その2
白い手の持ち主。
紫に近い青色の目を心配そうにひらめかせ、八重はオロチに抱えられるチョッカーンを見た。
「大食いのお兄ちゃんは大丈夫?」
「ああ、何とかな。助かったぜ、八重」
「後は私に任せて。こっちよ」
八重は込み入った路地を軽い足取りで案内する。
「葉月は?」
「お母さんなら家にいるわ。今から皆を連れて行くって、情報は送ったから待っててくれるはず」
路地を行く3人だったが、不意にチョッカーンが呻くと目を覚ました。
チョッカーンの体動にバランスを崩したオロチが、しりもちをつく。
オロチの腰の上にうつ伏せに覆いかぶさるようにして、落下したチョッカーンが慌ててきょろきょろと顔を動かす。
「こ、ここは? 俺達助かったのか、オロチ」
「ああ、八重が赤猫を巻いてくれたおかげでな」
早くどけとばかりに体をくねらすオロチ。
「八重? あのから揚げ屋の娘か?」
「ああ。俺達は高位プログラムからの密命を帯びて各ゲーム世界をパトロールをする偵察隊なのだ。八重もその一員だ。普段はゲーム世界に無用の混乱を起こさないためにその存在は極秘とされているのだが、この世界は異常すぎ……」
チョッカーンがヤマタノオロチを制した。
「待って、焦げ臭い……」
チョッカーンの顔が蒼くなる。
「もしかして、俺達のせいで延焼してこの街に火事が起こったのではないのか」
「それはありうるな。あの飲み屋は激しく炎上していたし、雨が降っていないから乾燥しているし」
「戻って消火しなきゃ」
「私達は逃亡中だぞ、何バカなこと言ってんだ」
オロチの赤い目が日の出のように丸くなる。
「プログラムに作られたキャラの私が言うのもなんだが、所詮バーチャルな街と人々だ。燃えて消えてなくなっても、後ろを見ればアンインストールの一言だったりするんだぞ。別に誰も血を流したり苦しんだりするわけじゃない」
「火が回ればこの街の歴史がここで終わる。このキャラ達の運命もここで終わる。俺が出あった人たちは善人も悪人も皆自分が生きていると信じて疑わなかった。恐怖も喜びも感じていた。だから、安易に街を灰燼に帰することはしたくないんだ」
チョッカーンは立ち上がろうとして、ふらりと体を揺らした。
軽い一酸化炭素中毒の症状はまだ残っているようだ。
「俺なら消火できる、だから火事の現場に戻ろう。赤猫が来たら任せたよ」
チョッカーンはおぼつかない足取りで煙が来る方に歩き始めた。
「私の主人は煙で脳が燻製されてしまったようだ」
溜息をつくオロチ。
信じられないといった面持ちで佇む八重。
「仕方がない、肩を貸そう」
オロチがチョッカーンに肩を貸す。
「すまないな」
3人は来た方向に向かう。
ますます、焦げ臭いにおいは強くなりとうとう広場に近い大通りに出たあたりで空を焦がす赤い炎が見えた。
現場はすぐそこだ。
「カーロン聞こえるか」
チョッカーンが目を閉じてつぶやいた。
彼の目の前に、あのポイントとスキルを交換してくれる一言多い白髭のじいさんが現れる。
「俺には今能力ポイントが2000ある。それをまたすべてキャプスレートにつぎ込んでくれ。今までより広範な範囲で強固なキャプスレートがしたいんだ」
「そりゃいいが、水準の高い技は流通ポイントを消費するのが早い。今のグレードアップで、技の自由度は高くなった、今からより広範なキャプスレートができるが、高い技はポイントの消費が高いことも肝に銘じておけ。0になるとすぐに冥界に行くわけではないが、数日仮死状態になって流通ポイントの加算が無ければ冥界に落ちるからな」
「猶予は数日か……、それを過ぎるとダメなんだな」
チョッカーンの額に皺が寄る。
「そのとおり、ま、例えて言うなら命の質流れってかんじかの」
他人事だと思って、呵呵大笑する髭の老人。
「やな、ジジイだ」
目を開けたチョッカーンは、オロチと八重に向かって真剣な顔つきで語りかける。
「今から俺は消火に全力を尽くす。もし俺が仮死状態になったら、よろしく頼む」
「縁起でもないことを言うな」
オロチが赤い目を尖らせる。
「お前に万が一のことがあれば……あの妖精3人組に世話をさせるから覚悟しろ」
オロチの必殺の一言に、チョッカーンの決死の覚悟が半端なく揺らいだのは言うまでもない。
