その6
「私の名前は八重。お姉ちゃん達が連れているパンダがすごく美味しそうに食べてるって、サンドイッチの店にみんな集まって来たの。すごい魅力があるみたいね、あなた達」
少女のうっとりした瞳にふと、気が付くと件のサンドイッチ屋にずらりと行列ができている。
「私のお母さんのお店のから揚げも美味しいの。食べて宣伝してくれないかしら? お金は上げられないけど、から揚げを好きなだけ御馳走するわ」
「お嬢さん、この恥知らずな胃袋を持つ獣に好きなだけ、は禁句だ」
ローエングリンが人差し指を振って注意する。
「それに私達は、単なる旅の者。芸のあるちんどん屋さんではな……」
「ちんどん屋さんじょーーーーーっ!」
ローエングリンの声は、張り上げられたパンダの声にかき消された。
「やるっ、やるっ、日本の伝統芸能の魂を全開して俺が宣伝してやるっ」
その声とともに、露店にダッシュするチョッカーン。
「お嬢さん、後悔することになりそうだぞ」
ローエングリンが渋い顔で少女に告げ、マークとともに彼の後を追った。
「うましっ!」
チョッカーンが揚げたての大きなから揚げにかぶりつくと、それを見た広場の群集から、どよめきが上がる。
「さあさあ、美味しいから揚げだよっ、あっつあつのカリッカリ。かじれば中から肉汁じゅわ~。いくつ食べても胃はもたれない。胃はもたれなくても、世の中は持ちつ持たれつ。持たれつだけど、たれはいらない塩味勝負。さあ、買ってらっしゃい見てらっしゃい。ありゃ、見てらっしゃいはこりゃ余計、みなさん買ったら会計を~」
「て、天職じゃないか……あいつ」
ローエングリンは、通行人が吸い寄せられるようにから揚げ屋の前に集まるのを目の当たりにして、開いた口が塞がらない。
「どっちかというと、広域宣伝というよりバナナのたたき売りのような話芸だけど……まあ、もともと何処だって生きていけるようなたくましい男ですからね、彼は」
そう言いつつも親友のあまりのハマり具合に、マークも目を丸くする。
辮髪パンダの口上はますます滑らかになり、人垣が十重二十重と取り巻き始めた。
「これは、彼を待っていたらいつまでたってもここから動けなさそうだぞ。天気もいいし、今日は各自自由行動と行こうか。姫様通信の来る6時ごろに宿で集合だ」
ローエングリンは太陽が輝く青空を見上げて目を細める。
「僕は宿に戻って休むとするよ。ローエングリンは?」
「私は少し街の中を散策してから、戻るとしよう」
「気を付けてよ、ローエングリン。そんなキラキラの衣装を着ていたら変な男から狙われちゃうかもしれないし」
心配げなマークに、ローエングリンは右手で二の腕を叩くと微笑んだ。
「流通ポイント充分の私にそうそう勝てる奴などいやしない」
「それもそうだね」
「それよりも、マークはまっすぐに宿に帰って何かあればマルコムで通信するんだぞ。知らない人が来ても、ドアは開けるな」
まるで七人の子ヤギのお母さんの様な事を言うと、ローエングリンはウィンクをして広場を立ち去って行った。
マークは一人で宿に帰りついた。
そんなに遠い距離ではない、すれ違う人もほんの数人だけでほとんどマークに注意を払うものはいなかった。
この町に入ってから、衆目の視線を集めていたのはやはり美しい姫とあのパンダだったのだとマークは苦笑いする。
もともと、現実生活だって地味で人の中に埋没するタイプだったのだ。
マークの事をまるで最終兵器ヒーローのようにあの2人は持ち上げてくれるけれど、やはり彼は人の陰でひっそりと棲息するのが精神的に一番落ち着く。
この数日の戦いで図らずもチームの先頭に立って指示をしたり、戦術を考えたり、慣れない経験はマークの心身をぐったりと疲れ果てさせていた。
メイド服に身を包んだ黒眼鏡の青年は、ふうと大きく溜息をつき宿への足を速めた。
彼は、部屋でゆっくりと考えたいことがあったのだ。
「ただいま」
階段を上がり4階の部屋たどり着いたマークは妖精達を探したが、彼女たちは何処にも居なかった。
