その2
全身がこわばるマークと、チョッカーン。
二人に冷や汗さえ出ないほどの緊張が走る。
「い、いる?」
「いるな」
目だけを動かして、お互いに会話する二人。
マークの武器は百科事典。戦力としては限りなくゼロ。
チョッカーンのスキルは空間に結界を作るキャプスレート、と花火。
花火は昼間にはほぼ無力、そしてキャプスレートはどれだか効果のあるものか定かではない。一節には、自殺スキルとさえ言われているらしい。
各種最高の武器とパワーを携えた、クラスメートたちはオオカミ軍団の前にいとも簡単に散った。
貧弱なスキルの2人が、オオカミ軍団に勝てるはずはなかった。
「お、おい、ア・カーン」
赤いチュチュの妖精が、革ベストの裏からそっと顔を出す。
「何匹いる?」
妖精は、主人の肩越しにそーっ、と顔を出すと背後を覗き見た。
「一匹……」
オオカミの群れからはぐれて、うろついていた個体だろうか。
「チョッカーン、キャプスレートでオオカミを囲んでくれ、少しでも時間が稼げる。その間に逃げよう」
マークが囁く。
チョッカーンがうなずいた。
彼らは、同時に振り向く。
その瞬間、オオカミが跳躍して二人に飛び掛かった。
引き裂かれたように開く、禍々しい赤い口。
中の歯は鋭利なナイフのように尖っている。
オオカミの標的はチョッカーン。
彼の目の前に、血の池を彷彿とさせる禍々しい赤が広がる。
どかっ。
いきなり、チョッカーンがつきとばされる。
ごろごろごろっ、と草の上に転がる黒い塊とマーク。
マークの左手はがっちりオオカミに噛みこまれていた。
「離れなっ、この野郎っ」
青いチュチュのバ・カーンが小枝をオオカミの目に突き立てる。
ぎゃおおっ。オオカミの標的が妖精になり、そちらに飛び掛かる。
「今だっ」
マークの叫びとともに、チョッカーンがしゃもじを振り下ろす。
「キャプスレートっ」
ぱっ、とオオカミが透明なガラスのような丸い物体で包まれた。
以前使った時は被膜だったが、その時よりも空間を形成する材質が硬化している。
先ほどの追加の400MPが効いているのだろうか。
オオカミは自らの身体をその透明な壁にぶつける。
数度ぶつけても、壁はびくともしなかい。
「大丈夫かっ」
チョッカーンはマークに駆け寄る。
親友は真っ青な顔をしているものの、痛みをあまり感じないためか、わりと平然として立っている。
しかし、学生服は引き裂かれ、ぼたぼたと血が流れていた。
「馬鹿野郎、運動音痴のくせに無謀なことしやがって」
「僕が引き受けたほうが、痛くないからいいと思って」
二人がキャプスレートされたオオカミから、走り去ろうとしたその時。
ううううううっ。
血の臭いに誘われたか、オオカミ達がさらに数匹現れた。
「ま、まずい」
チョッカーンがいろいろ試してみた結果、基本的にキャプスレートができるのは1か所のみである。
もう、この術は使えない。
2人の行く手を阻むかのように、オオカミたちが一直線に横並びになった。
「終わったかも」
チョッカーンがつぶやく。
「運が良ければ、明日夏期講習で会おう、チョッカーン」
マークがぼそりと答える。
でも、多分絶命した自分たちが行く先はあの鈴木達が閉じ込められている冥界だろう、との予想はついているのだが……。
動きを止めた二人に向かって、オオカミが一斉に飛び掛かる。
ああ、死ぬってどんな感覚なんだろう。
跳躍した死の使いが、二人に向かって降ってくる。
バシーッッツ。
マークの横の空間がいきなり光ると、縦に裂け目が入った。
裂け目から、銀色に輝く鎧に身を包んだ、長身の騎士が躍り出る。
騎士が頭の上に大きく振り上げたのは、1.5メートルほどの銀色のまっすぐな剣。
いわゆるバスタードソード、片手でも両手でも使えるという分類に入るものであろうか、通常よりやや太めに作ってあり重量感もあるが、慣れないと扱いにくいその剣を騎士はまるで手の一部であるかのように滑らかに動かす。
クラスメートたちの剣とは、風格というか、オーラは桁違いのものがあった。
「どけ」
