その3
今回は若干ですが、残酷な描写があります。苦手な方は読み飛ばしてください。読み飛ばしていただいてもストーリーには支障がないように続けたいと思います。
姫の口づけとともに長剣の姿が変化した。
長さは70センチばかりと変化はないが、プロペラを彷彿とさせる上下逆方向のなだらかな傾斜が付いた刃がついている金属の板となり、内側についている取っ手の部分を掴むと姫は試すかのように数度回転させた。
スクリューのように旋回したその武器は、扇風機を逆にしたかのごとく彼女のほうに気流を作り、肩に降りていた縦ロールがふわりと舞い上がった。
戦闘経験の多いローエングリンは、常に四方に視線を散らして周囲をうかがっている。
彼の剣、『シュヴァーン』とチョッカーンの柳葉刀を持つ騎士が背後に控えていることを確認し、彼は息を整えた。
「きゃはははははは、その白い首が薔薇のように鮮やかに染まるなんて夢のようだわ。きれい、きれいでしょうね」
「レディはそんなことを思っても口に出されない方がよろしいかと」
彼女の方に不敵な視線を送り、静かにローエングリンが凛とした声を上げる。
「お育ちの悪さが知れてしまいますよ」
まるで、自分に憎悪を集中しろとばかりの発言。
その一言に逆上したのか、姫の白い顔がさっと赤くなる。
「お前達はおどきっ、その減らず口のところで上下を分けてやるわっ」
姫が命令すると、兵士は助けを求めるかのように王を見る。
王はにこやかにうなずいた。
「姫は久しぶりに気晴らしをしたいのだろう、その騎士を離してやれ」
「ローエングリンっ」
叫ぶ仲間の方をちらりと見やると、彼は軽くウインクをした。
「へっ、余裕かましてやがる」チョッカーンの頬と唇がにっ、と歪んだ。
「逃げたら、そこの2人の命は無いと思いなさい」
「決闘の場で逃げたりはしない」
ローエングリンの言葉に、玉虫がにっこりほほ笑んだ。
「命を粗末にする見栄っ張りの騎士殿だな。皆の者、これは私の獲物だ、手出し無用っ」
ローエングリンから兵達が離れる。
彼は後ろ手に縛られたまま、ゆっくり立ち上がった。
深い淵の緑色の目が姫の血の色の目と睨みあう。
「はああああっっっ」
いきなり天にも轟くような叫びをあげて姫が走り出すと右上から斜めに切りかかった。
ひらり。
彼は姫の切っ先を身体ぎりぎりのところでかわし、優雅に跳躍した。
逃げ遅れた数本の金色の髪が、刃の犠牲となってきらきら光りながら空中に舞う。
そのまま彼は取り上げられた武器を持つ騎士のところに着地し、一瞬のうちに腹部をけり倒した。
袋の中から彼の剣、シュヴァーンがまるで意思を持つかのように浮き上がり、手を縛っていた縄を断ち切る。
そのままシュヴァーンは主人の元に駆け寄るかの如くローエングリンの手に収まった。
「ふふふ、久々の骨がありそうな獲物だわ。でも……」
赤い目がくるくると楽しそうに動いて微笑む。
「所詮軟骨だけどねえ」
2人に場を開けるように兵士たちが後ずさる。
マークとチョッカーンも引きずられながら後方に連れて行かれた。
姫の全身が緑色に輝き始める。
彼女が発するオーラの波に、指先からつま先まで気持ち悪いくらい全身にあしらわれている大きな色とりどりのリボンが空中に舞い上がった。
「姫のフローティングが始まったぜ」
「前回の獲物はバラバラになって切り刻まれたからな、また大掃除だぜ」
兵たちのひそひそ声が聞こえ、マークとチョッカーンは顔を見合わせた。
『玉虫』は武器の真ん中の取っ手を掴みまるで棒術のように顔の前で旋回する。
それとともに長いリボンが吹き流しのようにそよいで体を覆う。
そしてだんだんその手が早くなった。
あの剣とリボンには光を強く散乱させる細工でもしてあるのか。
全身の光沢のあるリボンと剣がきらきらと乱反射して、やがてその姿は透明になり……。
消えた。
「はあっ」
掛け声とともに、ローエングリンに飛び込む疾風。
金髪をなびかせ跳躍する騎士。
しかし、空中でシュヴァーンが激しい衝撃を受け、欠けた刃が飛び散った。
吹っ飛ばされて、中庭を取り囲むようにして生える大きな木の幹に激しく体をぶつけるローエングリン。
幹から広がる大きな枝がさがさっと揺れ、小鳥たちが一斉に飛び立った、
彼はそのまま幹を伝うようにして勢いよく落下して地上に叩きつけられる。
「私にだってジャンプスキルはある、その程度でよけようなんて、バカにするんじゃないよ」
地上に足がつく、かすかな音とともに耳に障る高い声がした。
「こ、この化け物め」
身体の位置を見極めることができず、ローエングリンは唇を噛みしめる。
