その1
ぱちぱち。
チョッカーンが出した火花でなんとかたき火をし、3人は木々の間に狭い空間を確保して身を寄せ合うようにして坐っていた。
暖を取るために、妖精がどこかからくすねてきた酒を回し飲みしている。
新月であろうか、月の光は無く満点の星が木の枝の隙間から美しく輝いていた。
都会の分厚い空では拝めない風景だ。
吸い込まれそうな夜空を見ながら黙って飲んでいた3人だが、酔っぱらったのかぽろりとチョッカーンがつぶやいた。
「み、美月さんのボディは本物だろうか……」
チョッカーンのように顔は本物、体はアバターという組み合わせもありうる。
美月さんのあのナイスバディは果たして本物だろうか。
「あれはモノホンですな。なぜなら、アバターの不自然さがありません、スキャンされた実物の生ボディです」
返答したのは、なんと百科事典の巻物クンだった。
戦闘中に物事を聞かれても、もったいぶってなかなか答えないくせに、この話題には食いつきたいらしい。
「お前見てたのかっ、むっつり巻物っ」
チョッカーンが、自分の彼女を覗き見されたみたいに横目で睨んだ。
「何を人聞きの悪いことをおっしゃいますか。うおっほん、いくら演算装置『∞』の末席に位置する出力装置と言え、常日頃から自らの手でも情報を仕入れるように心がけておるのです。皆様の大切な姫様の情報を傍受して、いざという時の疑問にお答えできるようにというこの努力をすけべ心のなせる業と思われては極めて遺憾でございます」
「巻物、いざという時の疑問がボディの真偽か?」
呆れたようにつぶやくローエングリン。
彼は自分の流通ポイントから150MPほど使って、自らの腕にヒーリングを施している。
傷はほとんど癒えて、白磁のようなすべすべした皮膚が徐々に戻ってきていた。
「女性のボディなんて、神秘的であるがゆえにその魅力も増すというもの。あれこれとした詮索は、愚の骨頂だと思うがな」
そういうローエングリンは頭の先からつま先まで、完璧な造形を誇っている。
ただし、そのあまりにも人造的なアバター顔と肢体は美しすぎるゆえに今一つ魅力に欠けていた。
「そういえば、ローエングリンは現実世界ではどんな人なんだ? ここでの戦いが目まぐるしくて、聞いたこと無かった。いい機会だから教えてくれよ」
チョッカーンの声にローエングリンは眺めていたたき火から、ゆっくりと顔を上げる。
通常、ゲームで知り合った仲間にはプライベートな質問をしないということが暗黙の了解になっていたが、この事態である、チョッカーンの質問もマナー違反とは言えないだろう。
しかし、ローエングリンは明らかに不機嫌になったようだった。
「聞くな、私は腐れゲーマーだ。現実世界でのことは話したくない」
そう言い放つと、彼はまた炎に目を転じた。
「でもさ、俺とこのマークは現実世界からの友達で身元も確か。それに引き替えお前はいきなり割り込んできた一般参加者としか情報が無い。付け狙われる原因は俺達じゃなくてむしろお前さんなんじゃないか」
「断言してもいいが私はこの世界で狙われるような存在ではない。お前らが私をどう思おうと勝手だが、私が居なければお前達は当の昔に冥界で漂っていた。私は得体のしれないものかもしれないが、敵と怪しまれるのは心外だ」
確かに、彼の行動を見ると怪しむべきところは何一つ無い。
「いや、敵と思っているわけではない」トーンダウンするチョッカーン。
「ただ、その……、もしお前に何か追われる理由があるのならば、俺達に教えてくれてもいいんじゃないかと思って。そうすれば、俺達が助けられることもあるかもしれないし」
「大したスキルも無いくせに、お節介なことだ。半人前のくせして軽々しくそんなことを言うと後悔するぞ」
ふん、と鼻で笑って治癒した腕を確かめるようにさすりながら木の幹にもたれかかる騎士。白い頬がほんのり桜色になっている。
「なんだその言いぐさはっ、この威張りん坊の根性ワル」
空腹で慢性イライラ状態のチョッカーンは、酒に染められた赤い頬を膨らませてローエングリンにいきなり飛び掛かった。
2人は木々の間の狭い空間でもつれ合って草の上に倒れこむ。
ローエングリンの上着の襟をつかみ馬乗りになって殴り掛かるチョッカーン。
「馬鹿野郎、辮髪男に私の気持ちがわかるかっ」
ローエングリンは長い手でチョッカーンのこぶしを止めて、勢いよく横に体を向ける。
草の上に投げ出されるチョッカーンに長い足が蹴りかかる。
辮髪をしならせて身をかわし、体勢が崩れたローエングリンの腹にこぶしを叩きこむチョッカーン。
ほぼ同時にその顔にローエングリンのこぶしが突き刺さった。
暗い森の中、ガザッと大きな音がして2人は枯葉のクッションの上に抱き合うようにして倒れこんだ。
「2人とも、仲がいいのか悪いのか。じゃれあうにしても、この野蛮さは僕の理解を越えてるよ……しかし酒癖の悪い人達だ」
マークは、首を振って溜息をつく。
傍らの3人の妖精も、手を広げて肩をすくめた。
妖精達が見張りに立って、その夜は森の中で野宿となった。
そのまま並んで寝てしまったローエングリンとチョッカーン。
その傍らで、とろとろとまどろむマーク。
彼の頭の中には、いろいろな思いが浮かんでは消える。
