07 ノルトの収集者 その四
約三百年前、火竜戦争を生き延び、ファレンシアへと移住してきた人々。
彼らは、二度と悲劇を繰り返してはならないと旧文明の技術を封印し、自然と共に生きると宣言した。これを『アルマータ平和宣言』という。
技術は捨てることには賛同したものの、それそれが育んできた民族の文化や伝統を守りたいと願う人々も多かった。
そこで、北ファレンシアと、南ファレンシアにある霊峰ムンバルガンの西方を解放し、その中で境界を決め、民族に分かれて独自の文化を育むことになる。
それ以外の地はアルマータと呼ばれ、民族にこだわらずに集落を作って生活を送ることになったのだが……
だがそれも、新たな地域で民族意識が芽生え、紛争が起こるようになった。
「まあなんだ。本末転倒って言うか、歴史は繰り返されるってヤツだよな。でも仕方ねぇって話もある。亜人や巨獣から自分たちを守るには、結束する必要があるからな。それが民族意識につながったんだろうって話だ」
「亜人と巨獣ですか……本や映像で見たことがありますね」
「いやいや、亜人なら向こうにもいるだろ。ほら、ウサギの耳を付けたヤツや、犬の耳を付けたヤツが」
「えっ? アレってアクセサリーじゃなかったのですか? てっきり、そういう姿が流行っているのかと……」
ルド・ヘミルが、座っていたソファーのひじ掛けに身体を預けてへたり込む。
待っている間に、シノの一般常識がどれほどのものかと試そうとしたのだが、相当ヤバイことが分かった。
まあ、調子に乗り過ぎて、余計な知識まで混ぜ込んではいるが、それでもファレンシアでは暴れ巨獣が大問題になっているし、亜人なら術士の世界でも普通に見かける。それが、本や映像で見た、程度の認識なのだ。
教えればちゃんと理解して身に付けるし、頭の回転も速くて賢いほうだとは思うのだが、圧倒的に知識が足りていない感じだ。
なんとも不思議な少女だ。
二人の護衛となっているトリ・アンバーも、クックックッと忍び笑いをしている。
ここは、アルマータの東に位置するノルト族の支配地。
その中でも東端に位置するスレスを中心とする領域を治めているのが、あのボランなのだから驚きだ。つまり、ボランは領主さまだった。
それが何故、あのような廃墟で暮らしていたのか、だが……
どうやら首都の荒れ地が関係しているらしい。
前のノルト族長がボランの祖父で、叔父が現族長になっている。
その叔父は身体が弱く、近々息子が次の族長になると言われている。だが……
その息子が、次の族長はボランがふさわしいと言ったから大変な事になった。
首都では、息子派とボラン派で権力争いが起きているらしい。
それをボランは、植物研究の拠点としている、あの廃墟で知った。
ボラン自身は、このスレスが好きだし、かなり自由にさせてもらえて、大好きな植物研究ができるとあって、族長になるつもりは一切なかった。
あの廃墟は、何代か前のスレス領主が建てた隠れ家で、湖の精霊が悪しき者を近づけないと言われ、実際に今まで安全だった。
もし自分が姿を現せば本格的に権力争いが始まってしまう。なので、現族長の息子が新たな族長になるまで、あの場に留まるつもりだったのだが……
いつまで待っても新たな族長就任の報せが届かない。
最近になって、息子派が放ったと思われる怪しげな者たちが湖に来るようになり、トドメに建物が崩壊した。
ギリギリまで迷ったが、これはもう潮時かと思って、戻ってきた……というわけだ。
ちなみにシノたちは、湖の精霊が認めたので、悪い人ではないと判断したそうだ。そりゃまあ、いきなり血を見せろと言われて戸惑ったようだが、理由があっての事だと納得したらしい。
ここは領主屋敷の客間のようで、今夜は是非にでも泊っていって欲しいとお願いされた。宿には悪いが、事情は伝わっているだろう。
あの料理人には未練があるが、これもまた仕方がないことだ。
部屋は、首都の宿よりは質素だが、上品で落ち着きのある雰囲気だった。
四人部屋なので、今夜はルドも身体を伸ばして休める。
「トリさん……、なんだか、凄かったですね」
「あのメイドたち、なかなかの技量だ」
「お肌も髪も、ツヤツヤになっちゃいましたね」
