐々にまばらになり、白い煙が濃くなる。
それでもマントで鼻を押さえて、目をしばたかせながら、なんとか彼は宿屋に近づいて行った。
木でできた宿屋は炎の中、すでにその柱と梁をどうにか残すのみ、まるで佇む骸骨のような有様に変貌していた。
「もし、ここに居れば助かってはいない……」
顔を炎でオレンジ色に染めながら、唇を震わせるローエングリン。
まさか、そんな事。
ぐるぐると頭の中で堂々巡りをする思いに、一瞬動きが止まる。
不意に、爆風の様な波動が彼を襲った。
反射的に跳躍をして吹っ飛んでくる木片や、瓦礫をさける。
彼の眼下では、まるで地の底に吸い込まれていくように紅蓮の炎に包まれながら宿屋が崩壊していく。
焼け落ちた宿屋の跡から少し離れた広い路地に着地すると、ローエングリンはもう一度マルコムを開けた。
「マーク、マーク、生きているのか。返事をしろ」
何かあったに違いない。
しかし、まだ死んだとは限らない。
ローエングリンは、次にマルコムでチョッカーンを呼び出そうとした。
「から揚げ屋と一緒に居てくれればいいのだが」
その時。
「お嬢さん、ラブコールするにはまだ早いようですよ。昔から言うでしょう、一難去ってまた一難って」
顔を上げたローエングリンの目の前に、突然武器を持った軍勢が現れた。
その先頭に進み出たのは赤い星の紋章の入った真っ白なマントに鮮やかなピンクの胴着、腰に黒い剣帯を巻いた、黒髪に紫に近い青い色の大きな目をした可愛らしい少年だった。
「お嬢さんじゃないぞ、坊主。私は男だ」
「じゃ、女装癖のある変態ですね」
「黙れ。時代遅れの小童め、似合っていれば男物だろうが女物だろうが、着るものに性別は関係ないんだよ。要は美しければ許されるんだ」
灰の舞い飛ぶ中、睨みあうドレスの騎士と、ピンク色の服を着た少年騎士。
「謎の女装騎士様。騒乱罪で逮捕します。私は王都から派遣された警備隊長、スターアニス。エスコートいたしますので、ご一緒にどうぞ」
いちいちませた口をきく少年がスラリと長剣を抜く。
後ろの兵士たちが、前に出ようとするが、少年はさっと目でそれを制した。
少年の白いブーツで包まれた細い足が前に踏み出される。
研ぎ澄まされた長剣が炎で禍々しく光った。
こいつ、できる。
外見とは裏腹に隙の無い少年の構えにローエングリンは額に汗の粒が吹き出るのを感じていた。
できるどころではない、この殺気。ただ者ではない。
細身で軽量だが、ざっと見たところ筋肉質の肢体をしている、跳躍力もありそうだ。このまま跳躍しても飛び上がったところに彼は追ってくる、逃げおおせるのは無理だろう。
愛剣シュヴァーンは今、修理中である。この相手に手ぶらでは、分の悪いことこの上なし。
ローエングリンは、活路を見出そうと周囲に目をやったが、後ろは火災そして前は軍勢に道を塞がれていて万事休すの状態である。
道一杯に広がる軍勢はかなり本格的で、陣形も厚い、道のかなり向こうまで兵士で埋め尽くされている。飛び越すのは難しそうだ。
少年と一定の間隔を保ちながらじりじりと後退するローエングリン。火災がこちらに迫っているのか背中をなぶる風が徐々に温かいから熱く変わってくるのを感じていた。
額の汗がつうう、と頬を伝う。
ガラガラっという轟音とともに、すぐ後ろの家が崩れ落ちた。
振り向くなり、ローエングリンは叫んだ。
「きゃああああああっ」
一瞬誰の声かと、軍勢がきょろきょろと見回す。
少年は、目を丸くして、頭を両手で抱えて路地にうずくまるドレスの男を凝視した。
「お前、やはり、ヘンな人か?」
「だって火事、怖いんだもんっ」
どこから出しているのか、と尋ねたくなるような甲高い裏声が手で覆われた顔から発される。
あまりの変貌ぶりに、眉をひそめ頭を軽く傾げる少年。予想外の事態に混乱しているようだ。
「まあいい、捕まえるぞ。お前たち油断するな」
警戒しながら少年騎士と、軍勢は剣を下げてローエングリンにそろそろと近づいた。
分散していた陣形がローエングリンの近くに収束する。
その時。
「テレキネス」
ローエングリンの声とともに、背後の崩れたがれきが浮き上がると、集まった軍勢の上に降ってきた。
