旧世界1
『ナウヘイム』はMMOとしては古参の部類に入る――といえば、聞こえはいい。
当時の売れ筋を模倣したダークな世界観に、チープなシステム。
ひたすら広大さと物量で攻めたレベルデザインに、情報共有を前提とした説明不足の各種要素。
その程度の代物でも当時は流行に乗ってプレイヤー数を伸ばせた。
一度、伸びたプレイヤー数は強固なアドバンテージを産み、ジャンルが右肩下がりに入っても、少々の延命策で生き残れた。
そして、次世代の仮想現実型MMOの登場で完全に命脈を断たれ、サービス終了。
プレイヤー達にとっては特別な事件だとしても、ありきたりな結末だ。
しかし、『ナウヘイム』がその歴史を終える事がなかった。
AT社が格安で提供する学習型プラットフォーム上での先端技術。
すなわち既存MMORPGの『仮想現実化』。
こうして『ナウヘイム』はサービスやコンテンツを一新し、新作VRMMOとしてリスタートする事となった。
ただ、AT社の手がけた夢物語のようなプラットフォームは無条件で提供されるものではない。たとえば実働データを還元し、学習モデルの進化に協力する義務がある。
そして提供対象も元々が多くのコンテンツを有していたMMORPGに限られ、その維持まで要求された。
時代に沿わない旧いデータは新規要素の足枷になるリスクは大きかったが。
こういった事情により、『ナウヘイム』の第一サーバーYmir限定で旧MMO時代のエリア――
通称、旧世界に繋がるゲートが存在していた。
***
PC名:ミリィが知るナウヘイムは北欧神話をモデルとした、大樹を中心とする緑豊かな世界だった。しかし今、彼女の目前に拡がっている光景では暗雲の下に、ひたすら薄暗い荒野と岩地が延々と続いている。
プレイヤーは不死の戦士となり、狂った死の女神の軍勢との終わりなき戦いに身を投じる……というのが旧世界、かつての『ナウヘイム』のストーリーだ。
色々と不穏な要素があるとはいえ、文化的な表の世界とは大きく異なる。
ミリィは極寒に肌を晒すのにも似た緊張感で一歩踏み出した。
即座に、長方形型のUIが出現し警告を発した。
【地名:眠りの都、北の遺跡 警告:PK可能エリアに移行】
設定上、魔法の地図と呼称される機能だ。諸情報とオートマッピングを搭載しており、ミリィのそれは現在、ゲート周囲をわずかに記載したに過ぎない。
もっとも重要なのは『PK可能エリア』の一文だ。
他のプレイヤーキャラへの攻撃が許可されている証であり、特にそれを専門とするプレイヤーキラーの危険性は、挙動が一定のモンスターとは次元が異なる。
こうした権限が切り替わりを見越して、悪辣な奇襲を仕掛けてくる可能性すらあるのだ。
(大丈夫、旧世界に人はほとんど居ないはず……)
ミリィは自分に言い聞かせつつ、歩みを進めた。
実際、旧世界にはプレイヤーキラーが未だに存在していて、その攻略が困難になっていると聞いた事がある。
それでも廃れ気味の文化ではあったし、なによりゲート付近で来るかも分からない他のPCを待ち構えるのは非生産的すぎる。
遺跡といってもゲート周辺の祭壇と砕けた壁の名残が残っているだけだが、それでも抜けてしまえば地形もあって、一気に視界が開けた。
やや高台で草木は青みのある月光に照らされ、幻想的な雰囲気だ。
人の姿は――あった。
落ち着いた風貌の青年アバターで、地形になじむ紺色のマントを纏って装備を隠している。ただし、斜めに背負った黒い長物は隠し切れるものでは無かったが。
彼を注視すれば、視界に小型の情報枠が開き、彼の名称とレベルを明らかにする。まずレベルは100、カンストだ。ミリィでは太刀打ちできない。
名称:ピーケイ。表記は赤字。これは一定時間内に他のPCを襲ったか、カルマ値が一定を下回っている、つまりは……プレイヤーキラーの証だ。
(ぎゃー、最悪……思いっきり遭遇した。めっちゃ露骨なのに遭遇した)
わざわざPKを名前にして人斬りしてる、やべー奴と対面してしまった。
この時のミリィの脳裏に浮かび上がったのは、対抗手段でも逃走でもなく、プレイヤーキラーとは別に旧世界を過疎化させている、もう一つの要因だった。
強烈なデスペナルティ。
およそレベル10%相当の永久的な減退と所持品の全ロストだ。
もちろん、表の世界にそんな時代遅れのペナルティはない。
消し飛ぶのがプレイ時間の一割以上と考えれば、かなり過酷な数値だ。
水増しレベリングでプレイ期間を補っていた時代の狂気が襲ってくる。
