その1
「いや、久しぶりにカネの心配をせずに食べられるよ」
店のオヤジが勧めた食堂で、ローエングリンは極悪鳥のグリルを頬張りながら、感に堪えないといった風情で目を閉じた。
極悪鳥はここら辺の特産で、鷹に似た目つきの悪いずるがしこい鳥である。
他の鳥の食べ物を横取りすることが多くこの名前が付けられたそうだが、栄養が良いのか引き締まった噛み応えのある肉は噛めば噛むほど味がでてとても美味い。
傍らの赤ワインも彼の上機嫌に一役買っているようだ。
くいっ、くいっ、とリズミカルに桜色の唇の中に赤い液体が消えていく。
テーブルの上の赤ワインのボトルは早くも2本目が空きかかっていた。
「ローエングリン、くれぐれも適量を心がけてくださいよ」
おろおろした声でマークが懇願する。
「お前の酒癖の悪さには、俺たち迷惑してんだからな」
真っ赤な顔をしたチョッカーンがトロンとした目でローエングリンを見る。
傍らには、エビのチリソースと揚げ麺の飽き皿が積み上がり、紹興酒のビンが3本……。
「いや、き、君も相当出来上がってるし、もう……」
うろたえるマークを尻目にガンガン杯を開ける2人。
さっきから何回2人を止めたことだろう。
しかし2人とも杯を重ねる手は止まらない。マークのか細い声の制止は困難を乗り越えた歓喜の美酒を味わう2人の耳には全く耳に入っていないようだ。
「大丈夫だよ、ここにはもうリザードマンは追って来ないんだから」
「戦士の休息ってわけだ、固いことを言うな戦友よ」
チョッカーンとローエングリンはこんな時だけは意気投合している。
地平線にかなり近づいてはいるが、まだ太陽は元気に輝いている。
遅いランチ、と言っても通る時間なのに、2人とも早い夕ご飯と言い張って酒を頼んでしまったのだ。
あの店に宿が決まっているからまあいいとしても、このゲームの世界は油断がならないという事は今までの過程で身をもって知っている。
マークは酒を覚ます呪文でも覚えておけばよかったと後悔した。
居酒屋で御代を払って、千鳥足の2人を誘導してあの武器屋に向かう。
それぞれの馬が反対方向に走る二頭立ての馬車の御者になった気分で、マークは友人達を追い立てた。
「んなっ、ここに黄金のそうめんがっ」
「ここに、綱引きの綱が」
2人は顔を見合わせたかと思ったら、お互いの髪の毛を引っ張り始める。
「ぎーっ、いてててて」
「くわおっ! そんなに引っ張って、脳みそ出るぞっ」
「心配ない。噴出すほどの量は無い。ってええええ、止せ、ばか、止めろ」
往来の真ん中で、子供の様に喧嘩を始める2人。
「もう、いい加減にしてよっ」
マークが切れて叫んだその瞬間。
ばさあああああっ。
3人の頭上から、大きな投網が降ってきた。
網に絡まりもがく3人。
「何しやがる、ローエングリンっ」
「そりゃこっちのセリフだ、チョッカーン」
「それとも、マークかっ」同時に叫ぶ2人。
「違うって、僕ら皆、第三者に捕まりかけてるよおお」
網目状の視界の中で、もがきながらマークが叫ぶ。
投網の裾に付けられた重りは結構重くて、じたばたしているうちに、3人は駆け寄ってきた粗末な服を着た男達に難なく取り押さえられてしまった。
後ろ手に縛られて、マルコムや剣を取り上げられる3人。
妖精たちは、町を観光に行くと言ってどこかに飛んで行ってしまったし、オロチは人前では姿を現さないと宣言していたから、戦力としては考えられない。
「ぼ、僕達が何をしたんですかっ」
WANTEDと赤字で書かれた紙。
そこの下に、マーク、ローエングリン、チョッカーンの姿が描かれている。
なんと捕まえたものには10000MPとの文字が。
昼ごろなら自首してでも手にしたかったMPだな、ふとマークの頭にそんな思いがよぎる。
「なぜ、指名手配か? わかっているくせに、往生際の悪い奴らだ」
武器屋のオヤジがにやにや笑いながら現れた。
「お前達が売った武器は魔力で作ったまがい物だ。一時間もたたないうちにすべて消え去った。この詐欺師め」
「こいつら、明日領主に突き出してやる。牢獄に閉じ込めておけ」3人を捕まえた男達のなかの一人が叫んだ。
「濡れ衣だっ、だって騙すつもりならお前の家に泊まるなんて言うはずがない」
「俺の家に泊まる? 何寝言を言っているんだ」武器屋は冷たく言い放った。
「騙したなっ」
縛られたまま、武器屋に食って掛かろうとするマークを自警団らしき男達が結わえた縄で引っ張る。
マークはしりもちをついて無様にひっくり返った。
しかし、彼のアーモンドの目は、踵を返して去っていく武器屋をまっすぐに睨み続けた。
チョッカーンの勘を信じすぎていた……。
マークは縛られたまま、追い立てられながらもうつらうつらしている傍らの2人を呆然と眺める。
