愛している
「公……爵?」
私は思わず声を漏らした
噂とは似ても似つかない姿。
こんなにも美しいのになぜ、真逆の人物像が出来上がり、誹謗中傷するような噂が流れているのか。
「お前達。普段は出迎えなんてしないくせに、今日に限ってよくも。おかげで俺の正体がバレてしまったじゃないか。こんなにすぐバラす予定じゃなかったんだぞ」
「何を仰いますか。後でバレて面倒になるより、よっぽどいいと思いますが」
「俺には俺のタイミングってもんがだな」
「知りませんよ、そんなもの」
公爵様?相手に強気な態度。ご兄弟、かな?
「どうせ勝手に人の名前を語ったのでしょう」
「ネヴィル様?」
言い争っていた男性はニコッと笑ってくれた。
──この方が執事のネヴィル様。
使用人が主人に口答えするなんて許さない暴挙。でも、ここは許されている。
本来あるはずの、雇い主と使用人の線が引かれていないんだ。
まるで大家族のような空気が漂っていた。
益々わからない。そんな優しい人が、よりにもよってうちなんかに結婚を申し込んできたのか。
私と同じく、あの家には本当に何もない。あるのはセル様への借金だけ。
「レシィー。妻を風呂に」
「妻」
ニヤニヤと笑う女性を睨む公爵様は怒っているようだけど、本気で怒っているわけでない。
「奥様。こちらです」
「は、はい」
どこもかしこも広くて、廊下も長い。天井もあんなに高くて、御伽噺の世界。
お風呂場は実家のやや狭い部屋を三つほど合わせた広さで、その中央に小さな湖のような浴槽が見える。湯船には花が浮かんでいてとても良い香り。
「案内してくれてありがとうございます」
「はい?」
「え?」
「公爵様にお風呂に入れるよう仰せつかっておりますので、入浴のお手伝いを致します」
「い、いえ!大丈夫です!!」
傷だらけの体なんて見られたくなかった。
レシィー様の仕事を奪うことになったとしても。
これは私のワガママでレシィー様が怒られて罰せられないように、私が罰を受ける覚悟はある。
これでも痛みには慣れたほうだ。
鞭打ちも、雪の降る寒い日に水をかけられ裸で外に追い出されることも、全部慣れた。
どんな罰だろうと耐えてみせる。
「それでは、外で待機しておりますので、何かあったらお呼び下さい」
反発して殴られなかったのは初めて。
朝、顔を合わせただけで叩かれるときもあった。
リリー姉様の夢見が悪いと、いつもそうなる。お父様は機嫌が悪いとき、お母様は目当ての物が買えなかったとき。
セル様の気分次第で、いつまででも。
痛いと思うことなく、ただ終わるのを待つだけの時間に何も感じなくなっていった。
「温かいお湯」
体を洗うときは井戸から汲んだ水しか許されなかった。
冬場は特に冷たいから、日中に溜めておいて太陽で温めていた。
夜になると冷めてしまうため、陽があるうちにお風呂を済ませる。
石鹸を使うことは許されないから、目に見える汚れを落とすだけ。
指をお湯に浸けると温かかった。
レシィー様を待たせているから急がなくてはならないけど、汚れは全部洗い流しておかないと。
短時間で体を洗うのは得意。時間をかけていると、家族の呼び出しに間に合わないから。
お風呂から出ると、自分の体から花の香りがした。初めてのことに戸惑ってしまう。
まるで庭に咲く花が体にまとわりついているような不思議な感じ。
「お待たせしました」
「……」
「あの?」
新しい服が用意されていたから着たけど、ダメだったかな。
私のことを考慮してくれてワンピース。袖があるやつだから腕は隠れる。これなら傷が見られる心配もない。
「食堂にご案内致します」
レシィー様の姿勢は背筋が伸びていてとても綺麗。
私も意識して真似をするも、すぐに猫背になってしまう。
──今まで姿勢を気にすることなんてなかったからな。
公爵家は全てが規格外。屋敷だけでなく人も。
こういう人を優秀の人材と呼ぶんだ。
食堂では既に公爵様が席についていて、料理が並べられている。どれも見たことのないものばかり。
「奥様。こちらへ」
椅子が引かれる。
困惑していると、座っていいのだと理解した。
食事はいつも地べたに座って食べていた。パンを一つと冷めてしまったスープを。
毎日、毎食、変わらない。
お父様達が外出しているときに火を使おうものなら、使用人から怒られる。伯爵家の物を無駄で使うなんて身の程知らずと。
彼女達は私の監視役として常に目を光らせていた。
貴族の作法もマナーも教わらず、私は平民以下の扱いを受けてきた。だから、食事のマナーなんて到底知らなかった。
「好きなように食べればいい」
そんな私の前で、公爵様はパンに手を伸ばし、躊躇なくワイルドにかぶりついた。
「食事は楽しいのが一番だ。無理に貴族らしく振る舞う必要はないし、かしこまった場所でマナーを守っていればいいと俺は思う」
パンを手に取り、ちぎって口の中に放り込む。フワフワだ。ほのかに感じる甘さ。
こんな美味しいパンは生まれて初めて。
スープも湯気だ立っている。温かいスープを飲むのも初めてだ。
存在価値のない私なんかのために、こんなにも美味しい料理を作ってくれた。
「ど、どうした!?」
公爵様はギョッと目を見開いて驚いた。頬をつたってテーブルに滴が落ちる。
涙が零れていた。
「私、料理は得意ではありませんが作れます。掃除も毎日します。刺繍は得意です。薪割りは遅いですけど、ちゃんと全部やりきります。要領は悪いですが与えられた仕事は必ず終わらせます。それから……」
「ま、待て!何の話だ」
「公爵家の使用人として恥ずかしくない働きはします」
公爵様の妻として役に立たない私が出来るのはこれぐらい。
せめて、誰の邪魔もしないように立派に仕事をこなさなければ。
「待てと言っている。使用人?俺は君を妻として迎えたんだ。君を愛しているから!」
──あぁ……やっぱり公爵様は優しい人。
妻として連れて来てしまった私の立場を考えて、使用人の前で、ありもしない愛を口にしてくれるなんて。
例え嘘でも、欲しかった言葉が聞けた。
公爵様には感謝しかない。この恩は一生かけて返していかなくては。




