05 ノルトの収集者 その二
東の穀物庫とも呼ばれるノルト領、その首都ノルトの入り口には、そこそこ長い行列が出来ていた。馬車も目立つが徒歩のほうが多いだろうか。
待ったところで一時間ほどだろう。だが、コトリは当たり前のように列を無視して門番へと近づき、何かをささやくと、三人まとめて別室へと案内された。
何事かと不安になったシノだが、お兄ちゃんは全く動じていない。できるだけ状況を把握しようと、周囲を観察する。
兵たちの様子は、特に感情を荒ぶらせたりはしていないようだ。通常任務をこなしているだけのように思える。
シノの頭の中で呼び出し音が鳴り、補助視界にハツツミイチゴの名前と姿──小さな冠を頭に乗せ、尻尾の先に赤いリポンを結んだ、高貴さと愛らしさ感じさせる桃色がかった白猫が表示される。
『ただの審査なのだから、少し落ち着きなさい。相手に紋章を見せるだけ。簡単でしょ?』
『それぐらいなら……』
『ところで、久しぶりのファレンシアは如何かしら?』
『懐かしいけど……、こんなに不便だったかなって』
一度滅びかけた人類は、前文明を封印した。……とは習ったが、この数ヶ月でシノもすっかり術士の生活に慣れてしまったのか、移動にこれだけ時間がかかるのは無駄だし、浮箱があればいいのに……なんて事を思ってしまう。
『これでも精霊結晶を使った新しい文明のお陰で、かなり向上したほうですわ。そのお陰で、こんなに大きな構造物が作れるのですから。……やっと来たようね。彼は現地の協力者だから、緊張しないでしっかりね』
『うん。ありがとう、イチゴ』
念話が切れた。
わざわざ話しかけてくれたのは、シノが不安そうにしていたからだろう。
会話で緊張を解そうとしてくれたのだと、シノは思った。
イチゴの言った通り、廊下のほうから足音が聞こえ始め、徐々に近づいてくる。
扉の格子から中の様子を窺った男が、扉を開けて入ってきた。
恐らく彼が、現地の協力者なのだろう。
「それでは、まずは証を見せて下さい」
男の要望に応え、コトリとシノは、頭上にイージスリング術師協会を示す『角盾に輪の紋章』、右にリタ術士会を示す『大樹と壺の紋章』を出す。
フレディはさらに、左に調査委員会フレズベルクを示す『三日月と鷲の紋章』を加える。
「ようこそお越し下さいました。まさか役付きの方までいらっしゃるとは、ありがたいことです」
「気にすんな。オレはただの付き添いだからな」
協力者の男は、兵士たちを退去させる。
「オレはフレディ、こっちがシノだ。観光客の兄妹、ルド・ヘミル、シノ・ヘミルってことになっている。で、今回の依頼を受けたのは……」
「コトリだ。二人の用心棒トリ・アンバーと名乗っている」
「ようじんぼう? ……ですか」
「護衛……と言ったほうが分かりやすいか。特に深い意味は無いから、別に従者でも構わない。それよりも情報を求めたい」
堕ちたるモノには様々な種類があるが、堕人に関してはある程度研究が進んでいる。
人が負の感情を溜め込み、闇に触れると堕ちて『堕人』になるらしい。他の生物も、同じような原理だと推測されている。
生物が堕ちると、肉体が負のエネルギーに変化する。つまり死を迎えるわけだが、その負の感情がエネルギーで身体を作り、人に紛れて存在し続ける。
言い換えれば、残留思念がエネルギーを使って人に擬態している……と考えればいい。
いざ倒してみて、勘違いでしたじゃ洒落にならないので、術士は堕人を特定すると、変異させて確認をする必要がある。
変異をして人の形が崩れれば、再び人に擬態してもどこかに変異の痕跡──後遺症が残るはずだ。精神にも少なからず影響が残る。
それが何度も繰り返せば、人に擬態することすら難しくなる。