「失礼ね、これでも人間よ。とってもレベルの高いスキルがあるだけのね」
ひゅうううううっ。
言葉が途切れ、剣の舞う風の音とともに、第2波がやってくる。
間一髪、でよけたと思いきや、ローエングリンの右腕には肉をえぐられたような大きな傷が入っていた。
「わかってるでしょ。て・か・げ・ん、したのよ、きゃーははは」
空間から高らかな笑い声がひびく。
どくどくと血が流れる右手を左手で抑えるローエングリン。
しかし、今はヒーリングに気を取られるわけにはいかない。
地上にぼたぼたと赤い染みができる。
「ローエングリン、お前だけでも逃げろっ」
いきなりチョッカーンが叫んだ。
「俺たちの事はかまうな、お前だけでも逃げて美月さんを助けてくれ」
マークは傍らで真っ赤な顔をして叫ぶチョッカーンを呆然として眺めた。
こいつ、心底熱い奴だったんだ。
「黙れっ、姫様の遊戯をじゃまするなっ」兵がチョッカーンを何度も殴りつける。
辮髪が揺れ、チョッカーンは血を吐いて昏倒した。
友の姿に、マークの胸が熱くなる。
考えろ。
考えろ、マーク。
僕にはそれしかできないのだから。
マークの目が血走り、額からは汗が浮き出した。
チョッカーンの叫びが耳に届いてはいると思うが、ローエングリンはその場から微動だにしない。
なぜ、姿が消えるのだ。
マークは塾での物理のクラスでの脱線を思い出す。
光の入射角と反射角の講義を終えたところで、まだ時間があると見た担当講師がした雑談。
「よく漫画とかであるだろ、姿が消えるって奴。あれはいろいろ方法が考えられるんだけど、新素材を使って光を物質の表面で迂回させて後ろに行かせることであたかも透明になって見えるようにするって研究が……」
迂回させているもの。
それはきっと旋回する剣と全身に揺れてたなびく長いリボンだ。
剣で隠しきれない部分をあの無数のリボンで覆っているんだ。
「期待したほどではなかったわねえ」
何もない空間から、あざけりの声が響く。
「そろそろ、結末をつけましょうか」
リボン、せめてあの光を迂回させている全身のリボンの動きをかく乱すれば。
どこか……。
マークの目が一点を凝視した。
「それでは、そろそろ騎士様の血で庭を彩るとしようかなあ」
ひゅううううううううう。
風音が高くなる。
「ローエングリンっ、跳躍して」
叫んだマークは頭を地面に押しつけられる。
しかし、伝えたいことはすでに言葉になって発していた。
「木の上に」
ローエングリンが跳躍して枝の生い茂る大木の中に姿を消す。
ばきばきっ。
後を追うように疾風が飛び込んで枝が大きく揺れる。
金属音が響き渡り、無数の小枝が空中に飛び散った。
ちちちちち。
暫くの沈黙の後、鳥の声がどこかから聞こえてきた。
中庭はいまだ静まり返っている。
木の上から血がぽとん、ぽとんと落ちる。
カラ―ン。
折れた長剣の先端が落下した。
息を飲む兵士達。
枝が大きく揺れて右肩にざっくりと大きな傷を負った、ローエングリンが地上に降り立った。
右手は剣を持つのが精いっぱいというところだろう。
左手には気を失った『玉虫』が抱えられている。
「お前達の姫と我が仲間との交換だ」
血走った眼の騎士からは、ただならぬ殺気が立ち上っている。
兵士たちは、王の小刻みに縦に振られる顔を確認してマークとチョッカーンの縄を切った。
「我々の持ち物もすべて返せ」
ローエングリンは姫に折れた刃を突き付けながら叫ぶ。
意識を失ったチョッカーンを引きずるようにして助け起こしながら、マークは兵士が差し出す彼らの持ち物を受け取った。
「3つ数えたら交換だ、いいな」
渋々うなずく、ずんぐりとした『コガネムシ』。
「1、2……」
姫を突き飛ばすローエングリン。
兵士たちがマーク達に斬りかかる。
「バリアーっ」
ここぞとばかりにマークの唯一の技が発動されて、兵士を押しとどめる。
ローエングリンが跳躍してマークの横に降り立つと同時に兵士は慌てて後ずさった。
「大丈夫、ローエングリン?」
「ありがとうマーク。枝にリボンがからまったその一瞬、体の一部が見えた。枝の動きで来る方向もわかったし、なんとかシュヴァーンで相手の剣を止めて鳩尾に一撃を加えることができた」
折れた相棒をさみしそうに一瞥するローエングリン。
「も、もう食えん……」
マークに担がれたチョッカーンが、口元からよだれを垂らしながら呑気につぶやいた。
諸般の事情で数日お休みします。その後は不定期更新(1~2日間隔)を予定。本日で開始後1か月。ご来場いただいた皆様に深く感謝!!!