轟々と燃え盛る店の周りから家財道具を手に手に人々が我先にと逃げ出してくる。
消防隊がくる気配は一向にない。
チョッカーンは燃えている数件の家に向かって、しゃもじを振り上げた。
「キャプスレートっ」
ぴったりと閉鎖空間に覆われた家は、最初こそ業火に包まれていたが、その空間内の酸素を消費したためか徐々に下火になり、火に変わって白い煙がくすぶるのみとなった。
「思ったより範囲が狭くて良かった。これくらいだったらグレードーアップなどしなくても消せたよ」
鼻高々で振り向くチョッカーンだったが、気が付かないうちに彼の後ろには沢山の荷物を抱えた厚い人垣ができており、彼らの視線はチョッカーンに熱く注がれていた。
「あ、みなさん、もう大丈夫。火はもう消えてますから」
にこやかに群集に微笑むチョッカーン。
しかし、彼らの物言いたげな視線はまだ彼にからみついている。
そして、荷物を背負った人々はぞくぞくと増えていた。
「え? みなさん、もう帰ってもだいじょ……」
ふと、チョッカーンは街の一角の空が妙にオレンジ色なのに気が付いた。
今の場所より何十倍も広い範囲でもくもくと煙が出ている。
「あ、あれも、火事?」
人々は一斉にうなずいた。
「いや、俺、消防士じゃないし、自分の不始末のしりぬぐいに来ただけだし……」
ふと、彼はもう一度その街の一角を見る。
あそこには彼らの本日の宿舎である4階建ての、のっぽの宿屋があったはず。
しかし炎の中、宿屋は燃え落ちたのかどこにも見当たらない。
チョッカーンはマークに連絡が取れなかったことを今更ながらに思い出した。
「マ、マーーーークううううっ」
辮髪を振り乱して真っ青になったチョッカーンは群集と逆方向に駆け出す。
慌てて後を追うオロチと八重。
避難の人ともすれ違わなくなってしばらくして、彼らは白い煙が路上を伝って押し寄せてくるのを見た。
ほぼ街の五分の一を占める広い範囲だ。
「誰かいませんかあああ」
キャプスレートは閉鎖空間を作る技だ。
もし人がいる場所を一緒にキャプスレートしてしまうと酸欠でそのキャラクターは死亡のジャッジメントをメインプログラムからされてしまうだろう。
「どうしよう……」
「まって、耳名人の私が聞いてみる」
八重が長い髪を掻きわけるとそこから犬の様な耳が現れた。
彼女は目を閉じて顔を左右に大きく振った。
「燃えている家の周囲と中から、心音はしないわ」
しゃもじを振り上げようとするチョッカーン。
「待て」
オロチがその手を掴んだ。
「こんなに広範囲だぞ、お前の流通ポイントは大丈夫なのか。赤猫や煙にまかれたダメージやさっきの消火でかなり消費しているはずだぞ」
チョッカーンはその手を振りほどき、銀色の髪の青年に向き直った。
「もし、俺の流通ポイントが無くなって仮死状態になったらマークとローエングリンを探してくれ、彼らなら俺に流通ポイントを加算することができる。俺の命が質流れするその前に……」
オロチが何か言おうとする、その前にチョッカーンはしゃもじを振り上げて叫んだ。
「キャプスレート」
半透明の巨大な空間が燃えている家並みを包む。
それは、まるで家並みにふんわりとサランラップを巻いたような形であるが、ぴったりと空間は閉鎖されているらしく火は徐々に消えて行った。
「す、すごい」
そのスケールに息を飲む、オロチと八重。
しかし、チョッカーンの顔色は蒼白となり、体がぶるぶると震えだした。
「もういい、止めろ」
まだかすかに屋根に炎のオレンジが見える。
チョッカーンが首を振った。
めらめらと身をくねらせていた炎は、次第に屋根を這うようになり、その姿が消えると白い煙が閉鎖空間に立ち込めた。
「おい、チョッカ……」
オロチが息を飲む。
しゃもじを握ったまま、彼の主人は停止していた。
思考も、体の動きも、そして心臓も……。
物陰から、そっとこの様子を見ていた影がある。
「自ら滅ぶなんて、なんておめでたい男なの」
その影は赤いドレスに包んだ体をくねらせて、くっくっくっと忍び笑いをする。
そして、もうすることは無いとばかりにそっとその場を立ち去った。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします~。