ミリィが身構えたのは抵抗の為ではなく、ただ怯えただけだったが。
ピーケイは関心無さげに視線を送ると、軽く手先を振って情報枠を消していた。
「28点。ショボいな……」
失礼な事を口走ると、プレイヤーキラーは踵を返して立ち去ろうとしていた。
***
巡回ルートに表の世界と繋ぐゲート周辺を含めていた理由は、単に通り道という点が大きかった。だが、今時わざわざ旧世界に顔を出すプレイヤーがどんな奴か見ておきたい、いわゆる”挨拶”という意味もある。
観光感覚でやってきたのなら、赤ネームをチラつかせて驚かせるだけで十分な刺激だろう。
英雄的以上の装備で身を固めて、本気で挑んできたのなら、一戦交えても良い。どうせ非戦エリア付近なので、簡単には決着は付かない。
こうした日課もあって、ピーケイは今回もまた一人、初見のプレイヤーに遭遇したのだが、その意図は読めなかった。
アバターは金髪の少女。黒いリボンで後ろ髪の一部を纏めている。
平均よりもかなり小柄で活動的、ということもあって子猫のような印象を
受ける。
(さて、どの程度の獲物か……)
装備はアマルテアコート、灰色のコートでクラス制限がなく外見的にも汎用性が高いので、よく見かける胴体装備だった。
腰に下げているのは、レイピアに見えるが黒い鞘に収まっているので、どの程度の装備かまでは分からない。マニアなら柄の装飾だけで判別できるのだろうが……
名称はミリィ、レベルは52。初心を脱した初級者ぐらいの値。
本気で旧世界のコンテンツを攻略してきたようには見えないが、かといって物見遊山にしては、ずいぶんと警戒している身振りだった。
単に道に迷って危険地帯に来た、というのが一番近いように見える。
PKとして狩るか狩らないかで言えば――狩らない。
『ナウヘイム』は装備の損傷システムを採用している。予防も修復も可能だが、装備の等級が高ければ高い程、コストが上がる。
つまり採算が取れない戦闘は有利不利でいえば避けた方がいい。
「28点。ショボいな……」
動画配信などにも言える事だが、没入型のVRがインターフェースとして厄介な点は、独り言が独り言で済まなくなる点だとピーケイは常々思う。
いちいち癖を矯正したいとまでは思わなかったが。
地雷を踏んだというべきか、この一言でミリィの緊張が限界を越えたらしい。
「わかった……つまり、あなた私に手を出せないんでしょ! 武器の損傷が怖くて! そうと分かれば、あなたなんて怖くないんだからね!」
なんかイキりだした。
するりとミリィが鞘から抜き放ったのは、蒼銀に輝くミスリルレイピアだ。これもレベル帯からすれば普通で、大した装備とは言えない。
混乱と凶悪なデスペナへの恐怖がどう作用したかは分からないが、逆に開き直って好戦的に威嚇するという選択をミリィに取らせたらしい。
当然だが、損傷システムがあれば安く使える武器も一緒に持ち歩く訳で。
ピーケイは数秒間を置くと背中の長物ではなく、腰から刀剣を抜き放った。
戦闘向けとは思えない、えげつない形状をした小振りの刃物だ。
「予備武器に拷問ノコギリがあるんだけど」
「ちょーしに乗りました! ごめんなさい!」
時間にして1秒未満。混乱が臨界に達したか。
ミリィはレイピアを投げ捨てると、流れるような動作で土下座していた。
「…………」
内心、ドン引きしながらもピーケイはミリィの様子をまじまじと観察した。
膝を折りたたみ、正しい姿勢で額を地面にこすり付けている。
奇襲のための擬態などではなく、それは完全な土下座だった。
「どうか、デスペナだけはご勘弁を。レベルがぶっ飛ぶのは嫌……」
もちろんデスペナ、10%相当のレベル減退と所持品全ロスも法外だろう。
それに仮想現実上では汚れないし、不快感もほとんどない。
でもマジでやるか、とピーケイは思う。人には尊厳というものがあるのだし普通は、ノータイムで土下座という選択肢は出てこない。
この状況で土下座が有効かといえば、まあ有効だった。
相手に気まずい思いをさせるという意味では完璧。動作に制約がないという没入型の性質を活かした選択と言えるだろう。
(うわー、最悪……思いっきり、やべー奴と遭遇してしまった)
ピーケイはミリィの想定外の行動に激しく困惑させられながらも。
とりあえず、異なる角度から三回。
スクリーンショットで土下座の様子を記録していた。
開幕、土下座。
なろうの操作がまだ良く分かっていない……
あ、感想とか評価があったら嬉しいです。




