その3
両側の視界を遮る木々が林立するその間をグネグネと曲がった小道が申し訳程度に通っている。
小道と言っても木が無いだけで、マーク達3人は伸び放題の下草にしばしば足を取られて歩みを止めざるおえなかった。
チョッカーンのむき出しの前腕は小さい虫にたかられて、ところどころが赤く腫れており、彼はぼそぼそと悪態をつきながら手で赤い部分を掻き毟る。
妖精達に虫を払わせたいところだが、彼女たちは偵察をするために先に行ってしまった。
彼らはマルコムに表示されるとおりに進んでいるのだが、薄暗い空間で四方が木という状況が朝から延々と続いており、正直どこをどう行っているのか正確に把握しているものはいなかった。
しかし、上り坂をやっとの思いで越えると、ときどき木々の間から視界が開けはじめ、彼らは初めて小高い丘の上に出て来ているのだと知った。
「休憩するか」
木々が途切れて周囲の見通しが良い広場を選んでローエングリンが座る。
チョッカーンが宿屋で貰った包みを開けて皆におむすびを配った。
なんてことは無い塩むすびだが、午前中歩き通しだった3人にはこの上なく美味しく感じられた。
竹筒に入った水を飲むと、チョッカーンが背伸びをしてひっくり返る。
「ああ、ここは日当たりもいいし気分がいいなあ」
「油断するな、奴らのテリトリーに入っているからな」
食事中も、常に周囲に気を配り警戒を怠らなかったローエングリンが隙だらけのチョッカーンをいさめる。
「大丈夫だよ、さっき宿屋を出るときに立てた作戦で楽勝だよ。だって俺たち超パワーアップしてんだぜ」
「完全に装備をしていた君達のクラスメートがオオカミ野で無残に敗れ去ったのを忘れたか」
のんきな仲間を眉間に皺を押せて一瞥すると、ローエングリンはさあ、行くぞとばかりに立ち上がった。
「騎士様ちょっと待ってくれよ、俺の腹の中のダチがもう少し休ませてくれって言ってる」
「『やっちまっ玉』の事か? その妙な居候はさっさと虫下しで出してしまえと言っただろう、戦闘中にやっちまった、なんてことが起こったら、それこそ一巻の終わりだぞ」
ズボンのポケットから錠剤を出すと、ローエングリンはチョッカーンの鼻先に差し出した。
居酒屋でワインを浴びたのは、あの玉のせいであるとうすうす彼も気が付いているようだ。
「例の虫下しだ。即効性ですぐ利くようだから今のうちにさっさと出してしまえ」
「俺の腹ン中で悪さもせずにおとなしくしている限り、こいつは俺のダチなんだ。余計な指図は止めてもらおう」
背の高いローエングリンの顔に、つま先立ちで自分の顔をできるだけ近づけて睨みつけるチョッカーン。
「や、やめてよ2人とも……」
か細いマークの声など、もともと気が合わない2人の耳には届かない。
「飲めよ」
「大きなお世話、むしろ大迷惑だっ」
「人の好意は受けるもんだっ」
いきなりローエングリンのリーチの長い手がチョッカーンの顎を掴み、反対の手が少し開いた口の中に錠剤をねじ込もうとする。
辮髪を左右に揺らしてばたばたするも、彼の手は金髪の騎士に届かない。
ついに、錠剤が口に入った。
「安心しろ、飲み込まなくてもすぐ口の中で溶ける。これで『やっちまっ玉』と決別だ。よかったな、あーははははっはっ」
高らかに笑うローエングリン。
その時、チョッカーンの腹から何か風を切るような音が。
ひゅっ。
「んごっ」
大きく口を開けて笑っていたローエングリンは、喉の奥に飛び込んだ何かを思わず飲み込んでしまった。
「あ……」
マークは、チョッカーンの口にねじ込まれた錠剤が、吹き飛ばされるように一直線にローエングリンの口の中に入ったのを見て絶句する。
「や、やったなああ。お前っ」
チョッカーンの胸倉をつかむ騎士様。
「俺は何にもしてない…ぞ」
チョッカーンの口が、笑いをこらえて歪んだ。
腹の奥が張って、一気に錠剤が噴出されたが、それはチョッカーンのあずかり知らぬところである。
もちろんヤツの仕業に決まっている。
「おおおーまままままーええええええっーー」
胸倉をつかむ手が、いきなりぶるぶると震える。
