月下の迷い子1
クエスト『アベンルーエ巡回』はクリアと同時に、他のクエストの発生条件となるランダムイベントを引き起こす……
もし、ピーケイがこの場に居ればこれは必然だと解説したのだろうが、生憎と彼は適当に旧世界を徘徊していた。
ミリィは急な展開に狼狽えながらも、傷を負った子供を癒す事しかできない。
きっと無害なNPCなのだろう。最大HPも低く、簡単に出血は止まった。
服を染める血と痛ましさは、すぐにどうにかなるものでは無かったが。
(えっと、フォルネちゃんに早く連絡しないと……)
そんな事を考えている間にも事態は進行していく。
続けて、ランプの香り亭の扉が乱暴に開かれ、次の来訪者が現れていた。
黒鋼の鎧と兜で武装した男が二人、その姿にミリィは見覚えがあった。
もちろん、個人として知っている訳ではない。北区画と中央区の見張っていた守衛に似ていた。つまり、眠りの都アベンルーエの治安を担うガードだった。
ガード達は少年の姿を認めると、互いに目配せして告げた。
「貧民街のリックだな。秘宝奪取の大罪により拘束、処刑を執り行うものとする」
「ちょっと待った!」
そういうイベントという事は薄々分かっていたが、ミリィはこの状況を放置できるような性格ではなかった。
武器も防具もフォルネに預けていたが、それでもガード達の前に立ち塞がる。
仮に万全でも勝ち目はないだろう。ミリィはまだレベル52、そしてガードは
基本的にカンストPCに対抗できるだけの能力値が設定されているのだ。
ガードはうさん臭げにミリィに視線を送ると、刺々しく言った。
「ミドガルドの勇士だな? 多少はこの街でも活動してるらしいが……余所者に異議を差し挟まれる謂れはない。邪魔せずに本分の魔物退治にでも戻れ」
「異議って、それ以前にその子は何も持ってないでしょ?」
アベンルーエ所属からの信用があれば、もう少し態度が軟化して情報が得られたかもしれないが、ミリィの現状は余所者扱いがせいぜいだ。
それでも、ミリィは食ってかかるように指摘していた。
「ああ、そうだな。大方、仲間に手渡したか隠したのだろう。よくある手口だ」
「う……そんなの分からないよ」
「だから、拘束して吐かせる。さあ、そこをどいてもらおうか」
ここで貧民の少年、リックに肩入れする理由はあまりない。
実際、犯行は事実かも知れないのだ。
ミリィは善良なPCとして振る舞う事を好んでいたが、かといって身を切ってまで善人ロールを完遂するほどの拘りはなかった。
フォルネに相談して方針を決めるのが適切な判断だ。
未知のクエストは見送って、次の機会を待てばいい。
(でも……)
夜空の下で一人、ガードに追われた子供の姿は少しだけ、表を去って旧世界に来た自分と重なっているような気がした。
少なくとも、ミリィにとってはそうだった。
貧民の少年を助け起こすと、ミリィは低身長ながらも肩に背負って、ガード達に警戒の視線を向けながら一歩下がっていた。
酒場の裏口まで良ければ、と思うが無謀な行動なのだろう。
「ふん、大人しく引き渡す気はないようだな」
「待ちな。この店で剣を抜く気か?」
ガードの剣が鞘走る直前、険のある声が酒場の中に響いた。
ランプの香り亭の亭主だった。
引き締まった身体を持つ中年男性で、暗い金髪を乱雑に伸ばしており片目には刀傷が走っていた。およそ一般人とは思えない迫力の持ち主だ。
(……なんだか設定がありそう)
ミリィでも察するぐらいには露骨な、推定重要人物だった。
酒場の亭主――オラヴに睨まれればカード達はたちまち勢いを失い、何かを相談するように視線を交わすと、やや譲歩した条件を出してきた。
「……こちらも例の秘宝さえ戻ってくれば、事を荒立てる気はない」
「まあ、そんな所だろうな。この件はうちで受け持たせてもらう……それで異論はないな?」
「待つのは明日までだ。それまでに結果がでなければ、力付くで身柄を抑えさせてもらう」
