その1
今回はオオカミとの戦いのシーンで一部残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。残酷なシーンが嫌いな方は、今回読まなくても大まかな話は通じるように書きますので、読み飛ばしてください。
このゲームにおける、オオカミ。
食肉目イヌ科イヌ族。(幸いなことに、手ごわい人狼ではない)
VRMMOでは、開始ゾーン近傍をうろうろすることが多い。点数稼ぎ用、もしくはスキル練習用としてちょうどいい練習台。
さっきからずっと、マークはサイレントモードにして広げた巻物から自動的に出てくるオオカミの情報を流し見ている。
さすがに目が疲れてきたことを感じた彼は、頭の方にあるランプを置く小机に巻物を置いて宿のベッドの上にひっくり返った。
百科事典を見すぎて目が痛い。
彼の脳裏に意気揚々として出かけて行ったクラスメートの姿が浮かんだ。
「ま、こわくなりゃ、エスケープって叫んで死に戻りすりゃあいいんだから。で、また金を工面して参戦するし。でも、たぶん僕たちが姫を助けてくるから、ここでくつろいで待ってな」
いつも調子の良い鈴木の一言が蘇える。
皆、ここの怪物の恐ろしさを知らない。
ゲーム好きのチョッカーンも、今までの怪物とはモノが全然違うと恐怖を顕わにしていた。
マークは仮想オンラインゲームなど初めてだが、それでもあの戦いで、一つ目鬼の質感までしっかり作りこんである驚嘆すべきリアリティに、実際に襲われているかのような命の危機を感じた。
「無事で戦ってこいよ……」
意地悪なところもあるが、クラスの男子たちは同じ目的を持つ仲間である。
オオカミ討伐であまり怖い思いをしてほしくないものだ。と、元来気の優しいマークは考えた。
ただし、彼らがすんなり成功して美月さんを奪還する、というのももちろんうれしくは無い。
「俺たちも、そろそろ行ってみるか。お邪魔にならないようにな」
チョッカーンが皮肉めいた口調でつぶやいた。
これから彼らは、クラスメートの戦いぶりを見物に行くことにしていた。
マークはもちろんその運動神経の無さから、強く誘われはしなかったし、最初チョッカーンがついてくることには反対しなかったクラスメートも、へんてこな玉を飲み込んでいることを思い出すと、掌を返すように同行を断った。
「まあ、流通ポイントがこの体たらくじゃ、行ってもすぐカロリー切れだよな」
サツマイモのおかげで、カロリー分の消費は無くなったが彼らの流通ポイントは一向に増えず、マークは300MP、チョッカーンは200MPだ。
能力ポイントはそれぞれ200MPだが、スキルを得てバトルできるレベルのパワーをつぎ込むには全然足らなかった。
「ねえ、同じパーティの者同士って、ポイントやり取りできるんだっけ」
ベッドの上でぼそりとマークがつぶやく。
「ふつうはその設定が多いな」
焦げたしゃもじを入念に手入れしながらチョッカーンが返事をする。
「僕、君の直感を信じるよ。君の能力ポイントに、僕の能力ポイント200を加えて400にしよう。で君がスキルアップしてくれ。僕はこの巻物の機能で充分満足している」
「でも、お前を必ず守ってやれるとは限らないぞ。お前だって何か防御とかスキルを……」
「いいんだ、チョッカーン。だって使いこなす自信がない。僕が使いこなせるのはこいつだけだよ」
傍らの巻物を取り上げ、大切そうに撫でるマーク。
単語辞書の代わりの精神安定剤はこれに変わったらしい。
「もし、どうしようも無くなったら僕のことは放っておいて。少々の痛みは我慢できるし、もしオオカミに襲われて死にそうになったら、その前にエスケープで現実世界にトンずらするよ。その時は後を頼む……」
「マーク、死に戻りする時は一緒だ」
チョッカーンが戦友の肩を叩く。
「そんときゃ、また一緒にこの世界を攻略に来よう」
「でも、僕は1ナノでも望みがあれば、エスケープしないつもりだ」
「俺も、お前をここに残して、エスケープはしないぜ」
2人はぐっ、と握手をした。
オオカミ野。
『囚われの姫君』では、どのパーティでもまずここを攻略しなければ次のパートに勧めないという全行程に共通な試練だ。
そこは、膝までの草がなびく大平原。
クラスメートたちは、いつ怪物が現れてもいいように武器を手に颯爽と大地を踏みしめる。
マークとチョッカーンは近くの小高い丘の上から、彼らを見ていた。
クラスメートは13人。
数人参加していないものも居るが、ほぼ全員が来ている。
「これだけ人数がいれば、オオカミ数匹なんて楽勝かもしれないなあ」
ぼそりと、チョッカーンがつぶやく。
「頭の中で勝てるシュミレーションができてから戦う、とか言わずに、同行させてもらえばよかったかなあ」
