階段下の少女⑤
「この前はすみませんでした。折角ハンカチを貸そうとしてくださったのにお礼も言わず立ち去ったりして」
頭を下げられる。返答に窮し、僕は押し黙った。顔を上げた彼女が名乗る。
「私、一年生の学織沙詠と申します」
間近で見る学織さんはとても可愛らしい少女だった。大きな瞳は澄んでいて、まだ幼さの残る立ち振る舞いが大いに庇護欲を刺激する。綺麗な肌と桜色の唇はビスクドールを思わせた。
僕だけでなく、大抵の人間は同様の感想を抱くだろう。
「僕は二年の相馬たくみです」
取り敢えず僕も名乗った。
「相馬先輩とお呼びしても?」
「もちろんです」
慌てて答えたため、声が裏返った。そんな僕の様子を見て、学織さんはくすっと笑う。あどけなさの中にも洗練された上品さを感じさせる笑みだった。
「すみません」
彼女はそれを恥じるように軽く俯き、謝った。
「大丈夫ですよ」
普段とは異なる言葉遣いになった。無理しているわけではない。自然と出てきたのだ。
「学織さんは職員室にどのような用件で?」
「図書委員を務めているので、鍵を取りに」
僕も中一の一学期は図書委員を務めていた。その時のルールだと鍵を取りに行くのは昼休み中でよかったはずだ。
僕がそう話すと彼女は頷いた。
「そうですね。今もそのルールは変わっていません。ただ、私は忘れないよう三時間目と四時間目の間の休み時間に取りに行くようにしているんです」
「十分間で間に合いますか?」
「充分です。私の教室から職員室までは一分で事足ります」
時計を見ると、今は休み時間の開始から六分経っていた。
「念の為そろそろ戻ったほうがいいのではないですか?」
「そうします。ただ、その前に」
学織さんは一息ついて言った。
「相馬先輩、今日の放課後お時間ありますか?」
「放課後? 特に何の予定もありませんが」
放課後どころか午後の予定も立っていない。大学生さながらの自由な学生生活だ。あまりに勉強しないと授業を受けてない分テストの結果が散々になるが、それは自分で決めたノルマの達成で回避している。
「では、六時間目の授業終わりに裏門で待ち合わせいたしませんか? あ、部活の関係で今日が無理なら明日でも」
付け加える学織さんに僕は首を横に振った。
「大丈夫です」
チャイムが鳴った。
「では、放課後」
歩き去る彼女を尻目に僕は保健室に戻った。途端、心臓が波打つ。後から衝撃がやってきたのだった。
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