明日、到達するサークルはいったい何処に通じているのか。
そして、僕らはどうなってしまうのか、本当にヒーローみたいに美月さんを助けて現実世界に、凱旋できるのか。
まだ、家族には自分の状態は知られていないはず……それがマークの唯一の救いだった。
早逝した父の代わりに必死に自分達兄弟を育ててくれた母に心配をかけたくないという思いが彼には強い。
母といえばマークの頭に一番に思い浮かぶのは花だ。
花が大好きな母は沢山の花の写真を持っていた。
特に蘭などの熱帯の花が好きで、父との出会いも熱帯植物園だと聞いた覚えがある。
父との新婚旅行は熱帯の花が見られるシンガポールとマレーシアに行ったらしい。
台所には、母の好きな熱帯の花々の写真がペタペタと貼ってあった。
その中には、きれいな蘭の花に混じって、奇妙な花もたくさんあった。
子供が乗れるアマゾンのオオオニバスとその白い花。
マレー半島の腐臭を放つ大きな、赤いでろりんとした花ラフレシア。
熱帯アジアに分布する袋状の食虫植物、ウツボカズラ。
父も変わった人だったが、母の趣味もなかなか個性的だ、とマークは苦笑いする。
子供心にも台所の熱帯植物の写真は不気味だった、特にラフレシアは写真から立ち上る妖気すら感じたものだ。
父の事故の後に写真はしまいこまれてもう見ることもないが、マークが熱帯の植物、美しい蘭すらもあまり好きではないのはあの写真の記憶によるものだと思われる。
この世界は、ありがたいことに中世ヨーロッパに現代日本テイストが混じったような設定で、熱帯の植生ではない。
マークの苦手なあの花達には出会わなくてすみそうだ、と彼は安堵の溜息をついた。
次の日
マークが目覚めると、すでに夜は明けており2人の仲間は昨夜の喧嘩を忘れたかのように仲良く並んで火に手をかざしていた。
「おはよう、マーク」2人ともにこやかだ。
「お、おはよう」
もう喧嘩の続きはないのか、とマークはびくびくしながら2人を観察する。
「なんだか顔が痛くってよ~」
チョッカーンは腫れた左頬をさすりながらつぶやく。
鏡がないのが幸いしてか、いかにも殴られた痕というような青あざに本人は気が付いていないらしい。
「お前、顔腫れてるぞ。私も胃が痛くてな、たちの悪い虫にでも刺されたかな」
ローエングリンも腹部を押さえる。たぶん服の下の皮膚は色が変わっているのではないだろうか。
「昨日この場所を確保するために、何本か細い木を切ったりしたから、寝返りを打ったりしたときに切り株で打撲したのかもね」
我ながら苦しい理由付けだと思いながらも、マークがなんとかその場を取り繕う。
大トラ二人組は昨日の事を全く覚えていないようだ。
「チョッカーン、昨日話した美月さんのボディって本物かって話題覚えてる?」
「マークっ、お前ゼンゼン興味ありませんって顔をして、案外好きもんだなあ」
がははは、と笑いながらチョッカーンがマークの背中を叩く。
「いいぜ、いいぜ、友よ。俗に言うむっつりスケベってタイプだな。俺なんだか安心したぜ、がははははは」
「いや、僕はそんなこと考えも……だいたいそう言ったのは君だよチョッカーン」
「いいから、いいから、気にしなくても。誰だって、男に生まれたからにはみーんな興味あるんだからさ」
「いや、清廉潔白勉強しか興味ありませんって顔をしているマークが健全な男子であることがわかって安心したぞ」
ローエングリンまでもが、大きくうなずく。
「なんとか言ってよ巻物クン、君も発言していただろ、この話題」
あらぬ誤解に顔を赤らめながらうろたえる主人に、巻物はしれっとして答える。
「さて、私は生生流転する森羅万象の理をお伝えする任務は帯びておりますが、女性の肉体に関する低俗な疑問などには口を差し挟まないように……」
「うそーっ、昨日あんなに理論的に分析してたじゃない。みんな忘れているのをいいことにむっつり巻物って言われた過去を消そうとしてるんだなっ、ずるいよ巻物クン」
巻物クンまでに裏切られて、頬を膨らませるマーク。
「妖精たちは覚えているよね」
最初は、チョッカーン達の記憶がどこまで残っているのか聞こうとして出した話題だが、自分の性癖が誤解されてしまったマークは必死で証言者を募る。
「皆さん、美月さんのボディにばかり目を奪われて心外ですう」
赤いチュチュを着たア・カーンが唇をとがらせて出てくる。
「負けてはいないぜ、あたしたちもさあ」
青いチュチュのバ・カーンが胸を寄せて谷間を強調する。
「今日は、私たちのダイナマイトボディを目に焼き付けて欲しいのですう~」
黄色いチュチュのコリャイ・カーンがそう言うとともに、3妖精はいっせいにチュチュを脱ぎ捨てた。
ぎょっ、として3人の戦士の視線が一瞬、妖精に集中する。
まっぱだか……のはずの身体に毛筆体で何か書いてある。
「す・け・べっ」
一人にひとつずつ書かれた文字を甲高い声で叫ぶ妖精達。
「残念でした、肌色のボディスーツなのですううう、きゃははははは~」
「ええい、鬱陶しい。朝から小細工しやがってーっ。待て、こら、逃げるなっ」
しゃもじを振り上げて追いかけまわすチョッカーンの怒号が森の中に響き渡って、この話題は終了となった。