その3
彼らは、キャプスレートされた球をゴロゴロと押して残虐ツタのカーペットの上に踏み込んだ。
しばらくは、ツタも様子を見るかのように目立った動きはしなかったが、確かに獲物が自分たちの上を我が物顔に通り過ぎているようだと悟ったらしく、徐々にその葉をざわざわと波立たせ始めた。
「急げ、この空間の酸素がなくならないうちに残虐ツタのテリトリーから離れるんだ」
ローエングリンの額から汗が流れる。
ツタがざわめいたのを見てから3人が球を押す力も強く、足の回転もずいぶん速くなっていた。
視界には果ての無いツタの海が広がり、次第に左斜め前にラフレシアに似た花が近づいてくる。
そういえば……マークは現実ではラフレシアには茎、根、葉は無くてぶどう科のつる植物であるシッサスに寄生すると彼の母が言っていたことを思い出した。ツタも現実世界ではブドウ科である。この世界ではラフレシアとツタが一体化してモンスター化したのであろうか。
「あっ」花の方を見ていたマークが声を上げる。
急にごろりと彼らの方を向いた花の、ツボのように深く落ち込んでいる中心から、勢いよく舌が伸びてきたのである。
舌にからめ捕られそうになる寸前。
「テレキネス!」
ローエングリンの叫びとともに球はふわりと浮き上がり、花から伸びてきた巨大なナメクジを思わせる舌を回避する。
舌は執拗に追ってきたが、空中を一目散に逃げる球に届かないと悟ると花の奥に引っ込んでしまった。
「ふう、危なかった」
地上から10メートルも上がっただろうか、視界の端に緑のカーペットの切れ端が見え、そのずっと向こうに家から立ち上る煙と思われる白い筋が確認できた。
「あれが、街だな」
かなり無理して力を使っているのだろう、ローエングリンは荒く息をしながら街の方向に球を進めた。
その時。
ガッ。
激しい衝撃が3人を襲う。
そのまま、球は空中で強く揺すぶられた。
最初何が起こっているのかわからずに、球にへばりついた3人は球体の側面に透明な吸盤が吸い付いているのを見つけた。
「これは、ツタの吸盤だ」マークが叫んだ。
ツタは巻きひげの先端が吸盤になっていてその吸盤が付着して這い登ってくる。
新築のマークの家でも、一時ツタを這わせるかどうか母が悩んだことがあっていろいろ調べていたのを彼は小耳にはさんでいた。
蔓は花の真横から発射されるように飛び掛かってきて、動きが鈍くなった球体に、ひとつ、またひとつと付着している。
そのたびに大きく揺れる球体。
「ふん、ぬううううううっ」
繊細な顔には似合わぬ、唸り声を出し、息を詰めるローエングリン。
どちらかというと青白い顔が真っ赤になっている。
彼の気合とともにツタの蔓から逃れようと球体は勢いよく左右に動くが、吸盤ががっちりと球体に付着していて、外れる気配は微塵もない。
そればかりか。徐々に蔓が花の方に球体を引っ張り始めた。
「そうはいくかああああ」
球体の反撃に蔓がぴん、と張り詰める。
しかし、頑強な蔓はしなやかに伸展して球体をがっちりと捕獲している。
ローエングリンの息が絶え絶えになってきた。
「マ、マルコム。僕のポイント500をローエングリンに」慌ててテコ入れを図るマーク。
「このままでは、ローエングリンの力が尽きて花に食われるか、俺のMPが無くなってキャプスレートが消失して眠り薬でみんな寝てしまって食われるか、酸素が無くなって窒息するか……」
チョッカーンがつぶやく。
「どう考えても、絶対絶命だな。ここからは俺の能力の限界を超えている」
チョッカーンの目が頼むぞとばかりにマークを見つめる。
「え、で、でも……」
うろたえるマーク。
どう考えても、この状況は神に祈るしかないのでは。頭の中は白旗で一杯だ。
ぐいーーっ、ぐいん。
その間にも、ツタと球体の熾烈な綱引きがくりかえされ、球体の中の人々と妖精はシェイクされる液体のように跳ねとんだ。
「マーク、お前ならなんかひねり出せるっ」
