その3
「なかなかいい宿ではないか」
ローエングリンはそう言うと、マークが使っていたベッドにいきなりごろりと横になった。
朝、マークが出がけにきちんと整えていた皺ひとつないシーツの白い海に、騎士様の美しい金髪が波紋のように広がる。
何をやっても絵になる男だ。と、見ていたマークは溜息をついた。
「今日はここで寝させてもらうぞ、お前達は小柄だからそこの小汚いベッドで一緒に寝ろ」
ぐしゃぐしゃのシーツが丸めてあるチョッカーンのベッドを指さしてそう決めつけると、騎士様は長い睫毛を閉じて、寝転がりながら大きく伸びをした。
そのあまりに傍若無人な振る舞いに、今までこらえていた堪忍袋の緒が切れたのか、顔を赤くして飛び掛からんとするチョッカーン。
彼にあわてて抱きついて押しとどめるマーク。
「こらえて。い、命の恩人だしさ……」
ドアの外に親友を引きずり出す、マーク。
「なんなんだよ、あれ。いきなり現れて、それから頼まれもしないのに俺たちのパーティにあたりまえのような顔で合流して、おまけに俺たちをすっかり部下扱いして」
普段から、気ままは自由人のチョッカーンは指図されるのが大嫌いである。
一応、声を押し殺してはいるが、いろいろカンに障るところが多かったらしく、ドアの外に出てからはローエングリンへの非難の言葉が激流のようにあふれだした。
「命は助けてもらったけど、それでも少しは仲間に対する遠慮とか、礼儀とか、必要だろっ。なんだよ、あの振る舞いは。俺たちはお前の僕じゃねええ」
争いごとが苦手なマークは、ただ、ただ、怒りが一刻も早く収まることを願いながら「そ、そうだね」と言いながらうなずくのみ。
「だいたい、あの外見だって、所詮アバターだろ。マミーボックスの中の本体は案外脂ぎったオヤジかもしれないしな」
「残念だったな、私は実物も美形だ」
ドアを開けて、白鳥の騎士様が現れた。
「お前、盗み聞きしていたな」
振り向いて、とうとう鬱憤が爆発するチョッカーン。
「盗み聞きとは、人聞きの悪い。私はお前らが外していたマルコムが何やら叫んでいるから呼びに来たのだ」
「あっ、姫様通信だ」
ローエングリンを押しのけて部屋になだれ込む2人。
「頭に転送して」今日の服装はどんなんだろう、ドキドキしながら叫ぶマーク。
「もちろん私にもだ、マルコム」
2人の背後で澄ました声がした。
目を瞑った3人の前に、銀の薄い格子が現れる。
き、今日はどんな……。早くも条件反射になってしまったのかごくりと生唾を飲む2人。
視界の中に現れたのは、いつもの見慣れたセーラー服を着ている、美月。
夏のセーラー服は白色で、赤いラインが襟を縁取るように走っている。
しかし、そのセーラー服と紺色のプリーツスカートは薄汚れて、胸元や腹部にところどころ鋭利な刃物で切ったような破れ目が入っている。
そこからチラチラと見える白い象牙の肌。
リボンはきちんと結ばれてはいるものの、どこか疲れた感じでだらりと垂れさがっていた。
破れセーラー、キ、キターっ。心の中でマークは叫ぶ。
しかし、気になることが一つ。
「美月さん、そのセーラー服、どうしたの。大丈夫?」
マークが叫ぶ。
「ああ、これは朝自動的に服装が変わっているように設定されているんだ。誰かに切られたりしてないから大丈夫。どうやら、服はあの恥知らずな牢番が決めているらしい。あいつはこの通信の時間しか入って来れない状態に設定されているらしいから、心配御無用だ」
ふううううっ。同じ心配をしていたのか、傍らでチョッカーンの安堵の溜息が聞こえた。
姫様は少し暗い表情で赤い唇を開く。
「それにしても今日は、大変だったな。ご苦労様。あいつら……、多分私が救出されたら一緒に解放になると思うから、頑張ってくれ」
あいつら、とは冥界に閉じ込められている鈴木たちのことを言っているのだろう。
今日の姫様は明らかに沈んでいた。
だが、うしろのイケメンに気が付いたのか、一瞬美月の顔がぱっと輝く。
「そちらは?」
「私、放浪の騎士、ローエングリンと申すもの。姫様の美しさに一目ぼれし、お助けに参上いたしました。私は数々のオンラインゲームで高得点をあげ、ついにゴールドパスを手に入れております。」
彼は左腕の甲に輝く、金色のオリーブの葉の意匠に囲まれた飾り文字のGを顔の前に掲げた。
小さいころ、宿題の横によくできましたという判をもらったが、それに似ている……とマークはふと思った。
