ある自販機の前で
僕は、神様に出会った。
ある自販機の前で
大学に落ちた。
決して頭がいいわけでなかった僕は、今年一年間反吐がでるほど勉強した。予備校にも毎日通った。家でもほとんど寝ずに勉強した。なのに、僕は大学に落ちた。同じ予備校に通っていた萩原は勉強なんて全然してなかったはずなのに、ずっと遊び回ってたくせに、僕の受けた大学を簡単に受かった。なんで、アイツが。勉強をした僕が落ちて、アイツが受かるんだ。…神様は不公平だ。
親父の部屋から盗んできた煙草を取り出して、僕は一本口にくわえる。100円ライターで火を点けると、夜空に一本の白い線が伸びていった。こういう時には、やっぱ煙草に限る。受験だからっていって去年止めたが、受験生じゃなくなった今、止める理由はない。
喉が乾いた。目の前の自販機でサイダーを買おうと、ポケットの中身を弄る。持っていたのは153円と100円ライターのレシートだけ。ギリギリ一本買える。僕は153円の中から120円を分けて、硬貨口に流し込む。そして、普通のやつよりちょっと大きい、500mlのサイダーのボタンを押した。ガタン、と缶が落ちてくる。腰を屈めて、取り出し口に手を伸ばす。
そのとき、横からにゅっと手が伸びてきた。
「…え?」
少女だった。たぶん、中学生くらいの女の子。彼女は僕の買ったサイダーのプルタブを開けると、ぐびぐびと飲み始めた。
「高校生が煙草吸っちゃいけないんだよ?」
あっと言う間にサイダーを飲み干した少女は、ニッ、と笑ってそう言った。
「…僕のサイダー」
「おいしかったよ、ごちそうさま」
あまりに突然の出来事に、それだけ言うだけで精一杯だった。これが他の奴だったら多分普通に怒れたと思う。だけど、この子は何か違うのだ。ーーーいや、見た目は至って普通の少女なのだが。
「ね、高校生が煙草吸っちゃいけないんだよ?」
僕は手に持っていた煙草の火を地面に擦りつけて消す。少女は満足そうに微笑んだ。
「なんで人の買ったサイダー、飲んだ?」
「え?だって飲みたかったから」
「なんだよ、それ。自分で買えよ」
さっきまでの不思議な感情は萎んでおり、代わりに目の前の少女に苛ついた。ただえさえ気分は最悪なのだ、こんなことされて苛つかないわけがない。
「いいじゃない、ケチだな、ヒロキくんは」
…今確かに、僕の名前を呼んだ。
「…何で名前、知ってる」
彼女は後ろに手を組みながら、微笑むだけ。…いや、微笑みというよりニヤニヤか。
「…キミ、誰?」
彼女は空き缶をポイとクズかごに投げる。ナイスシュート、と少女はガッツポーズ。
「答えろよ、何者なんだ、お前」
引き込まれそうな真っ黒な瞳が、俺を見る。
「神様」
「…はぁ?」
「何者って言ったから。神様って答えたんだよ」
この子は自分を神様と言った。あまりの馬鹿馬鹿しさに苛立ちはピークに達する。僕は少女を無視して、ちょっと離れた地面に腰を下ろした。
「嘘じゃないよ、ホントだよ」
「…」
僕は無言で、また煙草を一本、ライターと一緒に取り出す。
「不良なんだね、ヒロキくん」
「…ホントのこと言えよ。お前何者なんだ?どうして名前知ってるんだよ?」
「さっきも答えた」
「答えになってねぇんだよ!」
頭にきて、思わず声が大きくなる。夜の町に、僕の声が響いた。
「…」
「…」
それからしばらく僕たちの間に会話はなかった。少女はただ不思議そうに僕を見るだけだし、僕は興奮した頭を冷まそうと必死だったからだ。突然、少女はポケットから120円を自販機の中に入れた。そしてソーダを買うと、僕に差し出した。
「はい、返すよ。ヒロキくんカリカリしすぎ」
「…最初から自分で買えよ」
僕は彼女が買ったソーダを飲む。甘くて冷たい。歯がキーンと凍みた。一気には飲めないので、少しずつ飲むことにした。
「それ一本飲む間だけ、話しようよ。つまんないから」
「…」
少女は僕の横に、足を伸ばして座る。黒のロングスカートから少しだけ見える真っ白な足は、童話的で、リアルじゃないみたいだ。
「神様ってね、いろいろ大変なんだよ。ヒロキくんに想像できる?」
