その4
暗闇の中、いきなり目の前から光が差し込んできた。
あまりのまぶしさに誠は顔の前に右手をかざし、目をすぼめる。
光を背にして、背の低いなんだかずんぐりしたシルエットが目の前に浮かび上がった。
「よく来たな。私はこのリバースルームの主、カロ―ンだ」
しゃがれた低い声がシルエットから発された。
光は徐々にまろやかになり、白く輝いていた周囲が色を取り戻していく。
そこには、瘤のある木で作った杖を持った背の低い老人が佇んでいた。
浅黒い体にどろりと布を巻きつけ、顔は白い眉と白いひげで覆われている。
髭の間から、かろうじてぶつぶつのある赤いだんごっ鼻が覗いていた。
「カローンかあ、地獄の渡し守の名前だぜ」
誠が振り返ると、そこには勘助が立っていた。
「ま、座りなされ」
白髭のじいさんが杖を向けたところに、にょきにょきと切り株の椅子が生えてきた。
2人が尻を乗せると木の硬さと切り株の冷たさが伝わってくる。
「すげっ、リアル」
勘助の呟きにカローンは、にやりとばかりにぼうぼうの眉毛をハの字に下げた。
「ここではゲームを始める前の設定と、ゲームの説明を行う」
「じいさん、手短にな」
不遜な勘助の言葉に老人の顎髭がぶるっと震えた。
「このうつけ者っ」
スカポーン! 杖の瘤のあるところで老人は勘助の頭を打ち据えた。
「たたっ、おい、曲がりなりにもユーザーだぞ、お客様だぞっ。金も払ってんだぞ」
頭を押さえた勘助がじいさんに文句をつける。
「だから、年寄りのいう事はきちんと聞けと言うとるのじゃ。ここで設定をきちんとしておかねば、後で泣くことになるぞ」
老人はにやりと笑って言った。
「すっ、すみませんでした。あの、僕ら、ちょっと焦ってるんです」
老人に掴みかかろうとする勘助を後ろから引っ張りながら、誠は叫んだ。
老人は勘助を杖で押し返すと、誠の方に視線を合わせた。
「ほほう、なかなか礼儀正しい青年だな。君の様なタイプは初めてじゃよ」
「絶滅危惧種……って言われてますから」
ぼそり、とつぶやく誠に、老人は声を出して笑った。
「そうか、面白い奴じゃな。この世界でのお前の名はなんとする?」
「名前?」
老人がうなずく。
「この世界に生きるために、今持つ名前とは違う新しい名前を自らが名づけよ。このゲームが終わるまで決して変えることができない、言霊を持つ名前じゃ」
「急に言われても……」
口ごもる誠。
「お前が好きなものとか、得意とするものは無いのか」
老人が尋ねる。
「得意なもの……」
誠の頭の中で、自らの検証が始まった。
スポーツは、由緒正しいガリ勉の伝統どおり、まるっきりダメ。
字はかな釘流で、音楽、美術、才能なし。
加えて無趣味。
あらためて自分を振り返ってみて、誠は自分の面白みのなさに思わず笑ってしまった。
やはり、自分の得意なものは勉強か……、彼の検証は自分の本丸へと突入する。
でも、応用問題のある記述式は、自信がないし。
しいて言えば選択式なら……。
「マークシート」
誠の口から、ぽろりと言葉がこぼれる。
選択肢から答えを選ぶ試験方法、マークシート方式。
もちろん、今はマークシートなど無くなって、タッチパネルに浮かび上がった選択肢を専用ペンでクリックしていく方式に変わっているが、紙は無くなってもその名前だけは名残となって、選択式テストに残っていた。
「そうか、それではお前は今から『マーク・シート』と名乗るが良い」
「え、ええっ、ちょ、ちょっと待って」
うろたえる誠。
「男に二言は無い。さ、次のお前は?」
苦情は取り合いません、とでも言うように、老人は勘助に向き合った。
「俺は勘助だから、チョッカーンで」
間髪を入れずに答える誠の相棒。
「勘助の勘、そして何と言っても、きらめくインスピレーション、すなわち直感が俺のウリだからな」
自慢げに鼻を膨らます、チョッカーン。
「なんだか、どこかの遊牧民族のような名前だな……」
老人はあまりの決断の速さに、呆れたようにつぶやく。
「それではアバターの選択に移ろう。そこの直感男、決断の早いお前から先に選んで相方に見本を見せてやれ。まず、この世界での自分の姿を思い描け。現実の顔を残すもよし、現実から全く離れた姿を想像するもよし」
言葉が終わるか終らないかのうちに、チョッカーンの姿が足元から変化していく。
ぽっちゃりした体は姿を消し、中背の精悍な筋肉質の浅黒い体に黒いカンフーパンツと赤いTシャツを纏い、光沢のある黒い皮のベストを着た辮髪の男が現れた。
顔はやや引き締まっているが、愛嬌のある丸い目に低い鼻、チェシャ猫を彷彿とさせる大きな口、勘助のリアル顔は残っている。
「あ、チョーーーッ」
理想どおりなのか、いつの間にか出現していた姿見に自らの姿を映し、カンフーの真似事をして盛り上がるチョッカーン。
後ろまで剃り上げられた頭、そして空中を舞う後頭部で三つ編みにされた長い髪。
鞭のような髪の先端にはTシャツに合わせたのか、赤いリボンが飾られている。
「誠、実顔は残しておいた方がいいぞ、アバターだったら美月さんを助けても俺達だってわかってもらえないかもしれないしな」
