その1
倒れたパンダを、赤い服を着た金色のネコ目の女が蹴っ飛ばした。
肩までの豊かな茶色の巻き毛がその反動でばさりと揺れる。
ゆっくりとパンダの身体がごろりと仰向けになった。
「ふん、たわいもない。只者ではない香りがしたから身構えて来たのに、拍子抜けだわ」
細身の身体にぴったりと張り付いた赤いドレスの裾はかなりの高さまで切れ込みが入っている。
高いハイヒールを履いた足が、スリットからすらりと伸びてパンダの腹部を踏みつけた。
パンダの頭部からうう、とかすかなうめき声が聞こえたが、体は微動だにしない。
足を腹部から離すと、ドレスの裾が翻り薄暗いランプの光に反射してぎらりと怪しく輝いた。
女はカウンターからその身には似合わぬ太い長剣を取り出した。
ピンク色の舌が、剣の表面をその冷たさを味わうようにぺろりとなめる。
吊り上った目の中に妖気が燃え上がった。
その目が狙いをつけるようにパンダの胸をじっとねめつけた後、おもむろに女は剣を振り上げる。
剣が振り下ろされんとしたその瞬間。
「待て」
剣はパンダの背中を押し上げるようにしてジッパーから噴出した七色の光にはじき飛ばされた。
部屋の隅っこに剣ははじき飛ばされ、そこに澱んだ七色の光がまるで胎動するかのように蠢いた。
「なんだよ、お前は」
女はすかさずドレスのスリットから手を突っ込み、細い短剣を取り出す。
「久しぶりだな、赤猫」
七色の光は、次第に人の形を取り始めた。
部屋の隅には銀色に輝くすらりとした青年が立っていた。
抜けるように白い肌、大きな赤い瞳、高い鼻と真紅の唇。
光の加減で時々虹色に輝く銀色の髪はポニーテールに結われて、頂点を紫のひもで結ばれている。
着物に似た腿までの銀色の胴着は、腰のところで紫の細帯に締められ、足にぴったりとフィットした銀色のズボンは、輝く紫色のブーツに続いている。
「お、お前は偵察隊八人衆の一人、ヤマタノオロチ。無精で、怠け者で、腰の重いお前が動くとは、まさかこの男が……」
赤猫と呼ばれた女はパンダを見てピンク色の細い舌で唇をなめる。
開かれた口から鋭い牙がちらりと顔をのぞかせた。
「妙なヤツだと罠にかけたが、妙な大物を釣ってしまったようだね」
「早とちりするな、赤猫。これは『転覆者』ではない。行きがかり上くっついている私の主人だ」
「ふん、ごまかそうたってそうは行かないよ」
開いた背中のジッパーからうめき声が大きく聞こえた。
「ふん、もうお目覚めか? それにしても毒に強い奴だ。強靭な肝臓をしていやがる」
パンダは寝返りを打って、その拍子にパンダの頭部がごろりと脱げた。
チョッカーンが叫ぶ。
「あああーっ。もう食えねえ」
「ほほほほほ、なかなかあんたの御主人様は豪胆なお人だねえ。言い換えれば、間抜けってことだけどさ」
バカにしたような赤猫の笑いに、オロチの顔が紅潮する。
「バカでも、間抜けでも、限度を知らない大食らいでも、良いヤツなんだコイツは。命をかけたくなるくらいにな」
燃え上がるような赤い目をまっすぐに女に向けるオロチ。
オロチは腰に下げた日本刀を引き抜いた。
負けじと女の金色の吊り目がオロチを睨みながら短剣をパンダの方に向ける。
「ふうん、人間に対して愚痴の多いお前がそれほどに心酔するなんて、ますます怪しい。生かしちゃおけないね」
赤猫が短剣を持った手を一閃する。
「私が来たからには、泥棒猫ごときに指一本触れさせはせん」
オロチが持つ日本刀、草薙の剣は長さ約85cm、鋭い切っ先を持つ細い諸刃の剣である。
草薙の剣はパンダの胸に振り下ろされた短剣を見事にとらえて、真っ二つにへし折った。
「お前が私にかなう訳がないんだ、観念しろ」
