06 ノルトの収集者 その三
ルド・ヘミル、シノ・ヘミルの兄妹と、その護衛のトリ・アンバーが、宿の食堂で朝食を済ませ、昨日の料理人からバスケットを受け取った。
お弁当のサンドイッチだ。
前日、宿の人に湖を見に行くと伝えたら、こんな小さな子では歩きは辛いだろうと、馬車まで用意してくれることになったのだが……
シノなら平気なのだが、言われてみれば、それが常識だ。ここではシノは観光客の女の子なのだ。断るほうがおかしい。
幌の無い農作物運搬用の小型馬車になったのはトリの希望だ。さらにトリは、薬草採集や果樹園の見回りまで買って出た。
これで互いに気兼ねをせずに済むだろう、ということだ。
すでに馬車は、宿の前に用意されていた。
ルドが御者台に昇ろうとするが、それを制したトリが、御者を務めることになった。
観光客に御者の心得があっても不思議は無いが、ここはトリが譲らなかった。
不審がられない程度の荷物を積み込んで、ヘミル兄妹は荷台へと上り、中腰になって木枠をしっかりとつかむ。
お世辞にも乗り心地がいいとは言えないだけに、宿の人は心配そうにしていたが、楽しそうなシノを見て笑顔で見送ってくれた。
スレスの町が遠ざかっていく。
天気に恵まれたお陰で、のんびりとした馬車の旅は、そこそこ激しい振動と、心地よい風と解放感に包まれて、順調に進んでいく。
「シノ、大丈夫か? 辛かったらすぐに言えよ」
「ありがとうございます。私なら平気ですよ。これも守護者のお陰ですよね」
「そうだな。体感温度も調節してくれるからな。あんまり意識したことねぇが、思えば真夏の炎天下でも関係ねぇってのはありがたいよな」
途中で休憩したり、果樹園の場所を確認したりしながら進み、見えて来た湖に向かうために街道から外れて進む。
太陽が昇り切るには、まだまだ時間がありそうだ。
トリの操縦が上手いのか、馬はまだまだ元気そうなのに、意外と早く到着した。
とりあえず湖畔まで来てみたが、湖はかなり広く、近くに建物らしきものは見当たらない。
「廃屋って、どこにあるんでしょうね……」
「まあ、そんな分かりやすい場所には無いよな。協力者が言ってたのは、こっちの方だと思うが。馬を休ませてる間にちょっと探してみるか……」
「いや、ルドはここで馬の世話だ。私が見てくる」
フレディは反省する。
現場に出るとつい忘れがちになるが、今日の主役はコトリで、フレディはシノの護衛だ。
コトリの働きをシノに見せるのが目的なのに、出しゃばったら邪魔になる。
あまり湖に近付いて、車輪がぬかるみにハマったら面倒だ。
少し離れた場所へと移動し、馬も馬車から外して、木につなぐ。
荷台から桶を取り出すと、慎重に湖に近付いて水を汲み、馬の近くに置く。
「そういえば、フレ……お兄ちゃん」
「ん? どうした、シノ」
「探している堕人さんは、収集者でしたよね」
ルドが苦笑する。
「堕人に『さん』を付けるって、新鮮な響きだな……。情報通りなら、ターゲットはEランクの堕人、収集者ってことだが……何か気になることでもあったか?」
「その、収集者って言うからには、何かを集めてるわけですよね……。この堕人さん、何を集めてるのかなって」
「あー、スマン、伝えてなかったか。こいつは何故か完全に熟したバナナに固執してるらしくてな、それもあって脅威度が低く見積もられて、不人気で放置されてたんだ。浄化しても評価は低いからな」
「じゃあ、バナナを持ってくれば良かったですね」
……………。
ルドの動きが止まる。
確かにそうだ。大好物の完熟バナナをチラつかせてやれば、食いつく可能性もあるだろう。もちろん上手くいくとは限らないが、それで変異してくれるのなら、話が早くて助かる。試して損は無い策だ。
