優しさが届く日に
だいぶ前の話しです。
恐らくは時効だと思いますが、怪しからんと思う方、ご批判、お叱り等は、厳粛に受け入れようと思います。
嘘です。
怒らないでくださいね。
ある休日の、繁華街での出来事です。
そこは普段から人出があり、休日はまさに繁華街の名に相応しいぐらいに賑わっていました。
今の時代ほど、未来を悲観していなかった時代でしたので、人々の顔はどこか明るかった。
当時はスマホも無かった時代ですので、今と違って人々が画面に魅入って俯き加減で歩いている光景は無くもありませんけど、まあ稀でしたけど。
そんな時代の出来事です。
季節は冬でしたけど、天気もよくお出かけ日和の陽気でした。
当然の如く、繁華街は人でごった返していました。
そんな場所に私は、配達に出かけました。
そもそも休日の配達は人気がなく、まあ有り体に言えば押し付けられたというべきでした。
やれ、家族サービスをしなければ、やれ恋人と約束があるとか、やれ友達と約束をしているとか、やれ、競馬に行かないといけないとか・・・・おい?
まあ、休日ぐらい、のんびりしたいと思うのも、人情というものでしょう。
損な役回りを引き受けるのが、当時の私の生き方でした。まあ、今とあんまり変わってませんけどね。
でも、誰かがやらないとね。
とは言え、休日の道路も概ね空いており、当時は今と違って無茶な運転をするサンデードライバーも稀でしたので、実はそんなに苦ではありませんでした。
しかし、人でごった返している繁華街での配達は結構大変で、特に信号機のない交差点を通り抜けるのは一苦労でした。
人波が中々途切れず、じりじりしていたとしても横断歩道を渡る人を押しのける訳にもいかず、ただまるで修行僧のように、無だ、無だ、私は無だと自らを戒めました。
嘘です、ただボ~としていただけです。
とは言え、そんな場所でも早ければ一分少々、長くても十分程度で人波が切れるので、そこをさっと通過するのも一種の技術なんでしょう。
そんな交差点での出来事です。
休日の繁華街はいつも通りの人出で、当時の私はいつもの交差点で人波が切れるのをじりじりすることもなく、ただ、無だ、私は無だとまるで修行僧のように静かに待っていました。
嘘ですからね、ただボ~としていただけです。
その時でした。
ある親子連れが、唐突に横断歩道の手前で立ち止まりました。
母親と思しき若い女性と、恐らくは5~6歳と思える小さな女の子でした。
女の子は何を思ったのか、そこから動きませんでした。
しかし、人波が途切れることは無く、そのちょっと変な光景に、私の目は釘付けになりました。
すみません、ただ退屈だっただけです。
特に変わった動きをする人を、物珍しく見ていただけです。
まあ当時の私の気持ちとしては、とっとと渡ってくれよと思いましたけど。
何故なら、人波が途切れた瞬間、その親子が横断歩道を渡り始めたらまた人が途切れるまで待たないといけないからです。
そんな人も、時々見かけるからです。
どうもその女の子は、そういった人とは違っていたようです。
ただ一点を見つめ、母親が促しても動こうとしませんでした。
「どうしたの?」
母親は優しく訊ねました。
「待ってるよ」
小さな女の子は、母親を見上げながらそう答えました。
女の子の表情はどこか悲しみというか、切迫感というか、言葉にも切なさというか、どことなく悲しみに満ちていたようでした。
何が言いたいのかよく分かりませんが、この子を何とかしてあげないといけないと、そう思わせるような感じがしました。
でも女の子が、助けを求めていた訳ではありませんでした。
「ねえ、待ってるよ!」
母親を見上げる女の子は、再びそうつぶやきました。
はて?
何が待ってるのか?
私も周囲を確認しましたが、その待ってる存在を確認出来ませんでした。
もしかして、大人には見えない何かが居るのだろうか?
困った。どうにかしてあげたいけど、停まっているとはいえ一応は運転中だし、そもそも女の子が何を望んでいるのか皆目見当もつかない。
見えないお友達が相手なら、益々どうにも出来ない。
すると、
「そうだねえ、待ってようか」
母親はにこにこしながら、見上げる女の子にそう答えました。
すると女の子は、とても嬉しそうになり、元気よく応えました。
「うん!」
母娘はにこにこしながら、横断歩道の手前で手を繋いだまま、ただジッと何かを待っていました。
そこで私は、気が付きました。
待っているのは、この私だと。
これには困りました。
女の子はニコニコ、母親もにこにこしているけど、それでも人波が途切れることはありませんでした。
私の気持ちとしては、何とかこの母娘の期待に応えないといけないと、むしろ焦燥感に襲われました。
もう、無だなんて、言ってられません。
しかし、無理に横断歩道に進入して人をかき分ける訳にもいかず、どうしたらいいだろうかと、むしろ追い詰められるような気持ちになりました。
女の子が泣きだしてしまうんじゃないかと、気が気ではありませんでした。
それでも母娘は、笑顔を絶やさずに私の運転する自動車が横断歩道を通過するのを、ただただ待っていました。
奇跡が起きました。
ある通行人が、いつまでも動かない親子を見て、横断歩道の手前で立ち止まったのです。
すると、同じように次々に歩行者は動きを止め、ついに横断歩道に人が居なくなりました。
私はチャンスと思い、それでも慎重に自動車を出発させ、かつ丁寧に頭を下げて横断歩道を無事通過しました。
それでも飛び出す人が居ないか、周囲を見回しながらですけど。
正直、その親子を見たかったのですが、すぐに死角に入ったのでその後どうなったのか分かりませんでした。
ただその時に思ったことは、あの母娘にいいことがありますようにと、心で祈った事でした。
その日は、クリスマスでしたから。