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月下の迷い子2

 手入れされていない黒髪にボロ布のような衣類。

 リックはアベンルーエ南東の城壁外区、通称貧民街で暮らす少年だった。


 旧世界――設定上ではニヴルヘイムの一部、死後の世界を舞台とする。

 何という事はない。

 死後の世界に待っていたのは理想郷でも責め苦でもなく。たとえ死者でも人間が集まる場所では、ただ現実だけが待っている、という訳だ。


 貧富があり格差があり、そして行き場のない人間も存在している。

 貧民街はそういった人間が掃き寄せられるように集められた場所だった。


「くっそ……」


 彼は逃亡していた。塗装が剥げたり、ベニヤ板で補修なのか増築なのかも分からない状態の街並みを横に、ただひたすら駆けていく。

 リックは典型的な路頭の子供たち(ストリートチルドレン)だった。

 盗みはするし、良くないグループにも入っているし、まあ相応に上前も跳ねられている。


 そして、悪びれる気もないし、自分を憐れんだりもしない気質だった。

 この辺り、どんな事であれ人の物を盗む理由にはならない、という良識的な価値観とは相容れない。

 兎にも角にも生きる為ではあるし、倫理や法律を盾に他人に死ねと言っている奴は総じて信用できない、という訳だ。


 リックは無法者だったが、それでも自分に一定のルールは課している。

 盗みはあくまで生きる為の生業であり、富むためのものではない事。

 そして、自分より弱かったり貧しかったりする人々からは奪わない事。これは盗みに限らず合法的な事であっても、だ。


 これは一種の縄張りや生きる為のラインも兼ねている。

 人里に降りてきた獣が殺されるように、線を弁えなければ本気でガードに襲われるのだ。


「なにがあったんだ……あいつら……」


 今回ばかりは勝手が違った。息を切らしながらも、必死で走る。

 別に普段と振る舞いが変わった訳ではない。城壁外の露店から少しばかり果物をいただく、いつもの生業だ。相手から見れば損害といえば損害だが、採算の範疇に過ぎない。


 だがガード達は尋常ではない行動力で、リックを追い込んできたのだ。

 相手が本気と悟れば、貧民街の人間は誰もリックの味方はしない。

 きっと、あいつがやりすぎたんだ、なんて馬鹿な事を、そういった態度が当たり前だった。


 ガード達は本気だった。まるで捕獲や盗品の回収ではなく、殺害が目的であるかのように容赦なく刃を振るい、矢を放った。

 いくら地の利があるといっても、戦闘能力では雲泥の差があるのだ。


 無数の傷を負ったリックは、どうにか行商の荷物に紛れ込み、アベンルーエ都市内へと逃げ込んだが、やはり殺されるのは時間の問題だった。

 すぐに発覚してしまったし、傷付いた体で走り続けるのは不可能だ。


 どうにか広場から最寄りの酒場に逃げ込んだが、大して意味があるはずもない。

 死期が迫る中でリックが思い至ったのは、貧民街の酒場で売れない詩人が謡っていた、ありふれた詩歌だった。


――英雄の御霊はヴァルハラへと招かれる。


 つまり、この世界の方には英雄は不在だという事だ。

 絶望にも近い納得感に心を委ねながら、リックは意識を手放していた。


***


「あ、起きた」


 ミリィが呟いたのは、リックを保護してからしばらく時間が経った後だった。

 フォルネに流れでクエストを請けた事を報告すれば、若干は呆れられたもののクエスト『月下の迷い子』を攻略する事自体には反対しなかった。


 合流して装備の返還や他の依頼の検討などもしているうちに、ようやくリックが起きたというのが現状だ。

