世界の半分をあげるので、半分愛してください
「世界の半分をあげるわ」
全く、あまりにもどこかで聞き古したような台詞だ。
自分でも少し自嘲しながらそう言って、私は無理矢理笑顔を作った。邪悪で、恐れ、平伏したくなるような笑顔を。
魔王たるこの私を倒しに来た勇敢な王子様は、平凡なおさげ髪の少女を後ろに庇いながら、私を睨み付けていた。
絵になるかと言われれば、この私という魔王がいて、初めて絵になるような二人だろう。お似合いかと言われれば、全くお似合いではない。物語の中のような金髪碧眼の王子様と、茶髪の地味な女だ。
「ほざけ。元婚約者のよしみで聞くが、投降する気はないのか、イレーナ・グレイスローズ」
「いいえ、全く?相変わらずお優しいのね、ユリシス殿下」
くすくすと、扇で口元を隠しながら、小馬鹿にするように笑ってやった。ユリシス殿下は、唇を噛み締めて、一度だけ視線を彷徨わせた。怒りか、それとも本当に元婚約者を殺したくないという躊躇いか。
だが、それも一瞬。傍の女がその手を握ると、ユリシス殿下は顔を上げて、剣を握り直した。
……全く、吐き気がするような、ありきたりな構図だ。
✴︎
私は、イレーナ・グレイスローズという名前の、公爵家の由緒ある令嬢だった。
"だった"というのは、今の私を公爵令嬢として扱う人間などいないからだ。
魔王イレーナ。グレイスローズ家の汚点。世界の敵。王子ユリシスの愛を得られなかった敗北の女。妬心に狂った愚か者。それがまあ、今の私を取り巻く世間の評価である。
事実無根だと否定したいところだが、事実ではあるのだからタチが悪い。
実際に、私が魔王になるまでのストーリーを端的に表せば、
『イレーナは婚約者ユリシスを愛していた。しかし、ユリシスは平民の娘であるメルと恋に落ちた。当然世間からは認められないが、イレーナをユリシスが愛することはない。妬心に狂ったイレーナは、王国の"禁書"の封印を解き、悪魔と契約、魔王となったのだ――――!』
なんて短く、そして陳腐なストーリーだろうか。
暇つぶしとばかりに、悪魔の力を得て、膨大な魔法の力を得た私は、適当に滅ぼした隣国の城を魔王城に定義した。
本当はもう少し北の最果てとかが良かったけれど、やはり城があっての魔王よねと考えたのだ。サクッと隣国を制圧、その後は適当に魔物を生み出して、徐々に世界を制圧した。
王国はメイン・ディッシュだから、最後に制圧しようかしら。そんなことを考えつつ、適当に、私はそれ以外の世界すべてを制圧したのだ。
この大陸は長い間戦争ばかりしていたけれど、悪魔の力で一発で統一が成されてしまった。全く、散って行った命たちに謝った方がいいわ。まぁ、私の方が殺しているけれど。
一見、悲劇にも見える私に、最初は同情が集まった。婚約者がいるのに、平民に現を抜かす王子の方が悪いのではないか。第一、平民の娘ごときが、王子と釣り合うと思っているのか。そんな議題が王国中を支配していた。
けれどそのうち、私が地図をひとつひとつ、塗りつぶすように、周辺諸国の制圧を始めて。
ユリシス殿下とメルが私を止めるために旅立つと、その評価はじわじわと変わっていった。
『魔王イレーナは恐ろしい女だ。ユリシス殿下は、その凶悪性を理解していたのではないか』
『メルさまは、すごくお優しい方ですわ!身を挺して、私の子供を守ってくれました……!』
と、そんな具合である。
やはり明確な敵と、それに立ち向かう男女というのは、民衆には"ウケ"がいいのだ。
あくびをひとつ噛み殺して、私は剣を手に向かってくるユリシス殿下の斬撃を、指先で止めてやった。いや、正確には止めてやろうとした。だが、少しばかり体勢がよろめいてしまった。
「(なるほど、世界を救う旅をしていたというのは、あながち間違いでもないわね)」
目の前のユリシス殿下を眺める。
