その6
「マルコム、ここは何処?」
マークが立ち止りマルコムに浮かび上がった地図を覗き込む。
陽も傾いている。深い森の中に入り込んだので、あきらめたのか追手の声も聞こえなくなった。
うまく撒けたようだが、彼らは自分の居る場所がよくわからなくなっている。
薄暗い藪の中、縦横無尽にはびこって進路をふさぐ枝やツルを刀でさばいていたチョッカーンも、うんざりしたように溜息をついた。
「もう、腹減ったよ。あったかい風呂に入って美味いもん食って寝たいぜ」
「もう行く手にしばらくは街らしい街はないよ」
マークが残念そうにつぶやいた、が、何を見つけたのか首を傾げて百科事典を呼ぶ。
「巻物クン、マルコムで地図を見ているんだけど、地図の右上に書いてある、a mazeって何? 森の中にぽっかりと広場があってそこに書いてあるんだけれど」
「mazeですか。迷路です。それもamazingな」
「どんな場所なの?」
「そこに風呂はあるのか、食いものはあるのか、俺はリンゴ以外のもんを食いたいんだよっ」
マークを押しのけるようにして巻物の形をした百科事典にくってかかるチョッカーン。
空腹で、イライラが最高潮になっている。
「そういう場所ではありません。この場所に描かれたサークルに入ると、まるで迷路に入ったように何処に行きつくかわからないのです。どうしても今の状況を変えたいときの一か八かのお助け場所です」
「状況が悪くなる場合も……」
「ありえます。たとえばいきなり怪物の口の中とか」マークに向かって冷静に言い切る巻物。
「ここら辺には街は無さそうだし、延々と進んでもこの地図によると順調に行って森から出られるのは7日後だろう」
7日後、というと現実時間のほぼ5時間半後となる。
「ええっと、今16時30分くらいかな」
マルコムの計算機能で大体の実時間を割り出すマーク。
このまま森を抜けると夜の10時になってしまう。
現実世界で、いくら合宿に行ってくるとごまかしていても、彼らとクラスメートと連絡が取れないことを不審に思う親が出始めるかもしれない時間だ。
ローエングリンが立ち止り、腕組みをした。
「このmazeに行ってみる価値はあるかもしれない」
彼としても、一刻も早く折れてしまった自分の剣『シュヴァーン』をどこかの街で鍛えなおしたいところではあろうが、現在の状況ではとても無理なことが明白だ。
それならば、無理に森を抜けて怪物や追手に出会うよりも、一か八かの勝負に出たほうがいいのかもしれない。
「仕方ない。とりあえず今日はここで野宿かな」
「装備もなし、食べ物はリンゴだけかあ」
さすがに食傷してきたのか、チョッカーンが情けない声を出す。
「お酒ならありますよ~、酒盛りしましょ、酒盛り、温まりますよっ」
妖精達が空気を読まずに楽しげに彼の頭の周りを飛び回る。
その時、皆のマルコムが鳴った。
「姫様通信、姫様通信~」
飛びつくチョッカーン。
これは彼が食べることよりも幸福を感じることのできる唯一の時間らしい。
「脳内に転送します」
マルコムの声に、神妙な面持ちで目を瞑る3人。
「真夏のバカンス姿だったらどうしようっかなあ~ビっキっニっとか……」
そう言えば、牢の中で美月さんと二人っきりでで話した件は言ってなかった、マークは遅ればせながら気が付く。
チョッカーンの浮かれた声に、マークは後ろめたい思いを抱きながら暗闇の中で目をこらした。
皆の目の前に広がる闇が徐々に明るくなり、美月さんが現れる。
銀の格子から透けて見える彼女は、今日はぶかぶかの男物の青いストライプのパジャマの上着を身に着けていた。
パジャマの上着は腿までかぶさっているが、その下からは長い足がむき出しになっていて、それとは裏腹に袖はぶかぶかで指の付け根まで必要以上の長さを覆っている。
姫はうっとおしそうに何度も袖をたくし上げるのだが、そのたびにずるずるとずり下がりまた手の大部分を覆ってしまっていた。
「こりもまた、可愛い」
いつも気の強い姫君の、ちょっと間が抜けた姿に目じりを下げてつぶやくチョッカーン。
しかし彼は急に血相を変える。
「まさか、そ、それは高柳のでは……」
「ふっふっふっ、よく気が付いたな」
ランニングシャツと地味だが光沢のある暗い青色のトランクスに身を包んだ高柳が現れた。
敵ながらあっぱれな筋肉質の締まった肉体が惜しげもなく露出されている。
「今日は、僕の部屋で成り行きのままお泊りになってしまった、ってシチュエーションだからな」