討伐依頼が来たということは、少なくとも一度は変異したということなので、再び人に擬態しても、どこかに後遺症が残っているはずだ。それを手掛かりして探すことになるだろう。
「最後に確認された日や場所、見た目の特徴など、些細な事でも何でもいい」
すでに答えは準備されていたのだろう。
コトリの問いかけに、協力者はスラスラと答える。
しっかりと目撃されたのは五日前、東の町スレスに近い農場で、背丈はフレディほどで、やせ型の男。やけに目がギラギラしていたという証言があり、服装はかなりみすぼらしいようだ。
事前の情報と変わりがない。
みすぼらしい服装というのは珍しくもない。だが、背格好などで、各地から目撃報告が集まってきている。その中でも有力だと思われるのが……
協力者は地図を取り出して広げると、湖の脇の一点を指し示す。
そこの廃屋に住む男らしい。
「近くに神社はなさそうだ。スレスに拠点を移してからになるな」
「今夜はもう日が暮れますし、出発は明日の朝にされたほうがいいでしょう。この辺りも少し物騒になっていますので」
「そうだな。宿と食事の手配を頼めるか」
「お任せ下さい。三人ひと部屋でよろしいですか?」
「ああ、そうだな。それで頼む」
「もう少しだけ、お待ちください。紹介状を用意しますので」
天気は良く、風は爽やか。そして大地は……
長大な壁の内側に立ったシノは、予想が外れて思わずクスリと笑ってしまう。
壁の向こうには、栄えた町か、広大な農地があるのだろうと期待していたのだが、雑草の生い茂る野原が広がっていた。
もう少し進めば別の壁があり、その中に町があるのだろう。
「こりゃまた、風情があるっちゃあるが、不思議な光景だな」
「城郭都市の城門内が荒れ地というのも斬新だが……。どうやら土地の利用方法で揉めているらしくてな。この有様だ」
「こういうもんは、国や町の偉いさんが計画を立てて進めるもんだろ? 権力闘争のエサにでもされたか?」
「どのような理由にしろ、我らには関係がない。問題があるとすれば、この藪の中に逃げ込まれたら厄介だ」
道の両脇はさすがに除草されているが、少し離れれば背丈を超える雑草などが生い茂る。
さすがに、そんな中に飛び込んで探索するのは遠慮したい。
二つ目の壁にも門番が居たが、さっきの紹介状を見せると、すんなりと通してくれた。しかも、笑顔で手を振ってくれたりと、とても愛想が良かった。
少し足を引きずっているが、負傷兵が門番なんてことは珍しくない。
「なんだかすごく、賑わってますね」
「東は辺境なんて言われちゃいるが、ここはその東の中心地だからな」
「美味しそうな匂いもしますね」
「揚げ鶏と揚げ芋……そっちは米粉麺だな。こりゃ美味そうだ」
「まずは宿だ。宿を確保したら食事だからな。それまで我慢だ」
誘惑に負けそうな二人をコトリがたしなめる。
看板の文字や言語は共通語なので、シノにも分かる。
どうやら、劇場や闘技場、競馬場などの娯楽施設もあるようだ。
「あのお店は何ですか?」
「どれだ……あっ、あれか? ペルネ製品の店だな」
「ぺるね……製品?」
可愛く首を傾げるシノ。
だがフレディは、呆れた表情でシノを見つめる。
「精霊結晶は分かるか?」
「あっ、それならさっき、守護者から聞きました。あれが新しい文明なのですね」
フレディがガックリと肩を落とす。
まさかシノが、ここまで世間知らずだとは思わなかった。
術士に関して、何も知らなかったのは仕方がないにしても、ファレンシアの常識も知らなすぎる。
ある意味、今回の旅は、それを知るいい機会となったが、どうしたものかと頭をひねる。