ずっと焦がれていた男の子は、青年になって、私に明確な殺意を向けていた。やっと、この男が私を見た。それが少し、嬉しかった。
✴︎
これまたありきたりで、ユリシス殿下に私が恋に落ちたのは、幼少期だった。
グレイスローズ公爵家は、それこそ王国の創立期から宰相を努めているような名家だ。だが、いまだに"国母"というものを排出したことはなかった。継承権のない王女が輿入れしてくることはあれど、自らの血を王家に取り入れられたことはない。
そんな中で、私には、魔法の才能があった。
この王国で魔法の才能というのは、なかなか稀少だ。千人いて一人生まれれば良い方だろうか。それが、公爵家に生まれたというのは、類をみないことだった。
私には多大な期待が掛けられ、その期待は時に暴力となって現れた。
そんな中で育った少女がどうなるのかというと、当然、心を殺し始めるわけである。
8歳の時。
ユリシス殿下と引き合わされても無表情で、にこりともしない私に、彼は戸惑ったようだった。父である公爵が国王陛下との打ち合わせのために離席すると、彼も一緒に席を立った。
まぁ、呆れられたか、恐ろしかったかの二択でしょうねと思った。けれど、少しすると、小さい王子様は、てててと短い歩幅で走ってきて、私に、花を差し出した。
「………蕾ですわね」
……ニコニコと笑っているが、差し出してきた薔薇の花は、蕾で、まだ咲いていなかった。私を気遣ったくせに、蕾の薔薇を持ってくるあたりの間抜けさに、私は少し笑ってしまった。
手を翳して、薔薇に魔力を込める。
ふわりと、その魔力が花全体を満たすようにイメージをして。ユリシス殿下の中で、薔薇が、ゆっくりと咲いた。
「………………すごい、」
ユリシス殿下は、ぽつりと言った。
それから、星を散りばめたようなきらきらとした瞳で、私を見た。
「すごい、すごいよ!魔法みたいだ!」
「…………」
あぜんとして、私はその顔を見ていた。父も母も兄たちも、魔法が使える私を希少がりはしたが、あまり見ないその力を気味悪がってもいた。それを、この王子様は。
「……ふふっ」
口に手を添えたが、もう、笑いを堪えきれなかった。
「それはそうですわ。だって、魔法ですもの」
こうしてあっさりと、私は、ユリシス殿下に恋に落ちたわけである。
✴︎
世間で認識されているストーリー通り、物語はそこで終わらない。
私はユリシス殿下が好きだったけれど、ユリシス殿下は、私のことが好きではなかった。友人ぐらいには思っていたのだろうし、実際、結婚する気はあったのだと思う。
狩の途中で落馬した彼が、担ぎ込まれた村にいた、メルという娘に、恋に落ちなければ。
「はぁぁーーーーーっ!!」
メルの放った斬撃が、私の長い銀髪をぱつんと切り裂いた。頬に少しの痛みを感じる。髪を切ったことにほんの少し罪悪感がありそうな顔をするあたり、腹立たしい娘だと、私は思う。こんな娘だからこそ、ユリシス殿下が愛したのだろうとわかるからだ。
「…っ、イレーナさん、お願いします!話をさせてください、わたし、あなたを殺したいわけでは…!」
「気安く呼ばないで。お前と話すことなどないわよ」
あっさりとそう言い放って、闇の魔法をメルに放った。メルの体が浮いて、投げ飛ばされる。壁に激突する寸前で、ユリシス殿下が滑り込んだ。衝撃は多少殺せたようだけれど、二人揃って、壁にぶつかって亀裂を走らせた。
ゆっくり、二人に歩み寄る。
右手には魔力の塊を、鳴らす足音にはヒールの音を。
「終わりよ」
口元には優美な微笑みを。
✴︎
――――あのメルの、無謀かに見えた攻撃は、ブラフだった。全く、小賢しい女だ。
私は、背後から胸を貫いた風の刃に、口から血を溢した。ああ、痛い。公爵令嬢なのよ、私。痛いのも寒いのも、私に与えるのは無礼なことなのよ。
そう思いながら、声を発そうとした。けれど、あまりの痛みで声が出なかった。
ユリシス殿下が何かを言っているけれど、耳に入らなかった。口の動きから察するに、「これで終わりだ」だとか、そんなあたりだろう。