この屋敷には、家人やお客が使うモノとは別に、使用人が使う浴室があった。しかも男女別々だ。
さすがに全員で入るわけにもいかないし、女性用のモノがそろっているからと、シノとトリは使用人の浴室に案内されたのだが、しっかりと設備が整っていた。
さすがに狭かったが、それでも二人同時に使う事ができた。しかもメイドさんが、身体や髪を洗ってくれた上に、マッサージまでしてくれた。
それも、オイルや熱を使った、本格的なものだ。
ルドは、ボランと一緒だった。こちらも広くはなかったが、眺めが最高だった。
そこで聞いたのが、族長うんぬんという、さっきの話だ。
食事は相変わらず、文句の付けようのない美味しさだったが、今度は海老だけでなく、海の幸が多く揃っていた。というのも、さらに東へ一時間ほど進めば浜があり、そこから生きた海産物を海水ごと運んでくるのだそうだ。
たぶん、馬車で運んでくるんだろうけど、馬も大変だ。
身も心も、ついでのお腹も満足した所で、今後の方針を決める。
とはいえ、首都ノルトへ戻り、協力者に報告ついでに、次の情報を聞くしかない。他に手がかりがないのだから、仕方がない。……とシノは思ったのだが。
「どうだトリ、怪しそうな奴の目星はつきそうか?」
「そうだな。いくつか絞れていはいるが、決定的な証拠は何もない。もし姿をくらましていれば、ほぼ確定するんだが、そうなると探すのが手間になる」
「そうか。だったら、あの作戦を試してみるか?」
「なんだ? あの作戦とは」
「今日、湖で馬の世話をしてた時にシノが提案してくれたんだが、収集者なら大好物の完熟バナナを見せてやれば、何か反応するんじゃねぇかって。それで変異してくれりゃ楽でいいなって」
「なんだ、それは……」
いきなりトリが真剣な表情になる。
やはり、そんな簡単なことじゃないのだろう。もしかしたら、怒らせてしまったのかも知れない。……とシノが心配になり始めた頃に、トリは大声で笑い出す。
「それはいい。確かに効果がありそうだ。目の前で食べるのもいいな。どんな反応をするのか、楽しみだ」
「ここの特産品だからな。絶対に美味いぞ」
少し騒ぎ過ぎたのだろうか。扉がノックされた。
「あっ、ごめんなさい。騒がしかったですか?」
「いんや、別にそれはいいんだけど、少しお邪魔をしてもいいかな」
どうやらボランさんのようだ。
ルドとトリがうなずくのを確認してから、シノが扉を開ける。
「領主さま、どうしました?」
ボランを部屋の中に招き入れながら、シノが問いかける。
どうぞこちらへ、とソファーへ案内する。
「領主さまは勘弁してくれ。今まで通りボランって呼んで欲しいな。それで、みんなは明日、どうするのかと思ってね」
「明日はノルトに行こうと考えている」
「そうかあ、それは丁度良かった。僕も用事があるからノルトに行くんだけど、馬車で一緒にどうかな」
「それはありがたい申し出だが、いいのか?」
「そりゃ、もちろんだよ。何でもするって約束したからね」
「それでは、同乗させて頂こう。よろしく頼む」
シノの目が輝く。
乗合馬車もあるが、いろいろと窮屈なので、乗せてもらえるなら助かる。それに、立派な馬車を想像して、少し楽しみになった。
「ついでと言っては何だが、どこかに美味しいバナナが売っている店はないか? 熟して飛び切り美味いのがいいんだが」
「それなら、最高のモノがあるよ。どれぐらいあればいいんだい?」
「貴重なものだろ? 最高のモノを数本と、あとは店に並んでるモノもあれば嬉しい。ノルトのバナナと比べるのもいいな。向こうに着いてから、ゆっくり味わわせてもらおう」
「別に、何本でも持って行ってもらって構わないけども、そうだな、傷んじまったら勿体ないしね。でも絶対、うちのより美味いバナナはないと思うよ」
ボランは、自信満々にそう言い切った。
朝は、突然の大雨に見舞われた。
だが、ここの人たちは慣れているようで、全く動じていない。
「通り雨ですから、すぐに出発できますよ」
メイドさんが言った通り、朝食を食べている間に雨は止み、太陽が顔を出した。
ちなみに朝食は、バナナ以外のフルーツ盛り合わせと、ヨーグルト。他にもパンやジャムなどが並んでいた。
