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その1

まこと、数学の課題は?」


 りんとした声が響き渡り、一瞬、教室の中のざわめきが止まる。

 そして、いっせいに誠と呼ばれた風采の上がらない少年に視線が注がれた。

 誠はその場でぎくりと立ち止ると、あわてて鞄の中を探る。


「お、お待たせしました」


 彼は取り出した薄型のPCをまるで捧げものでもするかのように声の主に恭しく差し出す。

 目の前に差し出された白魚の様な右手が、PCをつかむと当たり前のように、さっと取り上げた。


「昨日の課題は難しかったから皆困っていたんだ。ありがたく助けてもらうとしよう」


 誠からPCを略奪した少女はそう言って微笑んだ。

 異国の雰囲気がある茶色の大きな瞳が、有無を言わせぬ輝きを発して真っ直ぐに誠を見つめている。目ばかりではない、細くて高い鼻、キリリとはっきりした眉毛、引き締まった赤い唇、すべてが彼女の気の強さを表している。肩にふんわりかかる軽くウェーブした茶色の髪が教室に差し込む朝の光にきらきらと輝き、まるで後光がさしたかのよう。


 そのあまりの綺麗さに気おされたのか、誠は何か口の中でもごもごと言うと後ずさりをするようにそそくさと席に戻っていった。


 長い指がPCを背後の小柄な男子生徒に渡した瞬間、昨日誠が2時間あまりかけて作成した数学の課題には黒い頭が密集し、ピラニアが餌を貪るように、次々とPCのコネクターにメディアが接続されコピーされていく。


「お前ら少しは誠に遠慮して、答案を劣化させてから提出するんだぞ。おんなじ答案が並んでたらあの鈍感な数学の前田だってさすがに気付くからな」


 そう声をかけると、机に浅く腰掛け足を組んで嫣然と微笑む(くだん)の少女。スカートから惜しげもなく露出された白い足はまるで大理石のようになめらかで美しいラインを描いている。

 ほんのりと赤い膝小僧にふと目を奪われた誠は、何かから逃げるように頭を数回ぶんぶんと振った。


 長い睫毛に囲まれた透き通った茶色の瞳がそんな彼に気が付いて、悪戯っぽく輝く。

 彼女、美月優理みづきゆうりに逆らうやつは、このクラスにいない。

 近隣の高校からもファンレターが来るほどの美貌とスタイル。そしてずば抜けた運動神経。そしてそれらに見合った高いプライドの持ち主。

 クラスから奉られた呼び名は『姫君』

 残念ながら成績はさほど良くは無いが、体全体から発せられる神々しいオーラとやや強引なリーダーシップで彼女はクラスをがっちりと統率していた。

 俺様な美少女、美月優理。

 クラスの女子は彼女の親衛隊、そして男子は彼女の下僕だった。




 ホームルームの時間を知らせるチャイムが鳴りひびく。

 と同時に、2年D組の生徒達はガタガタと机の音を立てながら各自の席に分散していく。

 そこへいつものように担任の明石が、ぼさぼさの頭を揺らしながら入ってきた。

 中年真っ盛りの明石は、このクラスの昨年からの持ち上がりで気のいい化学の教師だった。生徒にあまり干渉しない方針は、このクラスの生徒達からおおむね歓迎されている。ホームルームもくどくどと説教などせず、いつも生徒の顔を見てさらりと終わるといった簡単なものだった。

 しかし、今日の明石の雰囲気は違った。


「おはよう。今朝はちょっと気になるニュースからだ」


 入ってくる早々明石は重々しくそう言うと、教卓に埋め込まれたコンピューターのタッチパネルに触れた。

 生徒の机にある、ディスプレイにぱっと記事が現れる。

――オンラインロールプレイングゲーム、『囚われの姫君』で事故が多発。

 噂の最新型オンラインゲームの話題に教室中がざわめく。


「オンラインゲーム、それも最新型のVRMMO、仮想現実空間での多数参加型ゲームをプレイしたことがあるもの、手を上げて」


 教室の中で、誠以外のすべての手が上がった。


「篠原、おまえVRMMOやったことがないのか?」


 明石の目がびっくりしたように開かれ、一部の隙もなく校則どおりの服装に身を固めた細身の生徒を見た。

 大きな黒縁メガネの奥のアーモンド形の目が、それが何か? とでも言うようにまっすぐに明石を見返している。目力はそこそこあるが、薄い眉はほとんど眉毛と同化しており、低めの鼻も薄い唇も存在感が全くない。

 遠くから見ればのっぺらぼうが黒縁メガネをかけているように見えることさえある、貧相な顔だ。


「さすが、優等生!」誰かが叫び、クラス中がどっ、と沸いた。


 ついさっきその優等生様の解答をよってたかってコピーしたのはどこのどいつらだ。恩知らずなクラスメートに誠の頬はちょっと紅潮する。


「おい、今どきガリ勉は流行らないぞっ」


 その、少し甲高い声は教室の後ろから聞こえてきた。


 高柳良(たかやなぎりょう)か……。

 篠原誠は先ほどとは違った苛立ちを感じて唇をかみしめた。高柳はいつも最先端のファッションに身を包み、ちょくちょく学校をサボって高校生にあるまじき場所に出入りする。

 ちょっと軟派で危険な香りを纏ったハンサムである彼は、女生徒にはそこそこ人気があるが、篠原の基準で言うと『性格も素行も不良極まりない俗物』である。


 しかし、悔しいことにその高柳に誠は学力テストで一度も勝てたことがない。


「よし今度、一緒にゲーセンいこうぜ、誠」

 