「その手があったか。もっと早くシノに話しておけばよかったな」
バナナなら、場所を確認して通り過ぎた、見回りをする予定の果樹園にもあった。まだ青かったが、見事な数が実っていた。
今から往復してもいいが……まだ、完熟からは程遠い。
「収集者は変人が多いが、普通はもっとヤバイ感じだからな。それこそ放っておいたら犠牲者が出ちまうような……。なるほどな、バナナをエサにするってのもアリだな」
「さすがに、バナナは持って来てませんよね」
「倉庫に入れときゃ腐んねぇけど、さすがにな……」
こんな場所には店もない。
無いものは仕方がないし、用意した所でトリにとっては余計なお世話かも知れない。
「おっ、どうやらトリが建物を見つけたようだ。シノ、行くぞ」
「はい、お兄ちゃん」
指定された場所には、確かに建物らしきものがあった。
湖にほど近い林の中、恐らく二階建てだったのだろうが、二階部分は完全に崩れ落ちている。
一階部分も柱や壁が傾いて、今にも崩れそうだ。
確かにこれは廃屋だ。
とても、人が住める状態には見えない。
その廃屋の前で、トリが手招きをしている。
走り寄ろうとすると、人差し指を自分の唇に当て、音を立てないようにと指示してきた。
どうやら、まだ中を確認していないようだ。
シノの頭の中で呼び出し音が鳴り、補助視界に、コトリとフレディの顔と名前が表示された。念話を繋ぐ。
『えっと、これでいいのかな?』
『いいんじゃねぇか。ちゃんと聞こえてるぞ』
『はい。それでは、お願いします。私はお兄ちゃんに付いて行けばいいんですよね』
コトリが振り向いてうなずく。
『さっき、物音がした。逃げた様子は無いが、ただの小動物や、何かが崩れただけって可能性もある。シノは、何かがあればルドの指示に従え』
『はい、分かりました』
『こっちは任せろ。トリは仕事に集中してくれ』
再びコトリはうなずくと、おもむろに……ではなく、大胆に廃屋へと近づき、中をうかがう。
すると、奥の方から物音が聞こえた。
シノは警戒しながらルドの背後に隠れる。
「おやぁ? 珍しい、お客さんかな?」
現れたのは、確かにルドと近い背丈の、ヒョロっとした男で、大きな目は、ギラギラしているというよりは、ギョロっとしている。
これならまだ、門番たちのほうが目がギラギラしていた。
「人が居るとは思わなかった。騒がせて済まない。廃屋に見えたから、何の建物かと確認しようとしていたのだが、貴方はここの住人か?」
「ああ、そうだよ。ここは僕の家だ。だいぶくたびれちゃったけど、まだ住めるからね」
「廃屋ではなく住居なのだな。重ね重ね失礼をした」
「用はそれだけかな?」
「いや、実のところ、貴方に会いに来たわけだが……。失礼を承知でお願いする。貴方の血を見せて頂けないだろうか」
シノは表情に出さないようにして、心の中で驚く。
雰囲気だけならただの世間話だが、場合によっては宣戦布告にも聞こえる言葉だ。
相手の男も驚いたようで、すぐに言葉が出てこないようだ。
シノの頭の中で、再び呼び出し音が鳴る。
フレディから、直接の念話だ。
『はい、何でしょう、お兄ちゃん』
『あー、なんだ。トリの邪魔になっちゃマズイから、こっちで話すぞ』
『あっ、そういうことですね。わかりました。相手の人、怒っちゃいましたよね』
『そりゃな。いきなり家に押しかけてきて、血を見せろだなんて言われちゃ、怒りたくもなるだろうな』
トリは淡々と説得を続けている。
「私はここに、化け物が住んでいると聞き、それを確かめに来た。人と同じ赤い血が流れているなら、デマだったということだ。今後も疑われ続けるより、少し血を見せて疑いを晴らしたほうがいいとは思わないか?」