今日、バナナを持っていくと知っているからか、あえてバナナを出さなかったのだろう。その心配りに感心する。
外に出ると、水滴や水たまりが太陽で輝いて、別世界のように綺麗だった。
地面も濡れていたが、ぬかるんではいない。水はけが良いのか、もう乾いてる場所もあった。
「お兄ちゃん、少しお店を見てきてもいいですか?」
「だったらオレも行こう。欲しいものがあったら言えよ。何でも買ってやる」
ここにきてやっと、なんとか兄妹らしく振る舞えるようになったように思える。
どうやら食品関係が多く、保存食など、日持ちのするように加工された物が多い。その中に、ドライフルーツを見つける。
「お土産になりそうなもの、あまり無いですね……」
「あースマン。言うのを忘れてたな。決まり事で、ここの物は、基本的に向こうに持ってけないんだ。まあ、余程の理由があれば別だが。例えばすごく重要な思い出の品とか、研究所に行くような貴重なサンプルとか。それでも厳しい審査があるからな。だから、買うならこっちで食べれるものにした方がいい」
「そっか、残念ですね。じゃあ、ちょっとコレ、買ってきますね」
「じゃあ金を……」
「大丈夫ですよ」
お店の人に、いろいろな種類が欲しいとお願いし、銀貨三枚を渡す。
店に貼ってある値段表を見て、これぐらいが妥当かと思って渡したのだが、お店の人はニコニコ笑って、紙袋に一杯詰めてくれた。中はちゃんと、小さな紙袋で小分けにしてある。
お礼を言って、手を振りながら戻る。
「ちょっとシノ、どんだけ買ってきたんだ?」
「銀貨三枚で、いろんな種類を入れて欲しいって頼んだのですけど、多すぎました?」
「あーいや、銀貨三枚でこれって、サービス良すぎだな」
フレディが店の方を向くと、お店の人が軽く頭を下げた。
どういう意味か分からなかったが、フレディも会釈を返した。
「あーこりゃ、たぶん、アレだな。領主さまの威厳ってやつだろうな」
「そうなんですね。お得でしたね」
「いやまあ、そうなんだが。たぶんコレ、普段の三倍ほど入ってんじゃねぇか? 全部、食い切れるかな」
「じゃあ、半分ほど、倉庫に入れておきますね。少なくなったら足しましょ」
「あー、まあ、そうだな」
紙袋の中身が半分ほどになったが、それでも多い。こりゃ、飲み物も相当必要になるだろう。
そう思い、ルドは飲み水を多めに調達し、馬車へと戻った。
どうやらこちらも準備が終わっているようだ。
トリは、ルドたちが戻ってきたことに気付く。
「あー、待たせちまったか?」
「いや、こちらも準備が整ったところだ」
屋根はあるが壁は下半分だけで、風が吹き抜けるようになっている。
見た目は乗合馬車よりも、少しだけ高級そうといった感じだが、中は格段に快適そうだった。
二頭立ての馬車なのに、六人乗っても広くてゆったりできそうだ。
積み込まれていた木箱から、甘くていい匂いがする。
間違いない。お願いしていたバナナだ。
乗り込んできたボランさんの手には、見覚えのあるバスケットがあった。
外を見てみると、あの料理人が笑顔で手を振っている。
わざわざ、お弁当を作ってくれたのだろう。
「ありがとうございます」
シノは立ち上がって、大きく手を振る。
そろそろ出発だ。
最後にお姉さんが乗り込んで、扉が閉じられた。
確か屋敷にいた、ボランさんの代わりに事務処理をしているというタミルさんだ。
座席のひとつは荷物で埋まっているが、御者の人を含めた六人を乗せて、馬車はスレスの町を出発した。
この日も順調に馬車が進む。
それに、クッションがいいのか、振動や騒音がかなり少ない。
「あの、こんなのを買ってきたんですけど。よかったら、皆さんもつまんで下さいね」
シノは抱えていた紙袋から、小袋をひとつ取り出すと、残りを木箱の上に置く。
小袋の中は、ミカンのようだ。
それを見て、ボランが喜ぶ。
「僕ももらっていいかい? 僕、コレ、大好きなんだよ」
「もちろんです。好きなだけどうぞ」
なるほどと思った。お店の人は、コレがボランさん好物だと知って、たくさん入れてくれたのだろう。だったら倉庫にしまっておく必要はない。
隙を見て、少しずつ袋の中に小袋を足していく。
湖の近くで昼食を摂り、さらに進んでいく。