 斜め前から声をかけてきたのは、数少ない誠の親友、後藤勘助(かんすけ)だった。

 中肉中背でややぽっちゃりとした気のいい男で、誠とは正反対の小さなことを気にしない豪放磊落(ごうほうらいらく)な性格をしている。なぜだか誠とは妙にウマが合った。


「やめとけやめとけ、篠原は日本に現存する貴重な『ガリ勉』君だ。この黒縁メガネ、そして泥亀のような勤勉実直さ、先生に対する絶対服従の姿勢。絶滅危惧種指定をして、我々は彼を危険な誘惑から守って、手あつーーく保護しないといけない」


 高柳が良く響く声で語り、クラス中にくすくす笑いが満ちる。

 常に学年トップの高柳の言葉だから、いっそう嫌味だ。

 窓際の席に座る美月のすらりとした鼻が目に見えてふくらみ、突如赤い唇が開かれた。


「おだまり、優男。ねちねちとうるさいんだよ」


 リーダーの一言にクラスがしーん、と静まり返った。

 高柳の切れ長の目が一気に吊り上る。

 彼もまた、御多分にもれず彼女の崇拝者の一人であったから、この一言は結構胸に刺さった様子だ。


「ええ、ええ、姫様がそう仰せならば」


 捨て台詞を残して、彼は椅子を蹴ってふらりと教室を出て行った。


「おい戻れ、ホームルームはまだ終わってないぞ」


 形式的に声はかけるが明石はいつもの事とばかり、すぐ話の続きに戻った。


「この新しい仮想現実システムによるオンラインゲームに参加した女の子たちが、ゲームから浮上できないでいる」


 机上に浮かび上がった記事には、のめりこみすぎてゲームから現実世界に離脱できない少女たちの事例がかなり詳細に載っていた。ゲーム機から離脱させようとすると血圧や脈拍、呼吸数などの生体反応が低下するらしい。

 長期にわたりゲーム世界から戻って来れない患者には機械を装着したまま内視鏡で胃に穴をあけて胃瘻を作りそこへ栄養を送らなければならなくなったものもあるようだった。


「先生にはよくわからないが、なんでもこのゲームは実際の参加者を『姫』に見立てて、牢獄に繋がれた姫を助けるゲームらしい。だが、囚われている間にあの手この手で、姫をハンサムな牢番が誘惑する。まれなケースだが救出が遅れれば、姫がこの状況に耽溺してしまい、逃れられなくなるらしい」


「それってある意味デスゲームじゃないですかあ」


 女子の誰かが素っ頓狂な声で叫ぶ。


「そうなんだ。数例立て続けに戻って来れない事例が報告されたので、今教育委員会が廃止の要望を出している。が、ゲーム会社の胡蝶プロジェクトもえらく強気で、耽溺した参加者に非合法薬物使用の可能性があるとか、因果関係が証明されていないとのことでまだ営業しているらしいんだ。我が校はこのゲームへの参加は校則違反扱いにする、後日掲示されるが違反者は停学にする予定だ、このゲームに誘われても絶対に参加してはいけないぞ、わかったな」


 話を終わろうとした明石だが、皆異様な情熱で記事を読んでいる。この集中が授業にもあればいいんだが、明石は苦笑した。


「明石先生、姫が囚われても、誰も救出に来てくれなかったらゲームはどうなるんです?」


 明石のホームルームで質問などめったにないことなのだが、また一人女子生徒が質問した。


「いや、このゲームは囚われの姫が知り合いにメールを出して救出を頼むところから始まることが多いらしいんだが、誰も名乗りを上げなければランダムに選ばれた一般参加者が救出に参加できるらしい。見事、救出に成功した暁には他のオンラインゲームでも使えるかなりのポイントと、姫からのお礼の言葉がもらえるようだ」


「先生、記事には現実に付き合う例もあるって書いてありますよー」


 お調子者の男子、鈴木(じゅん)の一言に「おおーっ」とクラスがどよめく。


「オンラインゲームの中には、出会い系の要素を含むものがあるからな。吊り橋効果と言って、危険を共にした相手に勘違いして恋愛感情を持ってしまうこともあるから、くれぐれものめりこみすぎない様に気をつけろ」


 そう言った明石は、しまったとほぞをかむ。

 教壇から見下ろしたクラス全体の生徒の目がいつになくきらきらしているのだ。

 今、やっとかなければ、廃止される前に、という彼ら、彼女らの心の声が聞こえるようだ。

 タイムセールに群がる群集心理を刺激したかもしれない。

 この話をしたのは、藪蛇だったかも……。明石は溜息をついた。


「と、いう訳でお前ら夏休みも近いが、高校2年生の夏は大切な時期だぞ、こんな危険なオンラインゲームには参加せずに勉学にいそしむように。わかったな」


 ふぁ~い。予想通り、なんだか上の空の返事が生徒たちから湧き上った。

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