 目を覚ましたリックを待ち受けていたのは、見知らぬ部屋と整った顔立ちの少女が二人という状況になるのだが、彼が注目したのは別の点だった。


「あんた、何やってるんだ……?」


 酒場の空き部屋という事で、予備か臨時らしきテーブルが置かれているのだが、その上には何故か無数のサンドイッチが積み上げられていた。

 そう、手作りのサンドイッチだ。

 今現在もミリィは一心不乱にベーコンとレタス、マヨネーズを少々パンに挟んで、サンドイッチをひたすら量産し、その山を拡張し続けている。


 異性とか容姿とかいう以前に、リックにはその行為が意味不明だった。

 怪我人の傍らで、なぜサンドイッチを大量生産……? という疑問が先立つ。


「時間が余ってたから、料理スキル上げ……?」

「挙動が妖怪か何かよね」


 フォルネはわざとらしく手の平を返して、呆れのポーズを取った。

 ただ、NPCの認識はさておき、ミリィの行為は特別な奇行ではない。

 『ナウヘイム』の生産はスキル制で、空いた時間にレベル上げ作業というのは良く見られる行為だった。


 一定レベル以上になれば生産の質の方が重要になるが、まだまだミリィの料理スキルは塵を積み上げるのが有効な段階にある。

 ただ、さすがにサンドイッチの山が場にそぐわない事は理解できたので、そそくさとポーチに仕舞い込むと、改めてミリィはリックに向き直った。


「私たちは……ええと、何だろ?」

「旅の者よ、成り行きであなたを保護したらガードに睨まれてね。互いの為にも、今まで経緯を教えてもらえるかしら?」


 どう名乗るか迷ったミリィを取り繕うように、フォルネが続けた。

 表の世界では、神々に見出された当千の勇士(エインヘルヤル)の候補者であり、とやかく名乗らなくてもクエストの便宜は図られるものだが、旧世界ではそういうPCの立ち位置が異なり、勝手が分からないのだ。


「あー……つまり、あんたらが助けてくれたって事か」


 身なりの良い女の子が二人、どうして自分なんかを助けてくれたのか。

 疑問は尽きない。

 だが、とにかく命の恩人、というのがリックにとっては大事な事実だった。


 簡単に自己紹介を済ませて、事情説明と行きたい所だが、どうしても気になってリックは尋ねかけていた。


「ミリィにフォルネ、だっけ。もしかして俺と同じくらいの年なのか? 俺は死んだ時点でたぶん10くらいだったんだけど……」

「秘密だけど年上」

「ノーコメント」


 個人情報はなるべく開示しないミリィとフォルネだった。

 わざわざ教える程の義務も信用もないだろとリックは納得したのだが、PCとNPCの差異というべきか理解には若干のずれが存在していた。


 それはさておいて、恩人たちにリックは経緯を説明した。

 ただし、大して知っている事はない。せいぜい食料や小金をくすねていた小悪党に過ぎない自分が、急に秘宝奪取の容疑をかけられてガードに激しく攻撃された。

 そのくらいだ。秘宝とやらには、まったく心当たりがなかった。


「そうね。いくつかのケースが想定できるけど、ミリィは分かる?」


 リックの話だけで、フォルネはだいたいの方針を組み立てたようだった。

 しかし、協力者という立場に配慮したか、急にミリィに話を振った。


「……盗んだ果物が、たまたま秘宝だった?」

「ないわね」

「ないだろ」


 総スカン。

 一切、躊躇いを見せない切り捨てにミリィは慄きながらも抗弁した。


「いや、だって考える時間とかなかったから!」

「5分あげようか?」

「やっぱ、いいです……」


 限られた時間内に目的を達成する、都市の冒険(シティアドベンチャー)

