97 安息の地にて束の間の休息を
シャウセの大湖が遠くに見え、誰からともなく安堵のため息が漏れる。
既にチャグ領に入っており、チッチの町の横を通り過ぎた。
町の中に入らなかったのは、特に用事がなかったからであり、そこでゆっくりするよりは早く拠点で休みたいという気持ちのほうが強かったからだ。
フレディ、オニール、アデラ、ロサ……いずれも体力には自信がある面々だ。
とはいえ、現地人なら六日はかかる旅程を、二日で踏破しようというのだから無茶が過ぎる。
しかも、できるだけ人目を避け、山の中や沢沿いなど、滅多に人が足を踏み入れない場所を選んでの移動だ。
グリラス領を通れば、もっと楽に早く戻れるのだが、オニールが頑なに避けたほうがいいと主張した。
現地の人と一戦交える覚悟があるのなら止めないけど……なんて事を言われたら、さすがのフレディーでも軽はずみに突入しようとは言えなかった。
なので、仕方なく、キリル領から北に向かってボルア領へと向かい、厳しい山道を越えてチャグ領に戻ってきた。
「アデラ、平気か?」
「もちろん。まだ行けますよ」
「そりゃ頼もしいが、少しここで休んで行こう。最後の休憩だ」
フレディが心配するの無理はない。
ただ移動するだけなんて面白くないから、強行踏破訓練をしようということになり、フレディが遠慮なく速度を上げたものだから、この時間短縮につながった。
さすがにアデラは息を乱しているが、まだ行けそうだ。
オニールはさすがと言うか、あの巨体なのに遅れることも息を乱すこともなく、それどころか周りを気遣う余裕すらあった。
驚くべきはロサだろう。身軽さを活かし、木の枝や幹を飛び移るようにして、余裕でついてきた。
もしフレディが全力を出しても、ロサなら遅れずについていけそうだ。持久力はともかく、瞬発力と速度ならフレディといい勝負ができるだろう。
そのロサが、木の上から注意を促す。
「フレディさん、また変なのがいるよ? えっと……その、岩の向こう」
座って軽く栄養補給をしようとしていたフレディが立ち上がる。
自分で確認しようと思ったが、どうせならと、アデラに任せることにした。
「はい、やってみます」
返事もいいし、やる気も十分だ。
フレディは、そんなに畏まらなくていいと言っているのだが、いつの間にかまた口調が戻ってしまう。
苦笑しながら「ジャック」とひと言で相棒を呼び出す。
意を汲んだ愛玩銀狼は、岩の上に現出すると、アデラと『変なの』の様子を見守った。
『発見しました。相手は一体のみで、他に敵の姿はありません。大きなネズミの死骸に見えますが、闇の反応があります。脅威度は……不明ですが、それほど強くはなさそうです。映像を送ります』
見事に死骸だった。
何かに食われたのか、腹はくり抜かれ骨が露わになっている。
この死骸こそが堕ちたるモノだった。
ここに来るまでに、すでに二体を浄化している。
最初は驚いたが、これで三体目ともなれば慣れたものだ。
実戦を想定して、アデラは念話で報告すると、浄化の炎で燃やし尽くした。
『浄化、完了しました』
最後にもう一度、周辺に闇の痕跡が無いかを調査してから、フレディたちの所へ戻る。
「アデラ、お疲れさん」
「あれって何なんでしょうね。簡単に浄化できるからいいですけど、かなり不気味ですよね」
「死骸が堕ちたのか、堕ちて死骸に化けているのか……ったく意味不明だな」
報告しようにも、ここまで来て、また宮間大社へ行くのは非効率過ぎる。なので、しばらく休憩をしてから、チャグの報常神社に寄って、宮間大社の様子も交えて報告することにした。
ついでに復旧していないか確認したのだが、やはりまだダメだった。
ようやく拠点へと帰ってきた。
つい先日、ちょっと寄っただけだが、それでも我が家のような安心感があった。
外套や靴を倉庫へ放り込んだ四人は、正面の入り口から堂々と入っていく。
大部屋にはステラも含めて、全員が揃っていた。しかも、テーブルの上には豪華な料理が並んでおり、四人が帰ってくるのを待っていてくれたようだ。
宮間大社やフーデでの出来事は、すでに報告してある。
なので、フレディは、途中で出会った奇妙な堕ちたるモノのことを報告した。
さすがに食事をしながらあの映像を見せるのは配慮に欠ける。なので、口頭で伝えたのだが、それでも気味が悪いことには変わりがなかった。
コトリたちはもちろん、ステラも初めて聞いたと答えた。
状況が状況だけに、この不可解な通信障害との関係を疑いたくなるが、あんなものが何の役に立つのだろうか。
結局は、答えの出ないまま、心の隅に留め置いて注意するということになった。
「それにしても、やっぱ飯が美味ぇと元気が出るな。これも全部リゼが?」
「リゼもだが、ステラの護衛たちやドミも手伝った。こっちの蒸し魚はドミが一人で作ったらしいぞ」
コトリはそういいながら、解した身をパクリと食べる。
「おお、それな。脂が乗った柔らかい身に、程よく塩味が浸透してて、とても美味かったな。それと、そっちの串焼き肉も、タレが絶妙に美味さを引き出してて、たまんねぇよな」
