56 チャグの古代遺跡 その二
調査の結果、通路らしき古代遺跡の損傷は、大地の歪みによるものだと結論付けられた。
時の霊峰チャガレストの北西、猛き槍と称されるレイモーデンは、活火山として有名で、この辺りもよく地震が発生する。
遺跡の周辺に見られる陥没や横倒しになっている木々は、まだ新しい傷痕だが、長年にわたってこの地に加わり続けたその力が、頑丈なはずの古代の遺跡をも破壊したのだろう。
アーリステリアとは頻繁に連絡を取っている。それも、一日に何度も。
本人は、なんとか理由を付けて来ようとしているようだが、頑張れば日帰りできるとはいえ、チャグの都は遠い。
それに、長々と留守にするわけにもいかないので、そう頻繁に遠出ができない。
あれからまだ三日しか経っていないが、あれ以来、一度も直接会っていない。
なので、避難場所の設置は、コトリとリゼの二人だけで行っていた。
アーリステリアには念のため、映像通話で確認してもらい、綿密な打ち合わせをしている。
「この壁なら、リゼにも作れるぞい。な~に、ちょっとした工夫をするだけじゃよ」
土砂から有機物を取り除き、砂を非常に細かく砕いで粉塵にしてから長方形の板に成型して固める。それを並べて壁にして、継ぎ目を接着。
更に壁を重ねていくのだが、継ぎ目をズラすように心掛けて接着していく。
最後は表面に、白くて細かい粉の溶液を塗布すれば完成だ。
それを岩石系の法術で実現するのだという。
さすがにリゼの力量では、それらを一気に行うのは難しい。なので、いくつかの工程に分けて術式を編んでいく。
板を作る法術、並べて接着する法術、白い溶液を塗布する法術に分けた。
ちなみに有機物の除去はコトリが行った。
何度か失敗をしたが、見た目はそっくりに仕上がった。それに、触れた感じは、なかなか丈夫そうだ。
塗布する溶液を変えて、光明系術式を付与すれば、天井のように光らせる事もできるらしい。
リゼの……というかイージスリング術師協会の常識では、白い壁にするのなら白い素材を使えばいいし、なんなら白く変えればいい。照明なら、天井に明るい映像を表示させたり、ランタンのように光源を作ればいい。
だが、今回の方法ならば、面倒臭い反面、霊力の消費が抑えられる。
新しい方法を知ったリゼは、施設を作るだけでなく、その作り方にも興味を持ち始めた。
天井を半透明にする……なんて事も当たり前にやっていたが、工夫すれば、もっといろいろできそうだ。
他にも新たな技術を教えられたリゼは、通路の両側に壁を作って封鎖し、天井の穴に出入口を作った。
上に乗れば滑り台で滑り落ちる仕組みで、出る時は階段を使う。
避難者の誘導や入室者の選別、掃除や空調などの管理は、精霊にお願いした。
対価に浄化の石を設置したのだが、これで低ランクの堕ちたるモノは近づけなくなったはずだ。
コトリが用意した物で、高価なだけあって、小さくても十年程度は効果が続くらしい。
内装はチャグの領民に任せるとして、何か問題があっても、あとはアーリステリアが何とかするだろう。
リゼとしては、もっと設備を整えたかったのだが、やり過ぎはよくないと止められた。
せめて、壊れて斜めになっている通路を撤去して、もうひと部屋作りたかったのだが、それはまたの機会、他のものも終わって余裕ができてからという話に落ち着いた。
もう一カ所の避難場所は、何かの部屋のようだった。
崖崩れで壁……というか部屋の角が壊れて露出したのだろう。
中は薄汚れていたが、人の入った形跡があった。
「そこは、狩人たちが休憩場所に使っておる場所じゃ。今のままでは、開けっ広げで避難場所には不向きじゃからの。それを改修してもらいたい。奥にもなにやらあるようじゃから、その調査もお願いしようかの。大した危険はないとは思うが、気を付けるのじゃぞ」
「それはいいが、ステラよ、その口ぶりからすると、奥がどうなっているのか見当がついているように思えるのだが、教えてはくれないのかな」
「ふむ……」
少し考え込んだアーリステリアは、言葉を選びながら話し始める。