苦しい息の下でローエングリンが叫ぶ。
「で、でも、僕……応用力無いし」
「はああああああああっ?」
チョッカーンとローエングリンが同時に口をあんぐりと開けた。
この発言で、ローエングリンの気合が一瞬抜けたのか、球体は花の上空にぐいと、引っ張り込まれた。
「バカか、お前。自分のことを過小評価するのもいい加減にしろっ。あの鬼から始まって、オオカミやリザードマン、玉虫をやっつけたのはお前の発想からだぞっ」
チョッカーンがマークの胸倉をつかむ。
「お前は、叩けば埃の出る奴だっ」
「いや、チョッカーン、それは使い方が違うから」
めまいを押さえるように額に手をやるローエングリン。
「マーク、君は考えれば考えるほど、アイディアの出る男だ。自分に限界を作らずに考えて見ろ」
金髪の騎士は滝の様な汗を垂らしながら、マークに語りかける。
「そ、そうだ。そう言いたかったんだよ、俺……」
チョッカーンはそこまで言うと息を飲んだ。
いつの間にか、真下には花の中央が見えており、どろりとしたあの舌があともう少しで球体に届きそうなのだ。
「マーク、考え抜いてダメだったらみんなで冥界に行こう。でも、君なら何かやってくれると私達は信じている」
ローエングリンの全身が震えている。
そして、よく見るとチョッカーンも苦しげな表情になっていた。キャプスレートが長くなってかなりMPを使っているのだろう。
マーク自身も酸素が足りなくなっているのか、息が苦しく感じている。
「信じているですう」妖精たちが震え声で応援する。
落ち着け、マーク。
マークは目を閉じる。
問題が解けないときにすることは、まず基本だ、基本。
基本に帰って、解けない問題の結び目を自分の知っている分野に持ち込むんだ。
今、自分達にあるのは、位置エネルギーと、そして反発力。
マークは眼下に広がる、牙をむいた花の口を見た。
不気味にうねる舌に全身に寒イボが立つ。
位置エネルギーと反発力を使って、一か八かこの球体をぶつけるか。
でも、この球体をこのままぶつけても、ダメージが少ないだろう。
一点に力を集中させるためには……。
「変形だ」
マークがつぶやく。
「チョッカーン、軒先から垂れるつららの様な形にこの球体を変形させて。そしてローエングリンはありったけの力で、花の口から真上に逃げて」
マークが何をしたいのか即座に理解した2人がにやりとしてうなずく。
長い三角錐の先端を下にした形に球体が変形していく。
三人は、肩車したような格好でぎゅうぎゅうに折り重なった。
変形しても吸盤は全く外れそうも無く、ますますその牽引力を強める。
が、ローエングリンも負けじと舌から逃れる方向に球体を動かす。
ツタがきりきりと引っ張り上げられ、テンションが最高潮になった。
「ローエングリン、テレキネスを停止してっ」
マークが叫ぶ。
ヒュン。
三角錐は放たれた弓矢のように勢いよく花の口に飛び込んでいく。
舌を突き破り、そしてくぼみの中の何か柔らかい部分に先端がグサリと突き刺さった。
ぎひぃやあああああああああああっーーーー。
花が絶叫するとともに、三角錐の刺さったあたりからどくどくと赤茶色の液体が噴出した。
残り少ない酸素を分け合いながら、三角錐の中で息をひそめる3人と妖精。
すると、見る見るうちに花が金色の光の粒となって四散し始めた。
同時にツタも消えていく。
いつしかツタに覆われていた大地は、荒涼とした茶色の大地に変貌していた。
キャプスレートを解いたとたん、大地に投げ出されて荒い息をする3人。
モンスターをやっつけた段階で眠り薬の効果も消えているようだ、いくら息をしても眠気はやってこなかった。
「やった……」
チョッカーンが体を起こす元気も無く、しかしとろけるように幸せそうな顔でつぶやいた。
彼らの頭の中には、あのオオカミ野でオオカミの大群をやっつけたと同じような強い快感の嵐が吹き荒れていたのである。