なんというか……説得の仕方も真っ直ぐだ。
『まあ、なんだ。こういう所は真似しなくていいからな』
『そうなんですか? 正直にお願いするのは、誠心誠意って感じでいいと思いますけど……』
『いや、一度怒っちまった手前、じゃあそれなら……ってわけにもいかんだろ』
……なんだか、変な音が聞こえる。
『いま何か、ミシミシって鳴りませんでした? フレ……お兄ちゃん』
『そうだな。何の音だ?』
ギギーとか、ペキッとか、何かがきしむような音が……
「あっ、危ない!」
思わずシノが叫ぶ。
家が倒れてきているのだ。
男の人を助けようと駆け寄ろうとするが、ルドが腕で静止する。
『シノ、待て。手を出すな』
『えっ、だって、あの人が……』
『コトリが何とかする。心配するな』
つい設定を忘れてコトリと呼ぶルドだが、それどころではない。
建物が崩れる時は、ゆっくりに見えるのに、心をざわつかせる迫力がある。
コトリが男を助けに駆け寄るが、とても脱出できないタイミングだ。
ドドドッと、埃を巻き上げて完全に崩れ落ちた。
『思ったより派手に崩れたな。二人は大丈夫か?』
トリからの念話だ。
『はい、お兄ちゃんも無事です。トリさんは大丈夫ですか?』
『ああ、もちろんだ。少し邪魔な物を吹き飛ばすから、気を付けてくれ。いくぞ』
梁や天井、垂木など、上に覆いかぶさっていたものが、次々と吹き飛んでいく。
なんだか不思議な光景だ。
こちらに跳んできた物は、ルドが優しく受け止めて地面に落としている。
もう一度、天井の一部が舞い上がると、やっと姿が見えた。
男の人は怪我をしているようだが、無事なようだ。
『どうやらハズレみてぇだな』
『そのようだな』
『初めっからやり直しだな。厄介なこった……』
『まあ仕方あるまい。ある程度は予想していたことだ』
シノには理由が分からないが、どうやらこの男の人は堕人ではなかったようだ。
最後に木材が吹っ飛んで、二人が外へと出て来た。
男は肩をぶつけたようで、ボロ布……服は裂け、赤い血で汚れている。
トリが応急手当をしながら、男に謝る。
「すまない。怪我をさせてしまった。でも、無事でよかった」
「いんや、こちらこそ申し訳なかった。あんたは命の恩人だ。僕にできることなら何でも協力されてくれ」
「いや、その気持ちはありがたいが、私の用事は終わった。貴方は人間だった。それが分かっただけで十分だ」
「僕、そんなに怪しいのか?」
「人里離れた場所で、今にも崩れ落ちそうな廃屋でボロを着て生活をしていれば、大抵の者は驚くだろう。化け物と見間違えられても、不思議はあるまい」
「そうなんか……これからは気を付ける」
話しながらも、トリはテキパキと消毒をし、包帯代わりの布を巻いていく。
それらの道具を、トリは法術を使って倉庫から取り出しているのだが、服の中や背中を使って、相手の死角から取り出すことで、不思議に思わせない。
すごい技術だとシノは感心する。
「よし、終わりだ。でも応急手当だからな。ちゃんと医者に診てもらってくれ」
「ありがとう。あんた、いい人だ。困った時は何でも言ってくれ。何でも手伝うよ」
「その時は頼む。ところで、家の方はどうするつもりだ」
「あー、この程度の建物なら、僕ならすぐに作れるよ」
「だったら今度は、崩れる前に建て替えたほうがいい」
「ハハハ……、そうだな」
家が崩れて怪我をしたというのに、全く動じていない。
堕人かと思ってやってきたのに、ただの無頓着で気のいい男だった。
お弁当を分け合って食べ、薬草探しを手伝ってもらって別れる。
馬はすっかり退屈していたようで、横になって居眠りをしていた。
さすがに今日は、堕人探しは出来そうにない。
あとは、果樹園の見回りをして、スレスの町へと戻るだけだ。
