その3
テュルルルル、妄想の淵に沈んでいた誠の多機能通信機(multifunction communicator)がいきなり鳴った。
以前はスマートフォンと呼ばれていた代物だが、2030年以降はますます進化して通常画面による通信に加え、ホログラム映像での会話も可能となった。その頃からマルコムと呼ばれ始めたが、映像、音声記録、通信、ネット接続、金銭管理などメディアに関することはほとんどこれ一つで事足りる。その他に、生体反応の記録や簡単なメディカルチェック、周囲の化学物質の測定などもできるようになった。
しかし、学生が日常で使う機能は2040年を目前とした今でもスマートフォンの時代とほとんど変わっていない。
「あ、オレだけど」
誠の唯一の親友、勘助が手のひらサイズの通信機の上に上半身だけのホログラム映像として出現した。
別れた時と同じ、薄汚れたTシャツを着ている。
このTシャツの前にはリアルな胃の絵が、そして背中には『俺の胃袋を愛してくれるかっ』と大きく毛筆で書かれている。
いつも学食でどんぶりタワーを作る大食いの彼にはぴったりのシャツだが、振り返って笑う女生徒もいて、一緒に歩いている誠のほうがなんだか気恥ずかしくて閉口している。。
「来た? 美月さんからのメール?」
こいつにも来たのか。
誠は急に足元から床が崩れるような失望を味わった。
しかし同時に相談相手ができた安心感もある。
誠は口からふうっと息を吐くと、静かにうなずいた。
画面に映った勘助も、誠と同じ気分だったらしい。
誠のうなずきを見た途端、目に見えてがっくりとした表情になった。
「お前、どうする?」
「ど、どうって」
いきなりの質問に誠は口ごもる。
決断とか、先を読むとかは、彼の一番苦手とする脳内活動である。
「なんだかあのメール、ちょっと美月さんのいつもの口調と違うんだよな」
勘助が額に筋を寄せながら鼻をこする。
真剣に悩んでいる時の彼の癖だ。
「という事で、俺は迷わず美月さんの家に連絡してみた」
「そ、それで……」思わず身を乗り出す誠。
いつもながらこの親友の後先考えない行動力には頭が下がる。
「お母さんが画面にでてこられてな、いや、お母さんも美月さんに似て美人なんだなこれが」
美月さんがお母さんに似たんだろう。
心の中で軽い突っ込みを入れながら、早く次をとばかりに咳払いする誠。
「でな、お母さんから優理は朝から塾に行ってます。今日は午後からそのままお友達の家に遊びに行くとかで帰りが遅くなるって言ってました、って言われたよ」
「塾にはいなかったよな」
「美月さんと仲がいい東さんに連絡してみたら、美月さん今日は仮想空間で戦闘三昧するって昨日から張り切っていたらしい」
「まさか、このメール、本物の可能性もあるのか?」
ごくり。と、誠は生唾を飲んだ。
本物の美月さんに、僕は救出のメンバーに指名されたのかもしれない。
誠は呆然と立ちすくんだ。
誠の想像の中で、牢につながれた美月さんが懇願するような瞳で彼を見つめる。
連れてこられるときにもみ合ったのか、セーラー服が汚れて、切られたような裂け目が数か所入っている。
それにしても、やつれた顔がまたこの上なく美しい。
普段、強気の美少女のこんな姿は……た、たまらないものだ。
誠は、封印していた自分の内なる衝動が、膨らむ餅のように盛り上がってくるのを感じていた。
「おいっ、おいっ」
ホログラムの勘助が大声で怒鳴る。
「なに、夢の世界を漂ってるんだよ。この分だとクラスの他の男どもにもメールが行ってるかもしれない。ゲームによっては救出メンバーのパーティに人数制限がある場合があるからぼやぼやしていると他の奴に先を越されるかもしれないぞ」
「でも、これ悪戯だったら……」
「その時は、その時だ。悪戯だったら、参加費が無駄になるだけで、そのまま帰ってくればいいじゃないか。万が一本物だったら、普段めったに口が利けないような姫君に自己アピールのチャンスだぞ」
画面の前の勘助が頬を紅潮させてまくしたてる。
「誰かの計略にハマったとしても、せいぜい通報されて停学くらいだ」
いや、せいぜいじゃないから。誠は心の中で呟く。
もし停学となったら、自分にとっては燦然と輝く優等生のレッテルを地に堕とすことになる。
今まで、完璧に作り上げた優等生の印象は、彼の内申書に良い影響を及ぼすはずだ。
不良の高柳とは違って。
成績では勝てないかもしれないが、最後の総合評価で素行が評価されて誠が高柳を抜き去ることは可能なのだ。
そのためには、停学の危険がある危ない橋は渡ってはいけない。
いけない。
いけない。
いけない……、で、いいのか、自分。
「もう、思い残すことは無い」
ふと、母の一言が誠の脳裏に蘇えった。
母の願いはかなった。
もう、自分が優等生でいないといけない理由はない。
それよりも、かけがえのない高校2年生の夏。
来年は受験一色となることが必至だ。
この夏は好きな子を巡って冒険の旅にでる、こんな暴挙も許される時期じゃないのか。
「おいっ、おいっ」
ふと、勘助の怒鳴り声で誠は我に返った。
「人が話している最中になんでそんなにすぐ魂をとばすんだよ。で、行くの?」
誠はぎゅっ、と薄い唇をかみしめてうなずいた。
「行く」
意外だったのか、ホログラムの勘助が目を丸くした。
午後一時を回ったころに、誠と勘助は落ち合って栄町のゲーセンに向かう。
「目撃情報があったのはここらへんだ」
まるでスパイ映画の主人公みたいに眉をひそめて勘助がつぶやく。