「ゴールドパスというと、オープン、クローズドにかかわらずどのオンラインゲームのパーティにでも参加できるという、あのパスのことか?」
姫がますます目を大きく輝かせる。
オンラインゲーマー憧れのゴールドパス。
それは比類なき技と勇猛果敢な戦い、そして礼節をわきまえるものだけが授けられる。特別な身分証明書のようなものだ。
その審査は厳しく、今まで数人しかこのパスを得ていないと言われている伝説のパスである。
特別に参加の誘いを受けることもあるし、パーティ参加の優先度も一番になる、と巷では噂されている。
「ちっ、ゴールドパスも大したことねえな」
出会ってからの2人に対する接し方を思い出し、チョッカーンは肩をすくめた。
「最近私の胸を高鳴らせるゲームが見つからなくなり、少々腐っていたところでした。何の気なしに『囚われの姫君』のゴールドパス限定情報を見ていましたら、攻略パーティがお粗末でミッション遂行が危ぶまれる、として一般から助っ人を求めるとの募集が出ており、そこの囚われの姫を見た瞬間、私の心は雷に打たれたように衝撃を受け、気が付くと参加していたのです」
ローエングリンはじっ、と姫を見つめる。
姫の頬が心なしかピンクに染まる。
「はい、そこまで、そこまで」
こちらは相変わらずの黒騎士の装束で、高柳が現れた。
「ローエングリンさん、とやら。いくらその外見で姫を誘惑しようとしても、無駄ですよ。そこの能無しと一緒に冥界に落ちるのが関の山。早く離脱したほうが身のためというもの。この姫はもう、私の手の中……っつ」
セーラー服の姫が油断していた高柳の手をひねると背中の方に回し、セーラー服から出た白い足が、背中を蹴っ飛ばした。
3人の視界から吹っ飛んで消える牢番。
「やっぱり僕らが命を懸けるよりも、姫が本気を出した方が早く脱獄できるんじゃないかなあ……」
ぼそりとマークがつぶやいた。
「と、ところで美月さん。おれ、一つ聞きたいことがあるんだ」
意を決したようにチョッカーンが口を開く。
「気を悪くしないでほしいんだけど、君、本物?」
マークは驚いて傍らの親友の方を向く。
「解せないんだよ、なんで美月さんがログインもしていないのにこのゲームで囚われたているのか。メールの文面も変だったし、今から俺たち、もしかしたら命を懸けることになるかもしれない。もし死んで鈴木達のように冥界に行ってしまったらこのゲームが終わるまでログアウトできないで機械に繋がれたままになるんだ。あなたがもし偽物だったら、このまま一般参加者の誰かがあなたを助けるまでのんびり宿で暇をつぶす。同じ待つのなら冥界よりもその方がいいからね。でも、本当に美月さんだったら、俺たち……」
そこでチョッカーンは、横のマークの方を向いた。
唇をかみしめてうなずくマーク。
チョッカーンは再び姫様の方を向いて、続ける。
「本気であんたを救出にいく。だから、本当に俺たちの姫かどうか確認の質問をさせてくれ」
姫はまっすぐにその長い睫毛に覆われた大きな茶色の目を救出者たちに向け、うなずいた。
「じゃあ、セーラー服の下に着ているキャミソールの種類を言って」
はあああ?
思わずマークは今までの演説の感動を台無しにする友人の質問に眉をひそめる。
「白、ピンク、肌色……」口ごもりながら答える美月。
「本当にそれだけ? それだけしか学校に着てこなかった?」詰問するチョッカーン。
「黒……」
「どんな黒?」
「レースのついた、背中が網ひもの……あの日、遅刻しそうで手にあたったお姉ちゃんのを慌てて着てしまったのよっ」
姫様の答え、最後は小さい叫びとなった。
腕組みをしてうなずくチョッカーン。
「あの日、セーラーから透けて見える網ひもはまさに悩殺だった……間違いない。美月さんだ」
「お前が何で知ってるんだよっ」
ローエングリンがチョッカーンの尻に蹴りをいれた。
この行動については、マークも心の中で激しく同意している。
「俺はこの前の席替えで配置が変わるまでは、美月さんの真後ろだった」
遠い目でつぶやくチョッカーン。
「退屈な授業中、憧れの女性の後姿を眺めること以外に何かすることがあろうか。それも目の前に透けた下着が見える状況とあっては……」
目の前でふるふると両手のこぶしを震わせながら、力説するチョッカーン。
「勉強しろっ」
ローエングリンの蹴りつっこみが炸裂した。