「文明って言っても、オレらが使える術式を、精霊結晶を利用して一般の人でも使えるようにしたのが、ペルネ製品なんだが」
「そうなんですね」
この辺りの店を全部回ったら、どんな面白い反応があるのか興味があるが、今はそんなことをしている時間は無い。
そもそもコトリが許さないだろう。
フレディは、そんなことを考えつつ、周りの様子を観察しながら歩き続ける。
紹介された宿はすぐに見つかった。
最上級とは言わないまでも、なかなか上等な部屋で、少なくとも虫や臭いを気にすることなく、ゆっくりと休めそうだ。
食事もこの宿で提供されるようで、わざわざ外へ出なくてもよくなった。
「まだ夕食まで時間があるし、留守番はルドに任せて、私たちは汗を流しに行くとしよう。シノ、行くぞ」
「どこへ行くんですか?」
コトリがニヤリと笑う。
「大浴場だ」
浴室に入ると、熱をまとった湿気に包まれる。
シノは少し顔をしかめるが、不快ではない。
どうやら森をイメージしているようで、本物か作り物か分からない木や岩で室内だということを忘れさせてくれる。
とはいえ、天井があるので解放感はあまり感じない。
身体も髪もしっかりと洗うと、木の浴槽に浸かって手足を伸ばす。
隣にコトリが座る。
湯に揺蕩いながら、シノはボーっと周りを眺めて考える。
一体、何が起こっているのだろうか……
ただ椅子をぶつけられそうになっただけなのに、気が付けば、小さな女帝さんとファレンシアの辺境に来て、一緒にお風呂に入ってくつろいでいる。
まさか、こんな事になるとは夢にも思わなかった。
それに、みんなに恐れられているコトリさんが、普段が穏やかで優しく、スイーツが大好きで、正義感が強くて……とにかく、噂とは全然違って驚いた。
それに、とても綺麗だ。
「ん? どうした? シノ」
「コトリさん、キレイだなーって。あっ、えっと……変なことを言ってごめんなさい」
「この傷だらけの身体を見て、シノは私を綺麗と言うのか」
なぜか笑われてしまった。フッフッフッと含み笑いで。
確かに鍛えられた身体には、たくさんの傷があるが……
「たぶん、自分に素直な生き方をしているのが、私には眩しいのだと思います。私もそうなりたいなって、憧れます」
「そうか、そうか。だが私を手本にするのは勧められないな。シノならもっと器用に生きられるはずだ。私にはそれが眩しく見える。憧れとは違うが、そのように生きれたら自分は一体どうなっていたのかと、考えさせられる」
「そうなんですね……、なれたらいいな」
「そうだな。」
「日々精進ですね」
「そうだ、日々精進だ」
コトリの新しい一面を知って、少し嬉しくなったシノだが、術士になった自分は、何をしたいのだろうかと思い悩む。
とにかく覚える事が多く、普通に生活することに手一杯で、それ以外のことは状況に流されて日々生きているだけのように感じてしまう。
(なにか、目標があれば……)
そんなことを考えている間に、結構な時間が経ったようだ。
「たぶん、お兄ちゃんが待ちくたびれてると思うので、私はそろそろ戻りますね」
「そうだな。私も行こう。ルドが可哀想だからな」
気付けば、お客さんが増えてきていた。
別にそこまで気にする必要もなさそうだが、念の為に観光客兄妹とその護衛という設定に従う。
「よう、ずいぶんのんびりじゃねぇか。ここの風呂、そんなに良かったのか?」
「そうですね。とてもくつろげましたよ」
「夕食まで、まだ時間がある。ルドも行ってくるといい」
「そうだな……。じゃあ、ちょっと入ってくるか」
期待に胸を躍らせて部屋を出て行ったフレディだが、なぜかゲッソリして戻ってきた。
「どうした? 浮かない顔をして。気に入らなかったのか?」
「なんか、いろいろと台無しだった……」