にぎやかな大通りからちょっと外れた路地に面して大きな面積を占めてそのゲームセンターが立っていた。
VRMMOの機械はわりと面積を取るので、土地代が少しでも安くなるように最近のゲームセンターは引っ込んだ場所に立っていることが多い。停学覚悟で来ている二人にとって、あまり人気のない場所であることはありがたかった。
ただし、人通りの少ない界隈ではあるが、ゲームセンターの前には入り口が見えないくらいの人だかりがしている。
「これ、皆VRMMO目当て?」
誠はおずおずと傍らの勘助を振り返った。
「それ以外何がある? 最近のゲーセンはほぼこれ一本で成り立っていると言っても過言ではないよ」
じりじりと悪化する不況。失業者率は8パーセントと2010年ごろの約2倍になっている。
加えて政治も不安定で、国際社会も不穏な風が吹き始めている。
現実を直視すると、誰もがどんよりと肩を落とす時代。
仮想現実空間はストレスをためた若い人々が、ひと時逃げ込むにはうってつけの避難所だった。
通常はここで魔物や怪物を撃破し、気分よく現実に帰ってくるのだが、中には依存症に陥る例もあり、社会問題になりつつある。
「まて、今ゲーセン前をスパイアイアプリでスキャンする」
勘助が現在のゲーセン付近の状態を、マルコムから衛星を使ってスキャンし、あらかじめ取り込んであった教師の顔写真と照会し、いないかどうか確かめる。
誠を停学にしないため、彼なりに気を使ってくれているらしかった。
大丈夫そうだと確信を得たらしい、勘助が誠に向き直った。
「持ってきた? 参加費とメールのコピー、そして身分証明書」
誠はジーンズに入れてきた一万円をそっと触ってうなずいた。
えらく高い参加費だが、勘助によればどうやら相場らしい。
「男は高いが、この『囚われの姫君』では女性参加者は無料で参加できるっていうのがウリなんだ。一昔前の出会い系サイトの会員登録もそんなシステムがあったらしい」
勘助が何も知らない誠に説明する。
「さっき連絡したように、姫君からのメールのプリントを持っていくとこの数字と名前を照合して優先的にプレイさせてくれるようだ。ファストパスみたいなもんだな。フリーの客だと、『姫君』ができるまで待たされたり予約したりしないといけないらしい」
「面倒くさいゲームだな、コレ」
だんだん後悔し始めたのか、誠が溜息をつく。
「ただ、何でこの高価で面倒くさいゲームが話題かというと、ゲーム世界の中の徹底的なリアリズムの追求が素晴らしいかららしい。脳波の受信の方法、刺激のコントロールなどが格段に進歩を遂げていて、ゲームとは思えない体験ができるようだ」
誠とは反対に、うっとりとした目で勘助が話す。
「今まで限定された地域でのみ興行されてその素晴らしさはお墨付きだけど、あのホームルームで読んだ記事みたいに事故みたいなのも起こっていて、今年の夏は禁止された学校が多いらしい。この町での興行が始まったのは夏休みに入ってからみたいだ。大きな事故が起こったとは聞いていないけど……」
勘助が急にキリリとした目つきで誠に向き合った。
「本当にいいのか誠? 帰るなら今だ。引きとめないし、気にしない」
「それじゃあ……、ってお前一人にして帰るわけないだろ!」
二人はがっちり握手して、ゲームセンターの前の人混みに突入して行った。
「いらっしゃいませ」
ゲームセンターに入ってから、エントランス正面に飛行場のカウンターの様な受付ができている。
何人か、フリーのスタッフがフロアーを動き回りながら、並ぶカウンターを迷う人々などをてきぱきと誘導していた。
禁止騒ぎなども出ていて、企業側もピリピリしているようだ。
補導されにくいように、カウンターで受付して通されたセッティングルームで、初めてゲームを選ぶようになっているらしい。これであれば、エントランスにいくら補導員が来ていても、生徒がどのゲームを選んだかがわからず補導もできない。
教師が監視をあきらめたのも、こういう理由がありそうだった。
二人は個室に案内され、そこで希望のゲームをスタッフに告げる。
「救出要請書と何か身分の証明になるものはお持ちですか?」
スタッフは書類を確認すると、二人にゲームにおける簡単な説明を行った。
すなわち、時に24時間を超すこともあり、ゲーム中は体を睡眠状態、低代謝状態において消耗を避ける。
不慮の事故の可能性もあるという説明を受けたうえ、プレイしている、という同意書が必要などなど。
同意書が要るのはVRMMOではいつもの事さ、という勘助の言葉に、誠は一抹の不安を感じながらもサインをすませた。
それが終わると、スタッフは彼らにヘルメットを被らせて、用意されていた人型の箱の中に横になるように説明した。
「ファンはこの箱をマミーボックスというんだ」
「お母さん箱?」
「いや、ミイラが横たわっていた棺に似ているだろう。だからミイラ ボックス」
「縁起でもないなあ」
誠はおっかなびっくり横になった。
服を着たままでは寝にくいかと思われたが、体をうまく包み込む形のクッションが敷かれており、真っ白な天井を見上げた誠はそのまま包み込まれてどこかに落ちていくような錯覚にとらわれた。
「脳波をこのヘルメットで、そして詳細な生体反応をボックスで確認します」
「目を瞑ってください」
スタッフの声が部屋に響く。
静かになって初めて誠は自分の胸の鼓動がかなり早くなっていることに気が付いた。
「睡眠導入剤と代謝低下剤を噴霧します。鼻で息を吸ってください」
しゅっ、という音とともにバラの香りが鼻腔に広がる。
その途端、誠の視界は一面真っ黒な暗闇に覆われた。