アベンルーエの冒険1
「すまないね、お嬢ちゃん。うちも満室でね」
愛想の良い中年男性が髪を剃った頭を掻きながら謝っていた。
彼はいわゆる宿屋の店員NPCだった。
『ナウヘイム』のNPCは、低コスト化した人格AIに該当する。
本来、人格を持つAIというのは相当なリソースとコストを要求するもので到底、重要でもないNPCに割り振れるものではない。
しかし、プラットフォーム提供者のAT社はそこに抜け道を見出していた。
つまり、AIの数を増やせないなら、一つのAIに複数のNPCを演じさせればいい。
まるでTRPGのGMを模倣したような構造だが、学習AIでいう追加学習に近い概念で、AIであれば規格そのままに表層人格の取り換えが可能だった。
宿屋の主人もそういった汎用NPCに過ぎないのだが。
「ううん、気にしないで。それより、他にどっか良い所ないかな?」
低い身長でどうにかカウンターに乗り出せば、細やかな金髪が揺れる。
ミリィはNPCにも愛想良く話しかけるタイプのプレイヤーだった。
「あー、どうしても見つからないなら西の城壁外周にはちょっとした宿場町、みたいなものがある。ちょっと不便だが無いよりはマシだろ?」
「うーん……」
旧世界の宿事情を完全に見誤っていた、というのがミリィの現状だった。
表の中心街、ミドガルドには夜の霧亭という巨大な宿舎があり、妖艶な女主人が経営する宿には無限の部屋……正確にはプレイヤーIDの数だけ部屋が存在している。
つまり、単純に機能としての宿には困った事がないのだ。
旧世界は過疎っているので大丈夫だと思っていたのだが、好立地の宿はだいたいが年間や月間の契約で確保されていた。
四百人、サーバー人口のたった1%に過ぎない値だったが、有限の宿、それも一等地を埋めるには十分な数であったらしい。
(これ中央区は無理かなぁ……さすがに城壁の外は避けたいけど)
行き来の時間は快適さに直結する。毎回、所持品を整理するためだけに街の外に出る、などというプレイはさすがに避けたかった。
そんなミリィを見かねたのか、宿の主人は声を潜めて助言していた。
「ここだけの話だが、地下水路には安全に使える部屋があるらしいぜ」
「……そこはやめときます」
Pさんには地下水路の牢獄を勧められたが、かなり一般的な助言だったらしい。
そう思い知ったミリィだったが、そこは断固と拒否したかった。
主人に礼だけ言って宿屋から出れば、目前にはアベンルーエ中央区の街並みが広がった。近世的な都市が蒼い月と暖かなランタンに照らされている。
眠りの都アベンルーエの構造としては、プレイヤー住居の北区画、設定上の重要施設が集中している中央区を除いて、傾向はあっても機能別に分かれている訳ではない。
ゲーム上の都市にありがちな過度の機能分離は、規模が一定以上になると移動の不便、立地による価値低下などの弊害が起きてしまう。
よって、アベンルーエの各区画は独立した機能集約がある訳だが。
ミリィのような新参にとっては、全貌の把握を困難にする構造だった。
(どうせクエストだと全部回らないといけないし、中央区がダメならどうしよ)
考えれば考えるほど、牢獄暮らしという選択が過ぎってしまうが、ミリィは頭を振ってその選択を片隅に追いやった。
冷静に中央区以外に宿を置く利点を考える。
(聞き込みでは、南は平民街? 下町みたいな感じだって聞いたけど、こういう所がだいたい低レベル向けクエストが多いんだよね)
設定上では、資産がなければ高レベルのプレイヤーに相応しい報酬を支払う事ができない。組織や遠方の資産家からの出資、というパターンもあったがアベンルーエにおいて、ミリィの推測は完全に当たっていた。
残されたアベンルーエの各区画はおおまかに次の特徴を持つ。
中央区は全レベル帯だが、北と合わせて自ずとカンスト帯の機能が多くなる。
西区画は商工街で店や工房が多く、多様な収集クエストが存在している。
そして、東区画は表裏のある歓楽街で、様々な意味で上級者向け。過去には競売や闘技場が賑わっていた……
ミリィのレベル52で言えば適正は西区画だが、メインクエストを進めつつ、色々と摘まむ方針でいえば、まず南区画というのは正解だと言えるだろう。
「よし、南区画で宿を捜そっ!」
ぐっと小さな拳を握りしめると、中央区の通りをミリィは南に向かって直進していた。
***
南区画にいけば、程なくして宿を見つける事ができた。
さすがに中央区との境目あたりは埋まっていたが、南区画の中心あたりなら空き部屋はそこそこに見つかるのだった。
何にせよ、これで回復と所持品の保管には当面、困らずに活動できる。
無事、アベンルーエにおいて足場を固めたミリィは意気揚々と広場に向かい、クエストが張り出されている掲示板を閲覧していた。
(えっと、南には農村と漁村があるんだ。死後の世界なのに……?)