「ん、あの黒い風はなんだ?」
野原に吹き込んだ風が黒く見えて、チョッカーンは眉をひそめた。
次の瞬間、2人は叫んだ。
「な、なんだ。あの数は……」
黒い風の正体は、オオカミの大群だった。
大群は、まず一塊となってクラスメートたちの行く手を阻む。
そしていきなり獲物に向かって全体が走り出した。
騎士の誰かが剣を抜き、オオカミに向かって切りつける。
剣からほとばしる雷光、と、ともにオオカミが数匹空中に投げ出された。
大刀を持って暴れまわる勇者は、斬っ、とばかりに体の周囲に勢いよく剣の軌跡を描く。一瞬にして勇者の周りにオオカミの躯が積み上がった。
長いローブを羽織った魔法使いの一団は、何か呪文を詠唱する。
彼らの杖から出た青い光がオオカミを貫き、オオカミたちは煙を上げながら硬直して転がった。
この戦い、一方的にクラスメート側が優勢に見える。
しかし。
「うっ……」マークは目の前の光景に息を飲んだ。
地面に転がったオオカミの死体が急に分裂すると、むくり、と起き上った。
一気に増えたオオカミは、一団を丸く囲むとじりじりと包囲を狭める。
倒しても、倒しても押し寄せるオオカミの波。
それは永劫に途切れない命を持つかのようにやられればやられるほど分裂して増えていく。
騎士の剣からほとばしっていた雷が徐々に薄くなる。
そして、切れ味が低下したのか、積み上がるオオカミの躯が減っていく。
魔法使い達の青い光も、透明になっていく。
丘の上からは、黒いじゅうたんの上にぽっかり穴があるように見えた。
最初は、穴が勢いよく広がって、周囲の黒色が薄く散らばった。
しかし、形勢逆転後は徐々に周囲の黒色が濃くなり、穴が小さく狭まっていく。
「あっ、鈴木っ……」
騎士の姿の鈴木の喉笛に、黒い塊が飛びついた。
あわてて、振りほどこうとするが、オオカミは彼の首元から離れない。
最大級の恐怖と苦悶が、鈴木の顔に現れる。
オオカミが離れたあと、血を勢いよく吹き出しながら鈴木が倒れた。
クラスメートたちが、あまりのリアルな姿に硬直している。
「エ、エスケープ……」
激痛に悶えながら彼は声にならないうめきをあげた。
その瞬間、消え去る彼の身体。
それを合図に、オオカミたちは次々とクラスメートに飛びついた。
顔を引き裂かれ、呪文を唱える間もなく絶命して消え去るもの。
とうとう自慢の剣を歯で食い止められ、その隙に全身に飛び掛かられて、黒い塊となって立ちすくみながら、動かなくなるもの。
魔法使い達の持つ、青い光の出なくなった杖はオオカミの体当たりでいとも簡単に折れ、あとは無防備な体が容赦なく標的となった。
「エスケープ」
「エスケープ」
悲鳴、力ない叫び、断末魔のうめきとともに、次々とこの世界からの脱出をしていくクラスメート。
それはほんのわずかな間の出来事だった。
絨毯の上にあった穴は、一瞬にして閉じた。
呆然と丘の上で立ちすくむチョッカーンとマーク。
優勢から劣勢への転換があまりにも急で、そののちは一瞬にして殲滅されたため、2人は何をすることもできなかった。
「全滅……だ」
マークが涙声でつぶやく。
目の当たりにした余りの凄惨な状況に、足がガクガク震えている。
「む、無理だ、この世界……、僕らも戻ろう、停学になってもしかたないよ、現実世界から美月さんを助けよう」
マークの叫びに、チョッカーンもうなずく。
「このゲーム、残酷すぎる。なんだかおかしい。帰ろう」
二人がエスケープと唱えようとしたとき、彼らのマルコムが鳴った。
「応答」と答えると、マルコムから声だけが流れてきた。
「たすけてえええっ、暗いよ、何も見えないよ、だれか居るのか、僕は鈴木良だ、だれかああああぁ」
「おい、聞こえるか、俺は勘助だっ」
「戻りたいよ、エスケープ、エスケープ、エスケープ……」
「おい、聞こえないのか」
「みんなあああああ」
チョッカーンの声は、鈴木に全く届いていない様だった。
それどころか重複して、クラスメートたちの声が次々に聞こえてくる。
「こわいよぉ、だれかあああ、エスケープっ」
口々にみなゲーム終了の言葉『エスケープ』を唱えるが、一向に効果が無い様子だ。
痛みなどはなさそうだが、真っ暗な世界に閉じ込められているようだ。
「たすけてえええええっ」
その声を最後にマルコムが途切れた。
「な、なんなんだ、これ。皆、現実世界に戻れていないのか」
マルコムで発信源を明示する、チョッカーン。
「め、冥界……だって。そんな設定あるのか? これ、死に戻りできないのか?」
「ゲームの域を通り越しているよね」
青い顔を見合わせる二人。
ふと、見ると野原のオオカミは消え失せている。
しかし。
うううううううっ。
いきなり彼らの背後から、威嚇するような唸り声が聞こえてきた。