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姫様、脱獄してください! できれば、ご自分で  作者: 不二原 光菓
第7章 火の粉は自分で払います
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その6

「そういえば、ペリドットって8月の誕生石ですよね」


「良く知ってるじゃないか」


 腕組みをしながら洞窟の入り口を睨んでいた老婆が、マークの方を振り返る。


「母の仕事が宝飾関係なんです」


 講義で聞くか、試験に出ること以外の雑学には興味の無いマークだが、母が家に帰って息子たちに仕事の自慢や愚痴を垂れることが多いため、妙に宝石関係の知識が豊富であった。

 母の誕生月は8月。

 彼女の左手の薬指にはペリドットの小さな指輪がはめられている。

 淡いオリーブ色の優しい輝きの指輪は、いつも母とともにあった。


「これはね、お父さんが婚約指輪にくれたの。彼、若くてまだお金がなかったでしょう、だからダイヤではなくて誕生石の指輪でいいって私が言ったの」


 母がこの指輪の話をするときには、いつも妙にはにかんだような顔をする。

 幼いころのマークは、そんな母の姿を見るたび瞼の父に軽い嫉妬心を覚えたものだ。


「石言葉は『夫婦の幸せ』らしいわ」


 皮肉なことに贈った当人は、幼い子供二人を残して事故死してしまうわけだが。

 マークは、幼いころ時折台所の椅子に座ってこの指輪をじっと眺めている母の姿を時々目にしていた。

 子供二人を抱え、再婚もせずに見習いから宝飾関係の仕事を初め、髪を振り乱して働いてきた母にとってこの石はつらい時の心の支えだったのだろう。

 ペリドットは苦しい状況でもポジティブに生きていく力を与えて、夢を実現させてくれる石だという。

 母の誕生石は、確かに母を守って導いてくれているようだ。

 そこでマークははた、と首を傾げる。


「そう言えば、ペリドットは8月の誕生石。昨日僕の手当てをしてくださったときに口にされた葉月、ってあれ陰暦の8月の意味ですよね。昨日僕らが出あった八重って女の子も名前に8がついていた。8という言葉に何か意味があるんじゃないですか? それにあなたは、この世界のキャラクターでありながら知識は僕らと遜色ない。この世界で歴史を作ってきたゲームキャラとは違う存在なんじゃないですか」


 くくっ。

 昨日からしばしば聞く、老婆の笑い声が静かな洞窟に響く。


「勘のいい子だね。そう、私たちは8人衆。皆、8に関連する呼び名を持っているんだよ」


「8人衆?」


「インフィニティの直属の隠密部隊さ。この世界を悪用し、乱すものを探し殲滅する、それが私達の使命」


 全幅の信頼を置いていたこの老婆は、もしかして自分の命を狙うものかもしれない。

 マークの表情がこわばる。


「ぼ、僕を転覆者と思ってるんじゃないでしょうね。僕はそんなものではありません、姫を助けに来た純然たるプレイヤーなんですよ。第一僕に世界を転覆するような度胸があるわけないじゃないですか」


 老婆はまたあの押し殺したような笑い声を上げた。


「お前を殲滅する気なら助けやしないよ、マーク。ただね、お前さんも気がついてはいるだろうが、このゲーム世界は通常進行から大きく外れている、何かおかしいんだよ。もっとも、ここに限ったことではなくこのゲーム全体も、微妙にインフィニティが望んだものとは違う方向に進んでいるようだけどね」


「インフィニティに直言してこのゲームを停止させるわけにはいかないんですか?」


「インフィニティは万能に近い神聖侵されざるべき存在だ。決して悪用されてはならない。もし、私たち末端からのアクセスに何らかの時限爆弾プログラムがついていたら、インフィニティの倫理プログラムが破壊され、外部からコントロールされてしまう可能性もある。そうなれば大げさではなく、この世界を犯罪集団が意のままに操り破滅させることもできるだろう。だから確固たる証拠がなければ、インフィニティへアクセスする前の検閲フィルターを通らないんだ」


「どうしてそんな大それた人工知能が、ゲームなんかに使われているの……」


「昨今のゲームの流行をお前さんも知っているだろう。ゲームの中のイケてる店に広告を出そうものなら、売り上げが何倍にもなる。名前の売れた凄腕ゲーマーが現実世界で政治家にもなる時代だよ。反対にゲームにハマった政治家がゲーム会社にいいように操られるって事態も起こってきている。若いもんが大挙して自分の脳内をいいように操らせに来るこのVRMMOは何か企もうと思えばいくらでも悪の温床となりうるんだ……」


