その4
「うぬぬぬぬ、よくもワシの可愛い姫を」
ゴミ屑のようにぼろぼろになったリボンに覆い尽くされた娘が城に運び込まれるのを見届けると黄金の鎧に身を包んだ領主はマーク達の方に向き直った。
膠着していた空気がその一言で動き始める。
マークは自分の流通ポイントをローエングリンに譲り、騎士はそれで自らのヒーリングを施していたが、領主が彼らの方に注意を向けたためにヒーリングは半ばで止めざるおえなかった。
それでも、どくどくと流れていた血は止まり、まだ傷口から赤い皮下組織は見えるもののえぐられた部分には肉が盛っている。
ローエングリンは感触を確かめるかのように右腕をゆっくり動かし、心配そうに見守るマークに大丈夫だというようにうなづいた。
「姫さえやっつければ、領主はどおってことないさ。だってあんなに警備がついているんだ。弱いに決まっている」
ローエングリンは小声でささやいた。
「でも。『凶悪コガネムシ』だよ……油断できない」マークがつぶやく。
今のローエングリンの体力では、マーク達2人を抱えてジャンプして逃げるほどの体力は無い。
チョッカーンは昏倒している。
どうやって、この兵たちの囲いから逃げるか。
あの運動神経の鈍そうな領主を人質にして逃げるしかないのか。
ただマークが見るに、あのビール樽に鎧をかぶせたような男から何とも言えない強力なオーラが出ているような気がした。
そんな彼らを睨みつけながら、ゆでだこのように真っ赤になった『コガネムシ』はぶるぶると身を小刻みに震わせ始めた。
その振動はコガネムシの上半身の輪郭が見えなくなるほど早い。
振動音が徐々に高くなる。
「お、おとどまりください、公爵様」
王の周りを十重二十重に取り囲んだ兵士が、血相を変えて口々にすがるように懇願し始めた。
「あいつら、警備のための兵じゃないのか?」
ただならぬ雰囲気に、ローエングリンの顔が引き締まる。
その間も、すがりつく兵達の公爵への呼びかけは合唱のように続く。
「公爵様が本気を出したら、この城は吹っ飛んでしまいます」
「称えられるべき公爵様の治世に汚点ができてしまいます」
「ゴールドマックス公爵! ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい」
「黄金と血に彩られた美しき公爵様ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい」
「お願いですから、変身はおとどまりください」
兵達の口を極めた褒め言葉におだてられたか、公爵の震えが徐々におさまり、兵達に安堵のため息が漏れる。
振動音が低くなり、公爵の姿が見えるようになった、その時。
大きな背伸びをしてチョッカーンが目を覚ました。
彼はローエングリンを不思議そうに見つめる。
「ふあ~っ、あのばけもの姫と、金色の饅頭みたいな領主はもうやっつけたの?」
静まり返った場に響く、必要以上に大きな声。
「な、なんだとっ、ワシらを侮辱するかっ、この小童め」
チョッカーンの言葉を聞いた公爵はいきなり白目をむくといきなり振幅と速さを増して再度震え始めた。
公爵以外、敵味方を問わずすべての人々の冷たい視線を浴びるチョッカーン。
「え、え? 俺何かした?」
「ああ、将棋で言えば歩兵をわざわざ金にしてしまうような事をな」
ローエングリンが顔をしかめながら、目の前の『コガネムシ』の変化を見ろとばかりに顎を動かした。
ぶるぶると震えながら徐々にその振幅は大きく早くなる。
「ごうじゃぐザヴぁぁぁぁぁぁぁぁl」
公爵を押しとどめようと、しがみついていた兵たちの声が震えて、声が徐々に高くなる。
キン。
という音とともに、彼らの鎧にひびが入り、兵たちが大量の血を吐いて倒れ伏した。
振動体は徐々にパワーを増してマーク達に近づいてくる。
彼らの足には地面からびりびりとした振動が伝わってきた。
「し、振動による破壊だ……」
振動により、内部破壊された兵達を見てマークの顔が青くなる。
こうなればもう手がつけられないようだ、残りの兵達は武器を捨て、規律も何もかなぐり捨てて我先に逃げ出した。
マーク達も逃げ出すが、状況の把握ができていない寝起きのチョッカーンが手負いのローエングリンに肩を貸しながら走るのでどうしてもスピードが出ない。
震える球体と化した公爵は、地面をすべるように移動して彼らに向かってくる。
「木立だ、木立」
中庭の周囲には大きな木が林立している。その中に駆け込む3人。
しかし。
ばきばきばきばきっ。
という音とともに、震え玉が触れた部分にひびが入り、まるで自ら分解するかのように四散した。
たちまち、木片の山と化していく木立。
彼らは慌てて木立を抜けて城の側面に出る。
「キャプスレート」