「ええいうるさい、この蛇野郎。今までの私と思うなよ。パワーのテコ入れしているのはあんたたちの親玉だけじゃないんだからね」
そう言うと赤猫は店の天井に張り付くかと思えるほど高く飛び上がり、天井からぶら下がる小さなシャンデリアを掴んだ。
そのまま揺れながら、魔術師のごとく袖から取り出した細身の短剣をオロチに向かっていくつも投げつける。
流星のごとく飛んでくる剣をオロチは草薙の剣で難なく薙ぎ払っていった。
しかし、剣は尽きることなく降りかかり、払った剣がオロチの周りに深く突き刺さり、その上に剣が引っ掛かり、まるで堤防を作るように積み重なる。
オロチを囲む剣の山を見て、赤猫はにやりとほくそ笑む。
彼女は妖艶な声で、一音ずつ楽しむように呟いた。
「ま、ぐ、ね、っ、と」
オロチの周囲に散らばった剣がその一言で急に意志を持つかのように動き出し、彼の周りに瞬く間に銀色の檻をを組み上げた。
彼は、檻を断ち切らんとばかりに剣で切りつけるが、短剣は強固な力でくっついておりヒビは入っても、その結合は離れようとしない。
思わず格子を掴んで引きちぎろうとしたオロチは、短剣の刃で手を赤く染め、慌てて手を引っ込めた。
「その結界から出られやしないさ、もう強い磁石に変化しているからね」
ほほほ、と高笑いして、赤猫はうれしそうに檻の中のオロチをまるで自分の所有物のように鑑賞する。
「獰猛できれいなペットって、そそられるわね」
悔しそうに檻の中に佇むオロチを見て、赤猫はうれしそうに舌なめずりをする。
「そう、美形ってちょっと頭が足りない方が可愛くていいものだわ。あんたみたいにね」
「うるさい」
叫びとともに、オロチは八つの頭を持つ大蛇に変身して銀色の鉄格子に体当たりするが、刃が身体にくい込み、いくつもの赤い筋が走る。
体当たりの回数に合わせ、裂傷が増えていくが格子はびくともしない。
彼は、数回の体当たりの後、身を震わせて人の形に戻った。
その銀色の服はあちこちが裂け、ベールのように血が垂れている。
彼の赤い瞳は怒りのあまり炎のごとくに燃えていた。
「ほほほ、言わんこっちゃないよ単細胞さん。炎を吐くのと、剣を振り回す以外にとりえのないお前さんにこの檻を破ることは無理さ。おっと、私に炎を吐いたらこの木造家屋はすぐに火が回って倒れちまうよ。お前のご主人様とともに灰になりたいのなら……」
そこで、赤猫はパンダが横たわっていた方を振り向いて息を飲む。
床に残されていたのはパンダの着ぐるみのみ。
その横には、チョッカーンが仁王立ちになっている。
「お待たせしました。ヒーロー復活です」
「この、パンダ男め」
赤猫が短剣を振りかざして飛び掛からんとする。
しかし、チョッカーンは微動だにせず、にやりと笑いを浮かべ懐から取り出したしゃもじを一振りした。
「キャプスレート」
赤猫は狭い閉鎖空間に閉じ込められて、もがいている。
「どんなもんだい、目には目を、結界には結界をだ」
チョッカーンはオロチにウィンクする。
「大丈夫か、危ない所だったな我がしもべ君。俺が復活したからにはもう大丈夫だ。しかし、大蛇に変身したところを見なければどちらが敵かわからなかったぞ」
チョッカーンは途中から目を覚ましていたらしいが、自分が助けられた最初のいきさつを見ていないので、てっきり自分が彼を救ったものと思い込んでいる。
鼻高々のご主人様にオロチは微妙な表情でうなずいた。
「ま、必殺技キャプスレートを持つ俺の手にかかっちゃあんな雑魚……」
檻の中のオロチが黙って後ろを指さす。
チョッカーンの視線に映ったのは、いつの間にか鋭く伸びた猫の爪で切り裂かれる結界だった。