「こんな恐ろしいほどの性能の人工知能が投入されるっていうのは、胡蝶プロジェクトの裏でなにか企まれている可能性もあるってこと?」


 マークは絶句する。

 そういえばこのゲームで女子生徒が再起不能になっても、政府が介入して胡蝶プロジェクトが営業停止になるようなことは無かった。

 ここにも会社と政治との強いつながりが垣間見える。


「しかし、インフィニティが望むのはそんなことじゃない。あの方は、純粋にゲームを楽しんで欲しいのだ。リアルでは味わえない冒険や戦闘、そして協力して敵を倒すうちに育まれるライバルとの友情も。天才だからと言って、高尚で真面目な仕事をしなければいけないという訳では無かろう。インフィニティはこのゲーム空間を安全で楽しいものにするために全身全霊を注いでいるのだ。だが……」


 ペリドットはそこで口をつぐんだ。


「何? 何を言いかけたの?」


「すまない、マーク。お前さんが優しくていい子だとはわかってる。でも、私たちは油断をしてはならないのだ。すべてを教えてしまう訳にはいかない」


 マークは腫れのひいた顔でうなずく。


「いいよ、助けてくれただけで十分だ」


 彼はアーモンドの瞳を大きく見開いて、洞穴の天井をじっと見つめる。


「僕が一体なんなのか、それは僕自身で解明する」


 今までの彼であれば、どこかに隠れて事態が収束するのを息をひそめて待っていただろう、自ら冥界の暗闇の中に落ちて運が良ければ助かるのを待っていたかもしれない。

 しかし、ひ弱だった優等生の精神はここ数日のうちに、強く鍛え上げられていた。


「仲間たちもきっと心配している。早くここを脱出しなければ」


「もちろんあたしがお前さんを援護するよ。なんせ元つれあいから10何年ぶりかのメールをもらって頼まれた件だからね」


「元つれあい?」


 マークはきょとんと目を丸くする。

 彼の脳裏に白髭の老人が浮かんできた。

 そう言えばマークに視力に関する特殊スキルを授けた後、助言はできないが私信なら……とかなんとかつぶやいていたっけ。


「キャラクター同士の私信はべつに上位のプログラムから検閲されないんだよ。キャラ同士の恋愛も結婚も、世界感や設定に奥行きを持たせるためにほぼ自由になっているからね、水を差すようなことはしないんだ」


 マークから視線を外すように背を向ける老婆。


「カーロンと結婚していたんだ」


 マークにそっぽを向いたままで老婆がうなずいた。


「なぜ……」


「そこから先はプライベートだよ。もう一度偵察に行ってくる、今日はゆっくり休みな」


 ぴしゃり、と言葉を切ると老婆は洞穴の入り口に向かって行った。

 奥にはマークとコウモリたちが残された。




 その日1日マークはごろごろと洞穴で過ごした。

 じめじめしてコウモリのフンも散乱するその洞窟は異臭もあり、けっして良い環境とは言えないが、最初の街を出てから休息らしい休息を取っていないマークにとってこの一時停止の状態はありがたかった。

 ここら一帯あの鬼の妨害電波が出ているのか、マルコムでの通信は全くできない。

 仲間はどうしているのか、美月さんはどうなったのか。

 マークは薄暗い闇の中で転がりながらぼんやりと思索にふける。

 このゲームの中には、マークの思い出と重なることが多すぎる。

 やちまたのオロチ、ラフレシア、そしてペリドット。

 もし、本当に彼自身が狙われているのだとしたら、美月さんはそのとばっちりを受けて他のゲームから拉致されてしまったのか。

 そうだとしたら、自分のすべてをなげうってでも彼女を助けなければならない。

 マークは唇を噛みしめる。

 もう一つ彼が心配なのは、何か大きな計画に巻き込まれているのであれば、アメリカに行っている母と兄には危害が及ばないだろうかということだ。


「ペリドット。お母さん、そして兄さんを守ってくれ」


 彼は母親の指に嵌められた緑の石に思いを馳せ、願いを口にした。


「僕はしばらく帰れないかもしれない。だって僕はここでやらなければならないことがあるから……」


 その時、洞穴の入り口からがさり、と音がしてペリドットが帰って来た。


「この洞窟、奴らに囲まれている。仲間を呼んだのか、大群となって押し寄せて来てるよ」


 老婆は洞窟の中に差し込む茜色の光の中で汗をぬぐった。

 苦労して敵を撒いてきたのだろう。

 昨日より、皺の陰影が際立っているように見える、さすがに凄腕の忍者(くのいち)も年には勝てないと見える。


「インフィニティ、敵キャラ強すぎだよ」


 マークは心の中で聖なるプログラムに苦言を呈した。


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