その5
「頼むから、おとなしくしてくれよ」
二日酔いの頭痛にさいなまれながらまるで子供に諭すかのように自分の上腹部を触って、つぶやくチョッカーン。
昨日立ち寄ったあのサロンでの出来事、口から噴出するワインは、この腹の中のどこかにいる『やっちまっ玉』のせいだと、ほぼ確信に近い直感がある。
サツマイモ畑の一件といいなんだか手におえないいたずらっ子のようだ。
「でも……コイツはなんだか妙にわきまえているような気もするんだよな」
自分にダメージを与えたかったら、オオカミ野でのオオカミとの戦いのときにむちゃくちゃをしても良かったはずなのに、あの時はなりをひそめていた。
妙な話だが、チョッカーンは、この玉に自分に通じるものを感じていた。
彼は小さいころからやんちゃで悪戯好き、いつも両親の小言や近所の苦情の雨あられの中で生きてきた。
実は、彼の人生も『やっちまった』の連続だったのである。
川に飛び込んで、母親に悲鳴を上げさせたり、小学校の修学旅行に梅酒を持っていき、クラスメートを爆睡させたり、近所の年上の不良に真っ向勝負したり、市美展に出すはずだった姉の人物画に髭を描き加えたり、こっそり父親のパソコンで遊んでいるうちに、データーを消してしまったり。困った武勇伝には事欠かない。
それは、姉妹に囲まれた反動で、女っぽくならないように、むしろ枠からはみ出た男を強く意識して生きてきたことも一因であろう。
後藤さんのところの、『男の子』は元気が良すぎる、という評判は彼にとって勲章だった。
なんだか、この玉にも、悪戯したい、自己主張したい何かがあるのではないだろうか……。
そう考えた瞬間から彼はこの玉に急に親近感を感じてしまったのである。
チョッカーンはサツマイモを食べたとき、もしかしてこの玉が下の方から体外に排出されてしまわないかと、ちょっと心配になった。
玉という形にはなってるけど、なんか人格がありそうだ。
だとすれば、いくら悪戯好きの手に負えない奴でも、鬼なんかに所持されて、挙句の果てにあんなところを通って便所に捨てられるのはあまりにも可哀そうじゃないか。
「出るんなら、口から出てこい」
安産を願う母親のごとくチョッカーンは引き締まった腹をなでる。
それに答えるかのように、チョッカーンの腹の虫が遠吠えするかのように鳴いた。
「ねえ、巻物クン」
朝からずーっ、と巻物を見ていたマークがそっと話しかける。
「サイレントモードを解除します。なんですか、マスター」
「君って、何ができるの?」
「私ができるのはこの膨大な世界の情報の中から必要な知識をあなたに与えることです」
「君は中枢に近いところにアクセスを許された、特別な百科事典だったよね。計算……とかはできる?」
マークの言葉に気を良くしたのか、巻物は得意げに話し始めた。
「計算はあなたがお持ちのマルコムでもできますが、もちろん私もできますよ。1+1の答えも所詮情報の一部ですから。でも、マルコムにできず私にできるのは、あなたから一定の条件を提示されればそれに従って適切な計算式を見繕い、計算結果を提示できることです。そもそも私は演算装置の一部であることをお忘れですか。ご希望があれば、ビックバンの時の星の配置まで計算してみましょう」
巻物の言葉にマークは頬を紅潮させる。
どうやら彼の求めていた答えを得たようだ。
「リアルタイムに出てきた答えを直接チョッカーンの脳内に送ることは可能?」
「マスターの御命令とあらば」
「すごいねえ。さすが、無限の一部だ」
「ま、私はそんじょそこらの百科事典ではないという事ですよ」
巻物は得意げにわが身を金色に光らせた。
「じゃあ、計算して欲しいんだ。最大効果になる量と、面積を。周囲の環境条件も加味して。できる?」
「こんなの朝飯前でございますよ、もし私が朝ご飯を食べればの話ですが」
巻物はニヒルにふふっ、と声を出す。
マークはなにやら巻物に向かって、真剣に話し始めた。
チョッカーンは朝ごはんを済ませてから、オオカミ野ではない平原に出かけた。
ローエングリンのおごりで、しこたま食べることができたので、カロリー消費分の流通ポイントは回復している。
頼めば、騎士様の流通ポイントをもっと分けてもらえそうだが、それは彼のプライドが許さなかった。
オオカミ野を突破するには、自分がもっとスキルを磨かなくては。
草原を睨み、彼は練習を始めた。
「キャプスレート!」
舞い上がる木の葉が、彼の作った閉鎖空間に舞い込む。
透き通った空間は手で叩いてみると、結構硬いがそれでも石でガンガン叩くとガラスのようにヒビが入って砕けた。
「もっと、硬く。もっと広く」
イメージを固めて、キャプスレートを発動する。
先ほどよりは少し硬そうな空間が出現した。
キャプスレートという掛け声とともに、空間を想像する、空間の材質と同時にどこから閉鎖空間ができていくかもイメージしなければならない。
結構忙しい作業である。
しかし、あのオオカミ野では、ローエングリンにばかり頼っていられない。
男の意地を見せなければ。
戦闘中、最も効果的な空間を出せるように……。
「キャプスレートっ」
気合の入った声で彼は叫び続けた。
「私のジャンプ力だと?」
いきなりマークから尋ねられたローエングリンは首を傾げながら答える。
「このゴールドパスを持つ私のジャンプ力を聞いて驚くな、上には30メートル、横には最大80メートル飛ぶことができる」
「す、すごい。ジャンプというより既に飛行してますね」
さすがゲームの世界。
常人離れした能力にマークは目を丸くする。
「ジャンプでオオカミの大群を越していけそうだが、ゲームではオオカミを越えなければ延々とオオカミ野が続くこととなる。だからお前らを抱えてオオカミの軍団を飛び越えると言う訳にはいかないんだ」
「いや、違うんです」
マークはじっとローエングリンの瞳を見つめた。
「実は……囮になってほしいんです」
ローエングリンは、探るような目つきでマークの目をを覗き込んだ。
傍らで、マークの指示を受けたらしい妖精たちが筋トレをしている。
皆、色違いのジャージ姿で手に思い思いの運動器具を持っている。
「ええええええぃ」
エキスパンダーを両手で引き延ばす、ア・カーン。
「きええええええっ」
果敢にもバーベルを持ち上げる、バ・カーン
そして。
「ぴくぴくして腹筋をわるのですううう」
ジャージをたくし上げたお腹に、刺激装置を張って、筋肉を動かすコリャイ・カーン。
「あんたのは、美容でしょうっ!」
他2人の妖精達から突っ込みを入れられて、舌をぺろりと出すコリャイ。
しかし10分後。
「ぶるぶるするですヴヴヴヴヴヴっ」
3人はそろって、今度は腹部にベルトを巻いてふるふるされていた。
「ねえ、みんな。聞いてくれる?」
3人での遅い昼ごはんの際に、マークはそっと口を開いた。
「皆の体調が良くなっていれば、の話なんだけど、オオカミ野に行きたいと思っているんだ。すでに3日目の昼だ。仮想空間時間で丸2日、という事は現実時間で約2時間がたっている。これから先、長いことを考えればあまり悠長にはできないと思うんだけど」
「それは、そうだけど」チョッカーンは口ごもる。
「どう考えても、俺のキャプスレートではオオカミ達を攻略する方法が見つからないんだ」
「実は、僕に考えがある。皆、お願いだ、僕に力と命を預けてくれないか」
ローエングリンとチョッカーンは黒眼鏡の青年の気迫に押されて思わず首を縦に振っていた。