嫌だなと思った。
何が嫌かと言われれば、あの女の攻撃魔法で死ぬのが嫌だ。魔法と呼べるほどのものでもない。外付けの魔道具で、誰かが溜めた魔力を放てるだけのちんけなシロモノだ。メルには、私と違って魔法の才能などないのだから。
なんとか力を振り絞って、魔力をぶつける"ふり"をした。手を光らせるぐらいの初歩的な魔力ならばまだ使える。それをメルに向けてやれば、ユリシス殿下は、私の望むように踊ってくれた。
胸を、宝飾のついた剣の、鋭利な切先で貫かれる。ふと、背中に冷たさを感じた。何かと思ったが、剣の鋼の冷たさだった。ということは、私の背中まで、しっかり貫通したのだろう。なんて容赦のない男だ。そんなことを他人事のように考えながら、私は、ユリシス殿下の青い目を見つめていた。
怒りと、それから、本当に奥の方に、少しだけの悲しみ。でも、しっかりと前を向いて生きていけるような、希望に満ちた瞳だった。
「…………終わりだ、イレーナ」
剣が引き抜かれた。
私の体は、支えを失ったかのように、前方に倒れた。どさりと、床に接触する音が、どこか遠く聞こえていた。
✴︎
……本当にバカな男と、バカな女だ。
私の計画にすら気が付いていない。そのバカさに、どこか胸がすく感覚すら覚えてしまう。
私という魔王は、メルに対する嫉妬に狂ったあまり、魔法の才能を悪用し、悪魔を召喚した。そう思われているが、そう思う世間も愚かだ。
メルに対する評価は、最初は最悪だったのだ。私という魔王が現れる、その時までは。
――――なら、その"評価の入れ替え"自体が、私の策略であると、どうして気が付かないのだろう?
ユリシス殿下に意中の相手がいる。
そう初めて耳にした私は、こっそりと隠れながら、メルの村まで行った。メルは、いかにも平凡な女だった。弟と妹がいて、苦労をしてきたのだろう、手は水で荒れ果てていたし、針仕事の豆だらけだった。
一目見て、私は無理だなと悟った。
「(――――この子が、殿下と結ばれることを、誰一人として納得はしないわ)」
魔法の才能があれば違ったかもしれない。
せめて、爵位が低くとも、貴族であれば、違ったかもしれない。
だが、魔法は使えない平民。ただの村娘。そんな女が、どうして、いずれ国を背負って立つ第一王子と結ばれることができるだろうか。
愛はある。メルのボロボロの手を握るユリシス殿下の細められた瞳に、確かな愛が。
だが、誰がその愛を認めてやれるだろうか。国民も、貴族も、国王も。
……だから、私は、お膳立てをしてやったのだ。
人民というのは愚かだ。
共通の敵、わかりやすいストーリー。
それさえあれば、簡単に掌を返す。魔法の才能を持つ私が、その才を悪用すれば、魔法自体への懸念が生まれる。私という圧倒的な悪を用意してやれば、それを睨み、それに立ち向かう王子と村娘を、人民は英雄として見る。全てが、私の計画通りだった。
ただの村娘が、王子と結ばれる方法。
王子が、メルと結ばれる方法。
それは、村娘が、救国の英雄になることだ。
聖女性とでも言うべきだろうか。自分たちを救う光を勝手に見れば、群衆は自ずと、彼女を認める。私という悪が脅威であればあるほど、彼女の価値は相対的に高まっていく。
――――私の計画は完遂される。
魔王の死をもって、村娘は、英雄になる。
✴︎
「(正直、一番の賭けは、「メルがついてくるかどうか」だったわね)」
魔王城と評して、悪趣味な改造を施した隣国の王城の床に顔をつけながら、私は、考えた。
血がどくどくと、胸から流れ出ていく感覚がある。思考も徐々に纏まらなくなる。こうして考えることができるのも、あと数分の世界の話だろう。
「(でも、まぁ、メルは来た。殿下が見そめた女の子だもの、どうせ、"心優しい"だとかいう、腹の立つ子に違いないわ)」
その証拠に、私の髪が切れた程度で罪悪感に顔を歪めるのだから。