なので、馬が起きるまでのんびり待つことになった。
「完全に手がかりがなくなっちまったな」
「もう一度ノルトに行って、協力者に会うしかない」
「まあ、こればっかりは仕方がねぇ。シノ、よく覚えとけよ。堕ちたるモノ退治にゃ、こんな事は当たり前だからな」
「はい。ここの食事は美味しいから、楽しみです」
シノの能天気な発言に、ルドは思わず吹き出して笑う。
その声に驚いたのか、馬が起きてしまった。
でもまあ、丁度良かった。あまり遅くなると宿の人が心配するだろう。
馬を馬車につなぎ直して、出発しようと思った時……
「ちょっと、待ってくれー!」
さっきの廃屋の男だ。
決して速いとは言えないが、必死に走っている。
「ああ……、良かった。……まだ居てくれた」
ぜぇはぁと、息を切らしている。
「おう、どうした、そんなに慌てて。何か忘れもんでもあったか?」
「いや、そうじゃないけど……」
男はいきなり手を合わせて、土下座をする。
「お願いだ。僕を町まで乗せてくれ。僕の足じゃ、夜中になってしまう」
「そりゃまあ、構わん……よな? トリ?」
「途中、少し寄り道をするが、陽が傾くまでには着く。決して乗り心地は良くないが、振り落とされるなよ」
「が、がんばるよ」
シノは横の木枠が持てる、姿勢が安定する場所を空ける。
「どうぞ、腰を落として、ここをしっかりと握っててくださいね。そうすれば、たぶん大丈夫ですから」
「うん、わかった。けど、君は?」
「私は、ここで」
シノは真ん中で、前の木枠をつかむ。
「そんなんで、平気なのかい?」
「大丈夫ですよ。それより、お名前を聞いてもいいですか? 私はシノ・ヘミル、こっちのルド・ヘミルの妹です。今は二人で観光旅行をしてます。それで、前の人が、私たちの護衛をして下さっているトリ・アンバーさんです」
「それはご丁寧に。僕はボラン・ノルトだ。植物の研究をしてる者だ」
「研究者さんですか。すごいですね」
「そんなことないって……」
「スマンがそろそろ出発するぞ。しっかり口を閉じておかないと、舌を噛むから気を付けてくれ」
トリが忠告した直後、きしむ音を立てながら馬車が動き出す。
果樹園では、柵が壊されてないか、中が荒らされていないかをチェックする。周辺も見てみたが、異常はなさそうだ。
再び馬車に揺られ、スレスの町を目指す。
時折荷台が大きく跳ねるが、シノは身体を宙に浮かせて楽しんでいる。
それを見てボランが、疲れ知らずの元気な子だと感心する。
トリが門番に挨拶すると、なんだか血相を変えて一人が奥へと走って行った。
何事かと思っていると、別の門番が先導して奥へと誘導していく。
「なんなんだ、これは……」
「別に怒ってるわけじゃなさそうですよ。町の人が笑顔で手を振ってますし」
「いやまあ、そうなんだが……」
「ボランさんって、有名人だったのですね」
よく聞けば、町の人がボランの名を口にしている。
しかも大歓迎のムードだ。
一番奥まで来てしまった。
たぶん、町の偉い人が住む家だろう。
「みんな、騒がせてごめんね。一緒に来てくれると嬉しいけど」
「私は宿に馬車を返却しなければならない。薬草とバスケットも……」
「それは、我々にお任せください」
そう言ったのは、ここまで先導してくれた門番だ。
なんだか状況が読めないが、トリは二人の護衛なので、変に離れるのも不自然だ。なので、後の事を門番に託し、みんなで屋敷へと入っていく。
中では、十人以上の人たちが、ズラリと並んで出迎える。
その中から、初老の男が進み出ると、優雅なお辞儀に続いて挨拶をする。
「お帰りなさいませ、旦那様。我ら一同、ご帰還を心待ちにしておりました」
それに合わせて一同が、一斉に頭を下げた。