ミリィが予想した通り、南区画は初心者向けクエストが多く設定されている。
安価なアイテム収集、農村のモンスター退治、アベンルーエ都市内の届け物や買い物。
都市の外に出る依頼が少ないのも特徴かも知れない。
「メインクエストは中央で進むから、まず中央区行きの届け物は取って、あと毛皮はもうあるから、収集の依頼も取っていいかな」
掛け持ちで効率化、収集は受注前にアイテムを揃えておくのが基本だ。
ミリィは最低限、初心者の域を脱しているので、この程度の手際の良さはあるのだった。
あとは中央区に向かって、受けたクエストを済ませつつ、ついに旧世界のメインクエストを開始するだけだ。本当の意味で旧世界での冒険が始まる。
「――ちょっといいかしら」
唐突に背後から声を掛けられて、ミリィはビクリと震えた。
普段、つまり人が多い所では何とも思わなくとも、過疎地で誰かとすれ違うと思わず身構えてしまう現象に近い。
特に旧世界は癖の強い人物が多いと、表で言われる場所なのだから……
「え……ええと何でしょうか……? お金とか、あまり持ってません」
「へえ、ちょっとジャンプしてみなさいよ……って、違う! 恐喝じゃないから」
軽快なノリツッコミで応じてくれたのは、ミリィと同じくらい小柄な少女だった。
強気でまっすぐな赤眼、銀に限りなく近い水色髪をツインテールにしている。
口を開けば、その度に左側から八重歯が覗いていた。
衣装は小さなハットとマントで整えた学徒風の魔術師、だろうか。装備や装飾の特徴からは、どこか水属性の印象が強かった。
(……ツンデレさんだ)
ミリィに一目で性格やキャラ付けを見抜く特技はない。
アバターのデザインを見た勝手な感想だった。少なくとも、その凝り具合は自分のアバターよりはだいぶ上だと感じていた。
ツンデレさんは何か反応を期待するように、靴先で石床を叩いて待っている。
「…………?」
まったく、その意図が掴めずにミリィは首を傾げた。
もしかして有名人だったりするのかなと、ネームを確認して気が付いた。
「あっ、紫ネーム!」
「ようやく気付いた。レベル50帯とは思えないわね」
ミリィが驚いて指を差せば、水色髪の少女は呆れたように首を振っていた。
『ナウヘイム』はネームカラーシステムを採用している。他のゲームと同一ではないが、だいたいはテンプレート通りだ。
友好的なキャラクターなら白、敵対的なら灰色、特に危険な人物は赤といった具合に。
紫ネームは事情が特殊で、運営やGMがイベント用に用意した特別な配役を意味する。『ナウヘイム』で最も有名なのは独立AIのVキャラ、戦秋ハガネだろう。
もちろん、独立AIだけでなく運営が雇った演者という事もある。
目前のツンデレさん、NPC名:フォルネはどっちなのか。
「さあ、どっちでしょうね? 回答は控えさせてもらうけど」
ミリィの疑問を察したか、見抜いてみせろ、と言わんばかりにフォルネは挑発的に胸を反らした。今時、この程度の会話で人間か人格AIかを見抜くのは難しい。
じっと見つめるが、すぐに諦めてミリィは話題を変える事にした。
「ええと、それでフォルネさんは私に一体、何の用でしょうか?」
「フォルネ、でいいわよ。そうね……どう説明すればいいかしら」
正面から尋ねられて、少しの間、フォルネの赤い瞳が宙を彷徨っていたが、やがて考えが纏まったのか視線を合わせて告げた。
「目に見えないけど、あなたは妖精に見定められた状態にあるの……まあ、イベントフラグを踏んでいる、と言い換えても良いのだけど」
「……あのー、つまり『ユニーククエスト』みたいな?」
この場合、ユニークとは特殊というだけでなく唯一を意味する。
『ナウヘイム』は先行者利益を否定しないゲームだ。機会は平等にせよ、結果の格差はガッツリと発生する傾向にある。
極端な例だが、サーバーで一度しか出現しないボス、クエストというのも前例があるのだ。
わざわざ紫ネームの特別なNPCが介入してくるのなら、それくらい重大なイベントなのだとミリィは推測したのだが。
「情報開示はこれが限界。ただ、あなたの現状は芳しくはないわね」
フォルネは腕を組み回答を拒否しつつも、ヒントを出すように言葉を続けた。
ミリィも自信は持てないが、どうにかそのヒントを自分なりに解釈する。
(フラグを踏み逃げされると困るって事なのかな……?)