褒められたドミは、照れながら軽く頭を下げる。
だが、ドミの働きはそれだけではなかった。
「悪ぃな。さすがにちと疲れたんで、先に休ませてもらいたいんだが、どの部屋を……?! あーなんだ。この先って、こんな風になってたっけ?」
確か奥へと続く通路は一本だったはず。それに沿って二層四部屋の合計八部屋が並んでいたはずだ。なのに、反対側にもう一本、並行に進む通路があった。
そういえば、この大部屋も少し大きくなっている気がする。
フレディが驚いていると「やっと気付きおったか」とステラが楽しそうに笑い、再び案内を買って出てくれた。
フレディたちが情報収集に出ている間、リゼとドミで拠点の改造を行った。
元々は最大八人までを想定して作られていたのだが、すでにここにはステラの守役や護衛を含めて十二人が滞在することになる。
個室も足りないし、共有の施設……トイレや浴室も増やす必要があった。
ならばと、大胆に改造をすることになった。
拠点内部を再編し、大きく四つの区画に分けられた。
入り口のある生活区画は、大部屋を広くし、調理場も貯水施設を別に移して広くなった。倉庫も食糧専用になっている。ただし、トイレは以前のままだ。
大部屋から伸びる二本の通路は、それぞれ第一区画と第二区画に続く。
第一区画は八部屋の個室があった場所だ。そこに新たに、共用のトイレと浴室を二つずつ設置された。
新たに設けられた第二区画は、第一区画と全く同じ施設が並ぶ。これはドミが造ったものだ。
どちらの通路も奥へと進むと、第〇区画に出る。
ここには修練場や研究室があったのだが、それに加え、貯水施設や倉庫が新たに作られた。広い浴場も、さらにパワーアップして大浴場となった。そして、ここにもトイレが新たに作られた。
必要な施設が集まっている分、ブルーローズにいるよりも便利かも知れない。そう考えれば、コトリやリゼが入り浸っていたのも分かる。それにしても、よく、これほどの物を造り上げたものだ。
またしても、ひと通り案内し終わったステラが、どうじゃとばかりに胸を張る。
「そういや、ステラ。ドミのことで世話になったらしいな。見た感じ元気になったようだし、ありがとう、助かった」
「なあに、ワッシは少しだけ『気付き』を与えてやっただけじゃ」
「気付き?」
「ああ、そうじゃ。あれは元々、ドミが秘めておった力じゃからな。それに気付かせ、ちょいと使い方を教えてやった。ただ、それだけじゃよ」
「それだけって……。なんでそれだけで、塞ぎ込んでた奴が、リゼみてぇに施設を作ったり、料理ができるようになったりすんだよ」
苦笑するフレディに向かって、ステラはクックックッと忍び笑いをする。
「それにしても滑稽じゃな。あれほどの力を有しておきながら、自分には力がないだの、みんなより劣っているだのと、悩んでおったんじゃぞ?」
「あいつの力って、そんなに凄ぇのか?」
「まっ、全ては使い方次第じゃがな。あの性格じゃ戦闘には不向きかも知れぬが、戦闘力だけなら、この中でもかなり上位じゃよ」
「いやいや、この中で上位って、かなり凄ぇってことになんだが?」
「もっとも、オニールやお前さんのことは、まだよく分からぬがの。あっ、そうじゃ、部屋割りを伝えておかねばの」
第一区画は、もともとコトリとリゼが使っていたこともあり、そちらは女性で固まることになっていた。だから、フレディとオニールは第二区画となる。
すでにお目付け役と護衛が使っている部屋には表札が掲げられており、それ以外の部屋を自由に使っていいらしい。
あと、表札は補助視界で変更できるだとか、細かな決まり事は説明書にまとめられ、これも補助視界で確認できるだとか、ひと通りの説明を受けて個室に入った。
大浴場を使っていいと言われたが、今は行く気になれない。なので、この場で汚れを分解すると、早々にベッドに潜り込んだ。
ファレンシアの環境に慣れていても、ずっと気を張っていれば精神的に疲れるようで、横になって数分もしないうちに、フレディは寝息を立て始めた。
数日間の休息の後、再び宮間大社で情報収集をすることになった。
もともとそのつもりで、今回もフレディが向かうつもりだったのだが、「ならば、私が行こう」と、なぜかコトリが立候補した。
フレディにしてみれば、委員会メンバーの自分ならば、多少派手に動いても変に思われないという算段だったのだが、それをオニールは……
「だったら、コトリさんが派手に動けばすごく目立つし、上手く利用すれば、悪評を吹き飛ばせるかも知れないね」
などと言って後押しした。これが決め手となり、コトリが行くことになった。
それならばと、フレディはフーデで中継役をしようと思ったのだが、「あの場所は少し特殊だからね。慣れた人が行ったほうがいいと思う」ということで、引き続きオニールとロサが行くことになった。
その結果、何かをしていないと落ち着かないフレディは、拠点で大人しく待機することになった。