第3話 王都への帰還
王都に入ったのは、三日後の昼すぎだった。馬車を降りると、石畳の照り返しと人混みの体臭が一度に押し寄せた。
門番に令状を見せた。追放令には王都への入城制限は含まれていない。法的には正しい。相手がどう思うかは別の話だが。
「エヴァリン・クロード嬢……あの、追放された」
「そうです。通っていいですか」
門番は上官を呼ぼうとした。私は一歩前に出た。
「王都への入城を制限する権限は、門番にはありません。制限したいなら、王家の正式な書状が必要です。——それはありますか」
沈黙が続いた。
上官は来なかった。門が開いた。
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馬車を貸し馬屋に返し、徒歩で学院の方角へ歩いた。
三ヶ月ぶりの王都だった。焼きたてのパンの匂い、荷馬車の車輪が石を噛む音。街の景色は変わっていない。だが——すれ違う人間の視線が変わった。数人が私を二度見した。小声で何かを言う者もいた。
かまわない。目的地は学院ではなく、その外だ。
学院への立ち入りは禁止されている。だが、学院の外には立てる。
レイアが授業後に利用する路地を知っている。三年間、放課後に彼女と話していたからだ。表向きは「令嬢が平民に礼儀を教えている」という体裁で。実際は——私が彼女と話したかっただけだが、それは認めたくない。
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学院の外壁沿いに立って、一時間ほど待った。
授業の終わりを告げる鐘が鳴った。
しばらくして——レイアが路地の角から出てきた。
青白い顔をしていた。制服の袖が少し乱れていた。いつも端正に整えていた髪が、少し乱れていた。
私を見て、立ち止まった。
目が大きく開いた。まばたきを三回した。
「…………エヴァリン、様?」
「久しぶりです」
声が出た。辺境での一ヶ月間、口を開く相手はほとんどいなかった。最初の声が少しかすれた。
レイアは三歩近づいてきて——止まった。泣くのを堪えているような顔をしていた。口元がかすかに震えていた。
「なぜ、ここに」
「あなたの手紙を読みました。——一人でなんとかするつもりですか」
「……大丈夫です。自分で」
「知っています。あなたはできます」
私は一歩前に出た。
「でも、しなくていいことがある。私がいます」
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状況の整理に、十分もかからない。
レイアを標的にした噂は、学院の第三棟を根城にする貴族令嬢グループから発生していた。首謀者は侯爵家の次女、カミラ・トラント。私が追放される前から、私の動向を探っていた人物だ。
カミラは賢い。直接的な嫌がらせはしない。噂を流し、レイアを孤立させ、自然に追い詰める。それが彼女のやり方だ。
「正式な抗議の手続きを取ろうとしたのですか」
「はい。礼法書に書いてあった手順通りに」
「止められましたか」
「……受理してもらえませんでした。書記の方が、書類に不備があると」
「不備は?」
「教えてもらえませんでした」
なるほど。
受理の拒否は、カミラ側に学院の書記を抱き込む力があることを意味する。直接動けば潰される。正面からでは勝てない。
だが——私には別の手がある。
「レイア。あなたは礼法書の何章を参照しましたか」
「第七章の、苦情申告の手順です」
「第三章は確認しましたか」
「第三章は……監査請求の手順では?」
「そうです」
私は少し考えた。使えるかどうか、頭の中で試算した。
使える。書記への圧力があるなら、書記の上位機関に直接申告すればいい。学院の監査は、書記室ではなく学院長直轄だ。そしてカミラが抱き込める範囲は、書記室止まりのはずだ。
「第三章に記載されている監査請求を、学院長室に直接提出してください。書記室を通す必要はありません。提出の際、私が証人として添書を書きます」
「証人? でもエヴァリン様は追放の身で……」
「追放令は、証人資格を剥奪しません。法的に有効です」
レイアが、少し驚いた顔をした。
「……なぜそこまで調べて」
「必要だから調べました」
正直に言うなら、辺境で蝋燭の芯を替えるくらいしかやることがない夜に、追放令の条文を端から端まで読んだ。無意識に、戻る方法を探していた。
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「待ってください」
レイアが、私の言葉を遮った。
珍しかった。レイアが私の言葉を遮ることは、三年間で一度もなかった。
「エヴァリン様」
「なんですか」
「なぜ、戻ってきたのですか」
私は少し黙った。
「手紙を読んだからです」
「それだけですか」
正直に言うなら——違う。
計算より先に足が動いていた。馬車に乗る前から、追放令の抜け穴を調べていた。一ヶ月間、辺境で薔薇を剪定しながら、ここへ戻る理由を探していた。
計算で出した答えは「辺境にいるべきだ」だった。
なのに足は動いた。
「……計算以外の理由が、あったかもしれません」
曖昧な答えだと分かっていた。
だがレイアは——ゆっくりと息を吐いた。肩の力が抜けるのが見えた。
そして笑った。辺境に送ってくれた手紙の、あの真っ直ぐな笑顔だった。
「エヴァリン様が戻ってきてくれて、よかったです」
胸の奥で、何かが緩んだ。
それが何かは分からない。計算の言葉では説明できない。
そのとき——路地の奥から、複数の足音が聞こえた。
振り返ると、三人の令嬢が立っていた。制服の胸元に侯爵家の紋章刺繍。カミラの取り巻きだ。
「まあ」先頭の令嬢が、わざとらしく驚いた声を出した。「追放された方が、王都をうろついていらっしゃるの?」
私はその令嬢を見た。名前は確かアリス。カミラの副官格だ。
「うろついてはいません。立っています」
「屁理屈ですこと。それにそちらの方は——」
アリスがレイアに目を向けた。
「あの悪役令嬢の共犯者、でしたっけ。ご一緒にいらっしゃるとは、やはり仲良しなんですね」
レイアの肩が、かすかに強張った。
私は一歩前に出た。アリスと私の間に、レイアが入らないように。
「アリス・フォン・ベルク嬢」
フルネームを呼んだ。少し驚いた顔をした。
「あなた方が学院の書記室に圧力をかけていることは、既に把握しています。証拠の収集も始めています。続けるなら、監査請求と同時に、名誉毀損の申告も学院長室に提出します」
三人が黙った。
「……脅しですか」
「事実の告知です。選択肢を提示しているだけです」
私は笑わなかった。二十年——いや、十年間、笑顔で計算してきた。今は笑う必要がない。
アリスが、何かを言いかけて——やめた。三人は足音を立てて去っていった。
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日が傾き始めた頃、私たちは一旦別れた。
レイアは明日、第三章の監査請求書を学院長室に提出する。私は今夜、証人となれる人物に当たりをつける。
王都の宿を取りながら、考えた。
私はなぜ戻ったのか、と聞かれた。答えは今でも完全には分からない。
十年間、誰も傷つかないように計算し続けた。私が引き受ければ済む選択を、繰り返した。
それが正しかったかどうか、まだ分からない。
だが今は——一人の人間が困っている。計算より先に、足が動いた。
理屈はいらなかった。胸の奥が、もう答えを出していた。
——あるいは、十年間の計算の外側で、私はずっとこの答えを知っていたのかもしれない。
窓の外で、王都の夜が始まっていた。