「うわああああ、キャプスレート、もっと厚く」
慌てて厚みを増すが、その結界も難なく切り裂かれていく。
「今までの敵とは違うぞ。上位プログラムの指令で発現しているキャラだからな」
オロチが叫ぶ。
「赤猫はこの檻を構築する時に『まぐねっと』と叫んでいた。この檻は磁石らしい。何とかならないか、チョッカーン」
「わかった、任せとけ」
自信ありげにうなずくと、チョッカーンはおもむろにマルコムを口の前に持っていく。
「マーク、マーク応答してくれ」
しかし、マルコムは沈黙している。
「マーク、マーク」
しーん。
チョッカーンのこめかみから、つーっと汗が一筋。
「だ、大丈夫か」
檻の中からオロチが心配そうな表情で尋ねる。
それには答えず、チョッカーンは弱気を払うかのようにフン、と鼻から大きく息を噴き出した。
「くそっ、火の粉は自分で振り払えって訳か」
チョッカーンはマルコムでのヘルプをあきらめると、刃の檻の中に閉じ込められるオロチと、閉鎖空間を引き裂こうとする赤猫を見た。
「大丈夫だ、オロチ。何とかなる」
直感だが。
と、心の中でつぶやき、チョッカーンは深呼吸する。
火の粉……。
先ほどこの言葉を言った瞬間、彼の脳内の奥深くで何か閃くものがあった。
しかし、それが何かまだ彼の中には具体的に表れていない。
でも、きっとこの直感には自分には気が付かない何か根拠があるはずだ。
それを何とかして引きずり出さねば。
火の粉、火、炎……高温……。
磁力。
「プラモデルだっ」
「気がふれたか、お前っ」
オロチは主人の絶叫に、万事休すとばかりに首を振る。
「プラモデルで使おうと思った磁石を買って、説明書を読んだら……。ああ、説明してる暇がない、檻を炎であぶって薙ぎ払え」
「炎の中を薙ぎ払う。この草薙の剣にぴったりのシチュエーションだな」
にやりとしてうなづくと、彼はヤマタノオロチに変身して剣で形成された檻を炎で焼く。
店の中は檻を貫通した炎によって次々と燃え上がる。
「ま、まずい、急げオロチ」
猫の爪がとうとう、厚い閉鎖空間を突き破ったのを見てチョッカーンが血相を変える。
ザザザザっ、と赤猫が閉じ込められている空間に大きく亀裂が走った。
格子につながった短剣は、オロチの出す炎で赤くなるが溶けはしない。
が、剣と剣との境界が微妙に揺れ始めた。
「今だ」
チョッカーンの声に、再び人形になったオロチが草薙の剣で檻を切りつける。
ばらばらと崩れ落ちる短剣の檻。
と、同時に跳躍したオロチは銀色の髪をなびかせて剣を振りかぶる。
「ギャアオオオオオッ」
ちょうど結界を切り裂いて脱出した赤猫が、叫びを上げながら化け猫の様相で剣を振る。
空中で二本の剣が交差し、火花が散った。
どん、という音とともに部屋の隅に赤猫がはじき飛ばされた。
「赤猫破れたり。磁石は高温下で磁力を弱めるのだ」
そう言うと、チョッカーンは呼吸が限界に来たのか、煙の中で膝をつく。
「逃げるぞ、チョッカーン」
オロチは、朦朧としている主人を横抱きにして外に飛び出した。
背後から赤猫のものと思われる小さなぺたぺたという足音が追ってくる。
この街の込み入った路地は、あの赤猫にとっては庭だろうが、オロチにとっては迷路以外の何物でもない。
引き離したかと思うと、眼前に現れ、それを巻こうとするも執拗に追ってくる。
いっそ戦ってもいいのだが、チョッカーンにはできるだけ早く手当が必要だ。
オロチは唇を噛みしめた。
その時。
「こっちよ、こっち」
細い白い手が、オロチの袖を引っ張ると路地の一角に引きずり込んだ。
週末更新と言っていたのに、守れなくてすみません。来年は守れるように努力します。皆様よいお年をお迎えください。