その5
「な、なんだこいつら……」
チョッカーンがつぶやく。
「倒せば倒すほど、強くなりやがって。嫌がらせかっ」
びっしりと目の前に居並ぶトカゲ人達は、さあやっちまえとばかりに武器を振り上げた。
「キャプスレートっ」
負けじとしゃもじを振り上げて、叫ぶチョッカーン。
お得意のランドルト環のような空間に閉じ込められるリザードマン達。
残り30MPの流通ポイントしか持たない中で作られた閉鎖空間の壁は、いつもと違いどことなくはかなげである。
この空間では、そう長くない先にリザードマン達に突き破られることは想像に難くない。
「圧縮しろっ」
しゃもじが振り下ろされ、朝のように圧縮をかける変形が命じられる。
しかし、今度は勝手が違った。
空間に閉じ込められたリザードマン達が、圧縮されないように透明な壁を外に向かって押しているのである。
「くそう、トカゲの癖に学習が早いっ」
毒づくチョッカーンの額から汗が噴き出る。
リザードマン達は、空間に閉じ込められているがその空間は彼らによって押し広げられており、今にも壁が破れてしまいそうだ。
このままでは、空間が破れてまたリザードマン達が解放されてしまう。
「な、なんとか打開しなければ」
手を握り締めるマークの背中から声がする。
「ご主人様、先ほどの答えの続きですが」
百科事典がおずおずと切り出した。
「このままでは、パーティが全滅してお答えする機会を逸してしまいそうなので、今お答えさせていただきます」
「ふ、不吉なこと言わないでよ、巻物クン……」
「温度を下げる方法を教えろとのご質問でした。方法としては風遠しを良くする、気化熱を利用する、画期的なところでは永久磁石を回転させて下げる、断熱膨張を……」
「断熱膨張……」
マークの目が見開かれた。
「マルコム、僕の流通MPから5を残してすべてをチョッカーンに」
マルコムに命じると、マークはチョッカーンに叫んだ。
「チョッカーン、膨張だ、際限なく、できる限り、空間を膨張させろっ」
チョッカーンがうなずく。
額からますます吹き出す玉の汗。
「くおぉぉぉぉぬうぉおおおおおおおっっっ」
圧縮されまいと壁を押していたトカゲたちは膨らみだした空間の中でつんのめる。
じりじりと広がる空間。
「私の流通ポイントも5を残してすべてチョッカーンに」
なけなしのMPをつぎ込むローエングリン。
「一か八か、お前に掛けたぞっ、チョッカーン」
「これは賭け事じゃないんだぞっ、ローエングリンっ」
チョッカーンの身体が、小刻みに震える。
空間も震えながら、徐々にスピードを上げながら膨張し始めた。
「ええいっ、こうなれば俺のすべてを掛けてやるっ」
チョッカーンは目を瞑って、なにか言葉にならない叫びをあげた。
その瞬間。
ぶおおおおおおっ。
いきなり、破裂したかのような轟音をあげてキャプスレートされた空間がすごい勢いで膨張し始めた。
天をも突きぬけろとばかり広がる空間。
空間の中は白く煙り、壁にへばりつくリザードマン達の全身が霜で覆われる。
温度が急激に下がったのか、彼らの活動が鈍くなり、やがて停止した。
「何が起こったんだ」ローエングリンがマークに叫ぶ。
「断熱膨張だ」
「断熱膨張?」
ローエングリンが眉間にしわを寄せて聞き返す。
「高校の物理に出てくる言葉で、外界と熱のやり取りがない空間を断熱というんだけど、その空間を膨張させることで、空間内のエネルギーが使われるので温度が下がるんだ。冷蔵庫の冷却に使われる原理だ」
「ふ、ふうん」
「ペットボトルの中に空気を圧縮して入れてから、空気を勢いよく抜くと霧ができる実験を見たことない?」
「んんんん、あるような、ないような」
苦笑いしながら適当に返事をする金髪の騎士様。
実際のところよく理解できていない様子、あまり勉学はお好きではないらしい。
ただ理解はできなくても、目の前の大きな空間には寒さで活動が停止したリザードマンたちが積み重なった山ができている、という厳然たる事実が横たわっている。
「私も最後の力を振り絞りこいつらを……」
ローエングリンが剣を振り上げた。
が、極限まで流通ポイントを減らしたためか、そのまま膝をついてしまった。
「ローエングリンっ」
叫ぶマークは、背後でどさりと何かが倒れる音を聞いた。
慌てて振り向くマーク。
「チョッカーンっ」
チョッカーンが草の上に大の字になって仰向けに倒れている。
彼も極限まで力を使ったのだろう。
揺すると、チョッカーンは薄目を開けてもうだめだと言うように首を振った。
で……。
めきめきめき。
マークは見上げた閉鎖空間に細かい網目の様な亀裂が走るのを見た。
空間はすっ、と消失し、霜の付いたリザードマン達が草むらに投げ出される。
リザードマン達の霜が急激に溶け、次々に目が開き始めた。
「うわ、万事休す……」
ぼんやりと横たわるチョッカーン。
膝をつき、肩で息をするローエングリン。
実のところ、マークの疲労も極限に達している。
「姫様、ごめんなさい。僕らどうもここでおしまいです。自力で脱獄してください」
マークは絶望的な瞳をしてつぶやいた。
武器を掲げたリザードマン達が怒りの表情を浮かべて徐々に迫ってくる。
なす術もなく、固まる3人。
その時。
「ううっ、ぐぼっ」
チョッカーンが急に腹を押さえてうめき始めた。
「大丈夫かっ」
慌てて背中をさするマーク。
「こんな時に……なんでお前、ぐえっ」
チョッカーンが激しく嘔吐した。
草むらに吐き出されたのは、あの虹色の玉。
「で、出た。『やっちまっ玉』だ」
ローエングリンが叫ぶ。
「誰が、やっちまった、だって?」
腹に響く低い声が、周囲の空気を震わした。
リザードマン達が、急に3人から離れて後ずさりを始める。
声とともに虹色の玉から、煙がもうもうと噴き上がった。
その噴煙の中から出てきたのは、虹色の鱗を持つ、八つの頭を持つ大蛇。
トカゲだけに蛇は苦手なのか、リザードマン達は我先に木々の中に駆け込み始めた。
しゃーっ。
八つの頭から赤い舌が長く伸びて、残りのリザードマン達を威嚇する。
トカゲ人達は這いつくばるようにして、武器を放り出して散って行った。
「お、おまえ……」
チョッカーンが半身を起して、いたずら者の居候を見つめる。
八つある頭がすべてチョッカーンにウィンクした。
「私はヤマタノオロチ。恐れ崇められるべき神聖な爬虫類のはずの私が、いつの間にか訛って、『やっちまった』だのと言わるようになった。それに腹を立てて祟りを繰り返した報いかとうとう玉に封じられて鬼の持ち物と身を落としていた。が、お前に出会えて大切にされて我が神性を思い出すことができた。感謝するぞ、チョッカーン」
「ヤマタノオロチが、やっちまった、ってえらく無理な訛り方だな」
ぼそりとつぶやくチョッカーン。
なぜか凍りついたような表情をして大蛇をながめていたマークが首を振った。
「い、いや……。ヤマタオノオロチは八岐大蛇と書く。八は『や』と読める。岐は『ちまた』と読める。ヤマタノオロチと呼ばれる前には、ヤチマタのオロチと呼ばれており、それが訛って『ヤマタ』になったのだろうということを……」
最後の言葉は震え声になっていた。
「僕の父が言っていたらしい……」