振り向きざま、チョッカーンのしゃもじが一閃して、公爵にお得意の一発をかませる。
彼の流通ポイントは充分。
彼にとっての最強の一撃。
の、はずだったが……。
厚いガラスに包まれた様な、球形の空間に公爵は一瞬閉じ込められた。
しかし、次の瞬間、空間の表面に無数の網目模様が浮かぶ。
カン。
高い音とともに、ガラス球は粉々に砕け散った。
「うっわー、今回の俺、超無力――っ」
チョッカーンは伝家の宝刀の無残な敗北に悲鳴をあげる。
「頼む、ヤマタノオロチ―っ、出てこいよっ。出て来てっ。我らがヒーロー、君しかいないんだ。お救いください大蛇さまーっ」
チョッカーンは大蛇に対して必死で呼びかけるが、全く反応しない柳葉刀。
「た、たぶん、出てくるならもっと先に出て来て助けてくれてたはず。な、何か人間嫌いな強い理由があるんだよ」
一転して、あの役立たず、とか恩知らずのバカ大蛇、とか悪態をつきながら走るチョッカーンに、マークが声を掛ける。
ただし、運動音痴で運動に関しての持久力がほとんど無いマークももう走り続けるのは限界だ。
「マーク、どうにかして、あの振動を止められないかっ」
と、言われてもマークもあれがなぜ振動しているのかわからない。
娘が自分たちは人間なのよと口走っていたことを考えれば、あの鎧の効力か。
「ええと……」
原理がわからないことには、何も具体的な方策が浮かんでこない。
「そうかっ」
いきなり、チョッカーンが叫んだ。
やっと目が覚めたような顔をしている。
「マルコムっ、俺の流通ポイント3000をローエングリンに譲渡っ」
チョッカーンは、肩を貸したローエングリンになにやら囁く。
一瞬ぽかんとした顔をしたが、騎士の顔が笑みで崩れる。
「そういえば、そうだ」
チョッカーンが立ち止ると、ローエングリンが震えながらすごい勢いで近づいてくる黄金の玉に向かって照準を合わすように両手を突き出した。
「テレキネスっ」
その途端、『コガネムシ』の身体は空中に浮きあがり、勢いよく彼の城にぶつかった。
パリン、と大きい窓ガラスが砕け散り、城壁にはバリバリと亀裂が入る。
領主の身体は、はじかれるように城から離れて空中に浮いた。
「その城にはお前の大切な姫が寝ているぞ、もう一度ぶつかると城が砕け散るがいいのか?」
叫ぶローエングリン。
ヴィーン。
振動音が徐々に低くなり、やがて領主の輪郭が現れた。
「悪賢い転覆者達め」
領主のぎょろ目がマーク達を睨んでいる。
「お前には言われたくないぞっ」
チョッカーンの言葉に、マークも思わずうなづいた。
「また震え出したら、お前の身体を城にぶつけるぞ。動くな」
ローエングリンは叫びながら、隙の無い視線を『コガネムシ』に向ける。
ゆっくりと領主の身体は地上に降りてきた。
「借りるぞチョッカーン」
チョッカーンの背から柳葉刀を取ると、ローエングリンは背を向けてよろよろと逃げ出す領主に向かってゆっくりと駆け出した。
黄金のごつい鎧が領主の動きを鈍くしている。
手負いのローエングリンだが、ほどなく追いついて刀を振り上げて切りつけた。
砕け散った鎧が、太陽にきらめきながら地上に散らばる。
ローエングリンの目の前には、不格好な真ん丸の身体を楔帷子に包んだ領主が佇んでいた。
その鼻先に刃を突き付けると、騎士は公爵を睨みつける。
「転覆者とはなんだ」
「わ、ワシも良く知らないが、マーク・シート、チョッカーン、ローエングリンという3人組はこの世界を滅ぼす転覆者だから、死んでいても生きていても捕獲して王都に連行しろという指令が人相書きとともに届いたのだ」
「王都には、ミヅキ姫がいるのか?」
「なんだ、そのミヅキ姫というのは? 転覆者の仲間が囚われているとは聞いたが」
領主は眉をひそめる。
「王とはどんな奴だ?」
「王はワシらの世界を統べる超越者だ。顔を見たことはないが、その命令に従わないものは消される。ワシの前の領主は王の命令に背き、突然その存在を抹消された。ワシは突然その王からこの鎧をもらい、次の領主に任命されたのだ」
「そうか」
領主から聞き出せる情報はこのくらい、と判断したのかローエングリンは切っ先を下げる。
「わ、ワシを殺さないのか、転覆者」
「殺生は趣味じゃない。それに私達はこの世界を滅ぼすつもりはない、ただのプレイヤーだ」
ローエングリンはそう言い捨てると、踵を返してマーク達のところに戻ってきた。
領主は、ヒビの入った崩壊寸前の城の前で立ちすくんだままである。
隙だらけに見せかけたローエングリンに反撃してこないところを見ると、あの振動はやはり鎧のなせる業だったらしい。
「ぐずぐずしていると城が崩れ落ちるぞ。娘を助けたければ早く行くんだな」
振り向いたローエングリンの言葉で我に返ったかのように領主は転がるように城に入って行った。