ぴぴぴ、ごろごろごろごろ~~~~。
雷鳴が腹部にとどろき、騎士様は木立の奥に神速で駆け込んで行った。
「いやあ、こういうのを自業自得ってんだよな」
にやにや笑いながらその後姿を眺めるチョッカーン。
その時。
ひゅっ。
チョッカーンの鼻先を矢がかすめた。
「リザードマンかっ」
50メートルほど先の木立の陰に何かがキラリと光る。
反射した鱗の光か。
「バリアーっ」反射的にマークが叫ぶ。
2メートル四方の透明な壁がマークの眼前に現れた。
これでとりあえず前方は大丈夫という訳だ。
マークの後ろに駆け込むチョッカーン。
しかし。
後ろを振り向いたチョッカーンの目に映ったのは、手に手に武器を持って近づいてくる服を着たとかげの化け物達だった。
服と言っても、布のズボンのみであるものがほとんどであったが。
百科事典で見た通りの丸っこい輪郭、黒っぽいぶつぶつのある鱗で覆われた光沢のある皮膚。
首から背中にかけて黄色の斑がある事から考えて、ドクトカゲの一種と思われる。
「囲まれてるぞ」
震え声のチョッカーン。
地の利に勝るリザードマンたちは彼らに気づかれぬように追跡してきたのであろう。
そしていかにも強そうなローエングリンがパーティを離れるのを待っていた。
「巻物クン、彼らの弱点は?」
「人間とほぼ同じです。ここという弱点はありませんが、全体的にここが強いといったところもありません」
前回と全く同じ答えを繰り返す百科事典。
「ええい、スーパーリニューアルキャプスレート、行けええええっ」
チョッカーンのしゃもじが振り下ろされる。
視力検査で良く使う、Cに似たランドルト環のような形の閉鎖空間に彼らの周りのリザードマンが包まれた。
「変形っ」
弦の部分が急速に短くなって周囲に散らばっていたリザードマンがぎゅうぎゅう詰めでほぼ一か所に集められる。
「す、すごいじゃないか」
友の技術の向上に感嘆の声を上げるマーク。
「これがドーナツ型だったら、変形してもどこかにもとの丸の空間が残るんで使いにくいんだ。だからこのランドルト環型で包むようにしている」
ちょっと得意げに解説するチョッカーン。
きっと朝早く起きて練習していたんだろう。腹も減るわけだ。
マークは尊敬の念をこめて友を見る。
怠け者に見えて、チョッカーンはこういう生真面目な部分も持ち合わせている。
そういう妙な勤勉さが、マークと気の合う部分でもあるのだろう。
「本当であれば、ここでキャプスレートを解除すると同時にローエングリンに一発で仕留めてもらうつもりだったんだがなあ」
目の前でトカゲ玉と化している空間を見つめながらチョッカーンがつぶやく。
「ざ、残念ながら今の私にその力は無い……」
どこで拾ったのか木の枝を杖代わりにして、げっそりと頬がこけたローエングリンがふらふらと現れた。
「流通ポイントが5MP……、立っているだけでめまいがする」
慌てて、ローエングリンに肩を貸すマーク。
「チョッカーン、リザードマンの様子は?」マークが叫ぶ。
「酸欠といきなりの圧縮で、なんか皆動かないぞ」
「生命力が強そうだから、これで絶命したとは考えにくい。窒息して一過性の意識消失を起こしているのかもしれないな。今のうちに逃げよう。キャプスレートはどれだけ維持できる?」
「オオカミ野みたいに500メートルくらいまで離れても維持はできるが、そのあとはわからない」
「とりあえず、できるだけキャプスレート維持のまま逃げよう」
両側から肩を貸して、よれよれのローエングリンを引きずるようにその場を離れるマーク達。
しかし、3人ともこのままで済むはずがないことはうすうす予想していた。
しばらくして、キャプスレートされた空間にめりめりとヒビが入り、楕円形の空間は砕け散った。
解放されたリザードマンたちは積み重なって、草むらにしばらく横たわっていたがやがて一体、また一体と目を開け始めた。
そして。
立ち上がった、彼らの姿が徐々に変化していく。
頭部は四角になり目が大きくなり体色が変化し始め……。
やがて、彼らの姿は背景に溶け込んでしまった。