「酒に入れた薬が効いたようだな」
「こいつらさえ、戦闘能力を奪っておけば怖いものはない。このメガネ男は何にもできない頭でっかちらしいからな」
どこで聞いたか、男たちはそんなことを言うと大笑いをした。
悔しいが、本当の事だから何も言えない。
マークは血が出るほど唇を噛みしめた。
奴らがマルコムを操作して自分たちののMPを奪ったら大変だ……と思っていたが、マークの体調は変わらない。おそらくマルコムは持ち主本人しか操作できないのだろう。
一旦得たMPは本人が操作しない限り、取り上げられないようだ。
石造りの牢獄のなかで縛めをとかれた彼らだが、マーク以外の2人は気持ちよさそうにいびきをかいて寝ている。
太い鉄格子があるためか、牢番は視界の範囲には見当たらない。
「ねえ、巻物クン」
「なんでしょうか、マスター」
マークはそっと傍らの巻物に語りかける。
彼らは武器ではないため百科事典をマークから取り上げなかったのだ。
まさに、不幸中の幸いである。
「詐欺の刑罰は、何?」
「等級によって違いますが、まあ軽い所で鞭打ち、水責め。ご主人様たちのように高額になりますと、縛り首の可能性も……」
主人の顔色が蒼白になるのを察知したのか巻物は慌てて付け加えた。
「ただし、最終的には領主が決めるので、必ずしも極刑という訳ではありません」
「ここの里の領主は……」
「凶悪コガネムシと呼ばれる王と、血塗られた玉虫と呼ばれる姫が領民から搾取を繰りかえしています」
「殺虫剤を用意したいような名前だな」力なくマークはつぶやいた。
意気消沈しているマークの脳内にかすかな声が響く。
「姫様通信、姫様通信~」
おそらくマルコムがこの近くにあるのだろう。
主人の反応がないために、脳内に転送されてきたのだ。
チョッカーンとローエングリンは爆睡中であるため、今日はマークたった一人での謁見となる。
この状況で不謹慎だとは思いながら、高鳴る胸を押さえつつ目を閉じるマーク。
今日の美月さんは……。
んっ。
思わず目に迫ってきた、二つの隆起に生唾を飲むマーク。
ただし、残念なことにマルコムが遠いためか、画像が暗くてところどころ砂嵐が飛んでいる。
ギャザーが入ったピンクの小花模様のビキニは、同じ素材でできたひもで引っ張り上げて首の後ろで結ぶようになっており、スリムな体には不似合いなボリュームが強調されている。
同じ柄のフリルの付いたビキニパンツは結構切れ込みが大きくて、可愛らしさと大人っぽさが混在してマークの頭を真っ白にした。
上半身は白のシースルーの上着を羽織っており、足にはピンク色のスパンコールの付いたミュール。
頭には、つばの裾がわざとばらけている大きな麦わら帽子。
夏のバカンススタイルだ。
「おい、起きろよチョッカーン」
マークが目を開けて揺すっても、辮髪男は涎を垂らしながら「もう食えん」などどつぶやいて夢の世界へ深く潜行している。残念な奴だ。
「マーク、そっちも牢獄みたいだな」姫がすまなそうな口調で話しかける。
何か気の利いたことを……と思うのだが、もごもごと口の中で言葉は絡まり言葉となって出てこない。
「美月さん……、元気ですか?」
「ああ、そっちは大丈夫か?」
ええ、ですが僕たち、もしかしたら姫にもう会えないかもしれません。
縛り首かもしれないので。
暗い返事を飲み込んで、マークは首を縦に振った。
「今日は牢番会議とやらで高柳が居ないんだ」
姫がつぶやく。
こんなチャンスに巡り合えたら、もしチョッカーンだったら制限時間一杯口説くだろう。
しかし、彼は『優等生』のマーク・シートである。
今まで聞きたくて、機を逸していた話題を口にした。
「美月さん、なぜ高柳だけが特別扱いなの? 僕らは救出者としてしかこのゲームに入れないのに」
姫は首を傾げる。
「よくわからないが、私が他のゲームでひと暴れしてサロンに入ったらそこにいたのは高柳と彼の手下らしき男たちで……、気がついたら縛り上げられてこの部屋に入れられていたの」
「高柳、は本物なの?」
「ええ、私が話す限りはクラスメートのアイツだわ」
高柳の無理やり迫るやり方が我慢できないのか、吐き捨てるように姫が言った。
「美月さん、何とかして自分で脱獄できないの? いつも高柳を締め上げているのに」
大きなため息とともに胸がふるんと揺れて、マークの鼓動を倍増させる。
「ここには横にあるトイレ以外に鍵も扉もないの。高柳はこの通信が始まるといつの間にかここの部屋に立っている、という具合で、通信が終わると消え去るのよ」
時間切れらしく、姫の姿はそのまま脳内の暗闇に消えた。
マークは、ビキニの記憶に息も絶え絶えになりながら2人っきりの会話の余韻に浸っていた。