枕元の宝石が半分に減っているが、別に部屋が荒らされた様な跡は無い。
見ると枕元の窓が不用心にも半開きになっている。
彼は窓を大きく開けて、空を見上げたがどこにも妖精達の姿は見えなかった。
「何か無駄遣いしに行ったのかなあ」
学生服に着替えると、糊のきいたシーツにごろりと横になるマーク。
天井を睨みながら彼は、今までの事を振り返ってみた。
『囚われの姫君』のゲームになぜかトラップされてしまった美月優理が、いきなり救出要請のメールをくれてマークやチョッカーン、そしてクラスメートが停学覚悟でこのゲームに参加したのがすべての始まり。
カーロンの支援を受けて初期設定を終え、一番初めに戦ったのは一つ目鬼だった。
その鬼のドロップアイテムがやっちまっ玉、その玉は大蛇ヤマタノオロチに姿を変えた。
マークは父親がこだわっていた、ヤマタノオロチはもともとヤチマタノオロチがなまったものだという推論がなぜか思い出されてならない。
「お父さんの口癖だったからなあ、ヤチマタ……」
妙な節で自分をあやした、もう亡くなった父の姿がおぼろげに瞼の裏に浮かぶ。
ただ、父のことを思い出したのはオロチに会った時だけで、マークはずっとそのことを忘れていた。
あのラフレシアもどきの化け物花を見るまでは。
あの花には、マークの一家しか知らないだろう表面の星状の白い斑点があった。
似ている形ではなくて、不気味だと見つめたあの模様と全く同一の形。
まるであの化け物の設定をする時に、あの写真をスキャンして画像を作ったような……。
あの化け物花は誰が作った? もしくは作らせた?
マークは、素材の提供がもしや父ではないかという気がしている。
彼は母親から父の仕事は貿易関係だと告げられていたが、母もその内容は良く知らなかったようで、それ以上の説明はなされなかった。
本当に、貿易関係、だったのだろうか。
どうしても、彼はこの世界に父親の影を感じてしまう。
自分達が『転覆者』として狙われる、という理由については全く思い当たらないが、それでもマークはどうしてもこの世界と自分とを結ぶへその緒のような切っても切れない因縁を感じていた。
でも、まだチョッカーンとローエングリンに話すほどの確証はない。
瞼の父へのノスタルジーが2人を混乱させることになってはならないと、マークは、自分を戒める。
この世界の謎を解くには、自分がもっと、神経を研ぎ澄ませてこの世界を判断することが必要だ。
考えて考えて、疲れ果てた彼はベッドの上でうとうとと眠りについてしまった。
どのくらい時間がたっただろう。
部屋の外から人の声がする。
ばたばたと走り回る足音。
マークの鼻に飛び込んできたのは、焦げ臭いにおいだった。
ドアを開けた彼の目に飛び込んできたのは……。
真っ赤な炎。
彼の瞳が絶望で赤く染まった。
いくつもの路地を歩き、ローエングリンはやっと一件の刀鍛冶を見つけた。
店の裏手から金属を打つ音がする。
「邪魔するぞ、いいか?」
いきなり入って来たごてごてと飾り立てたドレスの美女に、刀鍛冶は一瞬手を止めたがそこは職人、すぐに何事も無かったかのように筋肉質の腕を振り上げて赤く燃える鉄を打ち始めた。
ローエングリンは面白そうに黙って刀鍛冶を見ている。
やっと一段落ついたのか、道具を置いて刀鍛冶はローエングリンの方を向き直った。
長い黒髪を後ろで束ねた長身の青年は、頑固そうだが温かい光を放つ切れ長の目で美しい訪問者を見ながら、ぼそぼそとした声で用件を尋ねた。
「これは私の相棒だ。直してほしい」
ローエングリンは直接背中に付けていた剣を鞘ごと刀鍛冶に渡した。
「これは、歴戦の勇者ですね」
刀鍛冶はローエングリンではなくて剣の方を見てつぶやく。
「この刀をここまで砕くとは、もしや玉虫様ですか?」
「慧眼だな、刀鍛冶殿。名前は何とお呼びすればよいのだ」
「ダイア……と」
「そ、それはまたゴージャスな名前だな」