『ナウヘイム』は方針としてはユニークという概念を否定していない。
だが、当然としてその問題点は大きい。
その一つがサーバー唯一の資源を握りつつも、プレイヤーが引退してしまい、あるべき流動や還元が発生しなくなるという事だ。
よって、アイテムやスキルなどのプレイヤーが保持する要素を唯一とするのは、さすがに慎重な姿勢を取らざるを得ない。
だがイベント発生フラグとなれば、プレイヤーが保持する要素と言えるのかどうかは、関係者でもないミリィにとってはグレーの領域だった。
(えっと、つまり……)
ミリィの推測はこうだった。
特に問題のないプレイヤーにユニーク、または先行実装的なイベントフラグを踏ませたまではいいが、そのプレイヤー、つまりミリィ自身に急なトラブルが。
イベントを発生させる事なく明後日の方向に逃げてしまった。
それもサーバーで唯一のイベントフラグを独占したまま。
実際、ミリィには若干の心当たりがあった。
(でも、そんな事ありえるかな。本当に?)
頭を傾けるミリィだったが、フォルネはそれで構わないようだった。
彼女は小細工もなく堂々と正面から告げた。
「色々と考えているみたいね。でも、私からの用件は単純よ。今から、あなたの
冒険に仲間として同行させてもらうわ。もちろん同意が得られれば、だけど」
「仲間……!?」
とんでもない爆弾発言に、ミリィは呆然と問い返す事しかできない。
紫ネームにパーティーメンバーとして同行してもらう、そういう事例はあるが本来は何千何万の抽選に勝ち残るような、そういうレアケースだ。
「悪い話じゃないでしょ? 旧世界のアクティブ数は四百人ほど。同レベル帯で方針を合わせてくれるプレイヤーを見つけるには、かなり少ない数字のはずよ」
「それはそうだけど……」
瞳に自信を湛えたフォルネに見透かされたまま、ミリィは反論できない。
『ナウヘイム』はソロ向けコンテンツも充実している。旧世界はむしろ表よりも、その傾向が強いかも知れない。だが、上を目指すなら限界はある。
人で溢れている表なら、いくらでも野良の募集に入り込める。
でも、過疎が基本の旧世界でそうはいかない。
どうしても必要になってしまうのだ。ほんの一時でも手助けしてくれる仲間が。
「うーん……ええと、普通にパーティー申請飛ばせばいいのかな?」
「ええ、仕様はプレイヤーのそれと同じはずよ」
フォルネを注視しつつ、全面に手を伸ばせば見慣れた操作枠が出現する。
しかし、そこに紫の名称が表示されたのは初めての経験だった。
紫ネームを仲間に加えるというのは、確実に注目を浴びる行為でもある。
余計な悪意を呼び寄せるリスクもあるのだった。
(でも、表には帰れないよね……)
その自覚が最後の一押しとなり、フォルネの名称に触れればパーティー申請はノータイムで承認された。表記が紫からパーティーメンバーを示す明るい青へと変化する。
「それじゃ、仲間として改めて自己紹介するわね。私はフォルネ、クラスは『水棲召喚士』。レベルは同期して、あなたと同じ52。一時の事だけど、あなたの冒険を手助けするからよろしくね」
宣言するように名乗りを上げるフォルネ。人かAIか曖昧な存在である事とは裏腹に、その表情には強い意思と確信を秘めているように見えた。
当分はミリィパート
・AT社
オルターテクノ株式会社。怪しい多国籍企業。
運営でも開発でもない、プラットフォーマーという第三の立ち位置。
既成MMOのデータをVRMMOに変換するサービスを提供している。
VR分野において、認知心理学のマネタイズに最も成功した企業だとか何とか。
・人格AI
中堅MMOに過ぎないナウヘイムにおいては運営コストが維持できないので簡易版。
とはいえ、AT社の支援で違和感がない程度には仕上がっており、
代表的な数種のAIが多数のNPC人格を演じる形式を取っている。
画像生成AIでいえばプロンプトとckptファイル入れ替えているのに近い。
・夜の霧亭
表に存在している規模無限の宿屋。厳密には全プレイヤーIDに対応した部屋が存在する。
寝床、収納箱を完備。クラフト設備は要購入。
昔と比べて、ずいぶん便利になった。
・戦秋ハガネ
いわゆる運営公式のVTuberみたいなもの。人格AIなので、ちょっと事情は異なる。
ナウヘイム作中のキャラクターでもあるが、メタ認識持ち。
銀髪碧眼の美少女で、SNSや動画サイトとゲーム中に留まらない活躍をしている。
スタイルは脳筋プレイ。後輩には空月アメがいる。
・ユニーク
サーバー唯一の、という概念。よくリアルのMMOではあり得ないと言われるが、
古い世代の作品にはそれなりに存在していた。今ならNFTゲームであるかも。
ナウヘイムではボスやクエストはちょくちょく実装されているが、
特定のプレイヤーが保有する要素に関しては慎重な姿勢を見せている。