いいだろう、とオラヴが合意すれば彼とガードの間で拮抗していた威圧が薄れ、酒場の空気から険悪さが薄れていく。
どういう圧力が働いたか、ミリィには分からないが、ガード達はその会話を最後にランプの香り亭から立ち去っていった。
後には貧民の少年を背負ったミリィと、亭主のオラヴが残されていた。正確には酒場の客がどよめいていたが、事態に割り込む事はなかった。
ほっと一息つくと、ミリィはオラヴに頭を下げた。
「ええと……ありがとうございます」
「礼はいい。それよりも余った毛布がある。その子供を寝かせてやれ」
「あ、はい」
不愛想ながらも親切に告げるオラヴが店の奥に進んでいけば、ミリィもその後を追う。
おそらくは寝台もあるはずだが、貧民の少年側に清潔性の問題があるので、そちらに寝かせるには気が引けたのだろう。
適当な空き部屋か客間に、毛布を敷くとそこに少年、リックを寝かせる。
落ち着いた所で、オラヴは腕を組むと面倒そうにミリィに視線をやった。
「言っておくが、店を壊されたらたまらんから助け舟を出しただけだ。ここからは、自分で解決するんだな」
「……そうですよね。自分で負った厄介事は、自分で片付けないと」
無難な返答のつもりだったが、オラヴはどこか気に入らなかったらしい。
やや渋面を強めて問い詰めるように続けてくる。
「別に義務がある訳じゃない。助ける理由がないなら、見捨ててもいいんだぞ。
治療してガードを追い払っただけでも過剰な親切だろうしな」
「それは――そうだけど」
問いを重ねられて、ミリィは口籠ってしまう。
ミリィはいわゆるRPガチ勢ではないし、何か目的意識があって『ナウヘイム』をプレイしている訳でもない。
もちろん、ゲームらしい少々の刺激や非日常感は求めている。
だが、公式から提示されたミドガルドの勇士、という役割に沿ってクエストをクリアしていく事が普通のプレイだという認識しかなかった。
だから、いざ作中世界のNPCから行動の理由を問われれば答える事ができない。人格AIが導入されているゲーム特有の状況だった。
どんな設定があろうと機械的に発注され、機械的に受注する……『おつかい』と揶揄されるが、クエストはプレイヤーを課題と報酬に誘導する優れたシステムだ。
本来、そこに理由や動機を問う意味はないし、ましてや受けたクエストの中断を提案する事にゲームシステム的な合理性は何もなかった。
だが、人格AIは時折こういう非合理を引き起こす。
「まあいい」
言葉を続ける事ができないミリィに、オラヴはそれ以上を求めずに打ち切った。
代わりに最低限の用件だけを述べていく。
「連中いわく期限は今日中。その間は部屋を好きに使っても構わない。どこかに逃がすにせよ、秘宝とやらを見つけるにせよ、その間に済ますんだな」
オラヴは言い残すと、仕事に戻るのか酒場の表へと戻っていった。
まだランプの香り亭の営業は続いている。どこか喧噪に置き去りにされたような気がしながらも、ミリィは宙で指を滑らせ情報枠を開いた。
そこには、新たなクエスト名として『月下の迷い子』というタイトルが記載されていた。
【月下の迷い子 対象Lv20~50】
ピーケイ「もう一度、接触しておきたいんだが、いざ探すと見つからないな……」
(日課を終えて、街中でミリィ捜索中。)
・所属
その人物がどのような概念に属しているか。国や信仰、種族など多岐に渡る。
NPC単位の信頼度とはまた別に、所属にも信頼度が存在している。
主にクエストの発生条件だったり、NPC店舗の利用条件に用いられる。
所属Aからの信頼=所属Bからの敵意、というパターンもある。
・RP勢
設定したキャラクター像を演じる、というスタイルのプレイヤー達。
せいぜい口調程度のものから、メタ視点はない物として振る舞うなど程度は様々。
同好の士なしではそうそう成立しないので、内輪に籠るかどこかで折り合うのが普通。
人格AIがあるVRMMOだと、比較的オープンな人も多い。