豚公爵
「豚公爵が!!!??」
数日後。
朝食の片付けをしているとお父様が思い出したように口を開いた。
その内容は驚くべきもの。
国唯一の公爵家、フィミアドール公爵様から我が伯爵家に結婚の申し出があった。
フィミアドール公爵様といえば、表舞台には一切出てくることなく、ずっと領地に滞在していて、誰も公爵様の素顔を見たことはない。
それどころか年齢不詳。
噂では、公爵様は体重が百キロを超えていて、顔も体もまん丸。手足は短く、髪の毛も寂しい。
世間からは“豚公爵”などと呼ばれている。
不名誉な噂が流れているのに、噂の出処を探したり、誰かを罰することもない。
「それでアナタ。結婚というのは?」
「そのままの意味だ。娘と結婚したいと手紙が送られてきていてな」
「い、嫌よ!!私にはセルがいるのよ!?豚と結婚なんて、いい笑いものよ!!」
リリー姉様を溺愛しているお父様がすぐに断りの返事を出さなかったのは、お金のため。
フィミアドール家の財産はセル様の実家を遥かに凌ぐ。
繋がりを持てば贅沢し放題。
「そうだ!あんたが嫁ぎなさい」
「私が……?」
「当たり前でしょ。私もお母様も愛すべき人がいるのよ」
「でも、セル様は私の……」
「は?」
リリー姉様は私の髪を掴んでは床に投げ飛ばし、無防備になったお腹を蹴る。
「勘違いしないで。あんたはセルに買われただけ。玩具なの。暇潰し。その空っぽな頭に叩き込んでおきなさい。一度でも愛してるなんて言われたことのない女は婚約者でも何でもないのよ!!」
それでも、私がセル様の婚約者であることに変わりはない。
セル様がリリー姉様を愛していて、当時は他の男性と婚約していたから仕方なく私を選んだしても。
「お父様。良い機会だし、私がセルの婚約者になってもいいよね?」
「そうだな。侯爵様もあんな汚いゴミに傍をうろちょろされても迷惑だろう」
「やだ、アナタったら。まだ小侯爵じゃないの」
「そうだったそうだった!」
「もう。お父様ったら」
家族の会話に、家族として入ることが許されない。
私はいつも遠くから眺めているだけ。
羨ましいと思えば思うほどに心が締め付けられ惨めさを感じる。
「いつまで寝てるつもりなの!さっさと片付けてちょうだい!」
「掃除と洗濯もあるんだからね。全く。要領が悪いったらありゃしない」
「そんなものは後でいい。そろそろ公爵が来る時間だからな」
言うと同時に、誰かが訪ねてきた。
私に出迎えるように指示を出したお父様達は着替えることなく、先に執務室に向かう。
相手は公爵様なのに、失礼すぎる。
まぁ、私が何を言ったところで耳を傾けてはくれない。
「お待たせしました」
玄関を開けた先にいたのは思わず見とれてしまう美しい人。太陽に照らされた黒髪はキラキラしていて、同じく黒い瞳の中に人間味溢れる温かさを感じた。
私はあまり男性を見たことがないけど、セル様よりも、ずっとずっとカッコ良い。
「あの……?」
「ご、ごめんなさい!つい見とれてしまって」
「私を?それは光栄です」
笑った顔は可愛い。
執務室に案内するとリリー姉様は宝石を買うときのように、男性を上から下までじっくりと品定めする。
「申し遅れました。私、公爵様の執事をしておりますネヴィルと申します」
「あら。公爵じゃないの。そりゃそうよね。公爵は豚だし。貴方みたいにイケメンのはずないわね。貴方、貴族?」
「いいえ。平民でございます」
「あらそう。じゃあいいわ。貴族だったら、お相手してあげても良かったのに」
身分が平民とはいえ、公爵様の代理で来てくれている人にそんなこと。
しかも、着替えていない理由をネヴィル様が先触れとなく突然、やって来たからだと言い出す。
そんなはずない。公爵家が手順を踏まずに好き勝手するなんて。
この人達は侯爵になったつもりでいるみたいだけど、セル様と結婚して侯爵夫人になるのはリリー姉様だけ。お父様とお母様は伯爵のまま。
仮に侯爵になったとしても、身分は公爵のほうが上。お父様達の態度は不遜。罰せれてもおかしくはない。