隙の無い足運びと、視線で相手をけん制しながら騎士は、マーク達を自分の後方に追いやる。
と、同時に頭上から刀を一閃させた。
刀は虹色の光跡を描き、まず一匹目のオオカミを光の屑と化した。
後ずさり、威嚇するオオカミ達。
じりじりと、残りの3匹のオオカミへの間合いを詰めていく銀色の甲冑の騎士。
オオカミが飛ぼうとした、その直前に騎士は跳躍し刀を横になで斬りした。
剣の格の違いか、オオカミは分裂せずにそのまま光になって消え失せる。
「ああ、もう持たないっ」
後ろを振り返って、チョッカーンがみたものは、キャプスレートで最初のオオカミの周りに作った閉鎖空間がオオカミの体当たりによって砕け散るところだった。
騎士の左手から細身のダガーが放たれる。
狙い過たず、それはオオカミの眉間を刺し貫き、オオカミは一瞬にして消え失せた。
オオカミが増えないことを確かめて、騎士は右手の剣を肩に背負った大きな鞘に納めた。
戦いは一瞬のうちに終わった。
「な、なぜ、分裂しなかったんだ……」
チョッカーンの一言に、騎士が振り向く。
「爆発や、銘入りの高位の剣で一瞬で絶命させると分裂しないのだ」
騎士は静かに、やや居丈高に答える。
「あなたは……」
マークの質問を遮り、騎士は不機嫌な声で言った。
「お前達は御礼というものを知らないのか」
「あ、す、すみません、ありがとうございました」
二人は慌てて頭を下げる。
騎士は大きく溜息をつくと。頭を振った。
「ま、これくらいなんでも無いことだがな。お前達は、ミヅキ姫を助けに行く一行だな?」
「ええ、そうです。クラスメートの仲間はもっといたんですが、さきほどここでオオカミの大群にやられてしまいました。でも皆、現実世界に帰ったわけではなくてどうも冥界に閉じ込められているみたいなんです」
「そうか、ちょっと遅かったな」
騎士は腕組みをして野原に仁王立ちをした。
太陽の光に、磨き立てられた甲冑がきらきらと光り、周囲に後光が差したかのようだ。
「あの、あなたは……」
救いの神にマークが恐る恐る尋ねる。
「うるさい、せっかちな奴だな、聞かなくても教えてやる」
騎士はそういいながら甲冑のヘルメットを外した。
「顔を見せて、名乗ろうと思ってな」
ばさりと滝のように肩に落ちる、金色のまっすぐな髪。
細面の白い顔には、深い淵のような緑色の目がきらめいている。
細いけど、意志の強そうな眉毛、そして高いすらりとした鼻、紅潮した頬に、皮肉っぽく少し歪んだ桃色の唇。
「我が名はローエングリン。一般参加者だ。君たちの姫君に一目ぼれしたものでな」
「う、っわ……」
背の高い騎士を見上げるようにしながらチョッカーンは息を飲む。
それにしても、ローエングリンというと、あのワーグナーのオペラで『白鳥の騎士』として有名な美形の名前だ。
臆面もなくその名前を名乗るとは、なんという厚顔な奴だろう。
しかし、神々しいばかりのその姿を見ていると、その名前も的外れなものではないと思えてきて、チョッカーンは舌打ちをした。
見れば見るほど婦女子の好みそうな、スーパーイケメンである。
彼は圧倒的なその豪華な美しさに、唇をかみしめた。
強くても、性格が良くても、熊の様な毛深さとか、悪臭とか、顔の悪さとかあればまだ、二人に勝ち目はある。
しかし。
美月さんを助けてこの三人で並んで、おつきあいを申し込んだら。
俺が女だったら、彼を選ぶな……。
勝ち誇ったように、二人を見下ろすその緑の瞳を睨み返しながら、ひしひしと敗北感を感じるチョッカーンであった。
「私はヒーリングのスキルも持ち合わせている。お前、ちょっと来い」
マークに詰襟を脱ぐように指示すると、血に染まった白い袖をたくし上げる。
ローエングリンは自分の手のひらを彼の手にかざす。
すると、見る見るうちに、むき出しの筋肉が閉じ傷がきれいに消滅していった。
「あ、あの……」
マークが白鳥の騎士に恐る恐る尋ねる。
「なんだ」
「治療費、おいくらでしょうか……」
すっかりこの世界でカネ勘定が身についてしまったマーク。
このあと、騎士様に「私はそんなケチな男ではない」と、怒鳴られたのは言うまでもない。