「この変態タコ柳っ」チョッカーンの怒りが爆発する。
「なんだと」きれいな顔に青筋を立てる高柳。
「お前、クラスメートを監禁して、自分がイカレてると思わないのか? このエロ男」
「飛んで火にいる夏の虫は、ゆっくりと焼きあげて食べる主義でね」
そう言いながら、美月の背後を取る高柳。
牢番会議で来れなかった昨日分を取り戻そうとでもするかのように、いきなり姫君の身体を後ろから寄りかかるように抱き着いて顔を肩に乗せる。
なんとか逃れようとして体をよじる美月の抵抗を楽しむように、高柳の顔に笑みが浮かんだ。
「姫君は、現実世界でも僕の事嫌いでしたね。すっごくよくわかりましたよ」
悔しそうに、横目で高柳の顔を睨む姫。
「嫌な男にこうされてるのって、屈辱ですか?」
二つの丘を守るように美月の手が胸の前に交差される。
その上から男の手が重なる。
「嫌な奴の言いなりになってみるのも、いいもんですよ、姫様」
「くーっ、アイツやりたい放題しやがって」
激高するチョッカーンだが、次第に額にしわがよる。
彼は鼻の下をこすり始めた。これは彼が真剣なときに出る仕草だ。
「でも、おかしい。あの美月さんが反撃しない……」
チョッカーンに言われて、マークも美月の目がどことなくとろん、としていることに気がついた。
「嫌は好きの反動、ですよね」口元に薄い笑みを浮かべて、ますます調子づくタコ柳。
「ミヅキ姫に何かしたのか、卑怯者?」
ローエングリンが血相を変える
「ふん。さっき牢番会議で貰ってきたこの香水を振りかけただけだ」
高柳の手には黄色い小瓶の形をしたスプレーボトルが握られていた。
「これを噴霧すると理性がなくなって、幸せや気持ち良さが倍になるそうだ」
そう言うと、高柳は自分にも振りかけた。
「同級生を捕まえて閉じ込める。もちろん私にも抵抗があるのは否定しない。でも、クラスの中でいつも私に敵対する美しい姫君にめいっぱい敗北感を味あわせて自分の物にできるチャンスなんて、そうそうないからね」
そう言いながら、姫君をさらに抱きしめる高柳。
姫君はもう無駄と思っているのか、抵抗を止めて少し俯いた顔をゆがめるのみ。
「タコ柳っ、後悔するぞっ」
チョッカーンが柳葉刀を抜き放った。
しかし、相手は刀の届く場所には居ない。
彼は身を震わせた。
「何を勘違いしているんだ、辮髪男。もともとの感情を増幅しているだけなんだぞ、もともとのな」
高柳は勝ち誇ったように笑う。
「と、いうことは……美月さんも心惹かれ始めたってことか」チョッカーンの声が震える。
「姫っ、聞こえるか」
ローエングリンの声に、はっとした表情で顔を上げる美月。
「お前はそんなものに負ける奴じゃない。気持ちをしっかり持て」
黄金の髪の騎士の方を見ながら、姫は今まで人に見せたことの無い悲しげな顔になった。
「必ず助けに行く。だから、お前もその感情に負けるな」
「だ、だけど。強がってきたけど、私だって……」
姫の目からぽろりと涙がこぼれる。
今まで人に見せたことの無い真珠のしずく。
「女の子、なんだから……」
高柳も含めて、皆は姫の意外な変貌にあっけにとられている。
「気の強い人って、自分より強い男に強引に迫られるとぽろって落ちることがあるらしいからな」
姉と妹に囲まれているチョッカーンは女性心理に詳しそうだ。
「お前、それは偽りの感情だ。流されるな、これを見ろっ」
自らの左腕に短剣を刺すローエングリン。
深々と刺さった剣から、赤い血が白い手に伝う。
苦痛に顔をゆがめる彼を見ながら、姫も全身をすくめる。
しかし、やがてローエングリンは平然とした表情に戻り、ニコリと微笑んだ。
「苦痛も、快感も、自らの意思でコントロールできる。自分に負けるな」
姫の目が見開かれ、はっと自分の身体の前に交差された男の手を見る。
「ぎゃーっ」
途端に飛び上がる高柳。
彼は肘鉄がきれいに決まった鳩尾を抱えて転げまわった。
その隙に美月が小瓶を取り上げてどこか遠くへ放り投げる。
「ありがとう……もう時間みたい。私も頑張るから」
美月は恥ずかしそうに頬を染めて手を振る。
「み、みづきさ~ん、頑張ってねえ」
情けなさそうなチョッカーンの声が暗闇の中に吸い込まれていく。
それと同時に。
「いってええええええええっ」
ローエングリンが左腕を抱えて、恥も外聞もかなぐり捨てて地面を転げまわった。
「男って、見栄を張る生きもんなんだよな」
チョッカーンが腕組みをしていつになく好意的なコメントをつぶやいた。