飛び蹴りの真似事をしながら、彼は誠に忠告した。
「っていうか、僕は全身このままでいいんだけど」
別に、筋骨隆々の男や美青年に憧れている訳ではない。
細身の身体に、中ぐらいの背丈。
薄い眉毛に細い低めの鼻に色の良くない薄い唇。
アーモンド形の目に覆いかぶさるがごとく、顔の真ん中に大きな黒縁メガネ。
特にもてるような容姿ではないが、誠には別に不満が無かった。
「では、服装はどうする?」
「いや、別に……」
誠は口ごもった。
学校帰りの塾は学生服のままだし、帰ったら白いTシャツにジーンズで過ごす誠は、服装に全く興味が無い。
いちばん、なじみがある服装と言えば……。
「学生服で」
「はああああああ???」
チョッカーンと老人、二人が同時に声を上げた。
「せっかく、お前、自分の容姿も体型も思いのままで、コスプレし放題のめったにない機会だぞ、もっと好きなことしろよ」
「そうじゃ、この辮髪男の言うとおりじゃぞ」
老人とチョッカーンがなぜか意気投合している。
「いや、これが一番落ち着くんだ」
「どこまで優等生だよ、お前。っていうか、保守的なんだよお」
チョッカーンが自分のことのように嘆く。
その嘆きをよそに、誠の姿はいつもの詰襟の黒い学生服に変わっていた。
ちなみに、彼の高校は、今でもブレザーではなく古式ゆかしい詰襟を採用している。
日本では明治初期から制服として広く採用されていた服装だが、時代の波には逆らえず、日本中で詰襟を着ている高校は数えるほどとなった。
だが、皮肉にも詰襟が珍しくなった現在、これが妙に人気で、男子だけでなく詰襟を着る男子に憧れて入学を希望する女子もいるらしい。
彼女たちに言わせれば、詰襟の学生服に包まれた、ストイックな色気がたまらないとのことだった。
そういう意味では、誠はなかなか的をついたファッションセンスをしているのかもしれない。
「お前、なんか欲のない奴だなあ」
心配そうに誠をながめる白髭の老人。
「特別サービスとして、暑いときには自動的に半袖の夏服に変わるように設定しておいたからな」
すかさずチョッカーンが老人に抗議する。
「お、おれにはそんなサービスはないのか? この服装で氷の迷宮とかに入り込んで寒くなったらどうするんだよ」
「知るかっ。凍えてしまえ考えなし。プログラムにたてつくと痛い目にあうのじゃ」
悔しそうにこぶしを握り締めるチョッカーンを見て老人がうれしそうに鼻をならした。
「ところで、お前達。お前たちは今、能力ポイントとして5000MP、そして日常生活に使える流通ポイント、すなわちカネとして5000MPを持っている。今から自分の使う能力にこの5000MPを振り分けてもらう」
老人が杖を振ると二人の手にメニューが現れた。
「勇者を目指すものは、この中から武器、そしてパワーを選べ。魔術師、道士を選ぶものは火器系、水系、風系、ヒーリング、その他の術の中から種類を設定して、パワーを選べ」
メニューには、様々な武具や術とパワー、それに費やされるポイントが記されている。
たとえば、
長剣:1000MP パワー1000~4000MP
ダガー:500MP パワー500~1500MP
三俣矛:700MP パワー700~2000MP
などなど。
最後の行には『特別見積もり承ります』と記されてあった。
「長剣でも、特別に太いものや、装飾の凝ったものはそれなりのポイントがかかるが、特別にあつらえることができる。自分の持つ5000MPを武具や術とパワーに割り振れ。もちろん武具はポイント内ならいくつも装備可能だ。
「最後のページが、白いけど?」
額に皺を寄せて最後までめくってみた誠が尋ねる。
よくぞ聞いてくれたとばかりに、老人がうなずいた。
「このゲームの素晴らしさ。それは自由度の大きさだ。理論的に成り立つものであれば、ここに乗っていないスキルや携行品でも採用する」
誠が老人を見つめながら、おずおずと口を開く。
「僕はこの世界のことは何も知らない。仮想現実でのオンラインゲームもやったことない。体力も運動神経も敏捷性も無いから戦っても勝てる気がしない。だから……」
「なんだ、言ってみろマーク・シート。遠慮はいらぬぞ」
老人は優しく誠を促した。
「勉強したいんだ。この世界の事。持ち運べる百科事典みたいなものがあれば」
白いページがぐるぐると渦を巻き始めた。
やがて、白かったページに巻物が一巻浮かび上がった・
百科事典:
「ポイントのところが空欄だ」
「それはお前さんがそこに振り込みたいだけのポイントを設定すればいい。少ないポイントだとそれなりの、多いポイントだと豊富な知識が掲載される」
「それでは……5000MP」
「ええええええええええええええっっっ」
悲鳴にも似たチョッカーンとカローンの声。
「ぜ、全部って、正気か、おまえ」
掴みかからんばかりにして、マーク・シートに尋ねるチョッカーン。
「だって、僕は他のところにポイントを振っても、無駄だと思うんだ」
「お前、オワッとるな……」
老人が頭を抱えた。