「おのれ、卑怯者。奇態を演じて欺くとは、騎士の誇りを忘れたか」
大量の木切れのシャワーを浴びて、地面に打倒されながら少年の声が響く。
「大丈夫、黒焦げの木くずのあたりを狙って動かしたから、ま、軽いやけど程度。大きなけがはしないはずだ」
瓦礫で埋まった軍勢を跳躍で飛び越えて、走り去るローエングリン。
しかし、手加減をしすぎたのか、瓦礫を跳ねのけて軍勢が後から追いかけて来た。
少年も白い顔を煤で真っ黒けにして、憤怒の形相で追ってくる。
路地を抜け、大通りを走る。
しかし、火災現場を遠く離れても少年を筆頭に軍勢はしつこく追ってきた。
「へっ、追いかけられるのは慣れている。ま、ラブレターを持った奴からだけどな」
しかし、路地に入り込んだローエングリンは、いきなり気配も無く目の前に立ちふさがった人影に身を固くした。
だがその人影はローエングリンを見ると、うれしそうに剣を頭上に掲げて大きく振った。
「お嬢さん、待たせたな」
眼前に立っているのは、あの刀鍛冶のダイアだった。
飛びつかんばかりに駆け寄ると、シュヴァーンを抱きしめるローエングリン。
「もうできたのか?」
「ああ、あんたはすぐにこいつが要りそうな訳ありオーラを纏っていたからな、おおっと手抜きはしてないぜ」
背後から、軍勢の近づく地響きが迫ってきた。
「いい読みだ。急がせた礼にシュヴァーンの華麗な舞をご披露するぜ」
振り向いて軍勢に向かい合った騎士は、まるで解き放たれた白鳥のように緑の瞳を鋭く光らせながら重厚な愛剣を構える。
左手の手の甲に浮き出た黄金のGの文字、それはゴールド・パスを持つ使い手の証。
鞘から抜かれた銀色の剣は、夕闇の中まばゆい白亜の光を放つ。
研ぎすまれた刃先に降った灰がぱらりと真二つに分かれて舞い散った。
「いい仕事してるな、ダイア」
微笑みと同時に、桃色の唇の端が吊り上った。
「とうとう観念したか、この卑怯者」
煤で全身真っ黒の少年がローエングリンを睨みつけて、飛び出した。
軍勢は隊長の勝利を信じて疑わないがごとく、ピクリとも動かない。
お互いに剣を構えて一歩も引かない。
じり、じりと間合いが詰まる。
はあっ、人気が無くなった市街地に少年の高い声が響いた。
その瞬間、シュヴァーンが一閃し、虹色の光跡が相手の剣を捉えて火花を散らした。
反動で飛び下がる二人。
すぐに間合いを入れずに剣が交差される。
がっちりと受け止めてはいるが次第にぶるぶると震える少年騎士の腕。
「坊やは間合いもいい、太刀筋も動体視力も確かだ。だが、今まではそのスピードのみで相手に勝ってきたのだろうが、互角の勝負となると、腕力のほうが今一つだな」
言葉が終わると同時に細身の剣が薙ぎ払われる。
ローエングリンがぐいっと身を沈めた。
シュヴァーンはクルリと回転し、束が正確に剣の防御が無くなった相手の鳩尾に飛び込んだ。
文字通り、眼にもとまらぬ速さである。
スターアニスは、膝を折って崩れ落ちた。
「こ、こんなヘンな奴に負けるなんて……」
スターアニスは、そう吐き捨てると唇を血が出るほど噛みしめた。
「隊長、お気に入りのあなたに何かあれば私達はどんな目にあわされるかわかりません。お願いします、一旦引いてください」
歩くこともできず、部下に両肩を抱えられ、ほぼ無理やりに軍勢の後方に移動させられるスターアニス。
「坊や、ヘンは剣より強いんだぜ」
ローエングリンは、ざまあみろとばかりに鼻を鳴らして睨みつける。
「さ、こちらも一旦退くぞ。後は土地っ子のこの俺に任せろ、ローエングリン」
ダイアは声をかけると、ドレスの騎士をかばうようにして軍勢をけん制しながら細い路地に消えて行った。
「おい、王宮に連絡して、上位プログラムにアクセスしてこの街を中心としてマルコムの通信防御を行ってもらえ」
苦しげに顔をゆがめながら少年隊長が部下に命令する。
「隊長、そのようなことをすれば、私達も通信ができなくなりますが」
「アイツらどうもバラバラになっているらしい。まとまると厄介だ。マルコムを使用不能にして一人ずつ潰して行こう。私たちは計画どおり、あの変態ドレス男を追う。今から路地の隅々まで探すんだいいな」
炎に照らされてスターアニスの青い目がギラリと輝いた。