ちなみにお弁当の中身は、ステーキとタマゴの他に、チキンやフルーツサンドなんてものもあった。恐らく全てにこだわりがあるのだろう。どれも美味しかった。
行きと比べて上り坂が多かったせいか、少し時間がかかったものの、日が暗くなってくる前に、首都ノルトへと到着した。
相変わらず待ち行列が出来ていたが、領主さま特権で列を無視して門へと近づく。残念だけど、ここでお別れだ。
残ったドライフルーツは、全てボランさんにプレゼントした。
代わりに、木箱に入ったバナナが残された。
手を振って、ボランさんを見送ると、ルドは木箱を肩に担ぐ。
ちなみに、既に中のバナナは、三人の倉庫にしまってある。なので中身は空だ。
空の木箱を担いだルドと一緒に、シノたちも門番に先導されて壁の中の通路を進む。また、あの部屋に行くのだろう。
門番に見守られながら、協力者をのんびり待つ……つもりだったが、今日はすぐに現れた。
部屋に入るなり、不思議そうな表情をする。
「おや、なかなか美味しそうな匂いがしてますね」
「ああ済まない。待っている間に食べようと思っていたんだが、思いの外早かったから食べそびれてしまった。今、頂いてしまってもいいだろうか」
「はい、構いませんよ」
シノは首を傾げる。
てっきり木箱に残っていた匂いだと思っていたのだが、いつの間にかトリの手にバナナが握られている。しかも、最高級と呼ばれた一品だ。
なぜかこのタイミングで、ルドから念話が届く。
『お兄ちゃん、どうかしましたか?』
『気付かれないように、慎重に相手を観察してみろ』
『えっ? あっ、はい』
何だか分からなかったが、言われた通りに、協力者の顔を盗み見る。
『ん~、書類をチェックしているだけですし、別に変なところはなさそうですけど……』
『違う、そっちじゃない。後ろの兵士だ』
そう言えば、まだ門番が残ったままだ。
そっと視線を向ける。
兜を被っているので分かりにくいが、表情がうつろだ。しかも、よだれが垂れている。
『じゃあ、オレたちも食べるぞ。だたの食い意地の張ったヤツか、ただのバナナ好きで、この価値を分かってるヤツかも知れんが……。でも、もし相手に変異が見られたら、すぐにオレの後ろに隠れろ』
『はい、分かりました』
シノは手を後ろに回して、最高級バナナを倉庫から取り出す。
「スマンな。我慢しようと思ったが、目の前で食われるとさすがにな。オレも食べさせてもらっていいか?」
「ごめんなさい。私も……」
タイミングよく、おなかが鳴った。……かなり恥ずかしい。
協力者にも笑われてしまった。
「いいよ、いいよ。気にせず食べて下さい」
顔を赤く染めながら、バナナの皮をむいて、パクリとひと口。
………!?
「うわっ、こ、これ、すごく美味しいですよ?」
思わず声が出ていた。
独特のねっとりとした歯触りの後、甘さが口一杯に広がる。何度かもぐもぐすると、スッと溶けるように消えて行く。
まだ鼻腔に、バナナの匂いが残っていて、心が次を催促する。
「なるほど、これはスゲーや。ノルトは食べ物の宝庫って聞いちゃいたが、こんなバナナまで採れるのか」
「希少な最高級品って聞きましたけど、こんなに違うのですね」
「そういえば、みなさんスレスの領主さんと一緒に来ましたね。それはたぶん、領主さんの秘蔵の品ですよ」
「やっぱり、そうなんですね」
たっぷり時間をかけて、ふた口目をパクリ。
次の瞬間、後ろに跳ぶ。
その目の前を、何かが通り過ぎた。
ルドは、協力者を抱き寄せ、自分の後ろに立たせる。
トリも素早く動いて、扉を閉めた。
門番だったモノが、そこにいた。
人の姿の痕跡は無い。鎧や兜は床に転がっている。
葉のないバナナの茎と呼べばいいだろうか、そこから触手のようなものがムチのようにしなって伸びてくる。
だが色は真っ黒だ。薄っすらと透明感があるようにも見えるが、ゼリーのように柔らかそうに感じる。
「変異を確認。堕人と断定。照合を願う」
トリが呟くと、シノの補助視界にも「照合中」の文字が点滅する。しばらくして、表示が「照合完了」に変わり、相手の情報が表示された。
堕ちたるモノ、堕人「収集者」、脅威判定「E」…………
「間違いない。ターゲットだ」
ルドは、静かに呟いた。