外見からは想像もできない名前にローエングリンが言いよどむのを見て、ダイヤは微笑んで口を開いた。
「何事に対しても頭が硬いもので、皆がそう呼びます」
一瞬の沈黙の後、鍛冶場に笑い声が響いた。
「で、私の相棒は直るのか?」
青年は、自信にあふれる瞳でゆっくりと頷いた。
陽が傾きかけたころローエングリンは剣を預けて、店から出た。
その途端、彼は宿の方から脱兎の勢いで逃げてくる男とぶつかった。
「どうしたんだ?」
「火事だよ、火事、あの背高のっぽの宿屋さ」
そう言い捨てると、男は転がるように逃げ出して行った。
この街に背が高い宿屋は、ローエングリン達が泊まる宿屋しかない。
男が来た方向から、避難する人が濁流のように押し寄せてきた。
木造の家が並ぶこの街、少なくともローエングリンが来てからは雨が降っておらず乾燥しているのは間違いない、火の回りが早いことは容易に想像できる。
「冗談じゃない、マークにつなげっ」
ローエングリンはマルコムに叫ぶが、マークからの返事は何もない。
騎士はドレスの裾を両手でひっつかみ派手にめくり上げると、人のいない細い路地裏を宿に向かって走り出した。
その時。
「待て」
路地裏から出てきたのはマントについた頭巾を深々と被った黒ずくめの騎士だった。
「お前は……」
「今日は、出張さ」
騎士は頭巾をゆっくりと脱ぐ。
そこには見慣れた、人を小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべた顔があった。
「高柳……」
「姫様攻略には美形のお前が一番邪魔なんだよ」
高柳は、細身の剣を振り上げた。
「おおっと、抵抗すると牢番の下働きが、姫様をどうするか保証はできないぜ」
ローエングリンの脳裏に、セーラー服姿で縛られて短剣を突き付けられた姫の映像が送り込まれてくる。
「卑怯者……」
「じたばたするな、さっさと冥界に行きやがれ」
高く振り上げられた高柳の剣が閃いた。
から揚げを売りきったチョッカーンは礼を言う母娘に見送られて、広場を後にした。
売りながら食べたのでさすがにお腹もパンパンである。
途中で八重が食べすぎだよとばかりに袖を引くも、美味しそうに食べるのが最高の宣伝と考えた彼は情け容赦なく食べ続けた。
売れた割には、感謝の言葉が少なかったのは予定より早く鳥の在庫が切れたからかもしれない。
夕刻まではまだ間がある。街を歩きながら彼は、留守番をしている3妖精達にお土産を買うことにした。
彼女らには酒が一番いいだろう、今日は、もうこの街で休むことが決まっているしチョッカーンだって少し飲みたい気分だ。
「ここならありそうだ、酒を分けてもらうか」
彼は居酒屋らしき店のドアを開けた。
「いらっしゃい」
店には誰もおらず、薄暗い店内の中にいたネコ目のやや年季の入った美人がチョッカーンを迎え入れた。
毒々しいほどの赤いワンピースをだらりと着こなしたその女は彼を見て嫣然と微笑んだ。
「ええっと、お酒を分けてもらえますか?」
「パンダちゃんはどんなのがお好き? 日本酒、ビール、ワイン、ウィスキー、焼酎……今日はしぼりたてのビールがあるの味を見てみない?」
チクリ、とした感覚に似た警報がかすかに脳裏に走ったが、喉の渇きの方が勝っていた。
本来なら注意が必要な場面であったが、変装もしているし、第一チョッカーンは女系家族で女性を敬うように幼いころから刷り込まれている。
女性の申し出を断ることは、彼の家訓に反した。
売り子という一仕事終えた気の緩みもあり、思わず自分のウリの直感がかすかに出す警報をすくい上げることができず、彼は出されたビールに口をつけた。
「お、美味しいこのビール」
塩気のあるから揚げを沢山食べたあとの喉を、ビールが洗い流していく。
チョッカーンは一気にジョッキを空にしてしまった。
「後は持って帰るよ」
「そお? でも無理だと思うわ」
猫の目が吊り上る。
数秒後、辮髪パンダの白黒の身体が音を立てて床に倒れた。