「そうじゃの。知っていると言えば知っておる。じゃが、全く理解はしておらん。……つまり、そういうことじゃ」
「知っているが、理解していない。……何かの謎かけか?」
「いや、そうではない。先見によって、そこに隠された扉があって、向こうの通路には、膝上ぐらいまで水が溜まっておるという光景は把握しておる。じゃが、なぜそうなっておるのか皆目見当がつかん。襲われておる場面はないので、危険はないと思えるのじゃが、たまたま見えておらぬという事もあり得るからの」
「事前に扉が隠されていると教えられれば、探すのも容易になるのだが」
「かも知れぬが、見えたという事は、教えずとも二人ならば見つけられるという事じゃよ。それにじゃ、変に先入観を与えれば思考が狭まるからの。それによって、気付きが阻害された結果、予想外の影響が出る事もあり得る。皆が思うほど先見は便利なものではないし、助言をするにも気を遣うのじゃよ」
「すまなかった、ステラ。何となく都合よく動かされているように感じ、つい余計な口を挟んでしまった」
「コトリよ、真面目じゃのう。それに、馬鹿正直じゃ。ほれ、肩の力抜いて、心に余裕を持ったほうが良いぞ。じゃが、ワッシの配慮も足りんかったのも確かじゃ。余計な不信感を与えてしまって悪かったの」
その言葉を素直に受け取ったコトリだったが、ハッと驚きの表情を浮かべる。
「なるほど、その言葉の中にも、私への助言が含まれていたわけだ。肩の力を抜くのもそうだが、相手に不信感を与えない配慮が必要だということだね」
「いつまで経っても学びは尽きぬものじゃわい。互いに、学ぶことが多いのぅ」
不意に、アーリステリアの周囲が騒がしくなる。
誰かに呼ばれているようだ。しかも、かなり慌ただしい。
「すまぬの、ちょっと呼ばれておるようじゃ。落ち着いたら連絡するので、それまでそちらを任せたからの」
「ああ、分かった。リゼは何か言っておくことはないか?」
「そうね……、方針だけ決めておくから、また相談するね」
映像の向こう側では、かなり洒落にならない状況になっているようだ。
「姫さま、どこにいらっしゃるのですか? 急ぎ、急ぎ確認したい事が……」
ユードの声のようだが、かなり切羽詰まっているように聞こえる。
声の大きさから、すぐ近くを通り過ぎたようだが、見つからなかったようだ。
少し振り返ったアーリステリアは、悪戯っ子のようにクスクス笑うと、「またの」という言葉を残して映像が途切れた。
なんだか、いきなり取り残された感じのリゼたちは、ユードの精神状態を心配しつつも、作業に取り掛かる。
扉はすぐに見つかった。
水が溜まっているという事なので、こちらに出てこないように堰き止めつつ、扉を開けようとするが……
「これ、どうやって開ければいいんだ?」
「壊れてるのかな……」
無理やりぶち壊そうとするコトリをなだめながら、代わりにリゼが扉を調べる。
壁の一部を横に滑らせて開けるようだが、動く気配がない。
「鍵がかかってるのかな。えっと、こういうのは……」
リゼは天井を見上げて何かを確認すると、床を見つめ、最後に部屋の角へと近付いて、手のひらで横の壁を押す。
ガコン、という音が鳴って押し込まれるが、扉は動かない。
「たぶん勝手に開けられないように、誰かが扉を封鎖したようね。ごめんなさい、コトリさん。私の代わりに水を堰き止めることってできますか?」
「リゼほど上手くできるか分からんが、まあ、任せろ」
コトリが術式を発動させたのを確認すると、リゼは扉に向かって波動系の法術を使う。
振動の反射で、内部構造を読み取っているのだ。
場所を変え、方向を変えて、三度繰り返すと、うんうんとうなずく。
最後に水流系の法術を使うと、フゥと大きく息を吐き出す。
「じゃあ、開けるね」
再びリゼが壁を押し込むと、今度は壁が動いで隙間が出来た。
だけど、僅か二センチほど。
そこに指を挿し込むと、力任せに横へと滑らせた。
「おっ、すごいな。どうやって開けたんだ?」