ネヴィル様は気にする様子はなく、微笑んでいるだけ。
「それで……どちらが公爵様のお相手でしょうか」
「そこの小汚い不細工よ。豚とお似合いでしょ?」
「………」
私はリリー姉様と違ってドレスなんて一着も持っていない。完全に立場が使用人になっているからだ。
髪はボサボサで手は荒れている。もちろん化粧なんてしていないから地味顔。
「ふふ、良かったじゃない。玉の輿になれて。でも、あんたは今日、死んじゃうかもね。だって百キロもある豚と寝室を共にしなきゃいけないんでょ?ペラペラに潰されちゃったりして」
「もうリリーったら。脅かしちゃ可哀想よ。死ぬ前に女にしてくれる恩人なんだから」
「あら。相手は豚よ?恩人じゃなくて恩豚よ」
主人を侮辱されバカにされているのにネヴィル様は怒る気配がない。
まるで聞こえていないかのよう。
「お荷物は?」
「え?」
「馬車にお運び致します。お部屋に置いていますか?」
私の部屋はない。いや、あるけど。
今は外の、いらなくなった物をしまっておく小屋が私の部屋。
小さな小屋で、横になるだけのスペースはない。寝るときは膝を抱えて丸くなる。
夏はいいけど、冬は寒い。雨が降ると雨漏りがするし、隙間からは風が吹く。
毛布は一枚だけ渡されている。何年も使っているためボロボロ。何度も縫い直して今では愛着が沸いた。
持って行くとしたら、その毛布。
そんな恥ずかしいこと言えるわけがないから、黙ったまま俯いてしまう。
「行きましょうか」
ネヴィル様は何も聞くことはなかった。私の気持ちを察してくれて、エスコートをしてくれる。
いつか、公爵様にお願いして取りに来よう。お父様達は小屋に近付くことはないし、一ヵ月もしないうちに私のことなんて忘れるかもしれない。
捨てられることはないはず。
「ま、待て!結納金を渡していけ!!」
「結納金?」
「教のない平民は知らんかもしれんが、結婚するときには男から女に金を渡すものだ」
「そうよ。そのお金は私達、親が受け取る物。わかったら早く出しなさい!」
「今日はご用意していませんので後日、改めてお渡しするということで構いませんか」
「チッ!仕方がない。その代わり、一日経つことに額が増えていくことを忘れるな!」
気のせいだろうか。ネヴィル様は笑顔なのに、目の奥がとても冷たい。
馬車にはお尻が痛くならないようにクッションが置かれていた。
足が寒くならないようにとひざ掛けまで。手触りが良くて高級品だと私でもわかる。
「ところで。まだお名前を伺っておりませんでしたね」
「名前……」
わからない。私の名前。
──最後に呼ばれたのはいつだった?
必死に記憶を辿るも思い出せない。
ネヴィル様は困ったような、悲しい顔を浮かべている。
「公爵様になら教えてくれますか?」
私、今……すごく感じ悪い。
ネヴィル様に教えたくないんじゃなくて、名前を思い出せないだけなのに。
そんな子供もつかないような嘘、信じてもらえるわけもなく。結局また、口を閉ざしてしまった。
「では、貴女のことを教えて下さい」
「私の?」
「はい。好きなこと。好きな色。どんな本を読むのか。季節はいつが好きなのか」
「好きな……」
何もない。
私は空っぽだ。だからきっと、愛されない。
「では、公爵様に望むことは?どんな願いも叶えて下さいますよ」
愛して欲しい。
出かかった言葉を飲み込んだ。
何も答えられないくせに、愛情を求めるなんて図々しいにも程がある。
そもそも。私が公爵様の妻になること自体がおかしいこと。
取り柄もなければ顔が良いわけでもない。公爵様は私ではなくリリー姉様と結婚したかったのかも。
私はいつも家族の邪魔ばかりしている。
疫病神が誰かに愛されるわけがない。
「さ、着きましたよ」
「ここは……」
領地ではない。公爵様のお屋敷。
先に降りたネヴィル様は手を差し出してくれた。
こんな素敵な執事を雇うフィミアドール公爵様もきっと、素敵で優しい人なのだろう。
門をくぐり、屋敷の中に入ると使用人が男女に分かれて列を作り一斉に頭を下げた。
「「おかえりなさいませ。公爵様」」