「…」
「雨降らしたり、晴れにしたり、たまーにイタズラで台風とか起こしてみたり」
「迷惑な神様だな」
「人の願い聞いてあげたり、人の運命見届けてみたり、たまーに人の運命で遊んでみたり」
「遊ぶ?」
無邪気に笑う少女。神様気取って、そんなことを言った。カチンと、頭で何かが鳴った。
「…人の運命遊ばれたら、たまったもんじゃねぇよ」
「ん?何か言った?」
「頼むから黙っててくれ。いい加減頭にきた」
「何で?」
「うるさい」
「ひっどいな、ヒロキくん」
「名前で呼ぶんじゃねぇよ!」
「ねー、何さっきから怒ってるの?全然分からない」
僕は少しだけぬるくなったソーダを流し込む。炭酸は一気飲みなんかできないが、それでも半分以上なくなった。
「大体さ、お前いったい何なわけ?変なんだよ、おかしいんだよ、お前」
「だから、私は神様だって」
「…じゃあ教えてくれるか?何で俺を落とした?神様は何で俺を落とした?あんなに頑張ったのに、何でずっと遊んでたアイツじゃなくて、俺を落としたんだよ!答えろよ、神様よ!?」
こみ上げるモノは、止まらなかった。自分を神様だといった少女はただ、黙って俺を見上げていた。さっきと変わらず、不思議そうな目で。
「…神様なんか、いやしないんだよ」
あんなに頑張った僕なのに、ダメだった。人を弄ぶ神様なんて、僕は認めない。
「いるよ。神様は」
「…」
真剣な眼差しで少女は言った。
「いるじゃない、ここに」
「…いい加減にしろ」
「さっき言ったことでヒロキくんが怒ったなら謝るよ、ごめんなさい」
「…」
「さっきはああいう風に言ったけどね、神様は弄んだりしないよ。だって神様だもん」
「は?」
「大体、運命とか扱えるの、神様じゃないから」
柔らかく微笑んで、少女は立ち上がる。僕はまた一口、ソーダを飲んだ。
「…どういう意味?」
「分からないかなー、高校生でしょ?あんなに難しい因数分解解けるのに」
ふふ、と口に手を当てて笑う。一瞬だけ、少女は神様みたいに見えた。一瞬だけ。
「…いったい、何なんだ、お前は」
「だから私は、」
「神様だろ」
「分かってるなら聞かないでよ」
僕はググっとサイダーを飲み干した。喉に炭酸独特の弾ける感じが広がった。僕はアルミ缶をへこまして、さっき彼女が投げたクズかごに放り投げる。あ、外れた。
「残念、外れー」
少女は笑った。僕は無言で外れた空き缶を拾いにいく。バイクが一台通り過ぎた。
「神様からヒロキくんに、ありがたーいお言葉」
「え?」
「…なんとかなるさ!」
「はぁ?」
「じゃあ、私帰るね。さよなら、ヒロキくん」
彼女はそう言って歩き始める。
「ちょっと待った!」
「なに?」
「何で、僕の名前知ってたんだ?それだけは教えてくれないか?」
彼女は笑ったまま、口を開いた。
「それは、私が神様だからだよ」
「…そっか」
「じゃあね、山上ヒロキくん!また会えたらいいね」
「僕はゴメンだ」
彼女はスタスタと遠ざかっていく。僕は黙って見送る。と、また彼女はピタッと立ち止まり、こちらを振り向いた。
「自転車!」
「え?」
「ふちに寄せた方がいいよ!道路のど真ん中に置いてたら危ないから!」
それだけ言って、彼女は小走りで去っていった。姿が完全に見えなくなって、ようやく僕の周りに現実が
蘇ってきた。
「…」
僕は少女が言ってたように、自転車をふちに寄せる。そのとき、一枚のステッカーが目に飛び込んでくる。
「…ああ、これか」
買ったとき、親に貼られたステッカー。僕はダサくて嫌だったが、今もまだ貼ってあるステッカー。名前と住所が書いてあるステッカー。
「…」
僕は彼女が走り去った方を見る。当然、少女はもういない。自分を神様だといった少女。手を見る。さっき外した空き缶が、まだ手の中にあった。
僕は歩き始める。少女がさっき、空き缶を入れた場所に立つ。
「…」
ポイ、と放り投げる。空き缶はきれいな放物線を描いて飛んでいく。
「…ナイスシュート」
僕はふっと笑みをこぼし、最後の煙草に火を点けた。
「高校が煙草吸っちゃダメなんだよ」
「え?」
おわり