「鍵が開かないようにしてあったから、その装置を……ちょっとね」
中は散々たる有様だった。
強烈な臭いに顔をしかめたリゼは、数歩遠ざかって中を確認する。
カビと腐った匂いの混合物だが、毒……というか、身体に悪そうな成分も混ざっているようだ。
「コトリさん、この空気を吸わないように気を付けて下さい」
「分かってる。空気も堰き止めてみる」
コトリは水の代わりに空気を操作して、水と空気の両方を、通路から出てこないように押し留めた。
「じゃあ、始めますね」
つい敬語に戻ってしまったリゼだが、それを気にしている余裕はなかった。
急いで、澱んだ水を浄化する。
お皿の汚れを一気に消した、洗浄系法術だ。
いくら得意とはいえ、どれだけあるかわからない汚水を一気に浄化するのは無理がある。
なんとか清められた分の水を使って、通路の壁や天井を洗浄してみるが……
「いけそうか?」
「う~ん、だめかも。汚れた水を抜いたほうが手っ取り早いけど、その辺に捨てるわけにもいかないし……」
リゼは考えた末に、外に一時的な貯水池を作って汚れた水を仮置きし、通路の洗浄が終わってから処理することに決めた。
大地系や岩石系法術で水路と貯水池を作り、堰き止めていた水を解放して部屋から出る。
申し訳ないが、穢れた空気は自然浄化に任せるしかない。
できるだけ一気に流れ出てこないようにと配慮したコトリのお陰で、水は暴れる事なく水路を走っていくが……
「あー、なんだ。全然止まる気配が無いんだが」
「そ……そうみたい。さすがに、多すぎ……」
リゼは急いで地形を確認すると、もう一カ所、大きな貯水池を作った。谷を利用して作った、最初の五倍以上もある立派なものだ。
それが半分ほど埋まった頃、やっと水流に衰えが見え始めた。
後々これを浄化しなければと考えると、気が重くなる。
「粗方終わったようだな」
コトリの言う通り、通路からは、あまり水が流れ出てこなくなった。
でもまだ、足首が埋まるほどの、ドロリとした堆積物が残されている。
その処理を始める前に、リゼは波動系の探知法術を使って、念のために通路の中を確認する。
どうやら落ち着いているようだが、まだ所々で障害物に遮られた水が溜まっているようだ。それに、他にも部屋があるようだ。
とにかく、しっかり換気をして、通路を洗浄する。
コトリも植物のツルを使ってヘドロを掻き出し、大きな貯水池へと運んだ。
「こんな形で法術を使ったのは初めてだが、なんとかなるもんだな」
「植物系は分からないけど、繊細さが重要なぐらいで、コツが分かれば簡単だと思うんだけど」
「いや、これもなかなか大変だった。それにしても、なぜこんな事になってんだろうな。ただの地下水なら、こんな惨状にはならないはずなんだが……。ステラは原因不明とか言ってたし、調べるにしても慎重に進めないとな」
「……だね」
貯水池の水からは毒が検出されたが、中に落ちない限りは平気だろう。
空気を多少汚染するが、風ですぐに薄まるし、長時間クンクンと嗅ぎ続けない限り、人体に深刻な影響はなさそうだ。
少なくとも、横を通り過ぎたぐらいで、どうこうなったりはしない。
水路と小さな貯水池を片付けて、少し遅めの昼食を平らげる。
「ステラに連絡したよ。忙しいみたいで、返事はなかったけど」
「大変そうだったし、仕方がない」
「コトリさん、どうしよう。せっかくだから、少し中の様子を調べてみる?」
「そうだな」
向こうの通路は放置したのに、なぜこちらの通路は調べないといけないのか。
アーリステリアの指示に違和感を感じていた二人だが、毒が発生している横に休憩場所を設けるわけにはいかないと納得した。
それに、中には他の部屋があるようだし、それが使えれば、休憩や避難だけでなく、拠点として使えるかも知れない。
とはいえ、全ては調査が終わってからだ。
何が出てくるか分からず、不安も大きいが、本格的な探検が始まるようで、少しワクワクする。
敵との遭遇や、不測の事態への対応を確認し合うと、二人は緊張した面持ちで、通路の中へと足を踏み入れた。