それだけ言うと、ゴロンとソファーで横になる。
聞けば、何かのイベントの団体が居て、運悪く鉢合わせしたようで、筋肉だるまに囲まれて全くくつろげなかったらしい。
そんなフレディだったが、食事のお陰で元気を取り戻せたようで、全員満足して眠りについた。
翌朝早くに宿を出て、乗合馬車でスレスに向かった。
途中で廃屋のある湖の近くを通ったが、小屋も人影も確認できなかった。
スレスまでは結構な距離があったが、道が整備されていたお陰で陽が傾くまでに到着した。
「なんというか、これぞ田舎って感じだな……。宿なんてあるのか?」
「紹介状を書いてくれたんだ。問題はないはずだ」
田舎といえども、盗賊や害獣対策はされているようだ。
壁は板塀だが、住居は高台に作られ、自然を利用した天然の要塞になっている。
食べ物屋台や娯楽施設は無いが、食品や雑貨の店はそれなりにあった。
物価もノルトとあまり変わらない。物によっては安いぐらいだ。
宿はすぐに見つかった。さすがに大浴場はなさそうだが、それは仕方がない。
案内された部屋は少し小さめだったが、清掃が行き届いていて、ゆっくり休めそうだ。……フレディ以外は。
どうやら二人部屋らしく、ひとりはソファーか簡易ベッドを使うことになる。
そうなれば、必然的にフレディが外れクジを引くことになる。
シノが簡易ベッドでもいいと申し出たが、さすがにそんな真似はさせられない。
たとえ、対格差を考えればそれがベストであったとしても。
旅の疲れをシャワーで流し、お楽しみの食事へと向かう。
「コトリさん、コトリさん、天ぷらですよ」
「海老と椎茸、豆と芋だな。こんな場所で食べられるとは」
シノは待ちきれないとばかりに海老を取り、ちょんちょんと調味塩を付けて、パクリ。
サクッとした衣の中から、弾けるように海老の身が踊り、噛めば噛むほどジューシーな甘味がふんわりした身からあふれ出てくる。
その幸せそうな顔で、美味しさが分かる。
フレディは肉だ。
表面はしっかり火が通り、中は生。それを大きく切り分け、ソースをたっぷり付けて豪快にかぶりつく。
「ノルト、すげーな。食いもんだけなら、世界一なんじゃねぇか?」
「お客さん、嬉しい事を言ってくれるねぇ。ちょっと待ってな。いいもん出してやるよ」
どうやら料理人が聞いていたようだ。
出てきたのはステーキとキャベツのサンドイッチ。
女性陣には厚焼きタマゴのサンドイッチ。こちらは、食べやすいように一口サイズにカットされている。
「こりゃいいな。キャベツにソースが絡んでるんだな」
「なんで野菜が入ってんだって怒る客も居るんだが、アンタは分かってるねぇ」
「いや昔、パンが水分を吸ってべちゃべちゃになったもんを食わされたことがあるからな。肉じゃなかったが」
「わかるぜ、その気持ち。指にベタベタくっつくのがもう……」
「せつねぇよな。なんだこれは! ……って言いたくなるよな」
なんだか、二人で意気投合している。
シノはタマゴサンドに手を延ばす。
………パクリ。
「あっ……甘い。甘くて美味しい。デザートみたい」
「うむ、これはいいな」
いつの間にかフレディは、明日の朝に、サンドイッチの弁当を作ってもらうよう頼んでいた。
まあ、確かに、そのほうが時間が節約できる。
まだ何日かは滞在することになりそうだし、仲良くなるのはいいことだ。
満足した三人は、部屋に戻って今後の方針について話し合う。
とはいえ、全てはコトリの行動次第だ。
「可能性が高いのなら、放置しておく理由がない。まずは湖の廃屋に行こう」
その一言で、明日は三人で、湖へハイキングすることに決まった。
そして結局フレディは、ソファーで寝ることにした。