ふと、この後の世界のことを考えた。
バカ王子が戦乱を勝ち抜けるとは思えなかったので、サクッと世界を統一してやった。魔王討伐後の混乱もあるだろうが、各国の有力な、まともに"使える"者たちは生き残らせてある。王国にも数人はまともに頭が回る者もいたし、なんとかなりはするだろう。共通の敵が現れた後の世界は、それまでとは違って、それなりに団結していたのだし。
魔物……は、私が死ねば死ぬから、大丈夫だろう。人的被害はこう見えて限りなく少なくしたつもりだ。悪虐性を示す手段としては殺害よりも誘拐をメインにしたので、人々は、あちこちで死んだと思っていた大事な人たちと再会できるだろう。
あとは、私の家族だろうか。
あぁ、お父様。お母様。お兄様方。
私が暴走したことで、グレイスローズ公爵家の方は、罪人になっているのかしら?正直、いい気味だとしか思わない娘で、申し訳ありませんわ。こんなだから、ユリシス殿下に好かれないのでしょうね。元々、王子一人のためにこんな狂った計画をやろうとするような娘ですもの、ご教育の賜物ですわ。口から自嘲の笑みを溢そうとしたが、血がこぽりと溢れ出ただけだった。
ユリシス殿下に視線を送ったけれど、彼はとっくに剣をしまって、背中を向けていた。もう、この城を後にする気なのだろう。
しっかり息絶えたかを確認して行かないあたりは、やはり、婚約者を差し置いて村娘などに突然恋をするバカ王子としか言いようがない。
愚かで、愚鈍で、正義感だけは強いくせに、村娘への恋心を抑えきれないバカな男。
魔法で咲かせた花を「魔法みたい」などとほざく、本当に愚かで、救いようがなくて、愛しい王子様。――――ずっと好きだ。これからもずっと、死んだ後も、この想いだけは、残ればいいのに。
一度、メルが私を見た。
私の前にしゃがみこんで、目を伏せる。お前に看取られたくなどないわ、さっさと行きなさい。睨みつけようとしたが、上手くは行かなかった。代わりになんとか、その足首を掴んでやった。弱々しい力だ、情けない。その足首をへし折ってやることもできない。
メルの平凡なヘーゼルの瞳と、私の目が合った。
「…………わかりました」
メルが小さく、私にだけ聞こえるように言った。
少しだけ驚いたが、腹も立った。この女、ユリシス殿下よりは頭が回るらしい。なら、まぁ、なんとかなるのではないかという、安堵感にも襲われて、それが無性に、私を苛々とさせた。
玉座の間への、重厚な扉が開く。
歓声が、光が、差し込んでくる。
けれどもう、私にその声は届かない。
もう視界は黒く染まり始めていて、その光も届かなかった。最期に、なぜか、ぼやけた視界が写った。ああ涙か、と思った。魔王になってもまだ、流せる涙というのは、存在していたらしい。
では何に?私が決めたこと、私の目的は完遂されたのに、一体、何に私は泣いているのか。
「(ああ…………馬鹿らしい……)」
視界が失われていく。私は、目を閉じた。
最後にこの脳に思い浮かべるのは、ユリシス殿下の瞳の青色が良かったからだ。
ふと、自分が言い放った言葉を思い出した。
「世界の半分をあげるわ」。
何度も何度も聞いた言葉のように思うが、そういえば、物語の中の魔王は、「だから投降しろ」だとか、そういう要求を通そうとしていた。私はどうも、それを言い忘れてしまったらしい。
けれどまぁ、言えるはずもない。
「(……「世界の半分をあげるから、あの子の半分ぐらい、私を、愛してください」だなんて)
気付くのは遅すぎた。
だが、気付けたのは、この生涯における最期の僥倖だったかもしれない。
扉が閉まる。
光が消える。
そして、私の視界も、黒く染まった。
ありがとうございました。
短く読める、でも重たいものを目指しました。
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