 ミリィが先に済ませた『アベンルーエ巡回』は、ある種の予習とも言えた。

 フォルネとしては、自分は正規のプレイヤーではないのだから、少しはミリィにも頑張ってもらわなければ困るのだ。


 二人のやりとりに、次第に大丈夫かこいつら、という顔になっていくリックを見て、フォルネは話を進める事を選んだようだった。


「まったく……とにかく手持ちの情報が少なくて、何が起こっているのか断定はできないけど、推測はいくつか出来るわ」


 腕を組みつつ語っていたフォルネが指を一つ立てた。


「まず、リックが真犯人と誤解されているパターンね。この場合は真犯人を探し出せば、解決するのだけど……」

「誤解って、何で誤解されるんだよ。だいたい、城壁の外でしか活動していないし、それで秘宝なんかに手を出せる訳ないだろ」


 どこか、ふて腐れたように睨みながらリックが指摘する。

 殺されかけたのだ。そんな善良なあらましで納得できるか、という思いがある。

 フォルネは素直にうなずくと、二本目の指を立てた。


「そう、絶対にないとは言わないけど不自然な説よ。だから次、より積極的に濡れ衣を着せているパターン……これを前提に動こうと思うの」


 フォルネが立てた仮説はこうだ。

 ガードでも他の誰かでも良いが、秘宝を紛失した、あるいは損壊したかで罪を被ってくれる別の犯人を求めている、そういう筋書きだ。

 状況にも説明がつく。リックを処刑しておけば、秘宝は取り戻せなかったが盗人を仕留める事はできたと、最低限の面目が立つのだ。


「まあ、濡れ衣といえば濡れ衣だけど、なんで俺に」

「あなた泥棒でしょ? 架空の罪を一つ押し付けても、誰も疑わないわ。そういう相手だったら、誰でも良かった可能性だってある」

「……だろな。俺だって、金持ちとか大層な宝物を抱えてる奴が何か盗まれても同情できねーし」


 指摘されれば、殺されかけたというのに納得してしまうリックだった。

 泥棒だという自覚はあるが、それを後ろめたいとは考えてないのだ。

 一方は何か盗まれても同情しない、もう一方も冤罪で殺されようが同情しない。その点に限れば、ずいぶんとフェアな話だとリックは思っている。


「あの……」


 10才程度の子供には見合わない、擦れた価値観。

 ミリィはその一端に触れて、相手は架空の人物で、ゲーム上に構築された簡易人格に過ぎないとしても声を掛けずにはいられなかった。


「えっと、そういうのは良くないんじゃないかなって」

「は? なんでだよ」


 リックが眉を潜める。口振りはそっけないが、不快というより本気で何が悪いか理解できないといった様子だった。


「上手くは言えないけど……あいつはこうだから酷い目に遭っても仕方ない、みたいな線引きは良くないよ。理不尽は理不尽で、間違いは間違い。誰がそういう目に遭ったかで、それが変わったりはしないって思う」


 評判の悪い人間が不幸に遭えば、天罰だと喜ぶ人間はごまんといる。

 ミリィ自身もそういった感情は皆無ではない。


 ただ、人間とは身勝手なもので、結果から逆算して他人の悪を定義してしまう事がある。事実を問わずそれが罰だと認識したら、相手がそれに相応しい悪人である事を望むのだ。

 ネット社会でも珍しい事ではないが、それは本来危うい事だ。


 冤罪で殺されようと、そも法を守って生きていない方が悪い、というのは違う。

 金持ちだからといって何か盗まれる道理がないのと同じように、コソ泥だからといって濡れ衣で殺される道理なんてない。ミリィはそう思う。


 全てを正しく言語化できた訳ではないが、リックはうなずいた。


「そーだな……憂さ晴らしで、こういう物の考えしているのは認める。でもさ、

世の中って全然、公平でもなんでもないし、それが普通じゃねえの」

「……」


 公平さに報われなかった、そして正しいまま生きていく事が出来なかった人間に……ミリィが重ねて言える事は何もなかった。

・NPCの記憶

プレイヤーが直接、関わらない所では『可能性』という形で曖昧に処理されていて、

現在から逆算されるように生成されている。

プレイヤーの目前では起こらない、ご都合な事も多い。


・ポーチ

小さい鞄の総称。インベントリ、所持目録にアクセスできるアイテムの事。

基本的に12個まで、質量を無視してアイテムを仕舞い込める。

初期アバターでは、革のベルト付きのポーチに設定されているが、

好き勝手変えてしまっても良い。

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